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声に出して教えたい名店 [独り言]
吉祥寺 ちんらい亭。
麺といい スープといい 客思いの値段といい 店の姐さんの接客といい、常連客が 引きもきらずに押し寄せるのに大きくうなづける 小さな名店である。
ベテラン俳優の 佐藤慶氏も この店を気にいっているらしく、階段途中に ここのラーメンを 氏が推薦する旨を載せた週刊誌の記事の切り抜きが 貼られている。
自分は、一度でいいから 佐藤氏が この店のラーメンのスープを一口すすった後で発する 「うまい」 という一語を 聴いてみたい。
それは、歴史に裏打ちされた コクのある トロリとした それでいてイヤミのないその味を 日本一的確に 説得力を持つ音声にしたものに違いないからだ。


麺といい スープといい 客思いの値段といい 店の姐さんの接客といい、常連客が 引きもきらずに押し寄せるのに大きくうなづける 小さな名店である。
ベテラン俳優の 佐藤慶氏も この店を気にいっているらしく、階段途中に ここのラーメンを 氏が推薦する旨を載せた週刊誌の記事の切り抜きが 貼られている。
自分は、一度でいいから 佐藤氏が この店のラーメンのスープを一口すすった後で発する 「うまい」 という一語を 聴いてみたい。
それは、歴史に裏打ちされた コクのある トロリとした それでいてイヤミのないその味を 日本一的確に 説得力を持つ音声にしたものに違いないからだ。
消された「盲」 [感想文]
音楽なら ブルースが好きだ。
日本のブルースミュージシャンでは 憂歌団が一番のお気に入りだ。
中でも ブルース人生の王道をゆく これ以上はないというくらい情けない男が歌詞に登場する「シカゴバウンド」は、ベスト盤 ライブ盤にも収められており、何度聴いても その度に 自分の目前には ボサボサ頭に薄汚れたなりのその男が グラスを片手に ゆらりと現れ 微笑みかける。
又、へたくそながらも カラオケで最もよく歌うのも この曲である。
そんな中、この楽曲について 自分は 一つだけ 理不尽に思っていることがある。
歌詞の中に 「盲のレモンも死んじまった、一人で飲むしかねェェ」 という一節があるのだが、アルバムによっては「盲」の部分の音が消されているものがある。
カラオケでも、メーカーによっては 「×××のレモンも・・・」 と 伏字が出るものがある。
発売される時代によって、差別用語だからという理由で NGがついたり 又 それがゆるんだり という事情なのであろう。
しかし、この「盲のレモン」とは、ブラインド・レモン・ジェファーソンという 実在した全盲のフ゛ルースミュージシャンが明確なモデルであり、別に 盲であることを嘲笑している詞ではない。
歌われている言葉を消すとは、作り手にも観客にも 納得のいかない始末のしかたである。
「視覚障害者のレモンも・・・」なら 消されはしない訳であるが、これでは いくら意味は同じでも この一語のくさびにより ちょっと古臭い 泥の匂いのする べったりと かつ ひょうひょうとした「シカゴバウンド」の世界は、こっぱみじんに破壊されてしまう。
全ての 言葉を用いる芸術分野には、作品世界の完結のために 差別用語指定を受けいていようがいまいが その語でなければ成立しない言葉というものがある。
一方、禁じられた言葉を何一つ使わずとも 人間の精神の息の根を止める表現は いくらもある。
言葉の世界は そんなに単純なものではない。
そこに、言葉の持つ力の 裏寒い 真の恐ろしさがある。


日本のブルースミュージシャンでは 憂歌団が一番のお気に入りだ。
中でも ブルース人生の王道をゆく これ以上はないというくらい情けない男が歌詞に登場する「シカゴバウンド」は、ベスト盤 ライブ盤にも収められており、何度聴いても その度に 自分の目前には ボサボサ頭に薄汚れたなりのその男が グラスを片手に ゆらりと現れ 微笑みかける。
又、へたくそながらも カラオケで最もよく歌うのも この曲である。
そんな中、この楽曲について 自分は 一つだけ 理不尽に思っていることがある。
