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高円寺「ルネッサンス」 [喫茶店・レストラン・カフェ]
高円寺に 「ルネッサンス」 という店が在る。
と 言っても、上流階級のかたがたが その優雅な人生を 反芻し 謳歌し合う ワイン専門店ではない。
名曲喫茶である。
「ルネッサンス」とは よく付けたものだ と思う。
何故なら その店は、二千五年に閉店した 中野の 伝説の名曲喫茶「クラシック」が、椅子や テーブルや レコードはそのままに、別のオーナーにより 場所を変え 二千七年 秋、見事に復興させられたものだからだ。
古い喫茶店好きの 自分の中野散策の句読点は、以前は 必ず「クラシック」だった。
こげ茶色のだんだらの猫の横切る アーケードから一歩入った小路の 廃屋と見まごうばかりの建物の扉を開け、直角と平行の一つも無い店内を ギシギシと 今日の席を探す。
やはり ここもスプリングが壊れているなと 尻で確かめつつ、鞄から 文庫本を取り出し やや厚い 白いカップの 酸っぱいコーヒーを待つ。
こげ茶のだんだらだろうか、猫の声が 壁の向こうから ミャーミャーミャー と よく聴こえる。
まるで、すぐ間近にいるように 大きく聴こえる。
オーケストラをバックに そのソプラノは 主役はアタシ とばかりに響き渡る。
実に見事に 復興させられている。
椅子といい 灰皿といい 酸っぱいコーヒーといい 食べ物持込み自由のルールといい・・・・・
違っているのは、今度は 鉄筋のビルの地下であることと、棚に 沢山の本 ----- 文庫やら 街歩きの雑誌やら 写真集やら ----- が 置かれていることくらいである。

否、もうひとつ 違っていることがある。
灯りが、クラシック時代より 遥かに 暗いのだ。
テーブルの上のライトぎりぎりに本をかざしても 読める者は まずいないと思われる暗さなのである。
本を置いてこの暗さにする というのは、今度のオーナーは 何を考えているのだろう?
「クラシック」のオーナーと 近しい存在には違いない訳であるが、一体 何者なのだろう?
・・・・・・・あっ!
あの こげ茶色のだんだら。 奴に違いない!
奴が、「ルネッサンス」オーナーだ。


と 言っても、上流階級のかたがたが その優雅な人生を 反芻し 謳歌し合う ワイン専門店ではない。
名曲喫茶である。
「ルネッサンス」とは よく付けたものだ と思う。
何故なら その店は、二千五年に閉店した 中野の 伝説の名曲喫茶「クラシック」が、椅子や テーブルや レコードはそのままに、別のオーナーにより 場所を変え 二千七年 秋、見事に復興させられたものだからだ。
古い喫茶店好きの 自分の中野散策の句読点は、以前は 必ず「クラシック」だった。
こげ茶色のだんだらの猫の横切る アーケードから一歩入った小路の 廃屋と見まごうばかりの建物の扉を開け、直角と平行の一つも無い店内を ギシギシと 今日の席を探す。
やはり ここもスプリングが壊れているなと 尻で確かめつつ、鞄から 文庫本を取り出し やや厚い 白いカップの 酸っぱいコーヒーを待つ。
こげ茶のだんだらだろうか、猫の声が 壁の向こうから ミャーミャーミャー と よく聴こえる。
まるで、すぐ間近にいるように 大きく聴こえる。
オーケストラをバックに そのソプラノは 主役はアタシ とばかりに響き渡る。
実に見事に 復興させられている。
椅子といい 灰皿といい 酸っぱいコーヒーといい 食べ物持込み自由のルールといい・・・・・
違っているのは、今度は 鉄筋のビルの地下であることと、棚に 沢山の本 ----- 文庫やら 街歩きの雑誌やら 写真集やら ----- が 置かれていることくらいである。
否、もうひとつ 違っていることがある。
灯りが、クラシック時代より 遥かに 暗いのだ。
テーブルの上のライトぎりぎりに本をかざしても 読める者は まずいないと思われる暗さなのである。
本を置いてこの暗さにする というのは、今度のオーナーは 何を考えているのだろう?
