この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。
「不思議惑星 キン・ザ・ザ」 [感想文]
今日 紹介するのは、映画「不思議惑星 キン・ザ・ザ」です。
「好きな海外の劇映画を三つだけ教えてください」と言われたら、私は必ず 中にこれを挙げます。
それくらい この作品は、映画が映画であるという意味 表現をするということはどういうことなのか 何の為に表現をするのか という芸術の根源性を これ以上は無いというほどシニカルに 見事な計算でもって撮りあげた 世界の映画史に残る大傑作だと思うからです。
創られたのは 1986年 ソ連、グルジア人であるゲオルギー・ダネリア監督によってです。
話の大きな流れは-----
冬のモスクワの街頭で 「異星人だ」と名乗る貧相な裸足の男の手にする瞬間移動装置を 軽くあしらう目的で押してしまったモスクワの技師と 地方から出て来ていたグルジア人学生が、キンザザ星雲の とある星にワープしてしまい、二人は 帰還する術を求めて、異星の 呆れかえるほど馬鹿馬鹿しく理不尽な 法や秩序や常識に翻弄され、ラストは 時間の進んでいないモスクワの街に帰りつく
----というものです。
つまり、ペレストロイカ以前のソ連を 寓意いっぱいに描いた作品 ということです。
寓意は、ロケ場所や大道具・小道具の細部に至るまで 実に的を射た選択がなされ、観る者の苦笑を呼ばずにはおれないものがあります。
瞬間移動した先の星は 荒涼とした砂漠であり、宇宙船は まるで廃材で創ったオブジェ、街は どう観ても廃屋。
その星の住人は 乞食さながらの身なりで、社会的地位を知るための測定装置は 緑に光るかオレンジに光るかの小さな金属片。
星中で最も価値のあるものはマッチで、マッチさえあれば 極めて高い地位の者にしか許されない赤や黄のステテコをはくことも可能である------と。
こうして観客は、劇中の地球人二人とともに 「呆れかえって もう 笑うしかない」というところに 感情を持ってゆかれます。
同時に 私達日本人は、「ソ連の人達は、日々 こんな気持ちで暮らしていたのだろうなぁ」と、感覚的に 内側からやんわりと しかし確実に 突かれる思いがします。
私が、映画 ひいては芸術全般に於いて その存在意義を最も強く感ずるのは ここなのです。
無論、史実として ニュースとして、先ず そういう形で、他国・他者の現実を知るのは必須です。
けれど、理屈上理解できても、そこに生きる人々の言葉にできない感情というのは なかなか把握しづらい。
そういった部分を、すっと 我々の内側に入り込んで教えてくれるのが、芸術というものの重要な役割のひとつなのだと思います。
それにしても「呆れかえって もう 笑うしかない」状況-----
日本が、これから そう 転がり堕ちてゆかないことを願います。


「好きな海外の劇映画を三つだけ教えてください」と言われたら、私は必ず 中にこれを挙げます。
それくらい この作品は、映画が映画であるという意味 表現をするということはどういうことなのか 何の為に表現をするのか という芸術の根源性を これ以上は無いというほどシニカルに 見事な計算でもって撮りあげた 世界の映画史に残る大傑作だと思うからです。
創られたのは 1986年 ソ連、グルジア人であるゲオルギー・ダネリア監督によってです。
話の大きな流れは-----
----というものです。
つまり、ペレストロイカ以前のソ連を 寓意いっぱいに描いた作品 ということです。
寓意は、ロケ場所や大道具・小道具の細部に至るまで 実に的を射た選択がなされ、観る者の苦笑を呼ばずにはおれないものがあります。
瞬間移動した先の星は 荒涼とした砂漠であり、宇宙船は まるで廃材で創ったオブジェ、街は どう観ても廃屋。
星中で最も価値のあるものはマッチで、マッチさえあれば 極めて高い地位の者にしか許されない赤や黄のステテコをはくことも可能である------と。
