瞼の裏に


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作:333Yon
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第4話:2年前


再び迷宮都市(オラリオ)の地を踏んだ。

復興が進んだ街は発展の一途を辿っている。

道行く人々の表情は明るい。

この光景を生むために奔走し志半ばで斃れた多くの者たちや、暗黒の時代に終止符を打った『彼女』に思いを馳せた。

 

『暗黒期』が終わった現在、治安が改善し路地裏を一人で歩くのは前ほど危険なことではなくなった。だが、危険がないわけではない。

その様子を見かけたのは偶然だった。

ある日の夕方、街路を歩きながら横道に目を向けた私は、その奥を横切る──路地裏から出てきてまた路地裏へ入っていく──、例の店の制服を着た誰かを見た。

手元に何か抱えている。きっと買い出しの帰りだろう。

それを見て、私は何年も前に瞼の裏の恩人から言われたことを思い出した。

 

――慣れない場所で路地裏に一人で足を踏み入れないほうがいい――

 

もちろんあの店員にとってここは慣れない場所ではないだろうが、日が傾いた今の時間、通りに接した横道ですら影が広がり暗く沈む様はあまりに不気味に見えた。

私も怖くないといえば嘘になる。

だが、一度あの恩人の言葉を思い出してしまった私は、私にしては常ならぬ義勇と商いをする者としては致命的な()()()を発揮して後を追ってしまった。

 

店員は入り組んだ路地裏を迷い無く進んでいく。

通りから一瞬見ただけではわからなかったが、後姿からは尖った耳が見える。髪型からしておそらく以前配膳してくれたエルフの店員だ。

そう考えながらしばらく進んでいると、――懸念が現実となってしまった。

 

店員が立ち止まる。

目の前には男が立ちふさがっている。

少し離れた場所からでは薄暗さも相まって男の表情は見えず、ボソボソと何か言っているが聞き取れない。出で立ちからまともな人には見えない。男の発言に店員が返答を返したようにも見えない。彼女の知り合いということはあるまい。

 

私は血の気が引いた。

蛮勇を振りかざしてここまで来たが、いざこんな場面に出くわしてしまえば非力な私にできることなんてなかった。

下手に手を出せば、こちらだって何をされるかわからない。

介入したところで見返りだって期待できない。なのにわざわざ厄介ごとに飛び込むなんて合理的じゃない。

だが──

ここに来る決断をするきっかけの言葉をくれた恩人を思い出す。

瞼の裏に、あの光景が浮かぶ。闇の中に射し込んだ光。

似合わない勇気を再び振り絞る。

ひと悶着して彼女が逃げる時間くらい稼げるかもしれない。後のことなんて知ったことか。

それはもしかしたら正義感というやつだったのかもしれない。

 

男が店員の腕をつかもうと両腕を伸ばす。

私は地を蹴った。手を伸ばし、喉に力を込めた。

やめろ!

――その言葉は音にはならなかった。

エルフの店員が目にも止まらぬ速さで男の顎を蹴り上げていた。

私の踏み出した一歩目が地に付かないうちにすべてが終わった。

蹴られた衝撃で男が仰向けに倒れる。

え、ええ〜…

伸ばしかけた私の手は宙を彷徨い、口から出かけた言葉は喉の奥へと沈んだ。

いつになく力を込めて踏み込んだ左の足首は、軽く痛めてしまった。

 

倒れた男のことをそれなりの時間見つめていた店員は──おそらく男が呼吸しているか確認したのだろう──こちらを振り返った。

びくりとする。

もともと気づかれていたのか、それとも先程の踏み出しの気配で気づいたのか。今の私にとってはどちらにせよ大差なかった。

大きく一歩を踏み出して距離の縮まった今、彼女の顔はよく見えた。厳しい表情をしている。明らかにこちらを怪しんでいる。次はお前かという声が聞こえてきそうだ。

後をつけるなんて怪しいことこの上ない事をしでかしている私は今、不審者でしかない。

 

何かご用でしょうかと店員の口から言葉が発される。

丁寧な伺いの言葉。しかし騙されてはいけない。これは実際、詰問の言葉である。

同じ方向に用があっただけと誤魔化すべきだろうか。正直に言うのはすごく恥ずかしいし、正直に言ったところで何してるんだこいつというような話である。しかし、もし嘘を見抜かれれば、次は私が地に背中を付け意識を手放すことになるだろう。

 

