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 蔦(つた)  [俳句・川柳]


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                    「C」の字を 隠して 秘伝ドリップや



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 渋谷で辛し   [独り言]

九月某日。
映画を愉しまむと 久々に渋谷の街へ----
先ず、道玄坂のタイ料理店で グリーンカレーの午飯。
辛い物に目がないにも関わらず ここ何日か食する機会を逸していたので、憑かれたように階段を上り 扉を押す。
鶏と茄子のごろごろと入る コブミカンの効いた まろやかさの中の謙虚な辛さに 至福。

宮下公園近くの映画館へ----
映画「闇金ウシジマくん」を観る。
主演の山田孝之氏の、身じろぎをしない目玉を動かさない無生物の如き芝居に 改めて観惚れる。
きっちり照明をあてずに ハンディで撮っているシーンにリアリティが浮き彫られ、その計算に唸る。
ただ、脚本に、ダイヤローグでそれとなく観客に解らせたり 動きや小道具で示せるものを、説明台詞で片付けてしまっている所が何か所かあり、少々残念に思う。
が、全体としては、ぞっとする面白さに満ち満ちていて、あっという間にエンドロールを迎えた 充実の辛口作品だった。

夕の風にあおられつ----
また タイ料理が脳裏をよぎる。
明治通り沿い陸橋近くに看板を発見し、また憑かれたように階段を下りる。
箸袋で、午の店の支店だと知る。
ビールとココナッツカレーラーメン。
パクチー 生玉葱をアクセントに 赤々と主張する辛さに 極楽。

ヒカリエのビルの前を通りがかったので、せっかくだから入ってみる。
地下にひしめき合う菓子売り場を 眺めひやかす。
高級菓子は細工が美しいので 観ていて飽きない。
しかし、食べたくはないので どの店でも試食は断る。

やはり、辛いにかぎる。

辛口.jpg

タグ:辛い
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 ゆでたまご  [俳句・川柳]


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                    コツコツと 伺い立てて 身をえぐり



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ぼんぼちぼちぼち---あっしの名の由来--- [独り言]

今月の二十二日で、あっし・ぼんぼちは このブログを始めて四年目に入りやす。
そこで 節目となる今日は、あっしは何故 ニックネームを「ぼんぼちぼちぼち」にしたのかをお話したいと思いやす。
六月に 自分の誕生月であることにちなんで ブログタイトル「冷たい廊下」の由来について述べ、それはいささか重たいものでやしたが、こちらはいたって軽く楽しい理由でやす。

先ず----
ぼんぼち.jpg「音(おん)」として自分好みで ちょっと道化的な響きが感じられるものにしようと考えやした。
私は「ぽ」と「ぼ」という音が 理屈抜きにむしょうに好きなのでやす。
---以前飼っていた猫には 「ぽぽつ」と名付けていたりもしやした。
次に、それらどちらかの音を含みながら 何か具体的な意味を持っており、言うまでもなく自分の思い入れのある具体物であり、そして、世の中に 同じニックネームは先ず存在しないであろうと確信できるものにしようと思いやした。
そこで浮かんだのが、「ぼんぼち」+「ぼちぼち」なのでやす。

ぼんぼち2.jpg「ぼんぼち」というのは、鶏の尻の部位でやす。
「ぼんじり」という名称が一般的でやすが、「ぼんぼん」「ぼんぼち」とも呼ばれやす。
大好物で、焼き鳥屋に行くと 必ず 「塩で!」と 油したたるころころとした滋味溢るるそれを所望してしまいやす。

「ぼちぼち」は----
上田正樹さんと有山淳司さんのアルバム「ぼちぼちいこか」からでやす。
情けないけれど温もりに満ちた大阪の庶民性がぎゅぎゅっと詰まった ナニワブルースの大傑作でやす。
日本のミュージシャンのアルバムで好きなものを三つだけ挙げてください と問われたら必ず入れる一枚で、自室で勘定不可能なくらい反芻したり、下手の横好きのカラオケでも この中の曲は殆ど字幕を追わずに つかの間の大阪人を疑似体験したりしていやす。

こうして命名した「ぼんぼちぼちぼち」。
今ではすっかり我が身に馴染み、銀行や役所などの書類を前に、姓・ぼんぼち 名・ぼちぼち と無意識にペンが動き、窓口で提出しようとしてから 「あっ! しまった!!」と 慌てて直す この頃でやす。


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 ナポリタン  [俳句・川柳]


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                    唇を朱(あか)く染め笑む老女かな




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 飲食店に入って何も注文せずに出るときの理由づけ  [喫茶店・レストラン・カフェ]

