この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。
シンデレラは6月生まれ [感想文]
六月になると、私の頭蓋には ある歌が廻りはじめる。
「シンデレラは6月生まれ」
1974年・春夏期に、女のコのような少年アイドル・あいざき進也さんが歌われた流行歌である。
私は 十二才になろうとしていた。
何故、この歌が、ひねくれていると 親や教師達に眉をひそめられていた当時の私に、それ程ひっかかり、そして 強烈に染み入ったのか・・・・・。
理由は 三つある。
先ず、単純に、私が六月生まれである ということ。
次に、あいざき進也さんの風貌が好きだったこと。
まるで 囚われた白兎のように儚げな 陰りのあるお顔といい、ちょっと健康的な女の人の横に立つだけでも壊れてしまいそうに 小さく華奢な身体つきといい、私は幼心にも、「世の中には なんて素敵な男の人がいるのだろう!」 と、あいざきさん登場の度に、テレビ画面を正視できないくらいドキドキしていた。
そして、最も大きな理由は、作詞が 安井かずみさん だということである。
超売れっ子作詞家だった安井さんは、その頃 詩&エッセイ集なども出されていて、確か、私は二冊 持っていた。
文学の一ジャンルに「エッセイ」というものがあると知ったのも それがきっかけだったし、しかつめらしい文学然とした構えもなく、郊外の住宅地に住む私が「カッコイイなぁ」と思い馳せる 原宿・青山・パリといった街街が 星屑のように事もなげに柔らかな文体の中に散りばめられているのも 魅力だった。
加えて、宇野亜喜良のイラストからふわりと抜け出たような 下まつげを強調したメイクの安井さんの 淡く滲んだような調子のポートレートが表紙になっているところも、それまでに 頭の上から差し出されてきた教育文学とは別世界の きらきらとしたまばゆい光を覚えずにはおれないものがあった。
-----寺山修司を知るのは中学に入ってからなので、つまり 安井さんは、私が生まれて初めて憧れた「言葉の世界の人」だった訳である。
あいざきさんは、ひねこびのない 唱歌のようなまっすぐな歌い方をされていたので、歌詞はすんなりと聴きとれた。
主人公の少年が秘かに思いをよせる少女は、さり気なく聞き出したところによると、六月生まれ。
今は、爽やかな五月であるらしい。
間もなく訪れる彼女の誕生日には、思いの証しにペンダントを贈りたいと考える。
彼は、両想いになれる幻想を抱きつつ、少女を日暮れまでに送りとどける。
少女は 少年にとって、0時ではなく日没がリミットの 幼い大切なシンデレラである。
概の内容は このようなものなのだが、私は、詞の細部まで聴き込んだとき、衝撃を覚えた。
-----雨が出てこないのである。 のみならず、雨にまつわるモチーフ----傘やレインコートやレインブーツ、のみならず、水玉 雫すら登場しないのである。
普通なら使いそうなものだ、否、使わずには不安でおれないものだ と思った。
君の誕生日が雨なら 僕が傘になってあげるよ とか
君のレインコート姿は可愛いだろうな とか
あじさいが夢色に染まる頃 とか
水玉のハンカチを贈りたい とか
ペンダントを雫型に設定する とか
しかし、六月=雨 という図式らしいものは、この作品世界には ひとしずくも ない。
今考えると、プロ中のプロの仕事なのだから、素人が容易に想像のつくような単純さからは 遥かに越境していて当然なのだが。
が しかし、大人達から、ステレオタイプの考えだけを持つステレオタイプの子供である事こそを良しとされ、「良し」の皿から常にはみ出し、己れの存在のおおかたを否定されていた当時の私は、何か 光にも似た衝撃に刺し貫ぬかれずにはおれなかったのだ。
今日も、私の内には「シンデレラは6月生まれ」が廻っている。
そして、その後奏に続いて立ち現れるのは、「自分も 稚拙ながらも、詩やエッセイといった言葉の世界に 秘かにこっそり踏み入ってみよう!」 と、机の引き出しの一番奥に ノオト一冊分のスペースをつくった 十二才になり初めし自分の 小さな後ろ姿である。


