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夢が崩れたときの対応方法は、誰も教えてくれない

「大人になったら何になりたい?」 

大学を卒業するまで、親や教師、教授など、周りの大人に聞かれて困ったことはないだろうか?

適当に思いついた職業――医師や弁護士、会計士のような名誉ある仕事をその場しのぎに口にしてみると、大人からは拍手喝采。

子ども心に「期待を裏切りたくない」と感じ、なんとなく決めた“夢”を追い続けるうちに、いつの間にか人生の大半がその“なんとなく”に奪われてしまう。

一方で、そんな些細な理由で口にした職業が、いつの間にか“夢”として自分を縛りつけてしまう。"夢"を叶えるために努力を強いられる、もしくは"人生の目標"と思い込んでしまう。

だが、本当に苦しいのは、その夢が挫折した瞬間だ。周囲が「夢は大切」と声をそろえていたにもかかわらず、その先にどう対処すればいいのかは誰も教えてくれない。

そんなとき、私たちはどこへ向かえばいいのだろうか?

「夢=職業」 は誰が決めた?

第一の問題は、夢が職業でなければいけないという前提だ。

確かにテレビドラマやマンガ、周囲の大人の話などでは、「将来の夢」と聞けば弁護士や医師、スポーツ選手など“職業”を答えるのが当たり前のように思われている。

しかし、今の私の生活のように「朝は9時か10時に起きて、夜は2時くらいまでゲームやYouTubeを見て過ごしたい」とか、「メイドとベビーシッターのいる豪華な家で、"専業主婦"として暮らしたい」という将来像を口にしたらどうだろう。おそらく、真剣な顔で叱られるか、半ば呆れられてしまうだろう。

「それは夢じゃない」、「将来のためにならない」、と。

しかし、本来“夢”とはそれほど自由なものでいいはずだ。社会一般の常識という同調圧力に屈しなくとも、心の中で「こういう生活ができたら幸せだ」と思うなら、それは立派に夢として成立すると思う。


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「夢」に縛られる

それにもかかわらず、なぜか私たちは「職業名で語る夢」しか認められないような空気感に飲み込まれる。

そして、子どものころにその場しのぎで思いついた高貴な職業――医師や弁護士などがいつの間にか“夢”として固定化されてしまう。

周囲からは「その夢に向かって努力しなさい」「諦めるなんてダメだよ」と、どこか当たり前のように促される。

結果、受験戦争に身を投じ、難関資格を目指し、長い時間とお金を投資する。

もしそれが自分の本当にやりたいことならば、それは素晴らしいことだろう。

しかし、「なんとなく選んだだけ」「周りの期待に応えたかっただけ」という理由で始めた人にとっては、どこかで息苦しくなってしまう。

そしてある日、その夢が何らかの形で挫折を迎えたとき――つまり受験に失敗したり、試験に落ち続けたり、就職の道が閉ざされたりしたときに、ようやく我に返る。「そもそも自分は、これをやりたかったのだろうか?」と。

本当に苦しいのは"挫折"の後

しかし、本当に苦しいのはその“挫折”の後にどうすればいいか、だ。

いままで「夢は大切」「目標を持ちなさい」「最後まで諦めるな」と口々に言ってきた大人たちは、いざ夢が破れた瞬間にどうすればいいのかまでは指南してくれないことが多い。

むしろ「そろそろ働いたらどうだ」と突き放すだけだったり、「試験に落ちたのはお前が悪い」と、根性論だけを押し付けたりするケースがほとんどだ。

夢が崩れた人にとっては、自分は何者でもないような虚無感に襲われ、これまで積み重ねてきた努力は何だったのかと嘆き、立ち直るまでに相当の時間を費やしてしまう。

そこから「廃人コース」に進んでしまう人も少なくない。夢だけが人生の軸だった以上、それを失ったときに何をしていいかわからず、全ての活力を失ってしまう。

こうした状況は決して珍しくない。資格試験に何度も落ちても諦めきれず、なかば人生を棒に振ってしまう人は多い。9回医学部を受験させられて親を殺害した人もいる。

大学受験に失敗してから、立ち直れずにすべてが嫌になってしまった人もいるだろう。

また、もともとは職業に興味などなかったのに、親や教師の期待を一身に受けたせいで、自分が好きか嫌いかすらわからない夢を追いかけ続けるケースもある。

その結果、「もうやりたいことなんて何もない」「自分には何の価値もない」と感じてしまう人もいる。

こうした誰にも言えない挫折感や閉塞感を抱え込んでしまう背景には、「夢に対する過剰なまでの期待」「職業=夢」という思い込みがあるのではないだろうか。

おわりに

では、どうすればいいのだろうか。もちろん「夢を持つこと自体が悪い」というわけでは決してない。

むしろ自分の心から湧き出る“やりたいこと”を追求するのは素晴らしいことだ。

しかし、夢が敗れたということは、それについて適正がなかったということ。自分自身のことをよく知らなかったということ。そのツケを今払わされているだけだ。

自分のことをよく知ること――例えば、周りの期待なんて無視して、まずは今一番やってみたいことをして、それから考え直す、といったことはしてはどうだろうか?

「夢が崩れたとき」に何をすればいいかは、誰も教えてくれないからこそ、自分で学んでいくしかないのだ。

自分の本心と向き合い、“夢=職業”という思い込みの枠を飛び越える勇気を持つことで、たとえ挫折があったとしても「人生を棒に振る」ことなく、新たな風景を切り開いていくことができるのではないだろうか。


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