『暗黒期』が終わったのだ。
それを都市中に満ちる雰囲気として実感する。
正義を追求する者たちが、ついにこの秩序という結果をもたらしたのだろうと考えた。
我慢できなくなった私は父に無理を言って時間をもらい、
回数を重ねることで手慣れてきた『献金』手続きをしようとしたが──、できなかった。
対象の【ファミリア】──【アストレア・ファミリア】がすでにこの都市に存在していなかったからだ。
思考が止まる。一体、どういうことだ?
私に衝撃的な事実を告げたギルド職員は、次いで私の心に追い打ちをかけてきた。
眷族は一人を残し全滅。【疾風】だけは生き残っているが、ギルドの
赤髪の団長も、
秩序のために戦い続けていた正義の眷族たちが、もう…?
信じられない。
そして、瞼の裏の恩人の姿を思い浮かべる。彼女は生きているという。でも、お尋ね者として。一体なぜこんなことに。
顔を青くして何が起こったのかと聞く私に職員は、【疾風】が複数の組織を襲撃したほか、大量殺人を犯したからだと述べた。
それ以上のことは全く教えてもらえなかった。
失意のままギルド本部を後にする。
信じられない。
信じたくない。
私は、得たばかりの情報を否定するための情報を求めて彷徨いはじめた。
短いながら過去に付き合いのあった先を訪れ、話を聞いていく。
【疾風】があそこの商会を潰した、あそこは焼き討ちだったらしい、どこぞ組織が魔法でぶっとばされたらしい、取引相手のあいつが殺された。刃物で一突きだった、罠にはめられた、ギルド職員まで殺したのはびっくりした、ある【ファミリア】の眷族をまるごと滅多刺しにしたらしい。殺した…殺した…殺した…。
否定したい事実を肯定する話ばかりがもたらされる。
商人たちがよく使う酒場にも足を運ぶ。そこでも情報は大きくは変わらない。
本日何度めかの同じような話を聞いていた私の顔が色を失っていく。
そんな私の様子に気づかず、現在の聞き込み相手の男がグラスに目を落として口走った。
でも、今こうしてのんきに酒が飲めるのも【疾風】が暴れたおかげかもしれないなァ、と。
バッと男の方を向く。
私の様子に気づいた男はハッとして口をつぐむ。そしてキョロキョロと周囲を伺いだした。
声を低くし詳しく教えてほしいとしつこく頼む私に、ひとしきり周囲を確認し終えた男は安堵の溜息をつく。だが話そうとはしない。
所持金の大部分と、御守代わりに身に着けていた
それらに視線をやりつつどこか遠くを見るような目でいた男は、しばらくしてから小声で答えはじめた。
曰く、彼の所属する商会の親商会は【疾風】の首に賞金をかけている。【疾風】の『報復』の対象になっているかもしれないからだ。なぜなら、
答える彼の顔を見て、経験の浅い私の目にさえ他にも後ろ暗いことがありそうだと感じられたが、この場では関係ないことだ。だから話の続きを促した。『報復』という聞き捨てならない言葉も気になる。
彼は『報復』の全容について詳しくは知らなかったが、おそらく
消された連中は軒並み
殺されたギルド職員については俺は知らないが…と付け足す彼は、次のような内容を続けた。
彼は、
ただし、一部の商会や遺族に目をつけられるのを恐れて、公言する者は決して多くないとも。
だから俺が言ったとは誰にも言わないでくれと言い残し、男は酒場を出ていった。
ここでようやく、私の心は少し冷静さを取り戻した。
残り少なくなった所持金から男の分まで代金を払い、店を出る。
ゆっくりと考え事をしながら宿泊先へと足を運ぶ。
――勝手に丸一日フラフラしていた私は、父から大目玉を食らった。
その後連日、暇を見つけては一般市民を捕まえて話を聞いた。
直接的な聞き方を避けたためかなり遠回しな問答を重ね時間がかかったが、結果として2通りの反応を見ることができた。
一つは、大量殺人を犯した『恩恵持ち』である【疾風】を危険人物として恐れる人々。
もう一つは、酒場の男と同じような考えを持っている人々。
後者は更に2つの傾向があった。まず、様々な情報を得られる立場にいる人ほど、この考えをもっているようだった。また、【アストレア・ファミリア】に直接助けられた経験のある人々、または直接関わりのあった人々も同じ考えを持っていることが多かった。
結局、彼女が犯した罪を否定する材料は、ついぞ見つからなかった。
しかし罪を成すに至った背景と、その罪が生み出した功績に思いを馳せることはできた。
彼女の犯した罪によって暗黒期が終わったのだとしたら。
私達は、この都市は、その結果もたらされた秩序を享受していることになる。
仮に私が彼女を発見したとしてもギルドや商会に突き出すことはないだろう。今回の一連の話を聞こうが聞くまいが、それは変わらない。だからこれまでの聞き込みは、私の行動には何の影響も与えない。
だが、おそらく私と同じように「行動しない」人も少なくないだろうと予感することはできた。
正しいやり方ではないがその選択と行為のおかげで私達は今こうしていられるのだ。と、一つの結論を得た私は、ここ数日ざわめいていた心をひとまず鎮めることができた。
別の日、時間をもらった私は都市南東に赴いていた。
眼前に見えるのは白い石材でできた無数の墓標と漆黒の巨大な
亡くなった少女たちのうち、団長の名前だけは漏れ聞いていたので墓を探したが、見つからなかった。半ば予想していたので落胆はない。
代わりにと言っては何だが
都市南東にいた私は流しの馬車を拾い、西の大通りへ移動した。
2年ぶりにお気に入りの店へ足を運ぶためだ。
昼時をやや過ぎたころ例の店の近くで降車する。
入店すると、やけに元気のいい茶色い毛の
料理を待つ間、店内を見回す。
以前とはすこし雰囲気が変わったように思う。おそらく、店員と席数が増えたのだ。
以前訪れたとき、
この店の料理はうまいし店舗もおしゃれなので繁盛して経営規模を拡大したのだろう、と考えた。
しばらくしてエルフの店員が料理を運んできた。不慣れなのか少々所作がぎこちない。やっぱり最近増員された店員なのだろう。
彼女の手で器がテーブルに並べられると共に料理名が告げられていく。
ふと、そのエルフの店員の声に聞き覚えを感じ、しばし料理から目を離して彼女を見た。
肩より上で切られた薄緑色の髪。
こんな髪色のエルフと知り合ったことはないし、彼女の顔にすら見覚えはない。―─気がする。
ただ、真剣な表情を形作る目は空色の虹彩を持っていて、それだけどこか既視感があった。
だが青っぽい目などこの大陸にはありふれている。
結局、何が引っかかったのか私が思い至ることはなく、注文の品すべてをテーブルに届けたことを私に確認した彼女は薄緑色の髪をふわりと靡かせて体の向きを変え、去っていった。
この店の料理は相変わらず美味しい。
堪能していると、昼時を過ぎた店内は客が減ってきた。
忙しさからやや開放された店員たちのうち、先程のエルフの店員に鈍色髪の店員が何事か教えているのが見えた。エルフの店員は真剣ながらやや柔らかな表情で頷いている。
同僚同士の仲が良好なのは、飲食店に限らず商売をするうえで大切なことだ。雰囲気が良い店なら食べる料理もおいしく感じる。
やがて完食した私は気分よく代金を払って店を後にした。