「クラシック」のオーナーと 近しい存在には違いない訳であるが、一体 何者なのだろう?
・・・・・・・あっ!
あの こげ茶色のだんだら。 奴に違いない!
奴が、「ルネッサンス」オーナーだ。
目の巨人・松本俊夫氏 [感想文]
世の中には、耳人間と 目人間がいる。
音楽等、聴覚の分野に非常に敏感で そこに並々ならぬ拘りを持つ者と、映像 画像等 視覚に於いてのそれとの者である。
自分は後者である。
勿論 音楽も聴くが、そう執拗な執着は無く 多少 やんわりと好きなジャンルがある程度で、極論を言ってしまうと、世の中に音楽というものが無かったとしても、そう飢餓を感じずに生きてゆけると思う。
しかし、視覚にうったえる表現世界となると そうはいかない。
己れの精神は バッタリと倒れ 息絶えてしまうこと必至である。
で あるから、惚れ込める作品に出逢うと それはもう 魂を奪い取られ 脳髄を打ち震わされ 全身を溶かされてしまうが如くの至福に包まれる。
中でも、時間によって めくるめく展開のなされる 「映画」 には・・・・・
そんな自分が、人生で最初に惚れ込んだ映画作品は 松本俊夫監督の「ドグラマグラ」 である。
夢野久作の いれこ式構造の 同名の長編小説が、おどろおどろしく 鮮やかに 計算し尽くされた映像により 立ちあがり、狂気と時空のうねりに 圧倒的なエネルギーで 自分を巻き込んでいった。
映画を創るにあたって 何を最重要課題とするか、それは作家それぞれの意志であり 何が正解で何が間違いという絶対的法則は無いのであるが、自分は 「視覚にうったえるもの」 ここに 命の限りの血潮を流し込んでこそ 映画が映画である意義があると考えているので、自分にとって これこそが 惚れ込める出逢いなのであった。
この作品により 初めて松本俊夫氏の名前を知った自分は、早速 過去の氏の作品を 観ることが可能なものは全て 観あさった。
「薔薇の葬列」 「色即是空」 「修羅」 「つぶれかかった右目のために」 「エクスタシス」 「アートマン」 「ファントム・幻妄」 「ブラックホール」 「エニグマ・謎」 「石の詩」・・・・・・・・・・
特に、六十年代の新宿二丁目を舞台に 映画という構造そのものを解体してゆきながら進む劇映画 「薔薇の葬列」と、赤外線キャメラを使ったアニメーション技術による実験映画 「アートマン」 は、先の「ドグラマグラ」に次いで 自分の魂を 脊髄もろとも えぐるように奪い去っていった。
自分は理論的人間なので、非理論的表現者には どうも 気持ちの悪さ 異質感 を見てしまうのだが、氏の映像理論の完成度の高さには、カタルシスすら感じた。
現代の日本に於いて 「知の巨人」 と言えば 立花隆氏である。
で あるなら 「目の巨人」 は、松本俊夫氏 この人以外にいるまい と思う程である。


音楽等、聴覚の分野に非常に敏感で そこに並々ならぬ拘りを持つ者と、映像 画像等 視覚に於いてのそれとの者である。
自分は後者である。
勿論 音楽も聴くが、そう執拗な執着は無く 多少 やんわりと好きなジャンルがある程度で、極論を言ってしまうと、世の中に音楽というものが無かったとしても、そう飢餓を感じずに生きてゆけると思う。
しかし、視覚にうったえる表現世界となると そうはいかない。
己れの精神は バッタリと倒れ 息絶えてしまうこと必至である。
で あるから、惚れ込める作品に出逢うと それはもう 魂を奪い取られ 脳髄を打ち震わされ 全身を溶かされてしまうが如くの至福に包まれる。
中でも、時間によって めくるめく展開のなされる 「映画」 には・・・・・