「シンデレラは6月生まれ」
1974年・春夏期に、女のコのような少年アイドル・あいざき進也さんが歌われた流行歌である。
私は 十二才になろうとしていた。
何故、この歌が、ひねくれていると 親や教師達に眉をひそめられていた当時の私に、それ程ひっかかり、そして 強烈に染み入ったのか・・・・・。
理由は 三つある。
先ず、単純に、私が六月生まれである ということ。
次に、あいざき進也さんの風貌が好きだったこと。
まるで 囚われた白兎のように儚げな 陰りのあるお顔といい、ちょっと健康的な女の人の横に立つだけでも壊れてしまいそうに 小さく華奢な身体つきといい、私は幼心にも、「世の中には なんて素敵な男の人がいるのだろう!」 と、あいざきさん登場の度に、テレビ画面を正視できないくらいドキドキしていた。
そして、最も大きな理由は、作詞が 安井かずみさん だということである。
超売れっ子作詞家だった安井さんは、その頃 詩&エッセイ集なども出されていて、確か、私は二冊 持っていた。
文学の一ジャンルに「エッセイ」というものがあると知ったのも それがきっかけだったし、しかつめらしい文学然とした構えもなく、郊外の住宅地に住む私が「カッコイイなぁ」と思い馳せる 原宿・青山・パリといった街街が 星屑のように事もなげに柔らかな文体の中に散りばめられているのも 魅力だった。
加えて、宇野亜喜良のイラストからふわりと抜け出たような 下まつげを強調したメイクの安井さんの 淡く滲んだような調子のポートレートが表紙になっているところも、それまでに 頭の上から差し出されてきた教育文学とは別世界の きらきらとしたまばゆい光を覚えずにはおれないものがあった。
-----寺山修司を知るのは中学に入ってからなので、つまり 安井さんは、私が生まれて初めて憧れた「言葉の世界の人」だった訳である。
あいざきさんは、ひねこびのない 唱歌のようなまっすぐな歌い方をされていたので、歌詞はすんなりと聴きとれた。
主人公の少年が秘かに思いをよせる少女は、さり気なく聞き出したところによると、六月生まれ。
今は、爽やかな五月であるらしい。
間もなく訪れる彼女の誕生日には、思いの証しにペンダントを贈りたいと考える。
彼は、両想いになれる幻想を抱きつつ、少女を日暮れまでに送りとどける。
少女は 少年にとって、0時ではなく日没がリミットの 幼い大切なシンデレラである。
概の内容は このようなものなのだが、私は、詞の細部まで聴き込んだとき、衝撃を覚えた。
-----雨が出てこないのである。 のみならず、雨にまつわるモチーフ----傘やレインコートやレインブーツ、のみならず、水玉 雫すら登場しないのである。
普通なら使いそうなものだ、否、使わずには不安でおれないものだ と思った。
君の誕生日が雨なら 僕が傘になってあげるよ とか
君のレインコート姿は可愛いだろうな とか
あじさいが夢色に染まる頃 とか
水玉のハンカチを贈りたい とか
ペンダントを雫型に設定する とか
しかし、六月=雨 という図式らしいものは、この作品世界には ひとしずくも ない。
今考えると、プロ中のプロの仕事なのだから、素人が容易に想像のつくような単純さからは 遥かに越境していて当然なのだが。
が しかし、大人達から、ステレオタイプの考えだけを持つステレオタイプの子供である事こそを良しとされ、「良し」の皿から常にはみ出し、己れの存在のおおかたを否定されていた当時の私は、何か 光にも似た衝撃に刺し貫ぬかれずにはおれなかったのだ。
今日も、私の内には「シンデレラは6月生まれ」が廻っている。
そして、その後奏に続いて立ち現れるのは、「自分も 稚拙ながらも、詩やエッセイといった言葉の世界に 秘かにこっそり踏み入ってみよう!」 と、机の引き出しの一番奥に ノオト一冊分のスペースをつくった 十二才になり初めし自分の 小さな後ろ姿である。
嗚呼!忘れじのサンチュの思ひ出 [戯曲]
(ぼんぼち、一人 みなのほうを向き 正座)
みなさん、サンチュといふのを御存じでやしょうか?
