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趣味の極みは反芻にあり [独り言]
よく、スポーツファンが、試合の顛末をリアルタイムで観ていたにもかかわらず、翌日 スポーツ新聞を広げるや、至福の面持ちでニヤニヤと悦に入っているのを目にします。
スポーツに興味のない私は、長年 その心理が理解できませんでした。
けれど、最近、自分自身の趣味に於いて まったく以ってピタリとそれに匹敵する行為をしていたことに気付きました。
私の趣味は、裏ぶれた街散策と古い喫茶店巡りです。
ネットや書物を 「近いうちに行ってみようかな」という羅針盤として活用するのみならず、すでに通いつめているお気に入りの通り・店の 写真・動画・紹介文を、それはもう 勘定不可能なくらい繰り返し繰り返し 眺め・読み返します。
そして----
「そうそう。○○銀座アーケードは、真夏でも雪の結晶のイルミネーションなんだよね」とか、「ちょっと毒々しい置き看板と入口上方の破れた幌・・・・ここが喫茶店マニアの心をわし摑みにするんだよね」とか、「老舗の喫茶店たるもの、やはりウェイターさんは蝶ネクタイであるべきだよね」と、自分がその場所に身を置いていた時と重ね合わせつ、心の中に独白し 一人秘かに盛り上がります。
この反芻が、えもいわれぬ幸せなひとときなのです。
安心の幸せ、確認の幸せ、決して落し穴のない幸せ なのです。
昨年 観に行った映画に、むしょうに好きで用もないのに二じゅんくらいは必ずぐるぐると巡り歩く JR中野駅北口の 看板をいっぱいくっつけたソシアルビルや中古レコード店のあるロの字型の古い小路とその周
辺が出てきました。
画創りが自分好みの作風であったことと大好きな役者さんが主演されていたことで、すでにかなりの心拍数で前のめりになっていた私は、この場所がロケ地だと認識した刹那、あまりの興奮に 身体中の血液が逆流してしまうようでした。
その作品、もうDVDになっているそうなので、近いうちに 私の反芻の愉しみの一つに加えたいと考えています。
そして、劇場では役者さんの演技に魅入って追い切れなかった背景の看板や建物の老朽具合や街路灯などにも一つ一つ頷きながらニヤニヤと悦に入りたいと 嬉しい心の準備をしています。


スポーツに興味のない私は、長年 その心理が理解できませんでした。
けれど、最近、自分自身の趣味に於いて まったく以ってピタリとそれに匹敵する行為をしていたことに気付きました。
私の趣味は、裏ぶれた街散策と古い喫茶店巡りです。
ネットや書物を 「近いうちに行ってみようかな」という羅針盤として活用するのみならず、すでに通いつめているお気に入りの通り・店の 写真・動画・紹介文を、それはもう 勘定不可能なくらい繰り返し繰り返し 眺め・読み返します。
そして----
この反芻が、えもいわれぬ幸せなひとときなのです。
安心の幸せ、確認の幸せ、決して落し穴のない幸せ なのです。
昨年 観に行った映画に、むしょうに好きで用もないのに二じゅんくらいは必ずぐるぐると巡り歩く JR中野駅北口の 看板をいっぱいくっつけたソシアルビルや中古レコード店のあるロの字型の古い小路とその周
画創りが自分好みの作風であったことと大好きな役者さんが主演されていたことで、すでにかなりの心拍数で前のめりになっていた私は、この場所がロケ地だと認識した刹那、あまりの興奮に 身体中の血液が逆流してしまうようでした。
その作品、もうDVDになっているそうなので、近いうちに 私の反芻の愉しみの一つに加えたいと考えています。
そして、劇場では役者さんの演技に魅入って追い切れなかった背景の看板や建物の老朽具合や街路灯などにも一つ一つ頷きながらニヤニヤと悦に入りたいと 嬉しい心の準備をしています。
タグ:趣味
初めての酒---シェリー・アモンティリャード [洋酒・カクテル]
生まれて初めて口にした酒----、みなさんは何でしょうか?
