なぜ、Jリーグではサポーターのトラブルが増えているのか?
Jリーグでは、一昨シーズンからサポーターのトラブルが急速に増えている。
一昨年8月、天皇杯の試合後だった。浦和レッズのサポーターが名古屋グランパスのサポーターの言葉を「挑発」と受け取り、100人前後がゴール裏付近まで詰めかけた。無法地帯のような野蛮行為。あわや大惨事だった。
昨年12月、J1昇格プレーオフ、モンテディオ山形対ファジアーノ岡山の準決勝では、SNSで「暴行のバイト」を募る悪質な投稿。結局、何も起こらなかったが、明らかな威力業務妨害だった。今年1月、逮捕者が出た。
他にも、サポーター同士が勝手に敵意をぶつけ合い、暴力沙汰に発展しそうになったり、サポーター間でのいがみ合いが起きたり、問題は続発している。サポーターの選手への暴言も日常化。SNSでは誹謗中傷や脅迫があふれるようになった。多くのクラブが問題視し、注意喚起しているが、収まる気配はない。あくまで一部かもしれないが、迷惑行為はエスカレートしつつある。
恐ろしいのは、こうした行為が「それぞれの正義」で行われている点だろう。公然と人に暴言を吐いて、傷つける。客観的に見れば、社会的にも、道徳的にも稚拙で愚かな行為が、「チームのため」という”呪文”で正当化される。
単なるカスタマーハラスメント
「いくら払ってると思ってんだ!応援してるんだから、気持ち見せろよ」
ゴール裏から何気ない聞こえる野次は、時代錯誤である。心の中で思うのは自由だが、それを相手にぶつけることは単純にカスタマーハラスメント。例えばレストランで同じように叫ぶような調子で文句を言ったら、どうなるか。危険人物として、通報される可能性もある(ちなみに気持ちでうまい料理ができるわけでもない)。
論理性を欠いた言動が飛び交うのは、「お客様は神様」という前時代的な意識が出発点にあるのだろう。「ずっと足を運んできた」という自負心が”悪霊化”。自分たち以外を認めない、という閉鎖的な環境を作る。
「その閉塞感が新規ファン獲得の弊害になっている」
クラブ関係者は、その悩みを抱えているのが実状だ。
国内でも、これはJリーグ特有の問題と言える。例えば野球でも野次はあるし、同じようなSNSのトラブルは多くなっている。しかし、試合中のファン同士のトラブルが世間を賑わすケースは試合数を比較した場合、例外的。他の競技で、選手に罵声が浴びせられるのは珍しい。フィギュアスケートでは、失敗した選手に励ましの拍手が送られるほどだ。
なぜ、Jリーグはスタジアム内外で問題が頻発しているのか?
代理戦争で殺し合ったサポーター
世界サッカーでも、サポーターという集団が力を持つ時代はあった。サッカーがコンタクトスポーツで興奮度が高く、熱気が不可欠なのもあるかもしれない。
「自分たちがスタジアムで応援の雰囲気を作り、アウエーにも駆けつけている!」
サポーターたちのプライドは強烈で、クラブからも感謝されると、さらに優越感が生まれた。それは一定段階まですばらしい関係性だが…。
〈自分たちこそ、主役!〉
その錯覚が生まれるという。
2014年11月30日、スペイン、ラ・リーガのアトレティコ・マドリード対デポルティボの試合数時間前、事件が起こっている。午前中、アトレティコの本拠地ビセンテ・カルデロン・スタジアム付近で、両チームのサポーターなど約200名が武力衝突。鎮圧しようとした警官までケガするなど多数の負傷者を出し、サポーター1名が死亡した。
亡くなったのは、リアソル・ブルーズというデポルのウルトラス(過激サポーター)に属する43歳の男性だった。乱闘の中、マドリー市内を流れる川に投げ込まれたという。心停止の状態で病院へ緊急搬送されたものの、数時間後には死亡が確認された。
彼らはまさに代理戦争を演じたのである。選手の代わりに、”誇りを懸けて”殺し合った。選手や一般のファンには迷惑千万で、身も毛もよだつ事件だが、サポーターである限り、他人事ではない。
FCバルセロナも、かつてはウルトラスのボイショス・ノイスに手を焼いていた。ボイショス・ノイスは「応援してやっている」という意識から増長し、我が物顔に振る舞うようになった。気に入らないと発煙筒スタンドを打ち込み、死傷者も出した。暴力は複雑に連鎖。彼らはいつしかクラブ関係者の弱みを握り、恐喝行為で数百枚単位のチケットを脅し取り、チケット収入を元手にドラッグ売買など裏組織ともつながったという。
見かねたバルサのフロントは、凶悪グループの不正を暴いて締め出した。しかし、当時の会長は命の危険が迫る脅迫も受けている。同時にゴール裏には空席も目立ち、今後が危ぶまれたが…。
結局、スタジアムに、家族連れや有志たちが戻ってきた。彼らも、暴力的な集団がいることで来られなかったのである。暴力集団を排除することで、サッカーの熱気はむしろ増した。
Jリーグは、どの段階にあるのか?
