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あの日の空 [独り言]
「青かった。 1945年8月15日の空は ただただ真っ青だった」
ある戦争体験者の回想記にあった一節である。
------2011年3月11日、私の見上げた空は 雲があいまいにビルを圧してした。
東京の四角い空は、無彩色の 曇天だった。
いつか、私も ちょっと 口の端に淋しい笑みを浮かべながら 「あの日は曇り空で----」と 遥か遠くを見つめたりするのだろうか。
イタリアンパスタはあるのに中華麺のない ジュースはあるのに牛乳のない ケーキはあるのにパンのない 奇妙なスーパーの棚も、やけに低く旋回するや 今しがた自分が中庭を通り抜けてきた病院の 屋上に静止した ヘリコプターの機体の白のまぶしさも、「いいですねぇ、ここいらはいいですねぇ。 私、四日前に来たんですよ、いわきから」と、小洒落たカフェの前でふいに声をかけてきた初老の男性の ジャガイモのようなぼくとつとした笑顔も、みんなみんな 遠い目をしてようやくたぐりよせる かなたの「あの日」になるのだろうか。
「君の年齢だと解らないでしょうが・・・」と、これから生まれてくる者に、将来 静かに 説いてみたりするのだろうか。
ヘリコプターの濁音が、過ぎてはまた 近づき降る。
久世光彦 「真夜中のヒーロー」 [感想文]
「真夜中のヒーロー」 1980年 NTV。
故 久世光彦氏・演出の連続物で、冒頭での 檻に閉じ込められた全裸の岸本加世子さんが「堕ちる・・・」というモノローグとともに闇の中に沈む画が話題を呼んだが、視聴率低迷のために打ち切りになってしまった 幻のドラマである。
当時、まだ自分は高校生だったので もはや明確にストーリーを記憶してはいないが------否、もとより 話の展開に力点のおかれたものではなく、うろろぅんと 暗く 内向する 観念的なそれであったのだった。

第一話を観終わった自分は、しばらく テレビ画面の前から立ちあがれなかった。
「何故、こういう吸引力のあるテレビドラマが 今まで創られなかったのだろう?! これこそが 自分が欲していたドラマだ!!」と。
そして 次の週からは、どれほど学校の課題が山積みになっているときも、この番組視聴だけは 最優先に取り組んだ。
------それが たったの九回で、まるで 線香花火の玉がポトリと堕ちるように 了ってしまったのだった。
直後、自分はNTVに 「視聴率が低いと打ち切りにせざるを得ない事情は理解しますが、私は このドラマが何よりも好きでした」という旨の葉書を出した。
一高校生の拙い意見など 読んでもらえる筈もないと容易に想像はついたが、そうしなければいられないものが 自身の内いっぱいに とぐろを巻いていた。
自分がテレビ局に意見の葉書を出したのは、後にも先にも このとき一度きりである。

自分は 演出の久世光彦氏に対して、「自分の嗜好にピタリの作品を創ってくれて嬉しい」という単純な感情のほかに、「とても不思議な人」という印象を 抱かずにはおれなかった。
それは、「真夜中----」は、少女の内側の 最も奥底の核の部分から外界へと ひっそりと 孤独に 顔を歪めながら食い破るように その観念性を描いた作品で、自分は、「何故、中年の男性に こんなにリアルに少女の秘められた部分が解るのだろう? 少女を 表層的に非現実的に客観視するのが 一般的な中年男性表現者の得意とするところなのに」と 感じたからである。
最近、久世氏の世界についてまとめあげられた一冊を繰っていたら、作詞家・故 阿久悠氏の評する頁の中に こういう一行を発見した。
「久世光彦の作品には 少女性を嗅ぎとってしまう」
高校生だった自分の拙い 作品を観る目も あながち おかしなものではなかったようである。


故 久世光彦氏・演出の連続物で、冒頭での 檻に閉じ込められた全裸の岸本加世子さんが「堕ちる・・・」というモノローグとともに闇の中に沈む画が話題を呼んだが、視聴率低迷のために打ち切りになってしまった 幻のドラマである。