そんな自分が、人生で最初に惚れ込んだ映画作品は 松本俊夫監督の「ドグラマグラ」 である。
夢野久作の いれこ式構造の 同名の長編小説が、おどろおどろしく 鮮やかに 計算し尽くされた映像により 立ちあがり、狂気と時空のうねりに 圧倒的なエネルギーで 自分を巻き込んでいった。
映画を創るにあたって 何を最重要課題とするか、それは作家それぞれの意志であり 何が正解で何が間違いという絶対的法則は無いのであるが、自分は 「視覚にうったえるもの」 ここに 命の限りの血潮を流し込んでこそ 映画が映画である意義があると考えているので、自分にとって これこそが 惚れ込める出逢いなのであった。
この作品により 初めて松本俊夫氏の名前を知った自分は、早速 過去の氏の作品を 観ることが可能なものは全て 観あさった。
「薔薇の葬列」 「色即是空」 「修羅」 「つぶれかかった右目のために」 「エクスタシス」 「アートマン」 「ファントム・幻妄」 「ブラックホール」 「エニグマ・謎」 「石の詩」・・・・・・・・・・
特に、六十年代の新宿二丁目を舞台に 映画という構造そのものを解体してゆきながら進む劇映画 「薔薇の葬列」と、赤外線キャメラを使ったアニメーション技術による実験映画 「アートマン」 は、先の「ドグラマグラ」に次いで 自分の魂を 脊髄もろとも えぐるように奪い去っていった。
自分は理論的人間なので、非理論的表現者には どうも 気持ちの悪さ 異質感 を見てしまうのだが、氏の映像理論の完成度の高さには、カタルシスすら感じた。
現代の日本に於いて 「知の巨人」 と言えば 立花隆氏である。
で あるなら 「目の巨人」 は、松本俊夫氏 この人以外にいるまい と思う程である。
タグ:松本俊夫
古着にまつわるモノローグ [ファッション]
古着が好きだ。
いつ どういうきっかけで 古着の魔力に魂をからめ取られたのかは もはや 憶えていない。
が、中学二年の時には 既に グルーピーがミュージシャンに逢いに行くが如く、原宿の古着屋「シカゴ」や 中央線沿線の個人経営の小さな店に 週末が来る度ごとに 通っていた。
最近は、パルコなどの大手テナントビルの中に出店したり 古着を特集した雑誌が出版されたりと、古着も随分 市民権を得たものだと 嬉しく思う。
自分が中高生の頃なぞは、「これは古着だ」 と胸を張ると、同世代の者の多くにも 「兄弟のおさがりを着ているっていうこと?」 と、けげんな顔をされたり、ましてや 親ほどの年齢のかたには 「ステキよ! ぜんっぜん古着になんか見えないから大丈夫よ!!」 と、励ましのお言葉をちょうだいしたりしていたものだ。
今の自分は、戦争を体験した 物質の乏しい中に育った世代のかたが、好んで古着をまとう者がいるなど 想像だにしないと理解しているが、当時の自分は、余りにも意外なその返答に、沈黙し そのまま話を終わらせてしまっていた。
昔も今も、自分の嗜好を 他人に共鳴してほしいとは思っていない。
しかし 今の自分は、互いに全く異なる価値基準の者同士が 疑問符のダイヤローグを交わすことは 決して無意味ではないと、まがりくねった人生の経の途中で 足元に陽が射すが如く 気づかされている。
そして、そのダイヤローグを成立させるための手段----言葉----も又 経半ばで 自分なりに学習してきた。
もしも あの時の自分の頭蓋に 今の己れが すい と入り込めたら こう返したい。
「古着の魅力は、使い込まれた器のそれの様なものなんです。 茶しぶが染み込んで手に馴染む温もりや 金継ぎの面白味は、新品には持ち得ない ならではの趣でしょう?」