そう、あの 焼き肉を包んで食す 緑色のでこぼこつやつやの葉っぱでやす。
今日は、あっし・ぼんぼちが、忘れやうにも一生忘れることのできないサンチュの思ひ出を みなさんにだけ そっと (掌の内側を口にそえる) 打ち明けやうと思いやす。 (うつむき しばしの間)
-----あれは、とろりとうららかな ある休日でやした。 (遥か彼方をみる)
あっしは、ちょいと早めの晩酌の肴は好物の焼き肉にしやうと、隣町のスーパーにて、エビスビールと ラッキーなことに賞味期限の近いために半額になっていたコチュジャンと、そして もっと運のいいことに カルビをタイムサービスの大特価で求むることができやした。
ねずみ色のゴムぞうりをぺたぺたと、けれど心の中は 思ひもかけぬ幸運にスキップせずにはおれなく、その思ひは つい 白いレジ袋の前後に揺るるリズムとなって あらわれてしまふのでやした。
-----と、あっしは 重要なものを買ひ忘れていることに気づきやした。
(目を丸く見開き) サンチュでやす。
さきのスーパーまで戻るのも もはやめんどうで、かといって、アパートまでの道すがら 別のスーパーも八百屋もなく (やや 眉をハの字にする)・・・・
と、(ぱっ!と眉を上げ) ほとんどの商品を百円にて売る店が 丁度 目の前にたたずんでやす!
こういう店は大抵、スタンダードな野菜しか置いてないものでやすが、まぁ、サンチュがなくとも レタスかキャベツならあるでやしょう と、自動扉のマットを踏むや、野菜コーナーに ひょこひょこと歩をすすめやした。
なんと! (目を よりいっそう大きく見開き) あるではありやせぬか! サンチュ!!
しかも、淡い草色が 今まで目にしたこともないほどに新鮮そうでやす! (身を乗り出す)
ねずみ色のゴムぞうりをぺたぺたと、けれど 心の中は より思ひもかけぬ幸運にツーステップを踏まずにはおれなく、その思ひは 白いレジ袋二つの大きく前後に揺るるリズムとなって あらわれてしまふのでやした。
擦り切れた四畳半の我がアパートに着き ゴムぞうりをすっとばし脱ぐや、あっしは、大繁盛の居酒屋の店員のやうな勢いで、一人用プレートを出し カルビを皿に並べ コチュジャンをむらちょこに絞り、そして サンチュを水道でピャーーーッと洗ひ、どっかとあぐらに落ちつき、「ぼんぼち、お疲れ!」 (無対象の手でカンパイ) 破れたふすまに立ててある埃でぼやけた鏡に向かって 労をねぎらいやした。
そして、肉汁したたる幸運を絶妙なミディアムレアに焼き 甘辛い幸運をピョピョッと小粋につけ 新鮮な幸運で手際よく包み、あーーーんと (大きくあーーーんの口) 口へ運びやした。
「・・・・・なんか ざらっとするでやすな。 そして 微かにぷちぷちっとも・・・」 (小首を傾げる) と思いやした。
でも ちゃんと洗ったんでやすし、第一 こんなに若々しい草色なんでやすし・・・・
も一つ、そして も一つと、あっしは、幸運に幸運をつけ幸運で包んで、「あーーーん」と 我が内を幸運で満たしてゆきやした。
・・・・それにしても「ざらっ&ぷちっ」が どうも気になりやす。 (腕組みをして首をひねる)
つまりは、新鮮そのものの色味と舌触りの間に 不条理を覚えずにはおれないのでやす。
新鮮を一枚 手に取り (片掌を出し) じーーーーーーっとまなこを近づけると (その掌に顔をぐーーーーーっと近づける)
そこには・・・・・・・・(間。 大きな呼吸づかい)
若草色のアブラムシ【別名・アリマキ】が、びーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっしりと、さながら五分でチケットが完売する人気ミュージシャンのスタンディングライヴ会場のやうに 隙間なく くっついていたのでやす!!! (長き間。 より大きな呼吸づかいに身体揺れる)
(眉はハの字に) ふ・・・ふ ふ・・・・・あっしは 何と幸運なのでやしょう! 何と幸運で満たされた人間なのでやしょう!! (言い了えぬ内に 涙あふれる)
アブラムシ【別名・アリマキ】が居心地良く住む・・・・つまりそれは要するに、農薬も放射能も浴びていないといふ証しではありやせぬか!!!
