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春の山菜 [独り言]
春先の山菜には 苦味の強いものが多い。
これは、野山の獣や虫達にうかつに食べられないように 己れを守らむがための防衛策だと聞いたことがある。
だとすると-----
それらの苦味をこそありがたがり 目を細めて舌鼓を打つ人間というのは、生物界単位からすると、マイノリティーのマニア ということになる。
よく言うところの「○○専」というような。
山菜摘みに野山に分け入る人間を、他の生物達は さぞ奇異の感いっぱいに眺めていることだろう。


これは、野山の獣や虫達にうかつに食べられないように 己れを守らむがための防衛策だと聞いたことがある。
だとすると-----
それらの苦味をこそありがたがり 目を細めて舌鼓を打つ人間というのは、生物界単位からすると、マイノリティーのマニア ということになる。
よく言うところの「○○専」というような。
山菜摘みに野山に分け入る人間を、他の生物達は さぞ奇異の感いっぱいに眺めていることだろう。
タグ:山菜
辛党のおやつ [独り言]
同志 辛党のみなさん、おやつは何を召し上がってやすか?
ポテトチップス トルティーヤチップス とんがりコーン ベビースターラーメン 柿の種 とうがらしの種 わさびの種・・・・・
やはり そのあたりが、辛党スタンダードおやつでやせうか?
ぼんぼちも好きでやす。
でも あっしは、スナック菓子系は、主に夜更けに食しやす。
一晩の飲みを一編のドラマに例えた場合の 起承転結の転に相当する「けっこう酔ひもまわり お腹もふくれてきた頃合いに欲する 味・歯ごたえ共に変調をもたらす カワキモノつまみ」でやす。
昼間や夕方に口に入れることは 殆どありやせん。
何故かといふと------
ソフトドリンクスで食べるには、あっしの口には しょっぱさがやや強く、又、それらは出来ることなら マヨネーズ+ごま油+カレー粉 か アボカドのディップを惜しげなくつけたい からでやす。
+ディップとなると、イメージは 夜の装いに大きく傾き、表を歩きながら というのも物理的に難しくなりやす。
それなら、宵の口以前の食間には何を口に入れているかといふと------
ソースをつけないコロッケの類いでやす。
素直に素朴に男爵コロッケ ちょっぴり贅沢・牛肉コロッケ 気分はマハラジャ・カレーコロッケ ずしんと豪華にメンチカツ・・・・・
そして 最近ハマっているのが アジフライでやす。
オリジンなどで ペーパータオルに包んでいただいて、パクパクやりながら 近所をユラユラ散歩したりしておりやす。
そのうち、トンカツにも手を伸ばしてみやうと考える 春さなかでやす。
タグ:おやつ
個展会場に来た非常識な人達 [画家時代]
私・ぼんぼち、今現在は 教えるのみの立場にありますが、二十代の頃は 絵描きをしておりました。
前々回記事「某ライヴで見た非常識な人達」に続き、今回は、絵描き時代に遭遇した 強烈に負の感情に印象深い人達の話をしたいと思います。
先ず、絵描きがどういう仕組みの中で仕事をこなしてゆくのかを 簡単に説明します。(あくまで私の場合は ですが)
仕事は全て、「画商」と呼ばれる人を通して行われます。
画商は 作品を客に売るだけでなく、額の手配 個展会場の手配 般出入とそれに当たるアルバイトの手配 新聞掲載についての社とのやりとり 個展告知の葉書きの印刷屋への注文 等々、ありとあらゆることをします。
絵描きが直接 客とコンタクトを取ることは禁じられています。
個展会場で客と話をする時は、必ず 画商が傍らにつきます。
そして、連絡先を交換したりしないか、また、客の質問に対して 夢をこわさない いわゆる「創られたメイキング話」をきちんとしているかどうか チェックします。
「創られたメイキング話」を用意しなければならないくらいですから、当然、客に、どんなとんちんかんな どんなみょうちきりんな どんな奇妙奇天烈な どんないんぎん無礼な言葉をぶつけられようと 怒りをあらわにすることは御法度です。
静かに微笑んで応えなければなりません。
非常識とまではゆかないにしろ、とんちんかんな 半ば肯定前提の質問をする人は多かったです。
「音楽は クラシックしか聴きませんよね」とか 「こんなにたくさんの作品を画廊に持ち込むのは 随分 重かったでしょう」とか 「せっかく心を込めて描いた作品が売れて御自身の元を離れてしまうなんて 寂しい
でしょう」とか・・・・。