対して 当時の大人は、どう答えただろう・・・・・


いつ どういうきっかけで 古着の魔力に魂をからめ取られたのかは もはや 憶えていない。
が、中学二年の時には 既に グルーピーがミュージシャンに逢いに行くが如く、原宿の古着屋「シカゴ」や 中央線沿線の個人経営の小さな店に 週末が来る度ごとに 通っていた。
自分が中高生の頃なぞは、「これは古着だ」 と胸を張ると、同世代の者の多くにも 「兄弟のおさがりを着ているっていうこと?」 と、けげんな顔をされたり、ましてや 親ほどの年齢のかたには 「ステキよ! ぜんっぜん古着になんか見えないから大丈夫よ!!」 と、励ましのお言葉をちょうだいしたりしていたものだ。
今の自分は、戦争を体験した 物質の乏しい中に育った世代のかたが、好んで古着をまとう者がいるなど 想像だにしないと理解しているが、当時の自分は、余りにも意外なその返答に、沈黙し そのまま話を終わらせてしまっていた。
昔も今も、自分の嗜好を 他人に共鳴してほしいとは思っていない。
しかし 今の自分は、互いに全く異なる価値基準の者同士が 疑問符のダイヤローグを交わすことは 決して無意味ではないと、まがりくねった人生の経の途中で 足元に陽が射すが如く 気づかされている。
そして、そのダイヤローグを成立させるための手段----言葉----も又 経半ばで 自分なりに学習してきた。
もしも あの時の自分の頭蓋に 今の己れが すい と入り込めたら こう返したい。
「古着の魅力は、使い込まれた器のそれの様なものなんです。 茶しぶが染み込んで手に馴染む温もりや 金継ぎの面白味は、新品には持ち得ない ならではの趣でしょう?」
対して 当時の大人は、どう答えただろう・・・・・
タグ:古着
それから・後編 [作文]
蟹田氏と顔を合わせたのは、皆さんに告白した 「いきさつ」 の日から 二月ほど経った、十一月半ばの 一度だけでやした。
蟹田氏は、薄暗いいつもの席に あっしだと認識するや
「なんや、死んだったんかと思うたわ」
すぐに、ビールグラスに視線を戻し、泡のついた口角を しきりに 上げたり下げたりしやした。
あっしらは、申し合わせずとも 行けばたいてい居る という仲で、週に一度は顔を合わせておりやしたから、なんとなく照れくさく 又 少々の気まずさも 否めやせんでやした。
氏は、あっしが しばらく来なかったことについては一言もふれず、あっしも又 あの夜の顛末や、ソネットブログを始め そして順調に更新させていることなどは 一切言わず、季節や 天気や 芸能人のスキャンダルといった してもしなくてもいい様な 極めて日本人的な 挨拶の延長の如き無意味を 延々と 交わしやした。
いえ、今 思い返すと 蟹田氏にとっては、それは 大きな意味だったのでやす。
氏は、ふと 独白ともあっしにともつかない調子で 天井へ 息を飛ばしやした。
「・・・・・宝くじ・・・・・当たらんのう・・・・・」
「ソネくじのほうが 確率 いいでやすよ」
大脳の思考以前に、ポロリと あっしの口から こぼれやした。
「・・・・・・・・・・・・ソネくじぃ? 何や、それ」
別に あっしは、氏と アナログ協定を結んでいた訳ではありやせんが、氏の ギロリとこちらに動いた黒々としたまなこには 「何や、ぼんぼちも ついに けったくそ悪い世界に飲まれてしもーてからに」 と 侮蔑されているも同然でやした。
あっしは 呼吸が出来やせんでやした。
こうしてブログを始めてみると、パソコンの世界は、 無意味でも 無機質でも 無情でも 無慈悲でも 無味乾燥でも無く、単に 言葉を運ぶ舟が違うというだけだと あっし自身は 十二分に理解出来たのでやすが、それを 蟹田氏に どういう順序で説明したらいいのでやしょう。