試合後の挨拶は必要なのか?
どうすれば、Jリーグとサポーターが良い関係を保てるのか?
一つ具体的な提言があるとすれば、Jリーグが「試合後の選手のサポーターへの挨拶を禁止すること」かもしれない。
試合後、Jリーグでは選手たちがゴール裏のサポーターに挨拶へ行くことが通例になっている。勝っても、負けても、ホームでも、アウエーでも、である。
負けた後、わざわざスタジアムをまわって”さらし者”になる様子は、「市中引き回しの上、晒し首」に近い。その喩えが物騒なら、教室の後ろにバケツを持って立たせる、でもいいが、ひどく非生産的だ。
「負けた選手を『頑張れ』と励ますのがなぜいけないのか?」
そうした反論もあるかもしれない。しかし、その同情がプロサッカー選手の誇りを傷つけ、惰弱にする。試合直後の興奮した状態で、了見違いの励ましをされるのは耐えられないはずだ。
「できれば行きたくない」
そう洩らす選手は少なくない。当然だろう。負けた後、サポーターの前で頭を下げるのは屈辱的気分で、感謝はあっても頭を下げる相手ではない。しかし、少しでも不満を見せたら…。
「挨拶に来た時の態度が良くない!」
そんな非難がSNSで飛び交う。
負けた悔しさは、選手本人が一番かみしめているにもかかわらず、だ。
サポーターにとっても健全だ
そして試合後の挨拶禁止は、実はサポーターの精神にも健全に働くだろう。
なぜなら、負けた後の選手が挨拶に来たら、何か一言、不満を投げかけたくなる。せっかくスタジアムまで応援に来たのに、だらしなく負けるな。小言の一つも言いたくなるだろう。
つまり、負けた後の挨拶に負の感情を煽られているのだ。
選手もサポーターも感情が高ぶっているわけで、わざわざ接触するべきではない。距離を置くべきだろう。
「一体であることを感じたい」
そう思うサポーターもいるだろう。最後に励まし、達成感も得られる。共に戦っている、という自負を強める。
しかし、本当に共に戦っているのか?
これもJリーグのメッセージの問題で、「共に戦う」というのは内に秘めた思いにとどめるべきだろう。あくまで、ピッチで戦っているのは選手。選手と同列だと錯覚することで、リスペクトが薄くなり、果ては誹謗中傷を繰り返すのだ。
欧州主要リーグのクラブでは基本的に、負けた側の選手が揃ってサポーターに挨拶に行くことはない(勝った側の選手がゴール前に行くのも、重要な試合後などに限られるし、あくまで個人の意思)。そんなことをすれば、暴言を吐かれた選手たちが激高し、サポーターと乱闘になる恐れがあるからだ。
「礼儀として挨拶はすべき」
そうした声はあるだろうが、試合後の整列で礼をするだけで十分だろう。わざわざ面前に立たなければいけない道理はない。勝ち負けにかかわらず、こうした慣習をやめるべきだ。
一つ一つのクラブが、サポーターへの挨拶をやめるのは難しい。反発も予想される。だからこそ、Jリーグが一括するしかない。朗らかなJリーグファン・サポーターが、心ゆくまでサッカーを楽しめるように。