当時、まだ自分は高校生だったので もはや明確にストーリーを記憶してはいないが------否、もとより 話の展開に力点のおかれたものではなく、うろろぅんと 暗く 内向する 観念的なそれであったのだった。
第一話を観終わった自分は、しばらく テレビ画面の前から立ちあがれなかった。
「何故、こういう吸引力のあるテレビドラマが 今まで創られなかったのだろう?! これこそが 自分が欲していたドラマだ!!」と。
そして 次の週からは、どれほど学校の課題が山積みになっているときも、この番組視聴だけは 最優先に取り組んだ。
------それが たったの九回で、まるで 線香花火の玉がポトリと堕ちるように 了ってしまったのだった。
直後、自分はNTVに 「視聴率が低いと打ち切りにせざるを得ない事情は理解しますが、私は このドラマが何よりも好きでした」という旨の葉書を出した。
一高校生の拙い意見など 読んでもらえる筈もないと容易に想像はついたが、そうしなければいられないものが 自身の内いっぱいに とぐろを巻いていた。
自分がテレビ局に意見の葉書を出したのは、後にも先にも このとき一度きりである。
自分は 演出の久世光彦氏に対して、「自分の嗜好にピタリの作品を創ってくれて嬉しい」という単純な感情のほかに、「とても不思議な人」という印象を 抱かずにはおれなかった。
それは、「真夜中----」は、少女の内側の 最も奥底の核の部分から外界へと ひっそりと 孤独に 顔を歪めながら食い破るように その観念性を描いた作品で、自分は、「何故、中年の男性に こんなにリアルに少女の秘められた部分が解るのだろう? 少女を 表層的に非現実的に客観視するのが 一般的な中年男性表現者の得意とするところなのに」と 感じたからである。
最近、久世氏の世界についてまとめあげられた一冊を繰っていたら、作詞家・故 阿久悠氏の評する頁の中に こういう一行を発見した。
「久世光彦の作品には 少女性を嗅ぎとってしまう」
高校生だった自分の拙い 作品を観る目も あながち おかしなものではなかったようである。
心の底が見えるとき [独り言]
人の心の底の底が 最も如実に見えるとき------
それは、今回の震災のような 非常事態時であると、私は 自分なりの人生経験によって 思っています。
阪神大震災 直後-----
東京・郊外の飲食店にて、某 大手家電会社の研究所の所員達が、声も高々に 大宴会を開いていました。
聞こえてくる乾杯の音頭に、私は耳を疑いました。
「○○(阪神方面に 本社か工場のあるらしいライバル会社名)が大打撃を受けましたーーー! ばんざーーーい!! ばんざーーーい!! ばんざーーーい!! カンパーーーイ!!! ワハハハハ・・・・」
それから一、二カ月経ったころ、ファミリーレストラン「すかいら~く」の店長さん達と お酒を飲む機会がありました。
話しの流れで何の気なしに
「地震の時には 会社でボランティア活動をされたところもあったそうですね」
と 言うと、
「ウチらも 炊き出しに行ったんだよ」
少しも自慢げではない笑顔・笑顔・笑顔が返ってきました。
前者の某家電会社の社員も「すかいら~く」さんも、無論 厳密には 一人一人の意識の色に差はある筈です。
しかし、企業という集団の人間単位で これほど大きな差異が見えようとは、会社勤めを経験したことのない私には、愕然とするものがありました。
また、私自身が個人的に我が身にふりかかったことを振り返ると------
私が二十代半ばの時、母が突然の病で倒れ 脳死状態になり、父は すでに家を出て愛人さんの一人と所帯を持っていたので、身内は 二十歳をわずかに過ぎたばかりの弟だけになるのだ という状況におかれました。
脳死というのは 心臓死に至るまで時間の問題なので、その間 病院のICU患者家族控室に 詰めていることとなりました。
畳に雑魚寝で 満足に眠ることのできない日々の続く中-----
「心配で心配で・・・」
母の知人の一人が 突然 訪れました。
香水をプンプン匂わせ ニッコニコと満面の笑顔で・・・。
目的は、私達二人を 某宗教に入信させるためだと解りました。
余りにも無神経で執拗な勧誘に 弟が逆上し、彼女は 信者獲得はムリと解るや スタスタと去ってゆきました。