あっしは
「・・・・・・あ、あ、あ・・・・・えっと・・・・・・」
口の中で モゴモゴするばかりでやした。
「勘定!」
氏は、すっくと立ちあがり さっきまで泡のついていたその口角には 薄笑みが浮かんでやした。
「ぼんぼち、お前 今日は 何ーーーんも 挑戦しに来ーへんかったな」
氏の、肩幅だけはある ずんぐりとした後ろ姿が 扉を押して 消えてゆきやした。
あっしは、氏の気持ちを計りかねたまま 宙ぶらりんで いつまでもぽつねんと ぐい呑みを手に おりやした。
この、年賀状とは言いがたい二つの言葉が、氏の答えなのでやしょうか。
あっしは、文化の赤 と 文明の青 の 接点のうにょうにょを 見つめやした。


蟹田氏は、薄暗いいつもの席に あっしだと認識するや
「なんや、死んだったんかと思うたわ」
すぐに、ビールグラスに視線を戻し、泡のついた口角を しきりに 上げたり下げたりしやした。
あっしらは、申し合わせずとも 行けばたいてい居る という仲で、週に一度は顔を合わせておりやしたから、なんとなく照れくさく 又 少々の気まずさも 否めやせんでやした。
氏は、あっしが しばらく来なかったことについては一言もふれず、あっしも又 あの夜の顛末や、ソネットブログを始め そして順調に更新させていることなどは 一切言わず、季節や 天気や 芸能人のスキャンダルといった してもしなくてもいい様な 極めて日本人的な 挨拶の延長の如き無意味を 延々と 交わしやした。
いえ、今 思い返すと 蟹田氏にとっては、それは 大きな意味だったのでやす。
氏は、ふと 独白ともあっしにともつかない調子で 天井へ 息を飛ばしやした。
「・・・・・宝くじ・・・・・当たらんのう・・・・・」
「ソネくじのほうが 確率 いいでやすよ」
大脳の思考以前に、ポロリと あっしの口から こぼれやした。
「・・・・・・・・・・・・ソネくじぃ? 何や、それ」
別に あっしは、氏と アナログ協定を結んでいた訳ではありやせんが、氏の ギロリとこちらに動いた黒々としたまなこには 「何や、ぼんぼちも ついに けったくそ悪い世界に飲まれてしもーてからに」 と 侮蔑されているも同然でやした。
あっしは 呼吸が出来やせんでやした。
こうしてブログを始めてみると、パソコンの世界は、 無意味でも 無機質でも 無情でも 無慈悲でも 無味乾燥でも無く、単に 言葉を運ぶ舟が違うというだけだと あっし自身は 十二分に理解出来たのでやすが、それを 蟹田氏に どういう順序で説明したらいいのでやしょう。
あっしは
「・・・・・・あ、あ、あ・・・・・えっと・・・・・・」
口の中で モゴモゴするばかりでやした。
「勘定!」
氏は、すっくと立ちあがり さっきまで泡のついていたその口角には 薄笑みが浮かんでやした。
「ぼんぼち、お前 今日は 何ーーーんも 挑戦しに来ーへんかったな」
氏の、肩幅だけはある ずんぐりとした後ろ姿が 扉を押して 消えてゆきやした。
あっしは、氏の気持ちを計りかねたまま 宙ぶらりんで いつまでもぽつねんと ぐい呑みを手に おりやした。
この、年賀状とは言いがたい二つの言葉が、氏の答えなのでやしょうか。
あっしは、文化の赤 と 文明の青 の 接点のうにょうにょを 見つめやした。
それから・前編 [作文]
二千十年 一月一日 金曜日。
皆さん、あけまして おめでとうございやす。 ぼんぼちぼちぼちでやす。
皆さんは、新年を迎えるにあたって 何かを新しくしましたでやしょうか?