ふふふふ(涙をぬぐう。 拍子に眼鏡かしぐ)
ふふ は は・・・・あっしほどの幸運な人間は、は は・・・そうそう居るもんぢゃあありやせぬ。 (涙あふれる。 眼鏡 完全にずり落ちる)
は は ははははは・・・・・・(虚空を見、声を飛ばす。 涙 とめどなくあふれる)
(ふいに正面を向き) 残りのサンチュはどうしたか でやすか?
(たてた掌を左右に大仰に振り) あっしだけがこんな幸運を頂戴するのは みなさまに申し訳ないと・・・バチ当たりだと・・・謙虚に博愛精神の元に そこで食するのをやめやした。
苦渋の選択で以って、幸運は、庭のドクダミの根方に 丁重にお供えさせて頂きやした。 (合掌)
(手を合わせたまま、その身体 激しく前後に揺れ)
あっしだけ・・・・うっ うっ・・・あっしだけが、これ以上幸せになる訳にはまいりやせぬっっっ・・・
う うーーーーーーーーーーーーーーーーっっっっ (突っ伏し 嗚咽)


みなさん、サンチュといふのを御存じでやしょうか?
そう、あの 焼き肉を包んで食す 緑色のでこぼこつやつやの葉っぱでやす。
今日は、あっし・ぼんぼちが、忘れやうにも一生忘れることのできないサンチュの思ひ出を みなさんにだけ そっと (掌の内側を口にそえる) 打ち明けやうと思いやす。 (うつむき しばしの間)
-----あれは、とろりとうららかな ある休日でやした。 (遥か彼方をみる)
あっしは、ちょいと早めの晩酌の肴は好物の焼き肉にしやうと、隣町のスーパーにて、エビスビールと ラッキーなことに賞味期限の近いために半額になっていたコチュジャンと、そして もっと運のいいことに カルビをタイムサービスの大特価で求むることができやした。
ねずみ色のゴムぞうりをぺたぺたと、けれど心の中は 思ひもかけぬ幸運にスキップせずにはおれなく、その思ひは つい 白いレジ袋の前後に揺るるリズムとなって あらわれてしまふのでやした。
-----と、あっしは 重要なものを買ひ忘れていることに気づきやした。
(目を丸く見開き) サンチュでやす。
さきのスーパーまで戻るのも もはやめんどうで、かといって、アパートまでの道すがら 別のスーパーも八百屋もなく (やや 眉をハの字にする)・・・・
と、(ぱっ!と眉を上げ) ほとんどの商品を百円にて売る店が 丁度 目の前にたたずんでやす!
こういう店は大抵、スタンダードな野菜しか置いてないものでやすが、まぁ、サンチュがなくとも レタスかキャベツならあるでやしょう と、自動扉のマットを踏むや、野菜コーナーに ひょこひょこと歩をすすめやした。
なんと! (目を よりいっそう大きく見開き) あるではありやせぬか! サンチュ!!
しかも、淡い草色が 今まで目にしたこともないほどに新鮮そうでやす! (身を乗り出す)
ねずみ色のゴムぞうりをぺたぺたと、けれど 心の中は より思ひもかけぬ幸運にツーステップを踏まずにはおれなく、その思ひは 白いレジ袋二つの大きく前後に揺るるリズムとなって あらわれてしまふのでやした。
擦り切れた四畳半の我がアパートに着き ゴムぞうりをすっとばし脱ぐや、あっしは、大繁盛の居酒屋の店員のやうな勢いで、一人用プレートを出し カルビを皿に並べ コチュジャンをむらちょこに絞り、そして サンチュを水道でピャーーーッと洗ひ、どっかとあぐらに落ちつき、「ぼんぼち、お疲れ!」 (無対象の手でカンパイ) 破れたふすまに立ててある埃でぼやけた鏡に向かって 労をねぎらいやした。
そして、肉汁したたる幸運を絶妙なミディアムレアに焼き 甘辛い幸運をピョピョッと小粋につけ 新鮮な幸運で手際よく包み、あーーーんと (大きくあーーーんの口) 口へ運びやした。
「・・・・・なんか ざらっとするでやすな。 そして 微かにぷちぷちっとも・・・」 (小首を傾げる) と思いやした。
でも ちゃんと洗ったんでやすし、第一 こんなに若々しい草色なんでやすし・・・・
も一つ、そして も一つと、あっしは、幸運に幸運をつけ幸運で包んで、「あーーーん」と 我が内を幸運で満たしてゆきやした。
・・・・それにしても「ざらっ&ぷちっ」が どうも気になりやす。 (腕組みをして首をひねる)