音楽に関しては「ロックンロールやGSを聴きながら描いています」という事実は口止めされていましたが、「クラシックしか・・・」とまで肯定する必要はなかったので、微笑みながら「いいえ」と答えていました。
また、上に挙げた その他の半肯定質問も 演技をして首を縦にふるべき類のものではなかったので やんわりと本当のことを答えていました。
すると 殆どの人は、愕然とし、「えっ!?・・・そっ・・・そういうものなんですかぁっ???」と、眉間にしわを寄せ 目をまん丸にし 受け入れがたい という感情を前面に出すのでした。
まぁ、その程度は、私も 自分が知らない職業に対しては やはりとんちんかんな認識や発言をしてしまっているかも知れない訳ですし、「しょうがないか」と、顔で笑って心に小さなため息を一つ落とすほどで わだかまりも残りませんでしたが、以下の人達には 流石に、言葉こそ荒立てませんでしたが、静かに微笑み返そうとはみぢんも思えず、血の滲むほど唇を噛み 真っ黒く焼け焦げるほどギロリと相手を睨みつけずにはおれないものがありました。
ぐるぐると作品を一通り観、私が作家であることを認識するや
「こういう優れた絵が描ける人っていうのは、皆 ちょっと知恵が遅れているのよね、山下清みたいに」
と、当たり前という顔で まっすぐに話かけてきた 中年女性。
トントンと一階会場から上ってくるなり
「アンタ、死んだほうがいいっっっ!!」
怒鳴りつつ指差した六十才くらいの男性。
「はぁ・・・・・・・・・何故ですか?」
心の口を唖然と開けながら、極力 穏やかに返すと
「芸術家っていうのは 売れちゃぁいけないんだよっっっ!!」
私は自らが「ゲイジュツカ」だ などというたいそうな者だとは、公言してもいないし つゆも思っていないのに。
絵を売って生活収入を得ているので 絵描き・画家ではありますし、表現の仕事の一つですから 表現者ではありますが。
仮に、百歩譲って 表現者=芸術家 と認め、加えて 表現者は客受けを狙った仕事はせずに我が道を独走するものである という考えもありだと寛大になったとしても、いきなり初対面の人間に開口一番「死んだほうがいい」とは・・・・・。
「あのぉ~~~・・・・売れなかったら どうやって生活すればいいんでしょうか?」
「売れないで飢え死にするのが 芸術家なんだよっっっ!!!」
また、一見 普通に品の良い五十才くらいの御婦人は、あたかも「関西のかたは うどんがお好きなのよね」とでもいうような、言うまでもなく といった口調と面もちで
「絵描きさんて、全員 覚せい剤やってらっしゃるんでしょ。 だから素晴らしい絵が描けるのよね」
と、微笑んできました。
私は一瞬、ここは不条理演劇の舞台なのではないか?と、自分の居る時空を疑いました。
御婦人は、うどんと同じ空気感で「アナタ、犯罪者よね」と、初めて対面する人間に笑んでいるのですから。
「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ??? やってませんけどぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ・・・・」
「えっっっ??? やってないんですか??? やってないのに こんなに描けるんですか???」(笑顔は瞬時に失せ、まるで以って信じられない といった表情)
非常識な人というのは、必ずといっていいほど どんな場にも居るものです。
あらゆる職業の人が、自身の仕事場で 非常識な人間に 一度や二度は遭遇していることと察します。
職業によって、マナーの悪さの向けられ方というのは様々だと思います。
弱い者イジメ的であったり 羨望・嫉妬の裏返しのイジワルだったり 子供のようなワガママだったり・・・・・
前々回・今回と、ライヴで見た 個展会場に来た 非常識な人達を思い返し 書き記しましたが、ここまで書いてきて、こういう理屈なのかなぁ と、曖昧な輪郭ながらも 私なりに推測しました。
あれらの人は、表現の仕事をする者----音楽家 役者 小説家 詩人 舞踊家 画家 陶芸家 彫刻家 等々-----を 自分とは何か根源的にまるで異質な人間だと思い込んでいるのではないだろうか?------と。
だから、わざわざ好き好んでやってきて 平然と 非常識な言動が出来るのではないだろうか?------と。
表現者も 普通の人間です。


前々回記事「某ライヴで見た非常識な人達」に続き、今回は、絵描き時代に遭遇した 強烈に負の感情に印象深い人達の話をしたいと思います。
