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向田邦子世界についての極めて主観的な感想文  [感想文]

様々な女性の心理が 沼底の小石や苔や小生物に一つ一つ容赦なくズームしてゆくように描かれる 脚本、
既に彩度も明度も高い筈のなく かといって 限りなく黒に近いという程には壊滅的ではない ナニイロともつかない 長年連れ添った夫婦の、複雑な中間色的感情のゆききする 小説、
視線を低くしてドールハウスを仔細に覗き見るような気持ちで 息もつかずに一気呵成に読み進み、結びのキメかたに 感嘆のため息をつかずにはおれない エッセイ・・・・
向田邦子さんの作品の見事さには、どれも 舌を巻かずにはおれない。

「アナタは さぞかし、向田さんがお好きなのですね」 と言われそうである。
しかし-----
私は、向田邦子世界を好きにはなれない。
何度・何作 観ても読んでも、みぢんも好きになれない。むこうだ1.jpg
勿論、冒頭に述べたように 偉大な作家だと心底思う。 尊敬もしている。 日々 趣味で拙い文章を書き綴る自分は、おおいに勉強させていただいている。
けれど------
客観的に優れた作家である と認識することと、主観的に好き ということは、必ずしも一致はしないのである。

他のかたはどうか解らないが、私が、作家に限らず あらゆるジャンルの表現者で「好き」になれるのは、-----無論、こちらが勝手に一方的に感じているのに過ぎないのだが-----「自分とメンタリティが近い人」だけである。
自分に近いメンタリティの表現者は、「技術的に こういう欠点がある」と はっきり見えても、そういう部分も含めて・・・・否、正確にいうと、欠点も「好き」の要因の一つに加算されて 益々以って愛おしくなるのである。

解り易い例えをすると-----
小中学校で 同じクラスだと仮定する。
----雲上の偉人と私のような泥の如き者を同級生などとは、仮定の話であっても おこがましいのは百も承知の上で例えるが-----
向田さんとは、絶対に 仲良くなれないと思う。
むこうだ2.jpg聡明で快活で眩しい存在だけれど、どういう事に笑いころげ どういう事に涙にむせび どういう事に眉をひそめ どういう事に心奪われるか が、何もかも まるで違い過ぎるのだ。
何もかもまるで違い過ぎるので、接してみたところで 全ての歯車が噛み合わず 互いにぎくしゃくと気づまりなだけなのが 火をみるより明らかなのだ。
さながら、太陽の下に飛び跳ねるウサギと沼底に眠るナマズほどに違う。
ここまで異なる生物同士、彼方から眺めることを面白いと思いはしても 仲良しになれる訳がない。

仲良しになれる奴というのは、なんとなく 自分と同じ匂いが漂ってくるというか、大して話もしていないのに ツーカーのところがあるというか、-----そう、向田作品タイトルにもある「あ・うん」の呼吸の合う者である。
「まったく しょうもない奴だ」 と ぶつくさ言いながらも 心に強(こわ)い皮をかぶらずに、いつもツルんで心安らぐ奴である。
あるいは、声はかけずとも、ちょっと離れた場所からでも 目配せすれば頷く奴である。
つまり、メンタリティが近い人に他ならないのである。

これは、性別や育った時代や地域とは関係がないように感じている。
生まれ持った気質と、もしもあるとすれば 家庭環境によるものではないだろうか。
私は、カフカあたりは、放課後の誰もいなくなった校庭の片隅で、目配せし合い 頷け合えそうな気がしている。



タグ:向田邦子
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