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 幸雀シャンソンライヴ そして「ノラや」にて打ち上げ  [音楽雑記]

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11月某日、高円寺ガード下。
多目的スペース「koenji HACО」柿落し公演へ。
歌舞伎役者の松本幸雀さんが女形で歌うシャンソンを愉しみに。

先ず、オーナーである せい子さんの挨拶。
せい子さんは、今回オープンの「HACО」の他に、すでに、同ガード下に ギャラリー&ミュージックバー「ノラや」と 南口にも 二店ほどの飲食店を営られている。
客入れの手際良さや挨拶の文言からも 流石 何店もの店を切り盛りされるだけの技量のあるかただなぁと思いつつ、紙コップの赤ワインをかたむける。

せい子さんの介錯により 幸雀さんが登場する。
紫鳶色のお着物に菜種油色の帯、小指には 今では貴重な見事な血赤珊瑚の指輪・・・・
そして、悲しい女の人生が 低く響くお声を舟として 次々と目の前に立ち現われる。
言葉の一つ一つの、さながら血赤珊瑚の奥深さと艶と生命力に 呼吸も忘れて魂を奪われる。
表現というものは、決して、先ず方法論ありきで 歩み始めてから何が言いたいかを探すのではなく、表現せずにはどうにもこうにもいられない己れの内を放出させる為の手段として 何らかの表現形態を選ぶものであるという その根源性を 強烈に突きつけられる。
殊、「男には男の都合が 女には女の都合が・・・」の件りは、ことのほか声を張られた所ではなく、むしろ さらりと発せられたにも関わらず、一瞬間 涙ぐんでしまうほどだった。

後、「ノラや」にて打ち上げ。
幸雀さんは、マイクをグラスに持ち替えた店内でも艶っぽく、芝居でいうと「役が抜けない」状態というか、歌の登場人物の尾を引いているようにお見受けした。
歌舞伎に明るい上品な御婦人方 サルサダンサーの美しい女性 声の仕事をされている可愛らしいお嬢さん 音楽は総ジャンルこなされるというギター担当の並木さん、そして 普段から「ノラや」を任されている岡本さんらと話も弾み、一方、ただただ食べる人 酔いの奈落に果てなく堕ちゆく人なども目の当たりにし、私の矮小な精神のHACОも少しだけ広がった 実に実り多き一日だった。

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タグ:松本幸雀
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 味噌汁  [短歌]



         泥鏡 覗ひてみても混ぜみても 我が家庭(いえ)は亡き 泥 濁るのみ


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 映画「憂国」  [感想文]

今日は、映画「憂国」を通して、作品のバランスとエネルギーについて考察したいと思います。
「憂国」は、かの三島由紀夫の同名小説を、氏 自らが 制作・監督 さらには主演までもを担って1965年に創られた 白黒の短編劇映画です。

二二六事件の中、仲むつまじい新婚であることを理由に 同志から反乱軍への肩をたたかれなかった武山信二中尉は、結果、同志と敵対せねばならぬ立場へ追いつめられ、軍人としての誇りに満ちた判断により、己れに選択すべきは「死」のみであると 割腹死を遂げます。
そして、夫が命を了える時には軍人の妻としてのつとめを果たすべく自らも後を追うのだと かねてから意をかたくしていた妻 麗子も、喉を突き 夫の元に旅立ちます。

シノプシスはこのようなもので、そこに「愛と大儀の結合」という 後期三島こそのテーマが 大きく呼吸(いき)づいています。

小説のほうを先に読み知っていた私は、幾多の戯曲も生み その演出に携わり、又、役者としても スクリーンや板に登場していた このマルチ表現者が、自身の小説をどう映像化しているのか、強く興味を覚えずにはおれませんでした。
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私は 映画がまわり始めるや、「あぁ! なるほど!!」と 心の中に大きく声をあげました。
小説は、何か特異な手法で以って書かれている訳ではなく、いわゆる 一般的なリアリズム形式です。
しかし、スクリーンに映し出された武山夫妻の家は、能舞台を模した白いセットであり、必要な小道具のみ----遺品の畳紙や遺書をしたためる書道具一式や夫人の集める小動物の置物や軍刀など-----が その空間の中に唐突に置かれ、本物の能舞台で松が描かれている位置には「至誠」と書かれた軸が 大きく掲げられていました。
そして、それらの 引くことで構築したセットや小道具に相応しく、登場人物は 無言劇にて 様式的な動きをすすめます。
特に 夫婦最期の交わりのシーンは、二体のギリシャ彫像の如きでした。
-----なるほど、言葉の持つ世界観と 直接的に視覚・聴覚にうったえる映画というものの世界観は別物なのだから、このテーマに突き進むには これが最上級の方法だろう。
もしも、リアルに 畳や襖や生活道具などがはいされ、リアルに 人物が動き台詞を発していたら、この 余りにも現代の一般的概念からは距離のある強固なテーマは 薄まってしまうだろう。
--------と。