こうして観客は、劇中の地球人二人とともに 「呆れかえって もう 笑うしかない」というところに 感情を持ってゆかれます。
同時に 私達日本人は、「ソ連の人達は、日々 こんな気持ちで暮らしていたのだろうなぁ」と、感覚的に 内側からやんわりと しかし確実に 突かれる思いがします。
私が、映画 ひいては芸術全般に於いて その存在意義を最も強く感ずるのは ここなのです。
無論、史実として ニュースとして、先ず そういう形で、他国・他者の現実を知るのは必須です。
けれど、理屈上理解できても、そこに生きる人々の言葉にできない感情というのは なかなか把握しづらい。
そういった部分を、すっと 我々の内側に入り込んで教えてくれるのが、芸術というものの重要な役割のひとつなのだと思います。
それにしても「呆れかえって もう 笑うしかない」状況-----
日本が、これから そう 転がり堕ちてゆかないことを願います。
タグ:不思議惑星キンザザ
味噌汁・一口二口 [独り言]
味噌汁というものが 昔から どうも好きではない。
だから「好きな味噌汁の具は何ですか?」などと問われると ちょっと困ってしまう。
こういう質問は、たいてい 話の潤滑剤として 笑顔を交わし合はむとするために投げかけてくれているので、「味噌汁は好きではないので 殆ど飲みません」と、どんなにていねいに答えた所で 相手の好意を損ねてしまうからだ。
「ワカメと油揚げが一番で、葱も欠かせないですね」と言えば、相手は
「ほぅ、葱は 小口切りを 椀にぱらりと浮かべるのですか? それとも 拍子切りにして ちょっと火を入れるのですか?」と 口角を上げ、
「具は大根で、出汁は煮干しに限ります!」と返せば
「そうそう、大根に煮干しの出汁は合いますよね! で、お宅は 大根は千六本ですか? 銀杏切りですか?」と 目尻を下げるのである。

そう答えれば向うが喜ぶと解っているのだから 嘘も方便で そんな類いのことを言っておけばいいじゃないか、と思う向きもあるかも知れないが、仕事でもないのに 好きでもないものを好きだと偽って笑顔を作るのも 自分の性分には耐えがたいものがある。
しかも そう答えてしまった場合、「そうでしたか! なら、今度 味噌汁の美味い店にご案内しますよ!!」と、好意を行動に移されてしまう恐怖も 充分に考えられるのである。
正直、美味しいなぁと 飲み干す味噌汁もある。
二年に一度くらい奮発して 割烹で 伊勢海老のお造りを頼んだ時に後で出てくる 真っ赤なヒゲが 椀からこれ見よがしに飛び出た赤だしである。
しかし、共に笑顔になるための投げかけに 事もなげに「伊勢海老」は、みるみる相手の口がへの字に曲がり、「いやみな奴」として その人の友人リストから外されてしまうのは 目に見えている。
こちらだって、嘘も言いたくない代わりに 相手を不快にさせたくもない。 仲間はずれにされるのは もっと嫌だ。

又、以前 一度作ってみた 京都の白味噌に牛乳をたっぷり入れたグリンピースのそれが ポタージュのようで嗜好に合ったので そう答えたら
「アナタは 味噌汁に至るまで変わっているんですね」と言はむばかりの ガラスを何十枚も隔てたような目つきをされたので これも却下とした。
と 先日、お茶の水の 学生相手に弁当を売るワゴン車に 弁当は全て売り切れなのに 味噌汁だけが十個近く並んでいた。
代金を払って弁当は受け取っても味噌汁はいらない という学生が随分いた ということである。
そういえば、最近は、潤滑剤としての味噌汁話を投げかけられることが 少なくなったようにも思う。
自分のように味噌汁を好まない日本人が増えているのだろう。
味噌汁を愛してやまない人達にとっては ゆゆしき事態かも知れないが、自分は今、胸を どん!と叩いて待機する。
「好きなラーメンの具、いくらでも聞いてくれ!」と。


だから「好きな味噌汁の具は何ですか?」などと問われると ちょっと困ってしまう。
