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 枕元にはカフカ  [独り言]

気がかりな夢から目覚めた自分は、昨日までの自分と 何かが変わっているような気がして、全身をなでまわしてみた。

が、いつものままだった。

「今日もまた 人間をやらなければならないのか。 スカラベにでも変身していたら、こんな資本主義社会から羽ばたいて、誰れのたよりにもされずに ひっそりと生きてゆけるのに」

自分は、顔を洗いに洗面所に立った。

・・・・・・・という夢をみた。

背中が、ごわごわと硬くなっているのを感じた。

カフカ.jpg

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 インターナショナルマーケット  [短歌]


ペリエ.jpg



             わが傘の しづくとなりて 異国産発泡水の棚 あふぐ雨





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 川端康成氏とタモリ氏にみる今昔アイドル考  [感想文]

ざき.jpg

川端文学の真骨頂は、「片腕」と「眠れる美女」の二作品に他ならないと 自分は信じている。

短編「禽獣」にもかいま見えるように、川端の美の追求は 即ち、あってはほしくないものを切り捨ててゆくことにあったと言える。
「禽獣」では 踊り子である少女が 化粧師に自らの意思を任せ、「眠れる美女」では 意識そのものを剥奪され、更に「片腕」では 言わずもがな 片腕以外の存在は 遠く 切り離されている。

「禽獣」の意思の切り捨て方は 多くの文人が思いつく所だとは思うが、あの二作品の「切り捨て方の仕掛け」には 舌を巻かずにはおれない。
そこに残されるものは、人間の生と性を感じさせながらも 決してダイヤローグの成立しない 一方通行の 危うい位置の上に立つ「美」である。
そして更に、作品内で 氏は、「ダイヤローグが成立してしまったら、最早 その美は 地に堕ちる。 美とは、かくも理不尽な 逃げ水の如きもの」と 逆説的駄目押しをもしている。
進.jpg
それは、作品中にしばしば登場する「悲しい清らかさ」という 一見 不可解なフレーズに集約されてもいる。
一見 不可解ではあるが、視点を変えると 氏の求めていた「美」は、我々俗人がアイドルに求める理想像と 実は同一であると 気づかされる。

俗人代表・・・と言っては失礼か、日本で最も有名なサユリスト タモリ氏が、「サユリちゃんに 乳房はあるが 乳首はない。 オシッコはするがウンコはしない」と テレビで言っていたのを記憶しているが、この言葉は 実に見事に 我々がアイドルに求める 生と性の危ういスタンスを代弁し、同時にまた 川端の理想理念と同一のものであることを証明しているといえよう。

自分の思春期時代のアイドルを思い返してみると也.jpg、これは 完全に 主観以外の何ものでもないのであるが、岡田奈々さんには、やはり 乳首は無かったと思う。
彼女は、それくらい 魔法の力で呼吸(いき)を吹き込まれたお人形さんのように 汚れを感じさせない 可愛らしい姿の人だった。

男性なら、デビュー当時の あいざき進也さん(写真参照)が浮かぶ。
顔立ちといい 声といい 身体つきといい、衣裳は ふわりとした 白いレェスのワンピースのほうが よほど似合うと思わせずにはおれない、それほど 男性である全ての要素を 切り捨てられるだけ切り捨てたような 少女の如き 少年アイドルだった。 

永遠に到達不可能な「儚い美」。
時代は移れど 我々の中に それを追い求めたい衝動は、連綿と 流れ続けているのかも知れない。

あい.jpg

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 砂糖菓子  [短歌]



             放さじと 結ぶ掌 開けみれば 白き兎は砂となり堕つ





はなさじと.jpg






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 川端康成・かお カオ 顔   [文学雑記]

太宰治が 芥川賞をあと一歩のところで得られなかったのは、川端康成の「私生活が宜しくないから」という理由によるものだったという。

芸術に於ける賞は、作品そのものを評価するのであって 作者の生き方を問うべきではないという大前提は、作品の内容からしても 川端氏が 最もよく解っていて然りではなかったか と思うのだが。

川端氏は、言わずもがな 文学者としては 神のような存在で、自分も 氏の作品の幾つかは 心の最も高い場所にあるガラスの棚に 大切にしまってある。
しかし、氏は 審査員としては、随分 了見の狭い人だったと思はざるを得ない。

自分は、氏の文学に どれほど惚れ込んでいようと、氏の発言を 全て肯定する気にはならない。
また逆に、審査員としての力量の乏しさを知ったところで、氏の作品を ガラスの棚から外そうとも思わない。

氏は、ノーベル文学賞を受けていながら 将来も 日本紙幣を飾ることは まず ない。
自ら命を絶った人物に 我が国の偉人の代表としての顔は 相応しくないからだ。
自分は 個人的には、あの 白髪頭にギョロリとしたまなこを毎日拝めるのは ちょっと嬉しかったりするが、こちらは 生き方そのものが問われる イメージが選考基準となるものなので 選ばれなくて当然である。

かわばた.jpg



タグ:川端康成
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 希望  [短歌]



こうかした.jpg




           高架下駐車スペース駆け抜けむ どしゃぶる夜も我が星輝るぞ!




