作:ぴえんふー
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「では、メニューはこちらですっ!」
「……」
「冒険者さんですよね? 中に入りたそうにしてたのでつい強引に引き込んじゃいました!」
「…………」
ただひたすら圧倒される俺を置いてけぼりに、メニュー表を給仕の女性――シル・フローヴァさんから押し付けられる形でされるがままに手に取り、カウンター席に腰掛ける。
素朴ながら、どこか目を離すことが出来ない女性だった。
銀というよりは深い灰に近い色を持つ髪は、特徴的な形で一つに纏められている。
人当たりの良い笑顔は可憐で、どうしても目で追ってしまう様な魅力はきっと多くの男性を惹きつけるのであろう、初対面であっても本人は自身のソレを『解っている』かの様に振る舞っているのはなんともタチが悪い。
加えて、俺が先に抱いた印象も相まって一挙手一投足に注目せざるを得なかった。
「酷い面になりました」
「酷い目にあってましたねー。こう、綺麗な縦回転からのフライパン裏側にクリーンヒットというかストライクというか」
「面ですよ、面です。文字通りです。顔面で受け取めたので。金属製の、フライパンを」
「今なら冒険者さんの顔の模様入りのパンケーキが安く提供できますよー?」
「安くすればいけるとか思わないでください」
実に舐め腐った弁償である。
俺の顔面で鋳型を作ったフライパンという凶器を掲げながら更に金を毟り取るとか、百歩譲って商売っ気だとすればいっそ清々しい。
……まぁ、女性をひと目見て即退散という所業と、忙しい時間帯に入り口でごちゃごちゃやってた自分にも非があったのは認めるが。
「……こんなことを初対面の貴方に言うのは筋違いだと思うというか、そもそも初対面の女性に対してこんな発言をする時点でナンパどころか店を追い出されても仕方がないと思うのですが」
「滅茶苦茶予防線貼りますね」
「見ての通り冒険者ですので。俺の考えが下衆の勘繰りであれば良いですが、的中してればまず俺の命が持ちません。主に同僚の手によって」
「雁字搦めですね」
「誰の所為か説明いります?」
「ミアおかあさーん」
「ごめんなさい」
それで? と可愛らしく首を傾ける行為には邪気なんて微塵も感じない。
むしろどこか人を惹きつけてやまない愛嬌さえ感じさせるほどだ。
その仕草に余計嫌な確信を抱かせるが、それはどうにか押し殺す。
故に遠回しに。
敢えて直接的な言葉を避けて、言葉を紡ぐ。
「――あなたは、俺とどこかで会ったことがありませんか?」
本当に筋違いというか、人と場合によっては軟派な発言と取られてもおかしくない言葉である。
だが無視できる感覚でもない。
当たり障りなく、直接的でなく、彼女の
銀の髪に、どこか人を惹きつける『魅』と『深み』を感じさせるその言動に…………なんだかこう……全身から嫌な汗が湧いてくる。
具体的には、慎重に整備してからしまっておいた筈の宝石がひとりでに出てきて、なんか目の前に居たとか、そんな感じのホラー。
「ミアおかあさーん、この人ナンパされてますー!」
「ちょっ」
「あぁっ!? 此処は飯を食べて酒を飲む場所だよっ! ウチの娘を口説くんだったら飯の一つや二つ注文してからにしとくんだね!」
「……」
隣でにこにこと笑みを浮かべる名も知らぬ給仕には、何やら作為的なものを感じる。
ちょっと前に何となく見た気がする笑みに辟易としつつ、降参の意ともう勘弁してくれという意思表明を込めて両手を上げる。
そしてにかっと笑った女将――ミアさんはどかっとエールをカウンターに叩きつけた。
「これから仕事なのに……」
「そういうことです。ご飯、食べてってくださいね。えーっと……」
「……アルノです。そもそも俺は仕事の待ち合わせに来たのですが」
「だったら、英気を養うという意味でも食べてってください。ミア母さんの料理、とっても美味しいんですから」
「あの、だからですね」
「それに」
「――苦しい時に一番やっちゃいけないのは独りで居ることと、お腹を空かせてることですから」
……。
この人、やっぱり――。
「……」
「ね?」
「……鶏のシチューを」
「はいっ、注文承りました」
無難に注文を済ませれば、シルさんは笑顔で厨房へと退陣していく。
深くは問わない。
問うたところで適当に濁されるのが
わかったうえで、態度は変えない。