「なるほど」「なるほど」と観進むうち、三島演ずる武山が 腹を見せ 刀を手に取り------
ここで私の心は、「・・・・・・」と 絶句してしまいました。
こう様式的に作品を進めているのなら、割腹も同一のトーンに揃えるのが 表現として当然のまとめかたです。
腹に刀を突き立てる
あっ!という武山の顔
夫人の白無垢に飛ぶ小さな血の粒
あっ!という夫人の顔
真一文字に引かれる刀
「至誠」にドッ!と斜めに飛び散る血
武山 ガックリ前のめりに
--------と。
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ところが------
腹からは、おびただしい量の血液のみならず 腸がどろんどろんと飛び出し、武山の皮膚は汗に濡れるばかりでなく 口からは 泡よだれがだらだら垂れるのです。
「どこまで本物のように見せられるか勝負」のスプラッタ物の如き生生しさなのです。
以降、夫人の化粧 自決は 再び様式的となり、ラストの 海を思わせる石庭に一滴の血も見せずに寄りそい眠るように旅立った二人は、まるで 構築を重ねた末に完成した美術作品さながらの象徴美にまで のぼりつめます。

通常、一編の作中で 一部だけ別物のトーンの つまり バランスに欠ける作品は、基本的に、如何なる芸術ジャンルに於いても 秀作とは言えません。
理屈を解らずに観た者ですら「何故だか理由は解らないけれど、釈然としない 変な作品だ」と感ずるものです。
例えば、点描の絵画で 一か所 リンゴだけがツルッツルのマチエールで描かれていたり、現代の日常を舞台としたテレビドラマで 一人だけ 新劇調の動きと台詞まわしの役者がいたり、童話の朗読で 一行だけ 大人向きの小説のように読んだり・・・・と。
効果的に際立たせるために あえて強調したいところを調子を変える というのは、しばしば用いられる手法ですが、変える「度合い」というものが全体のバランスから逸脱してしまっては 効果とは言えないものになってしまいます。

実際、世の中には、作者の力不足や商業的な都合でバランスに欠ける作品が 少なくありません。
前者には 作品観賞に費やしてしまった時間と代金喪失への後悔が、後者には 一心に仕事に臨む役者さんへの同情など ただただ悲しい気持ちだけが残ります。
私は、「どんな作品が優れていると思いますか?」と聞かれたら 一も二もなく「バランスの取れている作品です」と 答えるくらいです。
それほどに、バランスというものは 作品の出来を決定づける重要な要素だと考えています。

憂国4.jpg
しかし--------
それなら この「憂国」も駄作だと思うか? と問われたら-------
確かに 初観の瞬間は 余りの予想外の変調に言葉を失ってしまいましたが、この作品に限っては 首を縦にふれないものがあります。
何故なら------
この作品は アンバランスであるにも関わらず、それを遥かに超えるエネルギーがさく裂しているからです。
観る者は、変調にあ然としつつも バランスの欠如に眉をひそめるいとまなく この 尋常ならぬエネルギーに 心を奪い去られます。
尋常ならぬエネルギーとは 言うまでもなく、最終的には 氏が 表現の世界にとどまらず具現化してしまった 氏 ならではの「美学」です。
----三島氏の内に 余りにこのエネルギーが強かったために、氏からしたら「効果的な際立たせ」のつもりが 客観的には「バランスからの逸脱」になってしまったのに他ならないのです。 私はそう考えます。
こういったエネルギーには-----エネルギーの方向性・内容に共感できるかどうかは別問題として-----バランスの欠如など どうでもよくなるくらいに 心を突き動かされるものです。
さらには、やはり 方向性・内容は 如何なるものだとしても、これほどのエネルギーには そうそう遭遇できはしないものです。

「憂国」は、以上の観点からも、非常に貴重な、日本映画史に永遠に残り続ける作品である と思います。
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 三叉路  [俳句・川柳]


                    

                  半身(はんみ)のみ陽にあたりゐし男去り



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 猫でもしゃべれる英会話  [独り言]

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私の住む街・西荻窪の駅前ビルにでかでかと貼られた 英会話教室の看板に「猫でもしゃべれる英会話」というのがあった。
それを目にする度に、いつも 私の気持ちは、広々とした川の小石のように角が取れ、自然、口角は ほんのりと上るのだった。
が、いつの頃からか、そのコピーは 消えていた。
英会話教室じたいは同じ場所にあるようで、今は ありきたりに、教室名だけが無表情にこちらを見下ろす。