つまりは、新鮮そのものの色味と舌触りの間に 不条理を覚えずにはおれないのでやす。
新鮮を一枚 手に取り (片掌を出し) じーーーーーーっとまなこを近づけると (その掌に顔をぐーーーーーっと近づける)
そこには・・・・・・・・(間。 大きな呼吸づかい)
若草色のアブラムシ【別名・アリマキ】が、びーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっしりと、さながら五分でチケットが完売する人気ミュージシャンのスタンディングライヴ会場のやうに 隙間なく くっついていたのでやす!!! (長き間。 より大きな呼吸づかいに身体揺れる)
(眉はハの字に) ふ・・・ふ ふ・・・・・あっしは 何と幸運なのでやしょう! 何と幸運で満たされた人間なのでやしょう!! (言い了えぬ内に 涙あふれる)
アブラムシ【別名・アリマキ】が居心地良く住む・・・・つまりそれは要するに、農薬も放射能も浴びていないといふ証しではありやせぬか!!!
ふふふふ(涙をぬぐう。 拍子に眼鏡かしぐ)
ふふ は は・・・・あっしほどの幸運な人間は、は は・・・そうそう居るもんぢゃあありやせぬ。 (涙あふれる。 眼鏡 完全にずり落ちる)
は は ははははは・・・・・・(虚空を見、声を飛ばす。 涙 とめどなくあふれる)
(ふいに正面を向き) 残りのサンチュはどうしたか でやすか?
(たてた掌を左右に大仰に振り) あっしだけがこんな幸運を頂戴するのは みなさまに申し訳ないと・・・バチ当たりだと・・・謙虚に博愛精神の元に そこで食するのをやめやした。
苦渋の選択で以って、幸運は、庭のドクダミの根方に 丁重にお供えさせて頂きやした。 (合掌)
(手を合わせたまま、その身体 激しく前後に揺れ)
あっしだけ・・・・うっ うっ・・・あっしだけが、これ以上幸せになる訳にはまいりやせぬっっっ・・・
う うーーーーーーーーーーーーーーーーっっっっ (突っ伏し 嗚咽)
冷たい廊下---母親に虐待され続けた子供時代--- [毒母]
今月の十六日で、私は ちょうど五十才になります。
やはり五十となると、改めて 己れの生い立ちを振り返り 噛みしめ、己れに宛てた感想文のひとつも記しておきたい衝動に突き動かされるものがあります。
正直なところ、私は この年齢まで生きられるとは思っていませんでした。
幼少期、母親に虐待されていたからです。
毎日 意識がなくなるまで殴られ続け、頬にあたる廊下の冷たさに目を覚まし、「あ・・・生きてた。 でも、明日は解らないな・・・」という日々を送っていたからです。
今と違って、「子供への虐待」という言葉の認知度もゼロに等しく、「女は母性本能があるのだから 他人の子供であっても殺しはしない」という迷信を 警察ですら信じていた時代ですから、逃げる所・訴え出る所など どこにもありませんでした。
何故 母親が私を虐待していたかというと-----
自身のエゴイズムによる目算が外れたからです。
思わぬ妊娠をきっかけに、モテた父を一人じめしたかった。
しかし 父は、首をたてに振らなかった。
母は一人で強行突破に出た。
結果、本妻の座と財力は得られたが、父の心まで手中に収めることは出来なかった。
そのうっぷんが、全て 私に向けられた訳です。
強行突破という手段を選ぶ時点で、絶対的に得られるものとひきかえに 父の心が彼方に遠のくことくらい ちょっと考えたら解りそうなものですが、つくづく愚かな女です。
「お産のとき、病院に来てもくれなかった」 とか 「お前の名前も アタシ一人で決めるハメになった」 とか 「お前が随分大きくなるまで(父の実家の)敷居をまたがせてもらえなかった」 とか、いかに まっとうな自分が不当に辛い目に合わされてきたかを、私が大きくなってからも、負の題目を唱えるように 歯がみしながら繰り返していました。
無論、父の側に何一つ非が無かったか というと、そんなことはないと思いますが。
父は、私が生まれたが為に、ひりつくほどに好きで就いていた仕事を 辞めざるを得ない状況におわれました。