先ず、絵描きがどういう仕組みの中で仕事をこなしてゆくのかを 簡単に説明します。(あくまで私の場合は ですが)
仕事は全て、「画商」と呼ばれる人を通して行われます。
画商は 作品を客に売るだけでなく、額の手配 個展会場の手配 般出入とそれに当たるアルバイトの手配 新聞掲載についての社とのやりとり 個展告知の葉書きの印刷屋への注文 等々、ありとあらゆることをします。
絵描きが直接 客とコンタクトを取ることは禁じられています。
個展会場で客と話をする時は、必ず 画商が傍らにつきます。
そして、連絡先を交換したりしないか、また、客の質問に対して 夢をこわさない いわゆる「創られたメイキング話」をきちんとしているかどうか チェックします。
「創られたメイキング話」を用意しなければならないくらいですから、当然、客に、どんなとんちんかんな どんなみょうちきりんな どんな奇妙奇天烈な どんないんぎん無礼な言葉をぶつけられようと 怒りをあらわにすることは御法度です。
静かに微笑んで応えなければなりません。
非常識とまではゆかないにしろ、とんちんかんな 半ば肯定前提の質問をする人は多かったです。
「音楽は クラシックしか聴きませんよね」とか 「こんなにたくさんの作品を画廊に持ち込むのは 随分 重かったでしょう」とか 「せっかく心を込めて描いた作品が売れて御自身の元を離れてしまうなんて 寂しい
音楽に関しては「ロックンロールやGSを聴きながら描いています」という事実は口止めされていましたが、「クラシックしか・・・」とまで肯定する必要はなかったので、微笑みながら「いいえ」と答えていました。
また、上に挙げた その他の半肯定質問も 演技をして首を縦にふるべき類のものではなかったので やんわりと本当のことを答えていました。
すると 殆どの人は、愕然とし、「えっ!?・・・そっ・・・そういうものなんですかぁっ???」と、眉間にしわを寄せ 目をまん丸にし 受け入れがたい という感情を前面に出すのでした。
まぁ、その程度は、私も 自分が知らない職業に対しては やはりとんちんかんな認識や発言をしてしまっているかも知れない訳ですし、「しょうがないか」と、顔で笑って心に小さなため息を一つ落とすほどで わだかまりも残りませんでしたが、以下の人達には 流石に、言葉こそ荒立てませんでしたが、静かに微笑み返そうとはみぢんも思えず、血の滲むほど唇を噛み 真っ黒く焼け焦げるほどギロリと相手を睨みつけずにはおれないものがありました。
ぐるぐると作品を一通り観、私が作家であることを認識するや
「こういう優れた絵が描ける人っていうのは、皆 ちょっと知恵が遅れているのよね、山下清みたいに」
と、当たり前という顔で まっすぐに話かけてきた 中年女性。
「アンタ、死んだほうがいいっっっ!!」
怒鳴りつつ指差した六十才くらいの男性。
「はぁ・・・・・・・・・何故ですか?」
心の口を唖然と開けながら、極力 穏やかに返すと
「芸術家っていうのは 売れちゃぁいけないんだよっっっ!!」
私は自らが「ゲイジュツカ」だ などというたいそうな者だとは、公言してもいないし つゆも思っていないのに。
絵を売って生活収入を得ているので 絵描き・画家ではありますし、表現の仕事の一つですから 表現者ではありますが。
仮に、百歩譲って 表現者=芸術家 と認め、加えて 表現者は客受けを狙った仕事はせずに我が道を独走するものである という考えもありだと寛大になったとしても、いきなり初対面の人間に開口一番「死んだほうがいい」とは・・・・・。
「あのぉ~~~・・・・売れなかったら どうやって生活すればいいんでしょうか?」
「売れないで飢え死にするのが 芸術家なんだよっっっ!!!」
また、一見 普通に品の良い五十才くらいの御婦人は、あたかも「関西のかたは うどんがお好きなのよね」とでもいうような、言うまでもなく といった口調と面もちで
「絵描きさんて、全員 覚せい剤やってらっしゃるんでしょ。 だから素晴らしい絵が描けるのよね」
と、微笑んできました。
御婦人は、うどんと同じ空気感で「アナタ、犯罪者よね」と、初めて対面する人間に笑んでいるのですから。
「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ??? やってませんけどぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ・・・・」