こういう質問は、たいてい 話の潤滑剤として 笑顔を交わし合はむとするために投げかけてくれているので、「味噌汁は好きではないので 殆ど飲みません」と、どんなにていねいに答えた所で 相手の好意を損ねてしまうからだ。
「ワカメと油揚げが一番で、葱も欠かせないですね」と言えば、相手は
「ほぅ、葱は 小口切りを 椀にぱらりと浮かべるのですか? それとも 拍子切りにして ちょっと火を入れるのですか?」と 口角を上げ、
「具は大根で、出汁は煮干しに限ります!」と返せば
「そうそう、大根に煮干しの出汁は合いますよね! で、お宅は 大根は千六本ですか? 銀杏切りですか?」と 目尻を下げるのである。
そう答えれば向うが喜ぶと解っているのだから 嘘も方便で そんな類いのことを言っておけばいいじゃないか、と思う向きもあるかも知れないが、仕事でもないのに 好きでもないものを好きだと偽って笑顔を作るのも 自分の性分には耐えがたいものがある。
しかも そう答えてしまった場合、「そうでしたか! なら、今度 味噌汁の美味い店にご案内しますよ!!」と、好意を行動に移されてしまう恐怖も 充分に考えられるのである。
正直、美味しいなぁと 飲み干す味噌汁もある。
二年に一度くらい奮発して 割烹で 伊勢海老のお造りを頼んだ時に後で出てくる 真っ赤なヒゲが 椀からこれ見よがしに飛び出た赤だしである。
しかし、共に笑顔になるための投げかけに 事もなげに「伊勢海老」は、みるみる相手の口がへの字に曲がり、「いやみな奴」として その人の友人リストから外されてしまうのは 目に見えている。
こちらだって、嘘も言いたくない代わりに 相手を不快にさせたくもない。 仲間はずれにされるのは もっと嫌だ。
又、以前 一度作ってみた 京都の白味噌に牛乳をたっぷり入れたグリンピースのそれが ポタージュのようで嗜好に合ったので そう答えたら
「アナタは 味噌汁に至るまで変わっているんですね」と言はむばかりの ガラスを何十枚も隔てたような目つきをされたので これも却下とした。
と 先日、お茶の水の 学生相手に弁当を売るワゴン車に 弁当は全て売り切れなのに 味噌汁だけが十個近く並んでいた。
代金を払って弁当は受け取っても味噌汁はいらない という学生が随分いた ということである。
そういえば、最近は、潤滑剤としての味噌汁話を投げかけられることが 少なくなったようにも思う。
自分のように味噌汁を好まない日本人が増えているのだろう。
味噌汁を愛してやまない人達にとっては ゆゆしき事態かも知れないが、自分は今、胸を どん!と叩いて待機する。
「好きなラーメンの具、いくらでも聞いてくれ!」と。
タグ:味噌汁
あっしが乾燥ワカメだったころ [小説]
シャッ!
紙が破かれる音とともに あっしは、フゥと 呼吸(いき)づきやした。
サラサラ・・・
アルミの小さなボウルに あっしの細かにカットされた身体が 投げ入れられやした。
シャーーー
あっしの上に、なみなみと 水道水が注がれやした。
あっしは、ちりぢりの身体のあちこちが ほろ ほろ と 柔らかくなってゆくのを感じやした。
------これは、あっしが前世で 乾燥ワカメだったころのお話しでやす。
薄桃色のツヤツヤの爪が、チョンチョンと 軽く あっしを水中に圧し入れ、淡い黄色のヒヨコが一面に描かれたパジャマらしい袖が、ボウルのあっしの頭上から離れやした。
パチン!と 灯りが落とされやした。
ブクブク ブクブク ブクブク
言うまでもなく、あっしは 膨らみ始めやした。
ブクブク ブクブク ブクブク
海にいたころの記憶など すでに まるきし失くしていたあっしでやしたが、細胞の一つ一つに刻みこまれているのか あっしは 本来のワカメらしい姿へと ただひたすらに突き進んでゆくようでやした。
しかし、膨らみ始めたあっしは、すぐに あっし自身の身体の量と注がれた水に対して ボウルが あまりにも小さすぎることに気付きやした。