何故、かつての 虚構街道ど真ん中を疾走するあの名文句が外されてしまったのか 私には知る由もないが、もしも、真顔で眉をひそめ「看板に偽りありだ!」と クレームを出す人がいたためだったとしたら ちょっと寂しい。
勿論、何年か前の某ケータイ会社のように、リアルにただただ紛らわしいのは問題ありだが、誰もが一目してジョーク・ユーモア以外のなにものでもないと判断できるものは かまわないじゃないか、もっともっと街に溢れていていいじゃないか と思う。
行き交う人々の口角は、あと二ミリづつ上るに違いない。

例えば-----
スーパーの野菜売り場のプレートには、こんなのはどうか。
どんなキツネにも酸っぱいと言わせないブドウ
カッパのかたに限り半額のキュウリ
桃太郎が出てきたら「当たり!」で もう一個プレゼントのモモ

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 灯  [短歌]



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              べかべかと朱の唇でよく笑ふ女の運ぶチャンポン ビール




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 流行にまつわるモノローグ・Ⅱ  [独り言]

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前回記事「流行にまつわるモノローグ・Ⅰ」で告白した通り、私は 恥ずかしながら、三十代半ばにして ようやっと、「流行」というものの構造を把握し、しかしながら 相変わらず、流行に乗る人達の心理の内側----何故そうなのか-----までは 理解できずにいる。

そして、流行だからと乗る人達もまた、私のような者の心理が、やはり 理解不可能の場合が多いようである。
聞かれるままに「好きなもの・嫌いなもの」を幾つか挙げると、「変わってるってことがカッコイイと思ってるんでしょ」とか 「流行ってないもの全てが好きで 流行ってるもの全てが嫌いなんですね」とか 「今 流行ってるものも 流行りが終わったら好きになるんですね」などと、こちらが真面目に説明しようというエネルギーを 夏から秋への向日葵のコマ落とし映像のように へにゃりと萎えさせてしまう あさっての納得をされてしまうことがしばしばある。

確かに私は 変わっているとよく言われるが、変わっていることがカッコイイとか価値があるとか偉いなどとは みじんも思っていない。
むしろ、物心ついた頃から 大人達に否定的に眉をひそめられ続けてきたので、それは 逆に強いコンプレックスであり、一時は、多くの同世代の者が好きだというものを自分も好きになろうと 自室で秘かに自己暗示にかけようとしたり、周囲に 自分も好きだと嘘をついてみたりしていた。
しかし、好きになれないものは好きになれる筈もなく、ただただ己れを苦しめる 精神状態を悪化させるだけの徒労だと 嫌というほど身に染みたので 止めたのだ。
他人にどう思われようと、自分に偽りなく楽でいることを選んでいるのである。

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又、好きになるものは、大抵、過去に流行ったものか まるで流行っていないものが殆どで、しかし、リアルタイムで流行っているもので好きなものが存在する場合も ごく稀にある。
何故「ごく稀」か というと、今現在 流行っているものより 過去に流行ったものや まるで流行っていない・いなかったもののほうが 数が圧倒的に多いからに他ならない。
必然、数の少ない「今現在 流行っているもの」と 自分の欲しているものが ピタリと一致する確率は非常に低く、又、ゼロである筈も ない。

そして 私は、極めて気が変わりにくいので、どれほど時が経過しようと、嫌いだったものが好きになったり その逆 ということも、まず ない。

別段 他人に解ってほしいと思っているわけではないので、最近は面倒くさいので 心は十月の向日葵になりつつも 八月の向日葵の顔で「そうそう、そうなんですよー」と、話を終わらせている。
が、もしも ここに述べた丸裸の理由を理解してくれる人に出逢えたら、正直なところ、その先の願望を打ち明けてみたい気持ちも ある。
「時空を行き来して 未来に出現するものからも選択できたら どんなにか楽だろうに!!」----------と。
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タグ:流行
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 流行にまつわるモノローグ・Ⅰ   [独り言]

個人が欲していたものと 世の中に売り出されていたものが たまたま偶然に 同じタイミングでピタリと一致し、加えて、たまたま偶然に 同じタイミングで同様の人が多かった結果が「流行」というものなのだと、私は、非常に恥ずかしながら 三十歳くらいまで 何の疑問も抱かずに思い続けていた。
つまり、流行というものの構成要素に「偶然」以外の何ものかが含まれている筈などあるまい----------と。
何故そう思い続けていたかというと、私自身も人生の中で 好きになったものがリアルタイムで流行っていた という経験が幾つかあるが、その間の関係性は 例外なく 単なる「偶然」、ただそれだけだったからだ。