「えっっっ??? やってないんですか??? やってないのに こんなに描けるんですか???」(笑顔は瞬時に失せ、まるで以って信じられない といった表情)
非常識な人というのは、必ずといっていいほど どんな場にも居るものです。
あらゆる職業の人が、自身の仕事場で 非常識な人間に 一度や二度は遭遇していることと察します。
職業によって、マナーの悪さの向けられ方というのは様々だと思います。
弱い者イジメ的であったり 羨望・嫉妬の裏返しのイジワルだったり 子供のようなワガママだったり・・・・・
前々回・今回と、ライヴで見た 個展会場に来た 非常識な人達を思い返し 書き記しましたが、ここまで書いてきて、こういう理屈なのかなぁ と、曖昧な輪郭ながらも 私なりに推測しました。
あれらの人は、表現の仕事をする者----音楽家 役者 小説家 詩人 舞踊家 画家 陶芸家 彫刻家 等々-----を 自分とは何か根源的にまるで異質な人間だと思い込んでいるのではないだろうか?------と。
だから、わざわざ好き好んでやってきて 平然と 非常識な言動が出来るのではないだろうか?------と。
表現者も 普通の人間です。
タグ:個展
某ライヴで見た非常識な人達 [音楽雑記]
先日、好きなバンドの出演するライヴに行きました。
一階・スタンディング 二階・座席指定形式の大バコでのツーマンライヴ、方向性は 60年代ロックンロールです。
私の席は 二階二列目中央で、私の前の一列目のお客さんが座ったままで観ていたために、一階のお客さんの様子が 終始 詳らかに解りました。
その中に------勿論、全体数からすると ごく一部ですが、非常識な人達が居、一寸 触れずに過ぎずにはおれないものが 今だに私の内にとぐろを巻いているので、今日は そのことを記事にします。
ステージが始まる迄、私は 二階の手すりにもたれて ビール片手に 一階のお客さん達の頭などをぼんやりと眺めていました。
2000人以上は裕に居るなぁ とか、前の方は ほぼ隙間のない状態でみつに立っているなぁ とか、この真下は音響調節のブースになっているのだなぁ とか思いながら。
辺りが暗くなり、自分の席につき待機するや、先ず、私の目当てのバンドが登場し、ゴキゲンに音符が弾み出しました。
と、間もなく-----
一階前方やや上手寄りに、ステージの方を向かずに 10人くらいで低い姿勢で輪になっている一団が目に入りました。
一瞬間、ツイストを踊っているのかな? と思いました。
それにしては 身体がねじれるように揺れていないので 何だろう? と気になりました。
が、ややもして、その一団は肩を組み ぐるぐると廻り始めたのです。
まるで、ステージという山を背景に 他のお客さんという草原に分け入って キャンプファイヤーでもしているように。
曲が進むにつれ、その輪は小さくなり、揃ってしゃがみ込み、一斉にジャンプし、今度は、肩にかけた腕を伸ばしながら 背中で周囲のお客さんをぐいぐい押し退け 見る間に広がってゆきました。
そして又 小さく、そして又・・・・と。
一方、ダイブし、スタッフに引きずり降ろされ、退場を命じられ、ウェイティングバーへと消えた青年が6人いました。
中には、英雄気取りで 他のお客さん達に手を振りながら悠然と歩き去る人も・・・・。
私の目当ての次に登場した米国のバンドの演奏中には、氷の入ったプラスチック・グラスが投げつけられ ドラムセットに砕け散ったり、ケータイで動画撮影をする人もいました。
又、二階席では-----
開演前に私がビールを手にしていた場所に 中年の男の人が後方から出て来て タバコをふかし始めました。
手すりにかけた手の先からは、はらはらと 灰が一階に舞い落ちていました。
私は、最初に登場したバンドのライヴは、昨年秋の日本武道館公演に一度行っていますが、その時は マナーの悪いお客さんは目につきませんでした。
飲食禁止の全席座席指定だったために、悪さをしようとしても不可能だったのでしょう。
対して今回は、「ライヴハウス」という場のイメージから、ワルぶってハメを外すのがカッコイイという認識もあったのかも知れません。
モノを投げつけたり 灰を音響ブースに落としたり 勝手に撮影したりは、あえて言うまでもなく どんなライヴでもいけない行為ですが、私は、如何なる方向性のステージに於いても 輪踊りやダイブがいけない とは思いません。
しかし-----
「みんなが一つになってこそ」と呼びかけ、演奏後は深々とおじぎをするメンバー+多くのお客さん達 と あれら一部の人の間には、どうしても 「同時空の共有」というものが感じられませんでした。
