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マリリンモンローの演技力 [感想文]
私がマリリンモンローのファンになったのは中学生の時であるが、当時は疑問に感じたものだ。
「一般的に、たいして上手くもないお色気だけの人気女優だったと評されているらしいが、演技を観れば 上手い役者であることは一目瞭然なのに・・・どうして?」----と。
大人になった現在(いま)でこそ、前々回記事「マリリンモンロー・永遠の完結美」で述べたように、世間が風貌に相応しい内面だと思い込みたかった故だと 十二分に理解できるのだが。
ストラスバーグのアクターズスタジオに入門後の作品は「バス停留所」からになるが、それ以前の演技だって 見事なものである。
「百万長者と結婚する方法」での リアリティを持たせながらもコミカルにデフォルメさせたド近眼の演技も、「紳士は金髪がお好き」での ジェーンラッセルと好対照な ちょっとズルいが憎めない性格表現も、初主演作「ノックは無用」の 精神をわずらっているシリアスな芝居も、呼吸(いき)つく間なく魅入ってしまう。
だいたい、似たような人物像の役がきたら 似たような演技になるのは当然ぢゃないか。
で、いながら、あれだけ微妙な違いを演じ分けられるのは 天晴れだと思う。
しかし----
彼女が苦悩していた 上手かったにも関わらず演技派だと世間から認められなかったことの根源は、モンロー自身にもあるといえよう。
あの独特なトロリとしたメイクやモンローウォークに見てとれる セクシーさの塊と言える姿・身のこなしは、何が何でもスターダムにのし上がる為の 彼女自身のアイデア・意思だったという。
もしも演技派女優としてこその脚光を浴びたかったら、派手な化粧もせず グラマラスな肢体は隠しに隠し、売り込むべきだったろう。
あれほどの演技をこなし 厳しい競争世界を勝ち上がってきたのだから、言わずもがなモンローは、聡明で 人並み外れた根性のある 努力家・戦略家だったに他ならない。
けれど、そこにもう一つ、「したたかさ」というものを持ち合わせていたとしたら----
セクシーな美人女優は大衆が演技派と認めたがらないことなど 軽々と見抜いて、「たいした芝居のできないポカンとした可愛らしいマリリンモンロー像」を、腹の底でケラケラと笑い飛ばしながら 事もなげに演じ続けたであろう。


「一般的に、たいして上手くもないお色気だけの人気女優だったと評されているらしいが、演技を観れば 上手い役者であることは一目瞭然なのに・・・どうして?」----と。
大人になった現在(いま)でこそ、前々回記事「マリリンモンロー・永遠の完結美」で述べたように、世間が風貌に相応しい内面だと思い込みたかった故だと 十二分に理解できるのだが。
「百万長者と結婚する方法」での リアリティを持たせながらもコミカルにデフォルメさせたド近眼の演技も、「紳士は金髪がお好き」での ジェーンラッセルと好対照な ちょっとズルいが憎めない性格表現も、初主演作「ノックは無用」の 精神をわずらっているシリアスな芝居も、呼吸(いき)つく間なく魅入ってしまう。
だいたい、似たような人物像の役がきたら 似たような演技になるのは当然ぢゃないか。
で、いながら、あれだけ微妙な違いを演じ分けられるのは 天晴れだと思う。
しかし----
あの独特なトロリとしたメイクやモンローウォークに見てとれる セクシーさの塊と言える姿・身のこなしは、何が何でもスターダムにのし上がる為の 彼女自身のアイデア・意思だったという。
もしも演技派女優としてこその脚光を浴びたかったら、派手な化粧もせず グラマラスな肢体は隠しに隠し、売り込むべきだったろう。
あれほどの演技をこなし 厳しい競争世界を勝ち上がってきたのだから、言わずもがなモンローは、聡明で 人並み外れた根性のある 努力家・戦略家だったに他ならない。