彼女はシル・フローヴァという『街娘』で、それ以外の何者でもない。彼女がそれで良いのなら、それで良い。
――それに。
「あんな風に笑えるんだったら……まぁ、良いんでしょうか」
先の中身のない、取るに足らない会話で常に浮かべていた笑顔。
きっと社交辞令でもなんでもない、本心からのものだった……そう直感した。
「……あ、飲みやすい」
小休止にエールを口にすれば、意外にもくどくないさらっとした飲み口だったので思いがけずそんな感想を口にする。
このオラリオにおいて味わえない娯楽は無きに等しい。
何せ文字通り世界の中心である。人間が備える五感を超越する様な味わいを持つ感覚すらも、この都市では手に入れようと思えば手に入れられる。
そんな中でもこれほどの繁盛っぷりを見せているだから、店の料理の味と質は決して伊達ではないということだろう。
「それで」
ジョッキを置いて一息入れて、背後を見渡す。
そこには如何にも酒場らしい、和気藹々とした酒気と喧騒が広がっている。
「……フレイヤ様によれば、この中にわだかまりとやらを抱えた女性がいると聞きましたが……」
――この店にいる人間一人残らずワケありの匂いがビンビンとするのですが、それは。
客の一人として酒に舌鼓を打ちながら、此処に来る前に受けた頼まれ事の内容を思い返した。
なんでも、わだかまりを解消するとかなんとか。店を指定するくらいなのだから、その対象とは店に常駐している店員辺りで間違いあるまい。
「人相でも書かせれば良かったでしょうか……いや、面白くないから嫌とか言って断られそう」
わからぬ。てんでわからぬ。
ホールで齧りつくように唸る茶の毛並みを持つ
その猫人相手に同じくにゃんにゃんといがみ合ってる黒毛の猫人の女性か。
その両方を何やら冷や汗をかきながらチラチラと厨房の様子を伺っているヒューマンの女性か。
「喧嘩してないで働かんかいこの馬鹿娘ども!」
「ンニャ!?」
「ギニャ!?」
「たぁー!?」
怒声が聞こえた途端、三本のおたまが調理器具にあるまじき回転数と轟音を奏でながら、在り得ない曲線を描いて飛んできた。
エグい急カーブもなんのその、揉みくちゃになった三名の店員の頭を正確に捉え、一撃でノックアウトした。
「あ、奥に連れてかれた」
……やはりわからぬ。てんでわからぬ。
場所以外は具体的な指示が一切ないという、頼み事としては問題しかないというか論外な内容。
なんで俺が、という疑問は抱いても無駄である。それは相手が女神フレイヤだからである。
せめて経緯を説明しろ、という文句も無駄である。それは相手が女神フレイヤだからである。
なら断ればよい、という疑問も無駄である。
それは、相手が女神フレイヤだからに他ならない。
「――――」
料理が到着するまでの間、瞼を閉ざして思考から一切の無駄を削ぎ落す。
引き受けた以上、両者は完遂せなばならない。ならば事態の進行に思考を傾けることにこそ価値がある。
確認するのは武装と現状に、今後の動き。
武装の状態は良好。刀身に歪みはなく、手入れも普段通り行われている。魔法の行使に必要な
待ち合わせの理由は、『極彩色の魔石』を手掛かりとした調査に戦力が必要としたから。
それもただの冒険者じゃない。
それなりに腕が立ち、なおかつ美神の眷属たる俺が関わっても問題のない人。
その人の協力を仰ぎ、オラリオにおける『仕事』がてらに集めた情報とギルドの記録を元に集めた情報を精査し、
勢力としてはボロボロ、衰退の一途を辿っていた『闇派閥』が動きだすに足るナニカ。
その足取り、影でも踏む事さえできれば俺の『目的』の足掛かりにだってなる筈だ。
「そうでなくては、困る」
――忘れては、ならない。
何をしに此処に、オラリオに来たのか。
そうでなければ、一年で『洗礼』を切り抜けたことにだって意味が――。
「――お待たせしました。鶏のシチュ―です」
物静かながら芯のある声に、瞑っていた目を開ける。
それは先程は一瞬しか見ることが叶わなかった、
この美人揃いの酒場において選りすぐりと称せる容貌。
金色を思わせる薄緑の髪に、切れ目の蒼い瞳が俺を見つめている。
姿勢は正しく、盆の上に乗るシチューがスプーンと共に配膳されていて、仕草から声音、態度に至るまで『生真面目』という言葉を体現したかのような女性がそこに居た。
「――――」
そんな初対面の筈の人物に対して、どうしてか。
どうしてか、肝が冷えた。
口が渇いて――
回転数を上げた血で脈動する眼球にされるがままに、食い入る様に見つめていた。