つまり、あの人達は、本当に バンドの発する音に誘発された結果 あのような感情が湧き出でて あのように身体が動いたのだろうか・・・??? そう疑問を抱かずにはおれませんでした。
基本的には、私達は お金を払って来ている客であり、音以外にも、どこに着目し どんな参加の仕方をするかは 自由だと思います。
会場で売られているTシャツを早速着込んで飛び跳ねるのも、ギターの指使いをじっと見て勉強するのも、ルックスにうっとりと見とれるのも・・・。 演奏者や周囲のお客さんに迷惑さえかけなければ。
私はというと------
50~60年代ファッションを愉しみつつ踊りたい という気持ちが強くあります。
この日も、当時を再現して作った服に 古着屋で見つけたチョコレート色の小さな帽子を斜めにキメて 参加しました。
この愉しみ方は 誰れに迷惑をかける訳でもないので、私は 今後もこのスタンスでゆくつもりです。
又、今回のように、スタンディングと二階座席指定のあるライヴハウスでは、自分の望む愉しみ方に支障のない後者を選択するつもりです。
非常識な人達とは、極力 接近したくはありません。
私はあくまで一観客ですから、こうして選択も出来ます。
所詮は 遊びの内の感情です。
腹の立ち方も たかが知れています。
けれど、仕事でステージに立つ演奏者側の腹立たしさは、観客のそれと比にならないものだと察します。 無論 臆測に過ぎませんが。
でも、私が演奏者だったら・・・と置き換えて考えると、はなはだ不愉快です。 いらだたしさで顔を歪めたくなります。 砂を口いっぱいに押し込まれたような嫌ぁな気持ちに襲いかかられます。
あれらの行為が、演奏者に対して失礼であることなど 行動に出る以前に容易に判断出来る筈です。
何故、自分が好きで支持している表現者に対して そんな失礼な態度が取れるのか、私には 皆目 理解が出来ません。
○一つ短歌を挟んで、4月15日は あっし・ぼんぼちが仕事で遭遇した非常識な人達の話でやす○


一階・スタンディング 二階・座席指定形式の大バコでのツーマンライヴ、方向性は 60年代ロックンロールです。
私の席は 二階二列目中央で、私の前の一列目のお客さんが座ったままで観ていたために、一階のお客さんの様子が 終始 詳らかに解りました。
その中に------勿論、全体数からすると ごく一部ですが、非常識な人達が居、一寸 触れずに過ぎずにはおれないものが 今だに私の内にとぐろを巻いているので、今日は そのことを記事にします。
ステージが始まる迄、私は 二階の手すりにもたれて ビール片手に 一階のお客さん達の頭などをぼんやりと眺めていました。
2000人以上は裕に居るなぁ とか、前の方は ほぼ隙間のない状態でみつに立っているなぁ とか、この真下は音響調節のブースになっているのだなぁ とか思いながら。
辺りが暗くなり、自分の席につき待機するや、先ず、私の目当てのバンドが登場し、ゴキゲンに音符が弾み出しました。
と、間もなく-----
一階前方やや上手寄りに、ステージの方を向かずに 10人くらいで低い姿勢で輪になっている一団が目に入りました。
一瞬間、ツイストを踊っているのかな? と思いました。
それにしては 身体がねじれるように揺れていないので 何だろう? と気になりました。
が、ややもして、その一団は肩を組み ぐるぐると廻り始めたのです。
まるで、ステージという山を背景に 他のお客さんという草原に分け入って キャンプファイヤーでもしているように。
曲が進むにつれ、その輪は小さくなり、揃ってしゃがみ込み、一斉にジャンプし、今度は、肩にかけた腕を伸ばしながら 背中で周囲のお客さんをぐいぐい押し退け 見る間に広がってゆきました。
そして又 小さく、そして又・・・・と。
一方、ダイブし、スタッフに引きずり降ろされ、退場を命じられ、ウェイティングバーへと消えた青年が6人いました。
中には、英雄気取りで 他のお客さん達に手を振りながら悠然と歩き去る人も・・・・。
私の目当ての次に登場した米国のバンドの演奏中には、氷の入ったプラスチック・グラスが投げつけられ ドラムセットに砕け散ったり、ケータイで動画撮影をする人もいました。
又、二階席では-----
開演前に私がビールを手にしていた場所に 中年の男の人が後方から出て来て タバコをふかし始めました。
手すりにかけた手の先からは、はらはらと 灰が一階に舞い落ちていました。