そして、通夜にも葬式にも 以来、一切 姿を見せませんでした。
私は 宗教というものそのものの存在は否定しませんが、その人の「心配」という挨拶の言葉と 表情・勧誘の態度は、明らかに裏腹のものでした。
また別の知人は、
「お母さん名義の不動産の権利書 貯金通帳 実印 届印 印鑑証明、すべて私にお預けなさい! 他の人の言うことなんか聞いちゃダメ!! 私だけを信用なさい!!!」
と、何度も何度も通ってきました。
隣町に住む アカの他人の単なる「知人」が、です。
一方で、通夜・葬式云々 何一つ解らずにいる不安でいっぱいの私になり代わって、御自身の仕事は二の次にまわして、それら一切を取り仕切ってくれた知人もいました。
人間の中には、多かれ少なかれ エゴイズムがあります。
私にもあります。
もしも、私が 今回のような災害で、見ず知らずの人と自分と どちらか一人しか助からない状況におかれたとしたら、正直なところ 私は 自分が助かりたいと思うと思います。
きっとそう思うと思います。
「私を助けて!」と 叫んでしまうと思います。

しかし、自分が安泰な状態にいるときに、不幸のどん底でもがいている人につけこもうとか それによる己れの利益にほくそ笑もうとは みじんも思えません。
そうやって己れの至福を肥やそうという 発想すら出ません。
それらの人達の常軌を逸したエゴイズムの強さには、何か 人間であることを大きく外れた 顔の皮一枚めくると 実は 真っ赤な口が耳まで裂けた妖怪なのではないかというような ゾッ!とするものを覚えてしまいます。
私の人生経験からして、今回の震災で 幸い命を取りとめたかたがたを 今後 取り巻く環境は、決して 暖かな善意ばかりではないと察します。
今度は 人間達という大津波が、清流濁流ごっちゃになって 押し寄せてきます。
濁流は瞬時にそうと判断し 飲み込まれることなく、清流に穏やかに乗り、安泰な精神の岸辺まで辿りついてほしいと願います。


それは、今回の震災のような 非常事態時であると、私は 自分なりの人生経験によって 思っています。
阪神大震災 直後-----
東京・郊外の飲食店にて、某 大手家電会社の研究所の所員達が、声も高々に 大宴会を開いていました。
聞こえてくる乾杯の音頭に、私は耳を疑いました。
「○○(阪神方面に 本社か工場のあるらしいライバル会社名)が大打撃を受けましたーーー! ばんざーーーい!! ばんざーーーい!! ばんざーーーい!! カンパーーーイ!!! ワハハハハ・・・・」
それから一、二カ月経ったころ、ファミリーレストラン「すかいら~く」の店長さん達と お酒を飲む機会がありました。
話しの流れで何の気なしに
「地震の時には 会社でボランティア活動をされたところもあったそうですね」
と 言うと、
「ウチらも 炊き出しに行ったんだよ」
少しも自慢げではない笑顔・笑顔・笑顔が返ってきました。
前者の某家電会社の社員も「すかいら~く」さんも、無論 厳密には 一人一人の意識の色に差はある筈です。
しかし、企業という集団の人間単位で これほど大きな差異が見えようとは、会社勤めを経験したことのない私には、愕然とするものがありました。
私が二十代半ばの時、母が突然の病で倒れ 脳死状態になり、父は すでに家を出て愛人さんの一人と所帯を持っていたので、身内は 二十歳をわずかに過ぎたばかりの弟だけになるのだ という状況におかれました。
脳死というのは 心臓死に至るまで時間の問題なので、その間 病院のICU患者家族控室に 詰めていることとなりました。
畳に雑魚寝で 満足に眠ることのできない日々の続く中-----
「心配で心配で・・・」
母の知人の一人が 突然 訪れました。
香水をプンプン匂わせ ニッコニコと満面の笑顔で・・・。
目的は、私達二人を 某宗教に入信させるためだと解りました。
余りにも無神経で執拗な勧誘に 弟が逆上し、彼女は 信者獲得はムリと解るや スタスタと去ってゆきました。
そして、通夜にも葬式にも 以来、一切 姿を見せませんでした。
私は 宗教というものそのものの存在は否定しませんが、その人の「心配」という挨拶の言葉と 表情・勧誘の態度は、明らかに裏腹のものでした。