クラシック一本では食えずに流行歌のアルバイトでしのぐ 売れないバイオリンニストではありましたが、私が生まれた時、未だ二十代前半だったので 未知の可能性もおおいにはらんでいた筈です。
けれど 父は私に、「ぼんぼちさえ生まれてこなければバイオリンやってられたのに」というようなグチを吐いたことは一度もありませんでしたし、私に手をあげたことも 怒鳴ったこともありませんでした。
目の前で母に殴られ続けていても、黙って見ていましたが。
母が私を殴り始めるきっかけは、「しつけ」と称する ささいな理由づけからでした。
「テストが100点じゃなかった」 とか 「ピアノやバイオリンの自主練が 決められた時間より五分短かかった」 とか 「都営住宅に住んでいる子と仲良くしてるそうじゃないか」 とか 「今、一人言 言ったろー」 とか。
最初は先ず、「その甘チャンな根性を叩き直してくれるわーーーー!!!」 と仁王立ちになり 始まります。
そして、一時間を過ぎたあたりから 決まって 「産みたくもないのに勝手に生まれてきやがってーーーー!!!」 という 自身を被害者へと置き換える理不尽に変換された言葉が登場します。
それからまた一時間以上、すでに自分の意志で身体を起こすことも出来なくなった私は、母の力まかせの負のエネルギーのままに 単なる物体さながらに 廊下をころころと転がり続けます。
私の成長につれて-----
今度は、精神的虐待や 「実の母親である」という立場を利用しての狂言騒動などをさんざん繰り広げ、私が二十七才の時、突然の病いで死にました。
私は自分の人生のやり直しを図り、結局 好きな仕事に就くことは叶いませんでしたが、それ以外は、今現在では かなり埋め合わせが出来たように自覚しています。
父に対しての気持ちは、プラスマイナスゼロです。
殴られる私を黙って見ていたけれど、お金の面で 世間の同世代の多くの子供達が体験できなかったことを 随分 味あわせてもらえたからです。
しかし、母には 憎しみの感情しかありません。
もしも、「産んでもらったんだから 感謝すべきよ」 「お母様だって 本当はアナタを愛しておられたのよ」 「もう亡くなったことだし、いいかげん許してあげたら?」 などと知った風を投げかけようという人がいるとしたら、私が生きてきた人生をそっくりそのまま体験して その後で モノ申して頂きたい。
頬にあたる冷たい廊下の感触は、一生 薄れることはありません。
※左側のマイカテゴリーの欄に「毒母」として、母親は、他にどんな虐待をしていたかや 日常生活ではどんな人間だったかを綴った記事をまとめています。 お時間のあるかた、覗いていただけると幸いです。


やはり五十となると、改めて 己れの生い立ちを振り返り 噛みしめ、己れに宛てた感想文のひとつも記しておきたい衝動に突き動かされるものがあります。
正直なところ、私は この年齢まで生きられるとは思っていませんでした。
幼少期、母親に虐待されていたからです。
毎日 意識がなくなるまで殴られ続け、頬にあたる廊下の冷たさに目を覚まし、「あ・・・生きてた。 でも、明日は解らないな・・・」という日々を送っていたからです。
今と違って、「子供への虐待」という言葉の認知度もゼロに等しく、「女は母性本能があるのだから 他人の子供であっても殺しはしない」という迷信を 警察ですら信じていた時代ですから、逃げる所・訴え出る所など どこにもありませんでした。
何故 母親が私を虐待していたかというと-----
自身のエゴイズムによる目算が外れたからです。
思わぬ妊娠をきっかけに、モテた父を一人じめしたかった。
しかし 父は、首をたてに振らなかった。
母は一人で強行突破に出た。
結果、本妻の座と財力は得られたが、父の心まで手中に収めることは出来なかった。
そのうっぷんが、全て 私に向けられた訳です。
強行突破という手段を選ぶ時点で、絶対的に得られるものとひきかえに 父の心が彼方に遠のくことくらい ちょっと考えたら解りそうなものですが、つくづく愚かな女です。