恐怖から思考が現実逃避をしはじめた。

そういえば、と思い出す。今回のオラリオ訪問中にあの店についての与太話を耳にしていたのを忘れていた。

曰く、あの店の店員は軒並み腕っ節が強い。だから下手なことをすると冒険者でも店を叩きだされる。と。

本当だったのか、という思いと、忘れていた私はなんて馬鹿なんだ、という罵倒が同時に浮かぶ。

問いに答えないまま別のことを考え始めた私を睨めつける店員の眼差しが、さっきの男を一発で昏倒させた脚が、恐ろしい。

 

ついに恐ろしさが、恥ずかしさを上回った。

私は観念して、あなたが一人で裏路地を入るのを見かけ、心配になってついてきた、と打ち明け、身勝手についてきて申し訳ないと謝った。

しばらく無言で私のことを睨み続けていた彼女はやがて一度目を閉じて、そうですか、と言った。

そして、ですがそういった心配は不要ですと言った。(ピクリとも動かない男を見て全くその通りだったなと思った)そして最後に私に対し、もっと自分を大切にしなさい、表通りまではついてきて構わない、と付け加えて、私に背を向けてゆっくりと歩き出した。

一人路地裏に取り残されるのも恐ろしい私は、足を引きずりながら彼女の背中を追いかけた。

表通りへは間もなく出られた。

私の左足首は、しばらく痛いままだった。

 

 

 

数日後、少し緊張しながら例の店の扉をくぐった。

この店はオラリオで一番気に入っている。ごくたまにしかこの都市を訪れない私にとって、この絶品にありつく機会を逃すなんてできなかった。

 

今回はこれまでと違って夜の時間帯である。

注文し、しばし待つ。

日中と違い夜は冒険者らしき客が多い。乾杯の声や大きな笑い声にまじって、地下迷宮(ダンジョン)や装備、戦闘に関する会話も聞こえてくる。

その間にも店員たちは、店の中を動き回る。

猫人やヒューマンの店員たちの中に例のエルフの店員の姿を認め、ビクビクしながらそちらを伺った。彼女は私に意識を向けることもなく働き続けている。店員たちは客の無遠慮な視線など慣れ切っているらしい。

2年前はぎこちなかった所作が、見違えるようにスマートになって料理を運び、食器を回収していた。

どこをどう見ても立派な酒場の店員だ。

彼女が鋭い蹴りで大の男を昏倒させたと言っても誰も信じないだろう。

そこでふと、思い至ってしまった。

あの与太話が本当だとしたら、他の店員も腕っ節が強いということだ。

ニャーニャー言いながら横を通り過ぎる茶色い尻尾を、冷や汗を流しながら眺める。

私のテーブルに酒と料理を持ってきた薄鈍色髪の店員の機嫌を損ねる動きを間違ってもしないように、体を硬直させる。

その店員はそんな私を見て、面白そうに声をかけてきた。

お客さん、何度か店に来てくれてますけど、いつになく緊張してどうしたんですか?

隔年でしか来ていない客(私)のことを覚えていると宣うその店員の記憶力に戦慄を覚えつつ、ナンデモアリマセンと答える。

すると彼女は花が咲くように笑った。つい可笑しくて笑ってしまったらしい。その自然な笑顔に少し体のこわばりが解けた。

彼女は私に、楽しんでいってくださいねと言って去っていった。

 

頭に冷静な部分を取り戻した私は考えた。

今までどおり普通にしていれば、客と店員という安全な関係は保たれるだろう。

噂話の内容からしても、店員が暴力という勤めを果たすのはきっと客が客としてみなされないほどの暴挙を働いた時くらいだ。

ならば、絵に描いたように一般的な客たる私に危険なことなんて何も起こらない。何も怖いことなんてない。きっと。

 

その先はなんとか料理と酒を楽しめた。

 

料理を食べ終え、ゆったりと酒を飲みながら、いろいろなことを考えた。

とりとめのない思考の流れ。先日の路地裏での恥ずかしい一件を思い返し、何であんなことしたんだっけと自問し、きっかけの言葉を私にかけた瞼の裏の『彼女』を思い出す。

【疾風】が捕まったという話は、聞かない。

賞金が取り下げられたとも、聞かない。ということは、どこかで生きている可能性がある。

どうか、どこかで元気に、できれば幸せでいてほしい。

 

ふわふわとした私の思考はまた別のどこかへと漂っていく。

 

空席になった私の横の席の食器を、エルフの店員が回収していった。




『私』:どこまでも一般人。異世界だから飲酒はセーフ
『彼女』:19歳
『それなりの時間』:やりすぎちまった感を添えて
『ゆっくり』:やさしさ
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