しかし その認識は、三十代初めに気付かされた矛盾点をきっかけに、何年後かには、全くはなはだ見当違いであったと はっきり認めないわけにはゆかなくなった。

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矛盾点というのは-----
世の中には、次から次から次から次へと 何らかの分野の何らかの、爆発的な あるいは些細な、又、長期的な あるいは あっという間に終わりを告げる流行が起こるのであり、もしも 私の認識が正しかったとすれば、個人の嗜好×売り出されているもの×多人数 この三要素が重なり合う極めて低い確率の偶然が次々と起こることなど 余りにも現実として考えにくい。
又、一人の人間を軸として考えた場合にも、流行っているもの あるいは かつて流行ったものがリアルタイムで あれもこれも好き・好きだった という人は 世の中に少なからずいるわけで、自身の欲するものが その時ちょうど売り出されている ということ自体が 宝くじに当たるような偶然なのに、一人の人間の人生の中で それが次々と起こるなど、まさに 宝くじに毎年当たるようなラッキー続きである。
そんな類いまれな幸運者が あっちにもこっちにもいるなんて、やはり、明らかに 浮世ばなれした話である。

だが、現実に 次々と 様々な分野に於いて 大小長短の流行は勃発し、好きになったものが あれもこれも流行っている・流行った という人が、別段、嘘をついている様子も 無理して格好つけている風もなく、現に 私の身近にも存在する。

私は、三十代の内の何年間か、事あるごとに、周囲の幸運者達を観察したり 心理学に明るい友人に教えを乞うたりして、この矛盾の解決-----私の認識の誤りの修正につとめた。

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結果-----
流行というものの構成要素の内、「偶然」の占める割合は ごく僅かで、以下の二要素が大きいのだという結論に辿りついた。
二要素というのは-----
まず一つは、世の中には「これが流行りますよ」「これが流行ってますよ」と くり返しくり返し情報を与え続けられると、なんとなく自身もそれが好きになる という人が多いのだということ。
二つめは、許容範囲の非常に広い人 というのも少なくなく、同じ「当たる」にしても 宝くじほどの低確率ではなく コインの裏か表か くらいだったりする ということ。
そして、構成要素が「偶然」よりも これらのほうが圧倒的に大きな比重を占めるとなると、理論的に そこに当てはまる人達の心理をくすぐり 「流行をしかける」ことも充分可能なのであり、計算高い流行しかけ人が より高い確率で流行を次々と生み出すことも現実に起こり得る・・・・
というよりも、資本主義社会なのだから 既にとうの昔から さかんに行われていて当然である。

今現在も、私には、これら二要素に当てはまる人が「どうしてそうなのか」までは 解明できていない。
この先は 理屈ではなく心理の問題なので、おそらく 私のような者には 一生 理解できないだろう。
しかし、それらの人達の心の内側に入ってゆくことは不可能だとしても、大まかな輪郭を把握できただけでも、こんな私にとっては、大きな収穫なのである。

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    ---------「流行にまつわるモノローグ・Ⅱ」は、次回 11月11日に公開しやす---------
 
タグ:流行
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 神田古本まつり  [短歌]



         古書古書の切り通しの中すすみ入る 西陽に向かひ我れに向かひて



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           ※左より
           がん・生と死の謎に挑む 立花隆・NHKスペシャル取材班
           映像の発見・アヴァンギャルドとドキュメンタリー 松本俊夫
           鳥づくし・【続】真説・動物学体系 別役実
           現代の演劇2・演劇の理論と歴史 木下順二・鈴木力衛 監修
           現代社会の差別構造 栗原彬【編】
           三島由紀夫・死と真実 ヘンリースコット・ストークス 徳岡孝夫 訳

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 シミ   [詩・詞]

  とっておきの純白のTシャツを おろした
  雑踏で すれ違いざまに コーヒーがかかった
  シミになった
  帰ってすぐに洗ったが シミは消えなかった

  諦めずに くり返し洗った
  こんなシミ いつか消してやるぞと誓って くる日もくる日も洗い続けた
  シミを消すことに 心血を注いだ
  シミは 薄くなった

  まだだまだだと 洗い続けた
  シミを消すために 日日(にちにち)を生きた
  完全にシミが消えたので 物干し竿に勇み通し はっとした
  ここにあるのは もはやTシャツなどではなく 荒野にちりぢりにひるがえる敗者の白旗なのだ と

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