このままでは 見る間に 膨らんだあっしは、ボウルから溢れ出してしまいやす。
しかし、そうと解ったところで あっしにはどうすることもできやせん。
ヒヨコのパジャマは戻る気配もなく、闇の向うから スースーと かすかな寝息が聞こえてくるばかりでやす。
おそらく、明日のデートのためのお弁当を作る娘さんか 早い朝食の下準備の若奥様か------いずれにしろ、乾燥ワカメがどのくらい膨張するのか まるで知らぬ者であるのは確かでやした。
ブクブク ブクブク ブクブク
あっしは、ボウルのフチよりも高く盛り上がりやした。
ブクブク ブクブク ブクブク
ズルッ
あっしの一部が ボウルの外側をなぞりやした。
ズルッ
もう一度 同じ所をなぞりやした。
そして、ステンレスのキッチン台の上に ドロリと落ちやした。
十二分に予測はしていたものの「しまった!」という思いが、あっしの底から圧しあがってきやした。
が、「しまった」と思おうが思うまいが
ベシャ
今度は もう別のフチから溢れやした。
ズルーーーーーー
キッチン台の下の真っ白な収納扉に 縦に長々と 楕円の形にだらしなくずり落ちやした。
ズルーーー
ズルーーー
ズルーーー
何度目かの楕円の後、ピカピカに磨き上げられたフローリングの床に ボトッと にぶく 丸く 落下しやした。
ズルッ ベシャッ ドロッ・・・
あっしの一部は ボウルの四方八方から溢れ出し、ボウルの横に置かれていた赤白チェックのキッチンタオルや オリーブオイルの瓶や 収納扉のリスや猫の形のマグネットや そこに挟まれている「マフィンの作りかた」などと書かれたメモ用紙や 床の上のほわほわの雲と虹の柄のマットにも 落ち広がりやした。
明日の朝、ヒヨコのパジャマは このあっしの海に「キャッ!」と小さく声をあげるに違いないのでやす。
そしてまず、溢れ出したあっしは如何にも汚いもののように指の先っちょでつまみあげ、玉子のカラやニンジンの尻尾なんかの腐りながら詰まっている生ごみの箱に 投げ捨てるのでやす。
一方、ボウルの中のあっしは、「大切なもの」として 両手の平でていねいに水けを絞り、何らかの料理にと 華々しく昇華させるのでやす。
ボウルの中のあっしは サラダにされるのかジャコと一緒に炒められるのか葱とスープに浮かべられるのか 解りやせん。
が いずれにしろ、「大切なもの」「ありがたいもの」「感謝すべきもの」として ていねいに調理され 食べられ つやつやの髪や丈夫な骨になることを願われるのでやす。
「汚いもの」として捨てられるあっしと「大切なもの」として食べられるあっしを分け隔てるものは一体何なのか-----
それは、ただ ボウルから溢れ出たか出ないか、-------ただ それだけのことなのでやした。
ボウルの中のあっしもボウルの外のあっしも 同じ栄養価を持った同じ戻ったワカメであることに 何ら変わりはないのでやす。
だからといって、流しや床に落ちたあっしも拾い上げて調理してくれ とは 言えないものがありやした。
ボウルの外に落ちてしまったあっしは、同じあっしの一部であるのを一番解っているあっし自身ですら 汚いと感じるのでやすから。
また、あっしが溢れ出さないほどの大きなボウルを用意しなかったヒヨコのパジャマを責め立てるのも、残酷だと思いやした。
乾燥ワカメを扱い慣れていない若い女は、乾燥ワカメがどれくらい膨張するかなど よく解らなくても仕方がないのでやす。
もとより、あっしの一部をボウルの外側に圧し出し 落としているのは、他ならぬ 底の部分で膨らむあっし自身なのでやした。
あっしは一旦 水を注がれたが最後、自らの意志で膨張を押しとどめることなど 不可能なのでやした。
あっしは あっしの意志とは関係なしに、「大切なもの」と「汚いもの」を製造し続けやした。
これは「理不尽」なこととして憤るに値することなのでやしょうか?
それとも「摂理」として受け入れなければならないのでやしょうか?