けれど、そこにもう一つ、「したたかさ」というものを持ち合わせていたとしたら----
セクシーな美人女優は大衆が演技派と認めたがらないことなど 軽々と見抜いて、「たいした芝居のできないポカンとした可愛らしいマリリンモンロー像」を、腹の底でケラケラと笑い飛ばしながら 事もなげに演じ続けたであろう。
タグ:マリリンモンロー
マリリンモンロー・永遠の完結美 [感想文]
私はハリウッド映画には さほど興味はないのだが、マリリンモンローのファンなので、彼女の出演作品に限っては おおかた鑑賞をしている。
殆どの作品の彼女の役どころは、マリリンモンローがマリリンモンローを演じている といった形容がぴったりの「ちょっと頭の弱い可愛らしい性格の グラマラスな美女」である。
多くの人が抱いている女優マリリンモンローの人物像は、実は素でもなんでもなく、ブロンドヘアやタレ目に見せるアイメイクやホクロと同じく 戦略的に創り込まれた虚構であり、現実のモンロー---つまりノーマジーンは、勤勉家で教養に溢れ アクターズスタジオでも優秀な成績をおさめていたという。
そして彼女自身は、世間からも 演技派として評価されることを切望していたという。
結局 彼女は、その夢を成就させられぬまま不幸な亡くなり方をしてしまう訳だが、私は、彼女ほどにセクシーな美しさをそなえていたら、大衆が演技派だと認めなくともいたしかたなかったのではないか・・・と思うのだ。
何故なら「グラマラスな美女」を完結させる最終的なスパイスは、「ちょっと頭の弱い可愛らしい性格」だからである。
これが、「素晴らしく頭のキレる りんとした性格」だったら、グラマラスな美女の魅力は 半減・・・・とまではゆかずとも ややがっかりしてしまう。
勿論、グラマラスな美女・女性に限ったことではなく、私達は、美しい人に対して、無意識のうちに その美しさに相応しい内面であることを期待してしまう。
例えば----
淡いピンクの小さな唇の美少女が好んで食べるのは、ガーリックステーキではなくストロベリーショートケーキだろうなぁ とか、
漆黒の服の似合う物腰たおやかな スレンダーな三十代美女は、酔ってもよどみない標準語をしゃべる筈だ とか、
下っ腹の出ていない端正な顔立ちの中年男性は、妻子を大切にし ワインに詳しいに違いない とか、
色白でサラサラの髪の美少年は、スケベな妄想など何一つせずに 遊園地でソフトクリームを舐めるのが何よりの楽しみだよねー とか。
そういった内面のスパイスを 各々の頭の中でふりかけることで、美しさを完結させようとするのだ。
当然、身近な人に対しては 現実の人となりを正しく受け入れなくては失礼だが、だからこそ、その分、スターという存在には つごうのよい幻想を抱くことが許される・・・・そういった夢を見せるのが 美しいスターの役割りの一つでもあると思うのだ。
もしもモンローが、心身のわずらいもなく 謎の死もとげずに グラマラスな美女とはほど遠い容姿と成るまで女優として生き続けていたら----
世界中から 知的な演技派として肯定されていたであろう。
※ひとつ俳句を挟んで 次次回・10月28日には「マリリンモンローの演技力」を公開しやす。
タグ:マリリンモンロー
理解ができないこと [独り言]
決して否定するわけではないものの、自分には かいもく理解のできない分野が 二つある。
「占い」と「ギャンブル」である。
私は徹底した理論派で 不確実なものに金や期待は一切かけようと思わないので、この二者には みぢんも感心が持てないのだ。
しかし----
私の敬愛する かの理論派詩人・寺山修司は、競馬のみならずギャンブルというギャンブルに目がなかったという。
自分の好きな表現者の言動は、たいてい 「あぁ、なるほど!」と頷けるのだが、これだけは かいもく理解ができない。


「占い」と「ギャンブル」である。
私は徹底した理論派で 不確実なものに金や期待は一切かけようと思わないので、この二者には みぢんも感心が持てないのだ。