「お産のとき、病院に来てもくれなかった」 とか 「お前の名前も アタシ一人で決めるハメになった」 とか 「お前が随分大きくなるまで(父の実家の)敷居をまたがせてもらえなかった」 とか、いかに まっとうな自分が不当に辛い目に合わされてきたかを、私が大きくなってからも、負の題目を唱えるように 歯がみしながら繰り返していました。
無論、父の側に何一つ非が無かったか というと、そんなことはないと思いますが。
父は、私が生まれたが為に、ひりつくほどに好きで就いていた仕事を 辞めざるを得ない状況におわれました。
クラシック一本では食えずに流行歌のアルバイトでしのぐ 売れないバイオリンニストではありましたが、私が生まれた時、未だ二十代前半だったので 未知の可能性もおおいにはらんでいた筈です。
けれど 父は私に、「ぼんぼちさえ生まれてこなければバイオリンやってられたのに」というようなグチを吐いたことは一度もありませんでしたし、私に手をあげたことも 怒鳴ったこともありませんでした。
目の前で母に殴られ続けていても、黙って見ていましたが。
母が私を殴り始めるきっかけは、「しつけ」と称する ささいな理由づけからでした。
「テストが100点じゃなかった」 とか 「ピアノやバイオリンの自主練が 決められた時間より五分短かかった」 とか 「都営住宅に住んでいる子と仲良くしてるそうじゃないか」 とか 「今、一人言 言ったろー」 とか。
最初は先ず、「その甘チャンな根性を叩き直してくれるわーーーー!!!」 と仁王立ちになり 始まります。
そして、一時間を過ぎたあたりから 決まって 「産みたくもないのに勝手に生まれてきやがってーーーー!!!」 という 自身を被害者へと置き換える理不尽に変換された言葉が登場します。
それからまた一時間以上、すでに自分の意志で身体を起こすことも出来なくなった私は、母の力まかせの負のエネルギーのままに 単なる物体さながらに 廊下をころころと転がり続けます。
私の成長につれて-----
今度は、精神的虐待や 「実の母親である」という立場を利用しての狂言騒動などをさんざん繰り広げ、私が二十七才の時、突然の病いで死にました。
私は自分の人生のやり直しを図り、結局 好きな仕事に就くことは叶いませんでしたが、それ以外は、今現在では かなり埋め合わせが出来たように自覚しています。
父に対しての気持ちは、プラスマイナスゼロです。
殴られる私を黙って見ていたけれど、お金の面で 世間の同世代の多くの子供達が体験できなかったことを 随分 味あわせてもらえたからです。
しかし、母には 憎しみの感情しかありません。
もしも、「産んでもらったんだから 感謝すべきよ」 「お母様だって 本当はアナタを愛しておられたのよ」 「もう亡くなったことだし、いいかげん許してあげたら?」 などと知った風を投げかけようという人がいるとしたら、私が生きてきた人生をそっくりそのまま体験して その後で モノ申して頂きたい。
頬にあたる冷たい廊下の感触は、一生 薄れることはありません。
※左側のマイカテゴリーの欄に「毒母」として、母親は、他にどんな虐待をしていたかや 日常生活ではどんな人間だったかを綴った記事をまとめています。 お時間のあるかた、覗いていただけると幸いです。
タグ:虐待
並木健司&菅井信行LIVEにて [音楽雑記]
青葉萌ゆる とある日-----
知り合いのギタリスト・並木健司さんのライヴへと 代官山へ。
今日は、ウッドベースの菅井信行さんとのデュオ。
ジャンルは ジャズ。
第一部-----
ニューアルバム「現音」に収められている曲やスタンダード・ナンバーなどを、私の素人耳にも 主張しすぎないと解る穏やかなニュアンスで 奏でられる。
休憩タイム-----
軽い歓談の中、並木さんが、「ブルースロックも好きなんですよ」と仰ったので、思わず、「私、ブルースが一番好きです!」と 勢いづいて発してしまう。
二部が始まるや------
即興で ブルースにまつわる話や演奏を披露してくださった。 今日はジャズライヴであるにも関わらず。
さながら、寿司屋で
「らっしゃい! 鮑 入ってるよ!!」
「鮑なら ステーキが好きだなぁ」
「へい!がってんだ!! お~い フライパーン!!」
