作:ぴえんふー
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一秒にすら満たない刹那、酒場の喧騒が遠ざかった。
凍った様に動かなくなった視線に反して、背中を起点に白熱する体。
喉が渇く。
溺れた様に、酸素を求めて肺が音もなく息に喘ぐ。
はらわたが、煮えくり返る。
そんな俺を訝しんだ眼前の緑髪のエルフは、料理を手に首を傾げた。
「……なにか?」
「…………いえ。料理、ありがとうございます」
指摘されて自分がようやく彼女の顔を凝視してた事に気づき、誤魔化す様にお礼を口にする。
彼女の表情には少しばかりの困惑が滲んでいる。
料理を持ってきたかと思えば無言で自分を見つめてくる客が居たのだ。目の前の給仕さんの反応は当然のものだろう。
だから努めて、たった今感じていた『不快感』を表情と気配に出さぬようきつく縛る。
「……、……ッ?」
……よくよく自分の状態を確認してみれば、全身が妙にじっとりしている。
きっと汗を掻いたのだろう。何やら悪寒もするし、全身が気持ち悪い。
だが理由がわからない。
脈は不自然に上がっているというのに、呼吸は随分と浅い。
ファミリアの頭脳担当の
そう、危険なものなどどこにも居ないし、まだ
だというのに――今にも腰から抜刀しそうな右腕を砕く勢いで握り締めている。
「……右腕が痛むのですか?」
「……、……」
「……本当に顔色が悪い。奥の部屋で休まれますか」
「…………見た目ほど体調は悪くありませんよ。最近、忙しくて寝てない所為かもしれません」
「……差し支えなければ、最近寝たのは」
「六日前。こういう時に恩恵持ちというのば素晴らしい」
「普通に休みなさい」
直前でヘンな感じになっていたので、つい口が緩まってしまった。
一瞬にしてエルフの給仕の対応が一人の客から傷病者みたいな扱いになってしまったことを否が応でも感じ取る。
ぴしゃりと指摘するその姿はやはり生真面目エルフと称すのに相応しかった。
……そのあまりの真剣さに、何となく毒気を抜かれる。
何をこんなに、張り詰めていたんだろう、と。
きっとお人好しで、人格者なのだろう。初対面の自分などどこで野垂れ死んだところで何の影響もないというのに、そんなことを気にかけてくれるのだから。
「シルに連れ込まれていた冒険者でしたね」
「……一応断っておきますが、決してナンパではありませんよ」
「わかっています。傍から見ていたので」
「いや止めて下さいよ」
「……私は無力だ」
「ああそういう……」
この人も
そんな感じの哀愁というか苦労人としてのソレを今の口ぶりから容易に察せた。
どうやらこういった場でもそれとなく支配者として君臨しているらしい。
「……シルとは以前より面識が?」
「話せば長くなるんですが……その」
暗にあまり話したくない内容である旨を伝えると、エルフの女性はそれに首肯するように表情を変えず引き下がってくれた。
まぁ、言ったところで頭が可笑しくなったと思われるのがオチなので聞かれた所で答えようにも堪えられないのだが。そもそも誰が信じるんだという話だ。
だからまぁ、同僚であろう彼女に言うべきことと言えば――。
「なんというか、ありがとうございます」
「いえ、私こそ不躾な質問をしました」
「ああ、それだけじゃなくて……彼女と同僚をやってくれてることです」
「……どういうことでしょうか」
彼女の視線に、僅かながら警戒の色が混じる。
……別に大して深い意味なんてないのだが、そんな訂正をすれば益々警戒されそうな気がする。
もっとも、かなり遠回しに言ってるので警戒されてもこれは仕方ないと言えよう。
「シル……さんって、中々自分のことを話さない人なので。そのぶん行動に現れる人なんですけど……ここでは本当に楽しそうにしてます」
「……」
正直、驚いてすらいる。
おおよそ俺が知っている笑みは、高らかで、気取っていて、なのにどこか窮屈そうなもの。
最初こそこの酒場に居ることに驚きはしたが、同時に安堵も覚えた。
あんな風に笑えるんじゃないか、と。
「だから、ありがとうございます。きっと無茶振りされることも大いにあるでしょうが……どうか、根気よく付き合ってやってください。おかしなことに、そうすると謎に喜ぶ人なので」
「……まるで生来の友人の様に言うのですね」
「いえ、俺が知り合ったのは一年ほど前です。付き合いの長い方々からすれば、これは周知の事実でしょうが」