-------否、どちらに思ったところで、あっしは あっしが膨張し、同じあっしの一部でありながら 天国と地獄ほどの運命の差異を生み出し続ける行為を どうすることもできないのでやした。
ドロッ ビシャ グジャ・・・・
そうこう考えているうちにも あっしは膨らみ続けやした。
オリーブオイルの横のシーザーサラダドレッシングの瓶も 「マフィンの作りかた」と並んだ菓子材料店への地図も マットの虹の橋を渡る丸顔のチョウチョも、もう そこいらじゅうが あっしで ドロドロのベタベタのグジャグジャでやした。
あたりが薄明るくなってきやした。
あっしはどこまで膨らみ続けるのか あっし自身にも解りやせんでやした。
しかし やはり、あっしは あっしの意志とは関係なしに 膨らみ続けるしかありやせんでやした。
ドロッ
ベシャ
ズルッ
グジャ・・・・・・・・


紙が破かれる音とともに あっしは、フゥと 呼吸(いき)づきやした。
サラサラ・・・
アルミの小さなボウルに あっしの細かにカットされた身体が 投げ入れられやした。
シャーーー
あっしの上に、なみなみと 水道水が注がれやした。
あっしは、ちりぢりの身体のあちこちが ほろ ほろ と 柔らかくなってゆくのを感じやした。
------これは、あっしが前世で 乾燥ワカメだったころのお話しでやす。
薄桃色のツヤツヤの爪が、チョンチョンと 軽く あっしを水中に圧し入れ、淡い黄色のヒヨコが一面に描かれたパジャマらしい袖が、ボウルのあっしの頭上から離れやした。
パチン!と 灯りが落とされやした。
言うまでもなく、あっしは 膨らみ始めやした。
ブクブク ブクブク ブクブク
海にいたころの記憶など すでに まるきし失くしていたあっしでやしたが、細胞の一つ一つに刻みこまれているのか あっしは 本来のワカメらしい姿へと ただひたすらに突き進んでゆくようでやした。
しかし、膨らみ始めたあっしは、すぐに あっし自身の身体の量と注がれた水に対して ボウルが あまりにも小さすぎることに気付きやした。
このままでは 見る間に 膨らんだあっしは、ボウルから溢れ出してしまいやす。
しかし、そうと解ったところで あっしにはどうすることもできやせん。
ヒヨコのパジャマは戻る気配もなく、闇の向うから スースーと かすかな寝息が聞こえてくるばかりでやす。
おそらく、明日のデートのためのお弁当を作る娘さんか 早い朝食の下準備の若奥様か------いずれにしろ、乾燥ワカメがどのくらい膨張するのか まるで知らぬ者であるのは確かでやした。
ブクブク ブクブク ブクブク
あっしは、ボウルのフチよりも高く盛り上がりやした。
ブクブク ブクブク ブクブク
ズルッ
あっしの一部が ボウルの外側をなぞりやした。
ズルッ
もう一度 同じ所をなぞりやした。
そして、ステンレスのキッチン台の上に ドロリと落ちやした。
十二分に予測はしていたものの「しまった!」という思いが、あっしの底から圧しあがってきやした。
が、「しまった」と思おうが思うまいが
ベシャ
今度は もう別のフチから溢れやした。
ズルーーーーーー
キッチン台の下の真っ白な収納扉に 縦に長々と 楕円の形にだらしなくずり落ちやした。
ズルーーー
ズルーーー
ズルーーー
何度目かの楕円の後、ピカピカに磨き上げられたフローリングの床に ボトッと にぶく 丸く 落下しやした。
ズルッ ベシャッ ドロッ・・・
あっしの一部は ボウルの四方八方から溢れ出し、ボウルの横に置かれていた赤白チェックのキッチンタオルや オリーブオイルの瓶や 収納扉のリスや猫の形のマグネットや そこに挟まれている「マフィンの作りかた」などと書かれたメモ用紙や 床の上のほわほわの雲と虹の柄のマットにも 落ち広がりやした。
明日の朝、ヒヨコのパジャマは このあっしの海に「キャッ!」と小さく声をあげるに違いないのでやす。
一方、ボウルの中のあっしは、「大切なもの」として 両手の平でていねいに水けを絞り、何らかの料理にと 華々しく昇華させるのでやす。
ボウルの中のあっしは サラダにされるのかジャコと一緒に炒められるのか葱とスープに浮かべられるのか 解りやせん。
が いずれにしろ、「大切なもの」「ありがたいもの」「感謝すべきもの」として ていねいに調理され 食べられ つやつやの髪や丈夫な骨になることを願われるのでやす。
「汚いもの」として捨てられるあっしと「大切なもの」として食べられるあっしを分け隔てるものは一体何なのか-----
それは、ただ ボウルから溢れ出たか出ないか、-------ただ それだけのことなのでやした。
ボウルの中のあっしもボウルの外のあっしも 同じ栄養価を持った同じ戻ったワカメであることに 何ら変わりはないのでやす。
だからといって、流しや床に落ちたあっしも拾い上げて調理してくれ とは 言えないものがありやした。
ボウルの外に落ちてしまったあっしは、同じあっしの一部であるのを一番解っているあっし自身ですら 汚いと感じるのでやすから。
また、あっしが溢れ出さないほどの大きなボウルを用意しなかったヒヨコのパジャマを責め立てるのも、残酷だと思いやした。
乾燥ワカメを扱い慣れていない若い女は、乾燥ワカメがどれくらい膨張するかなど よく解らなくても仕方がないのでやす。
あっしは一旦 水を注がれたが最後、自らの意志で膨張を押しとどめることなど 不可能なのでやした。
あっしは あっしの意志とは関係なしに、「大切なもの」と「汚いもの」を製造し続けやした。
これは「理不尽」なこととして憤るに値することなのでやしょうか?