歌詞の中に 「盲のレモンも死んじまった、一人で飲むしかねェェ」 という一節があるのだが、アルバムによっては「盲」の部分の音が消されているものがある。
カラオケでも、メーカーによっては 「×××のレモンも・・・」 と 伏字が出るものがある。
発売される時代によって、差別用語だからという理由で NGがついたり 又 それがゆるんだり という事情なのであろう。
歌われている言葉を消すとは、作り手にも観客にも 納得のいかない始末のしかたである。
「視覚障害者のレモンも・・・」なら 消されはしない訳であるが、これでは いくら意味は同じでも この一語のくさびにより ちょっと古臭い 泥の匂いのする べったりと かつ ひょうひょうとした「シカゴバウンド」の世界は、こっぱみじんに破壊されてしまう。
全ての 言葉を用いる芸術分野には、作品世界の完結のために 差別用語指定を受けいていようがいまいが その語でなければ成立しない言葉というものがある。
一方、禁じられた言葉を何一つ使わずとも 人間の精神の息の根を止める表現は いくらもある。
言葉の世界は そんなに単純なものではない。
そこに、言葉の持つ力の 裏寒い 真の恐ろしさがある。
ポケットには安部公房 [独り言]
帰途、近所の歩道に 唐突に 一本の棒が落ちていた。
銀色に光る ピカピカの 単なる棒が、周囲とは何の脈絡もなく
唐突以外の何にも形容しがたく 在った。
ビルから落ちてきた男の果てか?
「父ちゃん!」 と探す少年の声がしまいか 耳をそばだてた。
タグ:棒
意志の勝利・隠喩の将来 [感想文]
芸術の表現方法の一つに 「隠喩法」 がある。
一口に隠喩法と言っても その手段や 言わんとする核を埋める深さは その作家 作品により様々なのではあるが、抑圧され 言論の自由の無い 厳しい状況下であればある程、作家は そこに 毛細血管を縫い合わせるが如くの慎重さと 真っ赤にたぎる鉄ほどの情熱で挑むのは 必然である。
自分は 昨年夏、「意志の勝利」 を観た。
ベルリン生まれの女性監督 レニ・リーフェンシュタールが、彼女の過去の作品を高く評価していたヒトラーに懇願され 1934年9月4日から6日間にわたり ニュルンベルクにて開かれた ナチ党全国大会の模様を追った 記録映画である。
即ち 「プロバガンダ映画」として創られた作品であり、今回の公開にあたっては 映像芸術的に優れている点と 反面教師として受け取りましょう という事が強調されていた。
成程、この監督の 映像美に於ける リズム 緩急のつけ方 バランスの取り方 引き込み方の計算は見事だな と、うすら寒い恐ろしさすら感じつつ観進んだ。
と、クライマックスの 作品中最後のヒトラーの演説シーンに入った時、自分は 「あっ!」 と 息を飲んだ。
それ迄、完璧な英雄として映されていたヒトラーの 原稿に目を遣るショットが、何度も何度も 執拗に出てきたのである。
演説するヒトラー、原稿、原稿を見るヒトラー、原稿を捲るヒトラー、演説するヒトラー、原稿・・・・・・・・・・
自分は、「リーフェンシュタールは、決して 表立って表すことは許されないが ヒトラーは張り子の虎だと言っているのだ」 と 直感した。
後、ヒトラー ナチ党が どれ程 黒い巨大な翼を羽ばたかせたかは 説明するまでも無い。
結果、彼女は この映画を撮っていたが為に 最期迄 ナチ協力者として 負の運命に翻弄され続けることとなったという。
今回の公開で、あの場面を 自分と同じに解した人が どれくらいいるかは解からない。
又、黒い翼の下に息絶えていった人々の命は 二度と 取り戻せない。
しかし、自分は いつか 近い将来、必ず 「あれは ヒトラー張り子の虎映画だった」 と解明される日が来ると 信じている。
「それでも それでも それでも 私はこう思うのだ!」
どれだけの圧力の下にも、深く 密かに 己れの意志の刻印を打ちつけずには生きられない、それが 表現者なのだから。


一口に隠喩法と言っても その手段や 言わんとする核を埋める深さは その作家 作品により様々なのではあるが、抑圧され 言論の自由の無い 厳しい状況下であればある程、作家は そこに 毛細血管を縫い合わせるが如くの慎重さと 真っ赤にたぎる鉄ほどの情熱で挑むのは 必然である。
自分は 昨年夏、「意志の勝利」 を観た。