これも本当。
というかこれまで口にしたのは紛れもない本心である。
皮肉ではないが、神に誓って嘘はない。
「まぁもっとも……この後本当はやらなければならない仕事があるので酒は控えたかったのですが……まぁ、止むを得ず」
「であれば、エールに関してはシルへ私が伝えておきましょう。ただ、身体の為にもそのシチューは食べて行ってください。幸い、ミア母さんのその料理はお腹にも優しい」
「残したとしたら今度はフライパンでは済まないでしょうね」
「……ええ、ミア母さんの拳骨は中々に応える」
そう冗談を口にすると、心無しか柔らかくなった表情でエルフはそう切り返して同意した。
それに伴って俺に一礼すると、仕事に戻っていく。
……想像以上に話をしてくれる人だった。
同じ人物に被害を受けた故かどうかというのは、関係があるのかないのか。
いずれにせよ、身体の調子が戻った拍子で減衰してた食欲も復活したことは幸いだ。
本当に、なんだったのだろうか。あの不快感は。
「では――」
いただきます。
そう口にしようとした時だった。
「あぁ!? てめぇはあの時の女!?」
和やかな酒場の空気を吹き飛ばす、鋭い怒気を含んだ声が店中に響き渡った。
「いやだなぁ、冒険者さん。此処は酒場ですよー? ほら、せっかくなんですから飲んで飲んで」
「いやちげぇ、俺は騙されねぇぞ……! お前あの孤児院に居た……!」
それは俺が座る座席とはほぼ反対の場所。
店の入り口付近の席の一角で、何やら剣呑な空気の会話が繰り広げられている。
「このクソ女が! てめぇの所為で俺は憲兵の詰め所に放り投げられるわ、金は払わせられるわ、ファミリアの連中に笑い者にされるわで散々だったんだ! どう落とし前つけるんだ、あぁ!?」
「だって子ども達に大人げなくカツアゲしてたんですもーん」
「う、うるせぇ! 取れるやつから取って何が悪いんだっ!」
……成程、酔っ払いか。
肌から毛先まで真っ赤になった犬人。
口にする内容は支離滅裂で、非があるのあ明らかに男の方。周囲の人間は酒が不味くなると言わんばかりに顔を顰め、あるいは酒の肴になりそうな馬鹿を見つけたと笑い声をあげている。
かくいう、シルさんも手馴れた様子だ。
どこか楽しんでいるきらいがあるが、酒場であれば当然ああいった手合いを相手することも大いにあるのだろう。
その様子に、男がどんどん物騒な怒気を放ち始めているのはきっと間違いではない。
そもそも、此処には下手な冒険者では叶わない実力者が揃っているのだ。
だからまぁ、きっとあの酔っ払いもすぐに懲らしめられて大人しく――。
「舐め腐りやがってっ……! はっ、こんな酒場で働くことでしか食い扶持も稼げねぇ
…………。
「この店の女全員そうだ! どいつもこいつも俺をゴミでも観るかのような眼で見やがる! 一人残らずクソだ!」
「……お客さん?」
ついには癇癪を起して、周囲の物に当たり散らした。
食器や料理が落ちる音に他の店員がその惨状を目の当たりにし、殺気だったのがわかる。
だが男は巡った酒気の影響か、自分がどれだけの危険地帯にいるか気づけない。
もっとも――『売女』なんて言葉を吐いた時点で気づいたとして既に手遅れだが。
「あ」
「まずはてめぇからだ女!!!! その無駄に綺麗な顔ぐっちゃぐちゃにして――」
振り下ろされる拳を認識をする。
それは酔いが回っていたことを加味しても、拙く幼稚な拳。だがそれでも、冒険者としての力を持たない人間からしてみれば大怪我は免れない。
「――そこまでです」
――そうなる前に、拳を受け止めた。
音もなく、衝撃もなく。
ほぼ反対の席から入り口まで一瞬で移動し、槌の様に振り下ろされた拳に対して横合いから手首を掴んで、強制的に此方へと向き直させた。
「……今の、見えたニャ?」
「……全然」
周囲の人間がそう口にするを耳にするが、それを黙殺する。
脇目でシルさんに視線を移せば、チロと舌を小さく出して悪戯っ子みたく笑っていた。
まるで、今の構図など全部見据えてたみたいに。
「な、なんだてめぇ! 離せっ、離しやがれ! い、痛い!? いたいっ!」
「……茶番、ですか」
「おいっ、おいっ……! 離せ、離してくれ! 折れる、折れる……っ!」
つまりはそういうこと。
全くの茶番だ。冷や冷やさせられた挙句こうして出てきた俺も、見事に踊らされたこの男も等しく滑稽でしかない。
だがそれでも。
目の前の男がこの酒場の空気を乱し。