私は、最初に登場したバンドのライヴは、昨年秋の日本武道館公演に一度行っていますが、その時は マナーの悪いお客さんは目につきませんでした。
飲食禁止の全席座席指定だったために、悪さをしようとしても不可能だったのでしょう。
対して今回は、「ライヴハウス」という場のイメージから、ワルぶってハメを外すのがカッコイイという認識もあったのかも知れません。
モノを投げつけたり 灰を音響ブースに落としたり 勝手に撮影したりは、あえて言うまでもなく どんなライヴでもいけない行為ですが、私は、如何なる方向性のステージに於いても 輪踊りやダイブがいけない とは思いません。
しかし-----
「みんなが一つになってこそ」と呼びかけ、演奏後は深々とおじぎをするメンバー+多くのお客さん達 と あれら一部の人の間には、どうしても 「同時空の共有」というものが感じられませんでした。
つまり、あの人達は、本当に バンドの発する音に誘発された結果 あのような感情が湧き出でて あのように身体が動いたのだろうか・・・??? そう疑問を抱かずにはおれませんでした。
基本的には、私達は お金を払って来ている客であり、音以外にも、どこに着目し どんな参加の仕方をするかは 自由だと思います。
会場で売られているTシャツを早速着込んで飛び跳ねるのも、ギターの指使いをじっと見て勉強するのも、ルックスにうっとりと見とれるのも・・・。 演奏者や周囲のお客さんに迷惑さえかけなければ。
私はというと------
50~60年代ファッションを愉しみつつ踊りたい という気持ちが強くあります。
この日も、当時を再現して作った服に 古着屋で見つけたチョコレート色の小さな帽子を斜めにキメて 参加しました。
この愉しみ方は 誰れに迷惑をかける訳でもないので、私は 今後もこのスタンスでゆくつもりです。
又、今回のように、スタンディングと二階座席指定のあるライヴハウスでは、自分の望む愉しみ方に支障のない後者を選択するつもりです。
非常識な人達とは、極力 接近したくはありません。
私はあくまで一観客ですから、こうして選択も出来ます。
所詮は 遊びの内の感情です。
腹の立ち方も たかが知れています。
けれど、仕事でステージに立つ演奏者側の腹立たしさは、観客のそれと比にならないものだと察します。 無論 臆測に過ぎませんが。
でも、私が演奏者だったら・・・と置き換えて考えると、はなはだ不愉快です。 いらだたしさで顔を歪めたくなります。 砂を口いっぱいに押し込まれたような嫌ぁな気持ちに襲いかかられます。
あれらの行為が、演奏者に対して失礼であることなど 行動に出る以前に容易に判断出来る筈です。
何故、自分が好きで支持している表現者に対して そんな失礼な態度が取れるのか、私には 皆目 理解が出来ません。
○一つ短歌を挟んで、4月15日は あっし・ぼんぼちが仕事で遭遇した非常識な人達の話でやす○
タグ:ライブ
モツのキンカン [独り言]
鶏モツの部位に「キンカン」というのがある。
雌鶏の体内から取り出した 卵として産み落とされる以前の 黄身のつらなったものである。
私は、モツ類の豊富なスーパーなどで このキンカンを目にする度に、未だ陽の目を見ぬブログ記事のつらなる己が脳内を覗く思いがする。
ノオトに草稿し あとは細部を確認しながらキーボードに向かうまでに育った作品、テーマは膨らみ張りつめ どんな切り口でゆこうか愉しく逡巡している小説以前の小説、スナップ写真のような 一寸した見聞の鱗片の段階のもの、訴えたいと歯がみしながら言葉にできずにいる マグマさながらにねっとりとたぎる感情・・・・
記事にしたいことは あとからあとから産まれ出ずる。
どれほど長生きして死んだところで、私の脳内は モツのキンカンなのかも知れない。


雌鶏の体内から取り出した 卵として産み落とされる以前の 黄身のつらなったものである。
私は、モツ類の豊富なスーパーなどで このキンカンを目にする度に、未だ陽の目を見ぬブログ記事のつらなる己が脳内を覗く思いがする。
ノオトに草稿し あとは細部を確認しながらキーボードに向かうまでに育った作品、テーマは膨らみ張りつめ どんな切り口でゆこうか愉しく逡巡している小説以前の小説、スナップ写真のような 一寸した見聞の鱗片の段階のもの、訴えたいと歯がみしながら言葉にできずにいる マグマさながらにねっとりとたぎる感情・・・・
記事にしたいことは あとからあとから産まれ出ずる。
どれほど長生きして死んだところで、私の脳内は モツのキンカンなのかも知れない。