喫茶店やレストラン バーなどに入店し 席に着いた瞬間、「あっ・・・しまった! 店には申し訳ないけれど、ここは自分にとって拷問のように苦痛な空間以外の何ものでもない」 と感じた場合、みなさんはどうしておられるでしょうか?
メニューの中で最も安くて早く切り上げられるエスプレッソやグラスビールなどで つかの間 腹をくくり、「よしっ! 次こそは!!」 と 心の拳も固く それを払拭させてくれる店を目指すでしょうか?
それとも、何か一言発して 何も頼まずに店を後にしますでしょうか?
私 ぼんぼちは、後者です。
その為に、「店員さんの気分を害さずに店を出る理由づけ」を、常に頭の引き出しの中に用意してあります。

飲食店2.jpg勿論、拷問に感ずる要因が 接客態度の悪さであれば、「このような接客態度の店で飲食したくないので出ます」と はっきりと言って良いと考えています。
けれど、お店側としては無意識に あるいは好意的に あるいは店主が好きでやっている と思われることが 単に自分の個人的嗜好という観点から耐えがたいものだった場合は、こちらも苦痛に対してお金を払う義務はない と思いつつも、やはり店員さんを不快な気持ちにさせたくはない と気を使います。

そんなぼんぼちが 今 実践しているのは、以下の方法です。
----無論、お冷やにも口をつけず おしぼりにも触れない時点で の話です。

メニューを仔細に読み、いかにもその店にありそうだけれど無い一品が食べたかった と言うのです。
純喫茶風の店なら----
「あ・・・あの・・・ナポリタンはないのですか?」
「申し訳ありません。 ありません」
「・・・すみません、今日はどうしてもナポリタンが食べたかったものですから・・・・本当にごめんなさい」
飲食店1.jpgショットバーではメニューを作っていないところも多いので 酒棚を見ながら対話の中でそれをやります。
「・・・・あの・・・・シェリーは そこにあるティオペペの他には何がありますか?」
「申し訳ありません。 ティオペペ一種類になっております」
「・・・・すみません、今日はどうしても フィノではなくアモンティリャードが飲みたかったものですから・・・」
などと。

お店側にとっては 本当の理由を言われたほうが 今後の経営の参考になって良いのかも知れませんが、私は、「接客態度がなっていない」以外の、しかも極めて個人的な嗜好によるマイナスの感情を店員さんに向けることは ちょっと憚ってしまいます。
私自身が店の選択を誤っただけだから 自分が他に行けば済む話だ、と結論づけています。

隣街に、内装 椅子・テーブル 照明の具合 店員さんの接客が最高に自分好みのジャズ喫茶&バーがあるのですが、昼のコーヒータイムは、ジャズのみならず様々なジャンル・時代の音楽がかかります。
私の個人的嗜好からは耐えがたいものが流れることもしばしばです。
音量が控え目ではないだけに、ジャズやブルースやラグタイムなど自分好みのジャンルが流れていたら 雲上の羽毛のベッド、耐えがたいものの時は 拷問空間と化すのです。
ですから、この店に行くのは 非常に大きな「賭け」なのです。
すでに顔を覚えられているこの店で、拷問時に何も注文せずに上手く退出する理由づけはないものか・・・?!
これが、目下の私の課題です。
もしも適切な理由づけが発見できれば、結果として 今よりもかなり高い頻度で ゆうるりとコーヒーをすすることができるのに・・・・と思っています。

飲食店3.jpg

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 ミドリガメ  [俳句・川柳]



                     教科書のアフリカ大陸 縦断し


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 映画「つぶれかかった右眼のために」  [感想文]

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幾多存在する映画ジャンルの中に ドキュメンタリーがあります。
ドキュメンタリーと一言に言っても、隠されていた真実を一人でも多くの人間に知ってほしい という信念の元に創られた作品、様々な立場の人のインタビューを挿入し 多視点的考察に重きをおいて構成された作品、極力淡々と撮り手の主観は抑えに抑えて観客にゆだねた作品など 多彩です。
今回紹介する一作は、映像作家の芸術的感性の占める割合の非常に高い むしろアートシネマと分類するほうが相応しい ドキュメントに材を取ったコラージュ映画です。

1968年 「つぶれかかった右眼のために」 監督・松本俊夫氏
ヒッピー ゲイボーイ 学生運動 金嬉老事件 CМ ポスター 等々、当時のありとあらゆる 事件 風俗 流行が、三台のプロジェクターにより----画面・右 画面・左 そして両者にまたぎかぶる形でもうひとつ----脈絡なく同時進行し、唐突にストップモーションにて了る、という構成の13分の短編です。
----初映時は、ストップモーションと同時にマグネシウムフラッシュが焚かれたそうで、余りの意外性に度胆を抜かれた観客も多かったと聞きますが、残念ながら 私はそれは体感していません。