それとも「摂理」として受け入れなければならないのでやしょうか?
-------否、どちらに思ったところで、あっしは あっしが膨張し、同じあっしの一部でありながら 天国と地獄ほどの運命の差異を生み出し続ける行為を どうすることもできないのでやした。
ドロッ ビシャ グジャ・・・・
そうこう考えているうちにも あっしは膨らみ続けやした。
オリーブオイルの横のシーザーサラダドレッシングの瓶も 「マフィンの作りかた」と並んだ菓子材料店への地図も マットの虹の橋を渡る丸顔のチョウチョも、もう そこいらじゅうが あっしで ドロドロのベタベタのグジャグジャでやした。
あたりが薄明るくなってきやした。
あっしはどこまで膨らみ続けるのか あっし自身にも解りやせんでやした。
しかし やはり、あっしは あっしの意志とは関係なしに 膨らみ続けるしかありやせんでやした。
ドロッ
ベシャ
ズルッ
グジャ・・・・・・・・
タグ:乾燥わかめ
「しゃ」がつく花の名 [独り言]
いつかの うららかな午下がり------
自分は、とりどりの花の両側にこぼるる植物園の小路を ゆるゆると歩いていた。
前方を、数人のご婦人が 声をはずませていた。
「あの紅いのきれい!」
「ほんと!」
「こっちのもよ!」
「私はやっぱり バラが好きだわぁ」
と、一人の婦人が、木陰に揺れる 剣のような葉を持った 白に近い薄紫色の一輪を指した。
「ああいう そそとしたのもいいわね。 何ていう名前かしら?」
ご婦人達は足を止め、いっせいにその方を向いた。
別の婦人が、
「あっ、これねー、えっと・・・確か 『しゃ』何とかっていうのよ。 えーーっと 何ていったっけ・・・『しゃ』がつくってことは覚えてるんだけど・・・」
「ふーん、『しゃ』がつくのね」
「『しゃ』がつくのは確かなのね」
「そうなのよ。 んーーーー、ここまで出てるのに・・・『しゃ』がつくのよ、『しゃ』が。 とにかく『しゃ』がつくのよ 『しゃ』が『しゃ』が・・・・」
「しゃが」------。
それでいいんですよ。 ぜんぶ出てますよ。 「しゃが」っていう花名ですよ。
自分は、その言葉が喉まで出かかったものの 声をかける勇気はなく、片頬に掌をあてて小首をかしげるご婦人達を追い越し、とろりとした春路をすすみいった。


自分は、とりどりの花の両側にこぼるる植物園の小路を ゆるゆると歩いていた。
前方を、数人のご婦人が 声をはずませていた。
「あの紅いのきれい!」
「ほんと!」
「こっちのもよ!」
「私はやっぱり バラが好きだわぁ」
と、一人の婦人が、木陰に揺れる 剣のような葉を持った 白に近い薄紫色の一輪を指した。
「ああいう そそとしたのもいいわね。 何ていう名前かしら?」
ご婦人達は足を止め、いっせいにその方を向いた。
別の婦人が、
「あっ、これねー、えっと・・・確か 『しゃ』何とかっていうのよ。 えーーっと 何ていったっけ・・・『しゃ』がつくってことは覚えてるんだけど・・・」
「ふーん、『しゃ』がつくのね」
「『しゃ』がつくのは確かなのね」
「そうなのよ。 んーーーー、ここまで出てるのに・・・『しゃ』がつくのよ、『しゃ』が。 とにかく『しゃ』がつくのよ 『しゃ』が『しゃ』が・・・・」
「しゃが」------。
それでいいんですよ。 ぜんぶ出てますよ。 「しゃが」っていう花名ですよ。
自分は、その言葉が喉まで出かかったものの 声をかける勇気はなく、片頬に掌をあてて小首をかしげるご婦人達を追い越し、とろりとした春路をすすみいった。
タグ:シャガ
「映像の実験」 [映画・演劇雑記]