シルという『街娘』を売女呼ばわりしたうえ、ダンジョンに向けられべきその拳をただの女性に振るおうとしたのは事実だろう。
「――一秒やる」
手首ごと男の身体を手繰り寄せる。
俺の出したその声に、さぁと男の顔から血の気が引いていく。
酒の気配で真っ赤だった顔は一瞬にして真っ青に。引き攣らせた表情は口を動かすことすら許さず、先程の様に叫び散らすことも出来ない。
「――退け、二度は言わない」
その言葉を後に手を緩めた直後、男は口を開けば殺されると言わんばかりの無言で、店の外へと駆け出した。
扉を開けて姿が見えなくなれば、『ひぃぃぃぃ』と先程の強気な発言とは打って変わって弱々しく叫び散らす声が聞こえてくる。
「……」
『……』
しん、と静まり返る酒場。
人死が出たわけでもないのに、言葉を発することが許されない
そこで、シルさんと向かい合った。
「シルさん、勘定です」
「……ミアお母さんはお残しをするとすっごく怒りますよ?」
「いえ、逃げて行った彼の分です。金づるを逃がしてしまったので、せめてそれの補填に当てて貰えば」
「金づる……」
「……失礼、金づるは言い過ぎましたね。では、食事に戻ります」
そう言って踵を返し、音が止まったままの客席を通り抜け元の席へ戻る。
座っていた席に戻るだけだというのに、さもそれを阻めば殺されると言わんばかりに道が開けていく様を錯覚する。
「……」
元の席へ腰掛ければぽつん、と一人になった。
こう、騒がしい空間で自分の周囲だけぽっかりと切り抜かれたみたいな虚しさ。
その感覚がどうにも居心地が悪くて仕方がなかったので、せめて酒場の喧騒を肴に飲み物をひと仰ぎしようとジョッキに手をかけて――視線が自身の背中に集まったことを感じ取る。
「お、オイ、アイツ……蒼い外套に、黒い武器……白い髪であのエンブレムって」
「レコードホルダーの、『
誰かが呟いたその名に、酒場の空気は一気にどよめいた。
「それって、ふ、『フレイヤ・ファミリア』の……!?」
「たった一年で
店内に響くその声と共に、周囲からの視線が背中に突き刺さった。
羽織の背に刻み込んだファミリアの『エンブレム』に、いくつもの感情を感じ取る。
それは間違っても好奇の類ではなく、明確な畏怖と恐怖を抱いたもの。
口にされる内容は紛れもなく、アルノ・レンリのこのオラリオにおける肩書そのものだった。
「マジかよ……目線あったら殺されたりしねぇよな……?」
「わからん。なにせ『フレイヤ・ファミリア』だ。この前なんかは『ロキ・ファミリア』と抗争になりかけたくらいなんだからな。アイツらが優先するのは女神の意向だけで、周囲の反応や被害なんて二の次さ」
「うへぇ、関わりたくねぇ……なんでこの酒場に来てんだよ。自分の拠点に大人しく女神護ってれば良いのに」
「おう、だから呑め呑め。あの調子だったら、無害な危険物程度に思えば関わらない限りは大丈夫だろうさ」
「無害な危険物ってなんだよ」
「無害な危険物だよ」
「だからそれが意味わからないっつってんだよ」
ひそひそと執り行われるやり取りの内容は良くて腫れもの。悪くも危険物。
その扱いに不満はない。
否、むしろ納得しかない。
なにせ俺の所属するファミリア――『フレイヤ・ファミリア』は美の女神の『神意』を第一の方針として取り上げているのだから。
神としての権能を封じてただの人としてこの下界に降りてきた彼らは、その価値観からして下界の人間に推し量れるものではない。
――それが、時には一つの国すら陥落させることもあるというのならば猶更だ。
無軌道にして傍若無人。
それが美を司る、あらゆる神の元を渡り歩いてきたような女神であれば尚更。
そんなファミリアが最強の片割れとして君臨し、あらゆる美を内包する女神の『神意』にのみ従うという方針を取っていることの意味。
恐れるな、というのが無理のある話だった。
「――あなたが、『
だから、そんな俺に変わらず声をかけてくれる人間がそこには居て。
「あなたは……?」
そこには先程のエルフの給仕。
目を丸くする理由は俺の出自か、それとも他の理由か。
「私は――
名をリューと、そうエルフは名乗った。
◇
アルノ・レンリ
『Lv5』
力 :C 657
耐久:A 883
器用:SS 1044
敏捷:S 945
魔力:SS 1051
直感 ︰E
耐異常︰G
剣士 :I
継戦 :H
《魔法》
【フレスベルク】
【】
《スキル》
【
【
【