しかし----
私の敬愛する かの理論派詩人・寺山修司は、競馬のみならずギャンブルというギャンブルに目がなかったという。
自分の好きな表現者の言動は、たいてい 「あぁ、なるほど!」と頷けるのだが、これだけは かいもく理解ができない。
ショップ(洋服屋)に行って店員に不向きの店員さんに遭遇してしまった時の対処法 [ファッション]
ショップ(洋服屋)に行くと、大抵は、笑顔で「いらっしゃいませ!」 「ごゆっくりご覧ください」 何も買わずとも「ありがとうございました!」と 流石プロだなぁと敬服する接客に 心地よくショッピング・ウインドゥショッピングが楽しめます。
しかし ごく稀に、客の心理をまるで理解できていない ちょっと首を傾げたくなる店員さんに遭遇し、買うつもりのものも買わずに帰りたくなる気持ちにさせられてしまう事があります。
店内に一歩足を踏み入れるや 「何かお探しですか?」と、ぴったりと寄り添って来られたり、
青いものを手に取ると、「こちらブルーになっております」といった見れば解る説明をされたり、
商品をじっと見つめて 何と合わせよう・どういう着かたをしようと楽しく考え始めると、「今年はジャケットと合わせるのがオススメです」と 御自身の趣味あるいは流行りを勧めてこられたり、
鏡の前でトップスをあてがうと 吊るされている他の商品であるボトムスを、ボトムスをあてがうとトップスを スタイリストさながらにサッ!サッ!と次々とかざされたり・・・・
万が一運悪く こんな店員さんにあたってしまった場合 どう対処すればよいか----
それには----ファッションの基礎知識をさらりと投げかけるのが一番だと、私は経験上 考えています。
例えば----
「何かお探しですか?」には、「50年代のニュアンスを取り入れたものはありますか?」
「ブルーになっております」には、「んーー、このブルーは かなり彩度が高いですね。 もう少し彩度は低くて明度の高いブルーはありますか?」と。
すると そういう店員さんは、「・・・えっ?!・・・あっ?!・・・はぁ~」と ほぼ例外なく質問に対する答えはしてくれないので、「ありますか? ありませんか?」と まっすぐに向きます。
と、「・・・・・・」となりますから、ここで 「自分で探していいですか?」と出れば、必ず 「・・・・はい」と 静かに返ってきます。
そして、「ジャケットと合わせるのがオススメ」と 頭の中で考えていることをさえぎられたら、店員さんには悪いけれど一切無視、サッ!サッ!をやられたら、これはもう物理的にもさえぎり以外の何ものでもないので、「そういうの やめてくれないかな」と ハッキリ発します。
つまり、購入につながる可能性を自ら立ち切ろうとする 店員に不向きな店員さんは、ファッションの基礎からしてまるきり勉強していない訳です。
勉強していないということは 真の洋服好きではないという証しであり、だから 本人としては一生懸命に接客をしているのでしょうけれど、服好きの人間の心理がまるで掴めないのです。
ショップは立ち仕事で傍で見るよりハードでありながらお給料は安いのだから、そういう人は 他の職業を選んだほうが本人にとってもよいのではないか?と思います。


しかし ごく稀に、客の心理をまるで理解できていない ちょっと首を傾げたくなる店員さんに遭遇し、買うつもりのものも買わずに帰りたくなる気持ちにさせられてしまう事があります。
青いものを手に取ると、「こちらブルーになっております」といった見れば解る説明をされたり、
商品をじっと見つめて 何と合わせよう・どういう着かたをしようと楽しく考え始めると、「今年はジャケットと合わせるのがオススメです」と 御自身の趣味あるいは流行りを勧めてこられたり、
鏡の前でトップスをあてがうと 吊るされている他の商品であるボトムスを、ボトムスをあてがうとトップスを スタイリストさながらにサッ!サッ!と次々とかざされたり・・・・