ベッドに入り 灯りを落とすまでの小一時間ほどの間は、すでに何度も捲った趣味に関する本を とろとろと反芻する。
それは 自身の心を穏やかな位置に静止させるための 大切なひとときである。
中でも、くり返しくり返し 定期的にパラリパラリとやるのが、この 「映像の実験」である。

1978年 イメージフォーラムにより出版されたもので、総評にあたる 松本俊夫氏「日本実験映画素描」から始まり、「個人映画年表」、そして 当時 精力的に創作活動を行っていた映像作家20人の映画に対する思い入れが 真正面から語られている 実験映画・個人映画をひととおり観てきた人に向けた 復習的 便覧的一冊である。
20人の作家は、巻頭を担当した松本俊夫氏や寺山修司氏、萩原朔美氏、粟津潔氏といった 当時を代表する表現者は勿論、本誌の編集人でもある かわなかのぶひろ氏、居田伊佐雄氏、鈴木志郎康氏 等々・・・といった顔ぶれである。
自分は、「今日は 眉間にしわをよせてばかりのうちに過ぎてしまったな」という日の夜には、必ずといっていいほど この愛書を書棚から取り出す。
そして、松本俊夫氏の「アートマン」は、一見 コマを抜いているかのように観えるけれど 実はアニメーションで、図解の480ケ所の撮影点から 2500枚の赤外線写真により構成されているのだなー とか、フィルムに直接キズをつけたり彩色して創られた 大辻清司氏らの「キネカリグラフィー」の元作品は、どこかのテレビ局に貸した時に失くされたので 自分が講座の中で観たのは復元版だったなー とか、寺山氏の文の冒頭の「私が生まれてはじめて観た映画は 太陽の光だったように思われる。 かすかに開けた瞼がスクリーンになって 私のからだ全体が映写機になった」は、何度読んでも舌を巻かずにはおれない名文だなー とか あらためて確認して「気持ちのベッド」に回帰するのが 理屈抜きで心地いい。
自分は元々、映画というものへの興味が、寺山修司氏の実験映画をきっかけに 松本俊夫氏の劇映画で深みに嵌ったクチなので、これは 「己れの心が帰るところ」の一冊なのである。
鉄道好きの人が時刻表を、音楽好きの人がオーディオ機材を 眺めているだけで心安らぐ というのに 非常に近いものがあるかも知れない。


それは 自身の心を穏やかな位置に静止させるための 大切なひとときである。
中でも、くり返しくり返し 定期的にパラリパラリとやるのが、この 「映像の実験」である。
1978年 イメージフォーラムにより出版されたもので、総評にあたる 松本俊夫氏「日本実験映画素描」から始まり、「個人映画年表」、そして 当時 精力的に創作活動を行っていた映像作家20人の映画に対する思い入れが 真正面から語られている 実験映画・個人映画をひととおり観てきた人に向けた 復習的 便覧的一冊である。
20人の作家は、巻頭を担当した松本俊夫氏や寺山修司氏、萩原朔美氏、粟津潔氏といった 当時を代表する表現者は勿論、本誌の編集人でもある かわなかのぶひろ氏、居田伊佐雄氏、鈴木志郎康氏 等々・・・といった顔ぶれである。
自分は、「今日は 眉間にしわをよせてばかりのうちに過ぎてしまったな」という日の夜には、必ずといっていいほど この愛書を書棚から取り出す。
自分は元々、映画というものへの興味が、寺山修司氏の実験映画をきっかけに 松本俊夫氏の劇映画で深みに嵌ったクチなので、これは 「己れの心が帰るところ」の一冊なのである。
鉄道好きの人が時刻表を、音楽好きの人がオーディオ機材を 眺めているだけで心安らぐ というのに 非常に近いものがあるかも知れない。
タグ:映像の実験