私・ぼんぼちは、正月の屠蘇とクリスマスの---子供心にはシャンパンだと信じて疑わなかった安モノのスパークリングワインを別にすると、シェリー・アモンティリャードです。
それがフォーティファイド(酒精強化)ワインの一つであるシェリーの 中辛口のアモンティリャードであったと認識できたのは、かなりの年月を経、ショットバーにて様々な酒を愉しむようになった三十歳くらいの時になりますが。
----当時、私は 高校一年か二年でした。
その頃、月に一度くらいの頻度で、父から 自宅の黒電話を通して 父の仕事場の近くである新宿御苑前あたりに土曜の夕 呼び出され、制服を駅のロッカーに押し込め 原宿で求めた古着でキメた私は、父と二人で夕飯をとるのが なんとなく恒例になっていました。
たいていは、父の好物とするイタリアンかスパニッシュか とにかくそっちのほうの料理で、その日は、やはり御苑前近くの、私の記憶が正しければ、「カラカラ」という名の 洞窟のような薄暗いレストランでした。
ウェイティングバーを通り抜け、ゲタの胸像のレプリカの見おろす キャンドルの揺れるテーブルに着きました。
「食前酒は何になさいますか?」
「・・・・・・(えぇっっ?!)」
「ぼんぼちも食前酒くらい飲まんかいネー! カッカッカッ(笑い) チミ、この子に何か持ってきてくれタマエ」
グラスが運ばれるや、私の心は驚きの声をあげずにはおれませんでした。
人形用のワイングラスといった形容がぴったりなほどの それまでの人生では目にしたこともなかった 小さな小さな足付きグラスだったものですから。
グラスをキャンドルにかざし、「紅茶に一、二滴 臙脂色の絵の具を垂らしたような色だなぁ」と 眺めました。
グラスを鼻に近づけると・・・・
梅雨時の床下の匂いがアルコール武装をして襲いかかってきたようで、むせかえってしまいました。
それでも挑戦的に唇をつけると・・・
微かに甘くはあるものの 高密度のアルコール群にカウンターパンチを喰らい、私は、すぐさま グラスを自分から放し、それぎりキャンドル横の飾り物にせざるを得ませんでした。
食後は再び恒例で、せがまずともピラピラッとこずかいを渡され、御苑前で父の背を見送り、制服の高校生に戻り 帰路につくのでした。
本宅である私の家に帰るのは、基本 日曜だけで、私が高校一、二年の二年間ほどは、仕事が波に乗っていたらしく 愛人さんの数も多かったようで、日曜日もほとんど帰りませんでした。
父からの月一ペースの招集は、ほぼこの二年間だったように思います。
人に話すと、「お父さんが毎日帰ってこなくて 愛人さんがいるなんて、寂しかったでしょー」とか 「お父さんと逢えた時は嬉しかったでしょー」などと言われることがありますが、そのような臆測は まるで見当違いというものです。
私にとっては、ただただ当たり前の どうということのない日常で、恒例夕飯は、正にも負にもどちらにも強烈な感情がなかっただけに、私の中で ポタージュに溶けるクルトンさながらに、年々 薄ぼんやりとした あいまいな記憶になりつつあります。
唯一、この 人形グラスに紅茶のような しかし実態はカウンターパンチの一杯の物珍しさだけは、鮮烈に、クッキリとした輪郭を保ち続けていました。
そして三十歳くらいになり、ショットバーにて ありとあらゆる酒を試すうち、「あっ! これは、あの時の!!」と 思い当たった訳です。
湿った木と果実の香りに包まれた 甘すぎず辛過ぎずの奥深い味わいに、鼻腔も舌もとろけました。
そして同時に、1970年代当時、シェリー・アモンティリャードを一舐めでも口にした高校生は そう多くはなかったのだ、とも知りました。
そういった意味では、父には---高校生に酒をすすめるなど誉められた行いではありませんが、また、すすめられるままに口をつけてみた自分も真っ当な高校生とは言えませんが---ちょっと貴重な体験をさせてもらったものだ と思っています。
模索舎とタコシェ [独り言]
私・ぼんぼちが、新宿東口方面に出向くと必ず立ち寄る店に 模索舎があります。
JR中野駅にて降り立つと例外なく入店する店に タコシェがあります。
どちらも、自主流通出版物----つまり、商業的スタンスには乗らない、あるいは 元々そのような目的では作られていない為に、一般の書店の棚では先ず目にすることのない、取り寄せも不可の書物を主に扱う書店です。
模索舎は、部落 在日 同性愛 環境 政治思想 等々、社会的問題を 歯に衣着せぬ辛辣さで、また、内側からの叫びとして書き放たれた書籍が多く並び、タコシェは、ガロ系マンガやエログロ色の強い写真集やアヴァンギャルドな小物やアクセサリー等が、店内狭しとひしめき合っているのが特長です。
大手レンタルビデオ店に置いてあるDVDをかたっぱしからじっくり観ていったとしても、映画表現の全てを知ることには成り得ないのと同様に、一般の書店や図書館の書物を一冊残らず読破したとしても、世の中全体の人達の状況・思想・嗜好を知ることなど とうてい出来ません。
そこは既に、商業的その他諸々の理由により 選別されて残ったものだけがあるからです。
私がこの二店でしばしば購入するのは、ダゲレオ出版の実験映画DVDくらいのものですが、店内書棚を隅から隅まで舐めるように視線を這わせ 背表紙を一つ一つ確認してゆくだけでも、それは決して 無意義ではないと 考えています。