万が一運悪く こんな店員さんにあたってしまった場合 どう対処すればよいか----
それには----ファッションの基礎知識をさらりと投げかけるのが一番だと、私は経験上 考えています。
「何かお探しですか?」には、「50年代のニュアンスを取り入れたものはありますか?」
「ブルーになっております」には、「んーー、このブルーは かなり彩度が高いですね。 もう少し彩度は低くて明度の高いブルーはありますか?」と。
すると そういう店員さんは、「・・・えっ?!・・・あっ?!・・・はぁ~」と ほぼ例外なく質問に対する答えはしてくれないので、「ありますか? ありませんか?」と まっすぐに向きます。
と、「・・・・・・」となりますから、ここで 「自分で探していいですか?」と出れば、必ず 「・・・・はい」と 静かに返ってきます。
そして、「ジャケットと合わせるのがオススメ」と 頭の中で考えていることをさえぎられたら、店員さんには悪いけれど一切無視、サッ!サッ!をやられたら、これはもう物理的にもさえぎり以外の何ものでもないので、「そういうの やめてくれないかな」と ハッキリ発します。
つまり、購入につながる可能性を自ら立ち切ろうとする 店員に不向きな店員さんは、ファッションの基礎からしてまるきり勉強していない訳です。
勉強していないということは 真の洋服好きではないという証しであり、だから 本人としては一生懸命に接客をしているのでしょうけれど、服好きの人間の心理がまるで掴めないのです。
ショップは立ち仕事で傍で見るよりハードでありながらお給料は安いのだから、そういう人は 他の職業を選んだほうが本人にとってもよいのではないか?と思います。
古着の魅力 [ファッション]
現在(いま)、私の所有する服の七割は 古着である。
1950年代周辺の欧米モノか 軍物払い下げ品か 東南アジアのデッドストック物か 着物リメイクのいずれかである。
ここ一番の場では 必ず古着をまとう。
古着に興味のない向きは思われるだろう。
「古着の魅力って、いったいどこにあるの?」----と。
最も解り易く説明するなら----
骨董の器好きの者がそれに惹かれる理由にあてはめるのが一番であろう。
骨董の器好きの者というのは、第一に、時代を経たからこそ生まれる 現代(いま)のモノにはない独特の趣に 心奪われるものである。
茶渋の染み込んだ使いこまれた様は、「汚れ」ではなく 温もりあるしっくり手になじむ「風合い」。
金継ぎは、「単なる修復」ではなく 偶然性のもたらした「面白味」。
そして、ありとあらゆる国 様々な時代の中から選べる幅は、明らかに 新品商品より広い。
つまり、骨董の器を好んで求める者は、決して「古いけれど」と妥協して買うのではなく 「古い」という事が一つの拘りポイントと成っており、いわば 器類の中の「骨董」というジャンルが好きなのである。
----無論、新品でなければ何でもいいという訳ではなく、住宅街のリサイクルショップに並んでいるようなものは 骨董ではなくただの中古品なので、骨董好きの食指は動かない。 中、奇跡的に骨董品が混じり込んでいる場合もなきにしもあらず・・・だが。
又、骨董器好きの多くは、骨董というジャンルの中でも特に自身の好きな詳細ジャンルを持っており、骨董器であれば何でも好き という骨董器好きは、むしろ少ない。
ガラス器なら 国内外・時代を問わずときめくが、漆器には振り向きもしない とか、1900年代初頭のヨーロッパ物のとりこで 東洋のものも嫌いではないが、自分の世界観とは違う とか・・・・。
骨董器好きの者は たいていこんな具合である。
以上を、そのまま古着にあてはめていただけると お解りいただけるか と思う。
※一つ徘句を挟んで次次回は、「ショップ(洋服屋)に行って店員に不向きな店員さんに遭遇してしまった時の対処法」を公開しやす。
タグ:古着