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 三島由紀夫と川端康成 それぞれの女性観  [文学雑記]

とかげ・ろ.jpg

自分は、三島文学については そう明るいほうではないのだが、氏は 登場人物の女性 自らには「女は 若くて美しくてこそ」と言わせながら、その女性達は いずれも 頭脳明晰 冷静沈着で 男性と対等にダイアローグを交わしているように思う。

三島の生み出す女には、骨がある。内臓がある。血液が流れている。
絵画でいうと、その存在を内側からガッチリと描き出す 洋画の如きである。

対して 川端は、女性を造形美として鑑賞し、それに相応しくない部分を無き物として 氏 独自の理想世界に向かっている。

川端文学は「女性崇拝」の文学であると言われている。
しかし、その「崇拝」は、儚げな花や 巧みに創られた美術品の前に手を合わせたくなる という意味での崇拝であり、決して 女性の人格や思考を 敬い 同調する ということではない。
どころか、それらは 氏の美の世界の結実から遠ざかるものとして そぎ落とされている。
まさに、古典的技法で描かれた 絹本の日本画の如きである。

女性の多くは、もしも 自身が どちらかの小説のモデルとして描かれるとしたら 三島と川端 どちらに描かれたいと思うのだろうか?

とかげ・は.jpg


           ------写真は 仏・ドーム社 復刻版硝子蜥蜴皿でやす------
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 日曜日  [短歌]



          

             免許なき 我れに車を売りに来し 男の声が 雨音に溶く





にちようび.jpg








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 三島由紀夫 「近代能楽集」  [感想文]

三島文学のうち、自分が 最も くりかえしくりかえし読み親しんでいる一冊は「近代能楽集」である。

謡曲を下敷きに 氏が 現代劇として息を吹き込んだ戯曲集で、「邯鄲」「綾の鼓」「卒塔婆小町」「葵上」「班女」「道成寺」「熊野」「弱法師」の八編がおさめられている。
いずれも 格調高く デコラティブな三島言語により構築された 今を盛りと咲き誇る牡丹の花の如き 見事な 一幕物の科白劇である。

みしま3.jpg自分は中でも、舞台半ばで 時空を飛び越え 若き愛を語り合い そして死へと終結する「卒塔婆小町」「葵上」と 戦災の炎に目を焼かれた青年の 狂気にうねる長台詞の展開する「弱法師」には、読む台詞 という水を求むる駱駝さながらに しばしば 頁を捲らずにはいられない。
みしま2.jpg
八編中 この三作品に特に吸引されるのは 自分だけではないようで、今でも この三つは 様々な演出家により上演されている。
そして、うち 二作品が組まれる場合が多い。
観劇するには、二つ合わせて丁度良い時間となるからだ。

自分は、今までに 美輪明宏氏 演出・主演の「葵上」「卒塔婆小町」と、蜷川幸雄氏・演出 藤原竜也氏・主演の「卒塔婆小町」「弱法師」と、劇団・第三エロチカの「卒塔婆小町」「弱法師」を享しみに出向いた。

どれも、台詞を大事にしながら 装置・衣裳など 視覚に訴える部分で 如何に その演出家にしか出来ないことをやれるか というところに血脈が注がれていた。
とっぴな解釈をするには不向きな科白劇であるという点と 昭和三十年前後から 幾多の演出家により幾度となく上演されているので 過去にやられていることをなぞっても仕方がない という理由から、最近の演出がこういう方向に向かうのは 必然といえば必然かも知れない。

自分の観た 視覚に於ける意匠の凝らしかたは、どれも それぞれに面白いと思った。
しかし、我がうちには、何のてらいも無い視覚的効果のものを観たい という感情が ふつふつと沸き上がるのを覚えずにはおれない。
特に、三島の言葉の世界を良く解っていて 台詞を謳える役者が演っている場合には。

牡丹の花そのものに魅かれる自分は、やはり 牡丹は 備前焼のような主張しない器に活けられているものが 牡丹に相応しく 最も その美を引きたてることが出来ると思うのだ。


みしま1.jpg



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 2010年  [短歌]



           地下通路 地上への路幾多あり どのみち選べども 曇天下




どんてん.jpg




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