同時に、これらの店でも触れることのない より少数派の人達も世間には存在するのだ、ということにも 思い至らなければいけない と、思っています。
間違えないで [独り言]
上の写真のものを買った。
バジルの練り込まれた小さな緑色のキューブ状のチーズである。
スーパーのチーズ売り場に並んでいたので、「これはチーズである」 という前提で近づき、「最近は 随分チーズらしからぬ洒落たパッケージのチーズも出ているものだ」 という順序で認識したのだが、もし、ある日 帰宅して部屋にこの箱が置いてあるのを見たら、よもやチーズだとは みぢんも想像しないだろう と思った。
押しピンか ペーパーウェイトか はたまたパズルか・・・・と。
たとい食卓テーブルの上に乗せられていても 「冷蔵庫に貼るマグネットだろうな」と、箱には手も触れずに 私はワインを飲みすすむに違いない。
子供の頃----
遊びに来た友達が、白く小さく平べったい正方形のツルッとしたものを「はいっ!」と手渡しに一つくれたので、食いしん坊の私は 糖衣状のガム以外の何物でもないとつゆ疑わず 口に放りこんだら、果たしてそれは、一片のタイルだった。
以前、雑誌の読者投稿欄にて こんな話も読んだことがある。
投稿者の女性が、ある時、リビングのテーブルの上に、月に一度女性が使用する四角く折りたたまれた白いものを うっかり置きっぱなしにしてしまっていた。
と----、お父さんが帰って来るや、テーブルを睨んだ。
「なんでこんなところに置いておくんだっ!」
しまった・・・と、内心 冷や汗をかいていると、お父さんは 四角く白いそれを手に台所へゆき
「今夜は おでんじゃないだろー!!」
冷蔵庫にそーっと入れるや バーーンと閉めた。
「っっったく!! はんぺんは 意外と腐りやすいんだぞっっ!!!」
お父さん、プンプンだったそうだ。


バジルの練り込まれた小さな緑色のキューブ状のチーズである。
スーパーのチーズ売り場に並んでいたので、「これはチーズである」 という前提で近づき、「最近は 随分チーズらしからぬ洒落たパッケージのチーズも出ているものだ」 という順序で認識したのだが、もし、ある日 帰宅して部屋にこの箱が置いてあるのを見たら、よもやチーズだとは みぢんも想像しないだろう と思った。
押しピンか ペーパーウェイトか はたまたパズルか・・・・と。
たとい食卓テーブルの上に乗せられていても 「冷蔵庫に貼るマグネットだろうな」と、箱には手も触れずに 私はワインを飲みすすむに違いない。
子供の頃----
遊びに来た友達が、白く小さく平べったい正方形のツルッとしたものを「はいっ!」と手渡しに一つくれたので、食いしん坊の私は 糖衣状のガム以外の何物でもないとつゆ疑わず 口に放りこんだら、果たしてそれは、一片のタイルだった。
以前、雑誌の読者投稿欄にて こんな話も読んだことがある。
投稿者の女性が、ある時、リビングのテーブルの上に、月に一度女性が使用する四角く折りたたまれた白いものを うっかり置きっぱなしにしてしまっていた。
と----、お父さんが帰って来るや、テーブルを睨んだ。
「なんでこんなところに置いておくんだっ!」
しまった・・・と、内心 冷や汗をかいていると、お父さんは 四角く白いそれを手に台所へゆき
「今夜は おでんじゃないだろー!!」
冷蔵庫にそーっと入れるや バーーンと閉めた。
「っっったく!! はんぺんは 意外と腐りやすいんだぞっっ!!!」
お父さん、プンプンだったそうだ。
映画「π(パイ)」 [感想文]
私はアメリカ映画を そう幾多観てきているほうではありませんが、今まで観たアメリカ映画の中で何が一番好きですか? と問われれば、一も二もなく この「π(パイ)」を挙げます。
「π(パイ)」----
1998年、サンダンス映画祭をきっかけに世界中を圧巻した 徹底的な計算高さによるアート系劇映画の大傑作です。
監督は、ユダヤ系アメリカ人 ダーレン・アロノフスキー。
シノプシスは、一人の天才ユダヤ人数学者が 「世界の定理は全て数字で解明できる」 と、自然界のあらゆる所に存在するπ(パイ)の法則にとりつかれ、狂信的にその螺旋に入り込み、当宗教上 最も重要な言葉に置き換えられる216桁の数字を探し続ける古代ユダヤ教に挑戦状を叩きつけ、果ては 自己崩壊する、というものですが、我々観客が息を飲まずにおれないのは、何といっても、その緻密に計算され尽くした映像美です。
日本人の多くは そこはかとなく曖昧に淡い多神教なので、作品の力点となっている絶対的な一神教のユダヤ教について、観進むうちに「あぁ、そうなのか」と輪郭は認識できるものの 内側から理解するのは難しいのですが、しかし、その点は難解であっても、作品創りに注がれている圧倒的なエネルギーや 妥協を許さないワンショットワンショットの構図 無彩色のコントラストのバランス 時間軸に於いてのリズム・緩急の付け方には、感嘆の溜息を深く吐き 舌を巻かずにはおれないものがあります。
ニュアンス的にいうと、かなりドイツ映画っぽい雰囲気の作品です。
私はもし、何の前情報もなく観たら、ドイツに生まれ育ったユダヤ人がアメリカを舞台として創ったものだろう と 思うと思います。
又、この監督は、塚本晋也監督に大きな影響を受けている とのことです。
そこは、一目瞭然です。
塚本監督の作品も ちょっとドイツっぽい匂いがあり、その辺りの観点から鑑賞してみるのも興味をそそられる アート系世界劇映画史に遺り続ける大傑作です。
タグ:π ダーレン・アロノフスキー