日本社会に漂う“やる気のなさ”——学習性無気力がもたらす閉塞感
「いくら頑張っても給料は増えないし、税金ばかり取られて意味がない」
昇給を目指して努力しても、高い所得税や社会保険料で手取りは思うように増えず、結局は節約するしかない……。
これは大人になってから始まったものではない。思い返してみれば、学校にいたときも、「機会の平等」ではなく、「結果の平等」を取られていた。
こうした現象の裏には、行動しても結果が変わらないと学習してしまう「学習性無気力」が潜む。
本稿では、日本社会特有の“頑張っても報われにくい”構造がどのように個人のモチベーションを奪い、社会の停滞を招くのか、そのメカニズムをひもといてみる。
仕事の報酬は仕事:社会主義的な企業文化
まず注目したいのが、日本の企業文化がどこか社会主義的である点だ。
個々の努力や成果が賃金に必ずしも反映されず、「年功序列」や「みんな一緒」という意識が根強い。
どんなに頑張っても、仕事が増えるだけで、給料が増えるわけではない。
業務を効率化したら、効率化して浮いた分だけ仕事を増やされる。
結果的に「どうせ頑張っても報われない」という空気が醸成されがちだ。
そのため、仕事に積極的に取り組むよりも、むしろ「いかに周囲と同じペースで落ち着いて過ごすか」が重要視される。
自分を磨いてスキルを高めたところで、必ずしも待遇が良くなるわけではありません。
そうであれば、「自己研鑽もそこそこに、うまく組織にぶら下がった方がラクだ」という判断をする人が増えるのも無理はない。
もし努力の末に何か新しい挑戦を始めても、評価も収入も変わらないどころか、下手をすると周囲から白い目で見られてしまう場合すらある。
高い税金・社会保険料の重圧
更に、頑張って働いて収入を増やしても、それ以上に税金で取られてしまうため、努力をする意味がない。
日本では、所得税と住民税、社会保険料、さらに消費税を合わせると、実に48.3%から最大で70%超にも達する。
所得税は年収が高くなればなるほど累進課税により10%から33%まで上がり、住民税10%、社会保険料18.3%、さらには消費税10%と、生活全般にわたる負担が重くのしかかる。
こうした税制の構造は、努力して稼ぐ意味がなくなってしまう。
下手に収入を上げても、その分多額の税金や社会保険料で手取りが増えにくいのであれば、「もっと稼ぐために頑張ろう」よりも「出費を減らして楽に生活しよう」という意識に向かいやすい。
馬鹿げたことに、会社で時給2,000円で働くよりも、個人で時給1,000円で働いて経費と相殺した方が、手取りが多くなる
そのため、今の時代、会社からの収入では足りないので、副業して、事業収入にし、知り合いとの飲み代やカフェ代を経費にできるようにしよう、と考えるのが自然だ。
努力をする場所を選ばないとすべて搾取される――それこそが、学習性無気力を招く大きな要因になっている。
「機会の平等」よりも「結果の平等」が重視される風潮
日本では、しばしば「みんな同じ」という考え方が重んじられる。
学校教育でも「周囲と足並みを揃えること」が美徳とされ、個人の才能や適性を最大限に伸ばすよりも、平均的なレベルに収まるよう指導される場面が少なくない。
これは一見、「誰もが同じ条件でスタートできる平等」を掲げているように見える。しかし、実際には「機会の平等」ではなく「結果の平等」が求められているケースが多い。
つまり、本来ならば個々人の努力や能力に応じて開花するはずの成果が、「周囲と同じペースに合わせよう」とする圧力によって抑制されてしまう。
結果として、「どんなに頑張っても、周りと足並みを揃えなければならないから大差がつかない」と学んでしまい、いつしかそれが無気力へと変わっていく。
そうなると、「そもそも努力などしなくていいや」という結論に至るのも自然な流れだ。
学習性無気力が生む閉塞感
こうした社会構造や文化によって「頑張っても報われない」という学習が繰り返されると、人々の間に無気力が広がりやすくなる。
本来であれば、新しいことに挑戦したり、自己投資を行ってスキルを伸ばしたりすることが、より豊かな人生を築くための重要な手段だ。
しかし、「いくら頑張っても収入は増えない」「稼いでも半分以上が税金で消えてしまう」「突出すると周囲から叩かれるかもしれない」といった経験が積み重なるほど、行動へのモチベーションは下がってしまう。
こうして、社会全体が「現状維持でいいや」「波風立てないほうが楽」という雰囲気に支配されると、社会の活力は低下し、結果的に閉塞感が一段と強まるという悪循環に陥ってしまう。
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変革の鍵は「環境を変える」こと
では、このような学習性無気力が蔓延する状況を変えるにはどうすればよいのだろうか。
単純に「頑張ろう」と声を掛け合うだけでは不十分だ。
なぜなら、学習性無気力は「頑張っても結果が変わらない」という確信に基づくものだからだ。
動を起こすモチベーションを回復させるためには、それが「意味のあることだ」と感じられる環境に身を置く必要がある。
たとえば、海外やベンチャー企業など、頑張りが正当に報酬や評価に直結する場を選ぶことは有効な手段になりえる。
また、SNSやオンラインコミュニティなどを活用して、自分を高め合える仲間を探すことも、今の時代には比較的容易となっている。
「どこに住むか」「どこで働くか」「どのコミュニティに属するか」を、自らの意思で選び取り、よりよい環境を求めて移動する柔軟性があれば、学習性無気力から抜け出すチャンスは大いに広がるだろう。
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おわりに
日本社会の閉塞感は、学習性無気力が生み出す諦観によってさらに強まっている。
しかし、私たち一人ひとりが本気で状況を変えたいと望むなら、「自分の周りの人を変える」、つまり、よりよい環境を求めて飛び立つことを考えてみるべきだ。
現状維持を続ける限り、損得を考えたときに「やっぱり頑張る必要はない」と感じる構造は変わらない。
だからこそ、自分自身の努力で全てをなんとかしようとするのではなく、報われる場所を探す、報われる仲間とつながるといった「環境の再編」こそが今求められている。
学習性無気力によって生まれる閉塞感を打破するためには、より多くの選択肢を持ち、行動の成果がきちんと評価される環境へと飛び込む。
今いる環境で努力するのではなく、別の環境に移るための努力をすることが不可欠だ。
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