また別の知人は、
「お母さん名義の不動産の権利書 貯金通帳 実印 届印 印鑑証明、すべて私にお預けなさい! 他の人の言うことなんか聞いちゃダメ!! 私だけを信用なさい!!!」
と、何度も何度も通ってきました。
隣町に住む アカの他人の単なる「知人」が、です。
一方で、通夜・葬式云々 何一つ解らずにいる不安でいっぱいの私になり代わって、御自身の仕事は二の次にまわして、それら一切を取り仕切ってくれた知人もいました。
人間の中には、多かれ少なかれ エゴイズムがあります。
私にもあります。
もしも、私が 今回のような災害で、見ず知らずの人と自分と どちらか一人しか助からない状況におかれたとしたら、正直なところ 私は 自分が助かりたいと思うと思います。
きっとそう思うと思います。
「私を助けて!」と 叫んでしまうと思います。
しかし、自分が安泰な状態にいるときに、不幸のどん底でもがいている人につけこもうとか それによる己れの利益にほくそ笑もうとは みじんも思えません。
そうやって己れの至福を肥やそうという 発想すら出ません。
それらの人達の常軌を逸したエゴイズムの強さには、何か 人間であることを大きく外れた 顔の皮一枚めくると 実は 真っ赤な口が耳まで裂けた妖怪なのではないかというような ゾッ!とするものを覚えてしまいます。
私の人生経験からして、今回の震災で 幸い命を取りとめたかたがたを 今後 取り巻く環境は、決して 暖かな善意ばかりではないと察します。
今度は 人間達という大津波が、清流濁流ごっちゃになって 押し寄せてきます。
濁流は瞬時にそうと判断し 飲み込まれることなく、清流に穏やかに乗り、安泰な精神の岸辺まで辿りついてほしいと願います。
季語のない俳句 [感想文]
私はこれまで 素人のお遊びという範囲でではありますが、短歌を創ってきました。
そして今年からは 俳句にも挑戦しようと発起し、すでに 三、四句 ノオトに書きとめてあります。
私は、季語のない俳句----正確にいうと 季語というものにまるでとらわれない俳句を つらぬこうと考えています。
それは、私は 短歌同様 現代の都市に生きる人々や物事を描写したいからです。
句によっては 季語が一つも入らなかったり、また逆に 重複したり、違う季節の季語が 一つの句に複数登場するかも知れません。
けれど それは、現代の都市を舞台に詠うのであれば 必然的に成るものであると思います。
例えば-----
苺の季語は 言わずもがな 春です。
しかし、畑や山の野苺を目にしない都会暮らしの私が 苺というものの存在を極めて強烈に感ずるのは 先ず クリスマスです。
クリスマスケーキの上に飾られた苺-----。
もしも、季語のお約束を絶対に守らねばならないとしたら、クリスマスケーキの苺の句は 詠めなくなってしまいます。
雪のちらつく商店街、ショーケースの中の白いケーキに灯る真っ赤な苺------
こんな、あわただしい暮れの街の中の小さな幸せ といった詩的な情景が 詠めなくなってしまいます。
現在(いま)は 私がこうして述べるまでもなく、すでに 季語にとらわれない俳句を創っておられるかたも多いと思います。
また一方で、短歌というものが 季語にとらわれない選択をしてきたのだから、だからこそ 俳句のほうは 拘り続けようじゃないか、俳句は自然を詠み続けてこそである という考えもあるようです。
勿論、私は 後者も否定はしません。
自分は 鑑賞者としては、季語を大切にし続けている自然を詠んだ句も 素晴らしいと感じています。
ただ 自らが創らむ場合、都会に育ち めったに都会から越境することもなく これからも都会で呼吸を続ける自分には、クリスマスの苺に代表されるような 本来は不自然な景が 最も身近であり、直接的に 正直に 詠嘆の生まれ出ずる対象物なのです。
これは あくまで私個人の考えですが、作者が季語にそぐわない世界に生きている場合は、季語にとらわれない句を創るほうが よほど自然であり、作品に 熱い血が流れ 大きく呼吸(いき)づくように思います。
表現というものは、作者本人が生身の皮膚でもって感じないところからは 生まれないからです。