何故 この作品がマルチプロジェクションで創られているかについては、松本先生自ら DVD特典音声などで説かれていますが----DVDでは1ディスクに3プロジェクター分収まっています----当時という時代を通常の映画形式と成っている線的叙述で表わすには 余りにも爆発的で多義的で混沌としていたからという理由で、私はそれを聴いた時、「あぁ、なるほど」と 深く頷かずにはおれませんでした。

また、コラージュというものは単なる既存のモノの寄せ集めではなく 独自のアート性・世界観が立ちあがる表現手段である ということも、この作品を語る上で欠くことはできません。 
私は個人的にもコラージュが非常に好きで、例えば今、我が家のトイレットスペースは、「生命」というテーマで以って壁中ペタペタやっていますが、こんな一寸した遊びの範囲の中ですらも 如実にそれを感じています。

ですから、この「つぶれかかった右眼のために」は、明らかに 1+1+1=3ではなく、一見 脈絡なく詰め込まれているかのように思われるショットの数々は、緻密に相乗性を狙った松本先生の計算高さによって構築されている 松本先生にしか創り得ない芸術作品であることが強く認識できます。

そして、ラストのマグネシウムフラッシュは、ペーパーコラージュに置き換えると、紙という素材のみでは言いたい事を伝えきれずに ゴムとか小枝とか布とか金属とかを立体的にくっつけた といった所でしょうか。
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 鷹の爪  [俳句・川柳]


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                     爪先に 燃ゆる空へと運ばれて




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 バナナケース---羞恥と実用のはざまで--- [独り言]

世の中には、実用性を重んずるあまり 視覚的には如何なものか?という道具がある。

今、巷で流行っているというバナナケースなどは、その最たるものではあるまいか。
バナナケース(バナナホルダー バナナガードとも)
名称通り、バナナを納めるケースである。
これを用いれば、鞄の中でバナナが押されて黒くつぶれたりせずに 出先でも安心して黄色く艶やかなバナナを食することが出来る というお役立ちグッズである。

バナナホルダー1.jpg私が何度か街の雑貨屋で見かけたのは、典型的なバナナそのものをコピーしたような形と大きさで プラスチックのカラフルな色彩だった。
中に鉛でも入れたら、ポップでユーモラスなペーパーウエイト兼インテリア雑貨としても楽しめそうな一品である。
が、適合可能なバナナはかなり限られてくる。
曲り具合はケースと同じで、長さ・太さは それ以下でなければならぬのだ。

と、インターネットで「バナナケース」の画像を閲覧してみたところ----
なんと、バナナケースは、他にも2パターン存在していることを知った。

一つは、熟れすぎてヘチマと見紛うほどに巨大になったキュウリの如き長さ・太さで、うにょっと曲がっているもの。
色は 不透明に毒々しい原色。
「90%のバナナに適合できる」というのがアピールポイントであるらしい。
けれど かなり大きいので、鞄から先っぽがうっかり顔を出してしまう可能性も 少なくない。

もう一つは、太くてずんぐりしていて 曲がり具合がとてもなだらかなもの。
透明 又は蛍光色的に鮮度の高い半透明で、中央部分に出っぱりと溝がうねうねと連なっている。
うねうねは一体何の必要性があるのだろうか?と疑問に思い 調べたら、これは蛇腹で バナナの曲り具合・長さによって調節したり、又 食べ終わったら縮めて小さく出来る という高機能の仕組みであると解った。

バナナホルダー2.jpgつまり、実用度として最も高いのは、じゃばらずんぐりで、その次が熟れすぎうにょキュウリで、一番低いのが、ポップバナナコピー ということになる。

しかし----
私は、ポップバナナコピーなら なんちゃって気分で持ってもいいかと思うが、熟れすぎうにょキュウリは 一寸恥ずかしいものがある。
鞄から物を取り出す拍子にぴょこりと顔をのぞかせてしまったら、いちいち「いや何、これはバナナケースでしてね・・・」と、パカッと開いて中にバナナが納まっていることを証明しなければならない。
そして じゃばらずんぐりに至っては、これはもう恥ずかしい以外の何ものでもない。
はっきりと「バナナを入れてある容器です」と透け視えるとしても、それ以前の段階で、入れているポケットが 輪郭に忠実にくっきり浮かびあがった時点でアウトだからである。

私は、どれほど実用面に納得しても 我が内から羞恥心という語を捨て去ることはできかねる。
羞恥と実用のはざまで、どのバナナケースを選択するかは 個人個人の自由である。


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