と いったところである。
曲目・МC共に がっちり決まっているライヴも決して嫌いではないけれど、こういう 客のわがままに笑顔で応えてくれる 近所の個人商店のようなライヴも、私は かなり好きだったりする。


知り合いのギタリスト・並木健司さんのライヴへと 代官山へ。
今日は、ウッドベースの菅井信行さんとのデュオ。
ジャンルは ジャズ。
第一部-----
ニューアルバム「現音」に収められている曲やスタンダード・ナンバーなどを、私の素人耳にも 主張しすぎないと解る穏やかなニュアンスで 奏でられる。
休憩タイム-----
軽い歓談の中、並木さんが、「ブルースロックも好きなんですよ」と仰ったので、思わず、「私、ブルースが一番好きです!」と 勢いづいて発してしまう。
二部が始まるや------
即興で ブルースにまつわる話や演奏を披露してくださった。 今日はジャズライヴであるにも関わらず。
さながら、寿司屋で
「らっしゃい! 鮑 入ってるよ!!」
「鮑なら ステーキが好きだなぁ」
「へい!がってんだ!! お~い フライパーン!!」
と いったところである。
曲目・МC共に がっちり決まっているライヴも決して嫌いではないけれど、こういう 客のわがままに笑顔で応えてくれる 近所の個人商店のようなライヴも、私は かなり好きだったりする。
映画「SPACY」 [感想文]
飲食店などで、店の雰囲気にぴったりの映像が流れているのは 実にいいものである。
夕の裏浅草の居酒屋で 水戸黄門の再放映であるとか、アンティークなシャンデリアやソファの配されたカフェで 白黒のヨーロッパ映画であるとか、インド料理店なら他でもなく へそを出したきらびやかな美女の舞い踊るインド映画・・・・と。
映し出される映像は、店内の内装や 家具 置物 店員さんのファッション 食器などと相まって、表で食べる・飲むという行為のプラスアルファの大きな愉しみを 強力に後押ししてくれる。
「SPACY」という映画がある。
今や、日本の実験映画界を代表する作家と成った伊藤高志氏により 1981年に創られた10分間の短編で、体育館内部写真が置かれた同体育館のモノトーンの写真 約700枚から構成される スチルアニメーションである。
映像は、先ず、ブルーのグリザイユ調で、パッ パッ と天井があおられる。
次に、置かれた写真に ぐーーーーっと近づくと その写真が画面全体となり、また ぐーーーーっと近づき・・・・、そのスピードはじょじょにアップする。
今度は、横に横にと反復され、そして、先とは逆に、画面全体が 置かれた写真へと ぎゅーーーーっと引き、スピードに比例して 鮮赤が効果的に挿入され、黄色味がかったグリザイユ調なども加わり・・・・ショットはめくるめくテンポで次から次へとたたみこまれてゆく。
つまり、無意識のうちに、鑑賞者は、視覚に於けるあらゆる計算により、引っ張り込まれ 揺さぶられ 翻弄されてしまう訳である。
かのスタンブラッケージのキャメラアイが、意思ある自分の肉体にキャメラが埋め込まれた如き であるのに対し、これは、制御不可能な機材の突端に人間の眼がついた・・・・そんな作品である。
そして、ラストの カメラを構える伊藤氏のセルフポートレートに、突き放されると同時に 「視る という行為を内に向かって改めて考察せざるを得なくなる」という作品の意図が明確に立ち現われる。
無論、劇場の座席で、「映画であること」を真正面から受け止めつつ鑑賞する本来的な観方も有意義ではあるのだけれど、それを踏まえた上で、私は一度、この「SPACY」は 以下のように愉しんでみたい。
終電のとうに了くなった深夜の都心のバー-----
コンクリートと金属の内装に 黒の革張りのソファに斜めに埋もれ、何杯目かも定かならぬウォッカをあおりつつ、壁一面に繰り返し映し出される作品をインスタレーションのようにかぶりながら、思考できぬ思考を展開させる・・・・・
「私は、座っているのか 走っているのか 飛んでいるのか・・・・・果たして、私の眼は私の肉体に今まで通りついているのだろうか・・・???」------と。