ベルリン生まれの女性監督 レニ・リーフェンシュタールが、彼女の過去の作品を高く評価していたヒトラーに懇願され 1934年9月4日から6日間にわたり ニュルンベルクにて開かれた ナチ党全国大会の模様を追った 記録映画である。
即ち 「プロバガンダ映画」として創られた作品であり、今回の公開にあたっては 映像芸術的に優れている点と 反面教師として受け取りましょう という事が強調されていた。
成程、この監督の 映像美に於ける リズム 緩急のつけ方 バランスの取り方 引き込み方の計算は見事だな と、うすら寒い恐ろしさすら感じつつ観進んだ。
と、クライマックスの 作品中最後のヒトラーの演説シーンに入った時、自分は 「あっ!」 と 息を飲んだ。
演説するヒトラー、原稿、原稿を見るヒトラー、原稿を捲るヒトラー、演説するヒトラー、原稿・・・・・・・・・・
自分は、「リーフェンシュタールは、決して 表立って表すことは許されないが ヒトラーは張り子の虎だと言っているのだ」 と 直感した。
後、ヒトラー ナチ党が どれ程 黒い巨大な翼を羽ばたかせたかは 説明するまでも無い。
結果、彼女は この映画を撮っていたが為に 最期迄 ナチ協力者として 負の運命に翻弄され続けることとなったという。
今回の公開で、あの場面を 自分と同じに解した人が どれくらいいるかは解からない。
又、黒い翼の下に息絶えていった人々の命は 二度と 取り戻せない。
しかし、自分は いつか 近い将来、必ず 「あれは ヒトラー張り子の虎映画だった」 と解明される日が来ると 信じている。
「それでも それでも それでも 私はこう思うのだ!」
どれだけの圧力の下にも、深く 密かに 己れの意志の刻印を打ちつけずには生きられない、それが 表現者なのだから。
タグ:意志の勝利 リーフェンシュタール
ぐぐっと おされて M君の目 [独り言]
自分は、M君と こたつに向かい合っていた。
M君は、白い両の手で 器用に ナイフとフォークをあやつっていた。
上手いもんだなぁ・・・・ 見とれていると、彼は 突然 それを放り投げ
「これ ソーセージ?」
サラダに飾られたラディッシュを指した。
「これ チーズ?」
オリーブをころがした。
「鮭って何色?」
「紅葉って何?」
「ポストってどれ?」
次から次へと投げられる質問に、自分は 馬鹿ていねいに答えた。
質問に飽きたのか 答えを聞くのに辛抱できなくなったのか、彼は 彼の身体ほどもあるぬいぐるみを相手に プロレスごっこを始めた。
茶色の濃淡の まるでウンコみたいな ごろりとした 魚のぬいぐるみである。
よほどのお気に入りらしく、かじりながら キック!キック!!キック!!!
と、みるみるウンコ魚は巨大化し M君の手におえなくなった。
ウンコは、M君と こたつと 自分を圧し 部屋いっぱいにふくらんでいった。
そこで 目が覚めた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・重い。
M君の 細い縦筋の入った金色の目が、自分の鼻先で光っていた。
夢の中でも人間になれなかったM君である。


M君は、白い両の手で 器用に ナイフとフォークをあやつっていた。
上手いもんだなぁ・・・・ 見とれていると、彼は 突然 それを放り投げ
「これ ソーセージ?」
サラダに飾られたラディッシュを指した。
「これ チーズ?」
オリーブをころがした。
「鮭って何色?」
「紅葉って何?」
「ポストってどれ?」
次から次へと投げられる質問に、自分は 馬鹿ていねいに答えた。
質問に飽きたのか 答えを聞くのに辛抱できなくなったのか、彼は 彼の身体ほどもあるぬいぐるみを相手に プロレスごっこを始めた。
茶色の濃淡の まるでウンコみたいな ごろりとした 魚のぬいぐるみである。
よほどのお気に入りらしく、かじりながら キック!キック!!キック!!!
ウンコは、M君と こたつと 自分を圧し 部屋いっぱいにふくらんでいった。
そこで 目が覚めた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・重い。
M君の 細い縦筋の入った金色の目が、自分の鼻先で光っていた。
夢の中でも人間になれなかったM君である。