表札 ケータイ テーブルクロス 下着 コーヒーカップ 車 亭主 心構え カツラ もう一枚の舌・・・・・・・
あっしは、昨日の大晦日、ゴムぞうりを 近所の安売り店 大黒屋・西荻窪店にて購入いたしやした。
己れのたどり着きたい場所へたどり着けたことでやすし、今年こそは ぱあっと鮮やかなブルーでも、と 勇んで行ってはみたものの、気がつくと 結局 それまでと同じ ねずみ色を レジのお兄さんへ手渡していやした。
人間、己れらしからぬ所へ羽ばたこうとしても 所詮は 同じ所へ着地するものでやす。
けれど、いくら同じねずみ色とはいえ 新品のゴムぞうりは あっしの心にくすぐったく、又 淡い光が差し込んだようで、昼前に目を覚ますや アパートの 四畳半のすり切れた畳の上を ぐるぐると履き初めをしておりやした。
と、コトリ・・・・ かすかな冷気と共に 玄関ドアの郵便受けが、音をたてやした。
この日ばかりは、あっしも スタタ・・・ と そのほうへ向かいやす。
輪ゴムで束ねられたそれは 去年より一枚多く、全部で三枚ありやした。
一枚は お定まりの杉並郵便局から、もう一枚は これも お定まりにほぼ近い 高円寺の焼き鳥屋・大将から、そして 最後の一枚は----年賀状と言い切ってよいものか、それらしいものは ありきたりに印刷された 右上の 「謹賀新年」 と、左下の雄雄しく口を開けた虎の図のみで、差出人の筆によるものは、それらの白黒印刷をまるで無視して葉書いっぱいに書かれた 二つの語でやした。
右側には、真っ赤な絵の具で 「文化」。
左側には、真っ青で 「文明」。
おそらく、子供用の十二色の水彩絵具でもって しかも まるで他色と混ぜもせずに用いたのでやしょう。
真っ赤も 真っ青も どちらが主役ともつかず、同じほどの極めて高い彩度で主張し合い そのぶつかっている部分は、ウルトラQのオープニングさながらに うにょうにょと 渦を巻いたまま 固まっていやした。
筆も、百円ショップの丸筆か何かだったのでやしょう。
太く 角の丸い文字のあちこちに 抜けた毛がこびりついてやした。
--------差出人は、蟹田氏でやした。
---------続き 「それから・後編」 は、5日に短歌をはさんだ後の8日に公開でやす---------


皆さん、あけまして おめでとうございやす。 ぼんぼちぼちぼちでやす。
皆さんは、新年を迎えるにあたって 何かを新しくしましたでやしょうか?
表札 ケータイ テーブルクロス 下着 コーヒーカップ 車 亭主 心構え カツラ もう一枚の舌・・・・・・・
あっしは、昨日の大晦日、ゴムぞうりを 近所の安売り店 大黒屋・西荻窪店にて購入いたしやした。
己れのたどり着きたい場所へたどり着けたことでやすし、今年こそは ぱあっと鮮やかなブルーでも、と 勇んで行ってはみたものの、気がつくと 結局 それまでと同じ ねずみ色を レジのお兄さんへ手渡していやした。
人間、己れらしからぬ所へ羽ばたこうとしても 所詮は 同じ所へ着地するものでやす。
けれど、いくら同じねずみ色とはいえ 新品のゴムぞうりは あっしの心にくすぐったく、又 淡い光が差し込んだようで、昼前に目を覚ますや アパートの 四畳半のすり切れた畳の上を ぐるぐると履き初めをしておりやした。
と、コトリ・・・・ かすかな冷気と共に 玄関ドアの郵便受けが、音をたてやした。
輪ゴムで束ねられたそれは 去年より一枚多く、全部で三枚ありやした。
一枚は お定まりの杉並郵便局から、もう一枚は これも お定まりにほぼ近い 高円寺の焼き鳥屋・大将から、そして 最後の一枚は----年賀状と言い切ってよいものか、それらしいものは ありきたりに印刷された 右上の 「謹賀新年」 と、左下の雄雄しく口を開けた虎の図のみで、差出人の筆によるものは、それらの白黒印刷をまるで無視して葉書いっぱいに書かれた 二つの語でやした。
右側には、真っ赤な絵の具で 「文化」。
左側には、真っ青で 「文明」。
おそらく、子供用の十二色の水彩絵具でもって しかも まるで他色と混ぜもせずに用いたのでやしょう。
真っ赤も 真っ青も どちらが主役ともつかず、同じほどの極めて高い彩度で主張し合い そのぶつかっている部分は、ウルトラQのオープニングさながらに うにょうにょと 渦を巻いたまま 固まっていやした。
筆も、百円ショップの丸筆か何かだったのでやしょう。
太く 角の丸い文字のあちこちに 抜けた毛がこびりついてやした。
--------差出人は、蟹田氏でやした。
---------続き 「それから・後編」 は、5日に短歌をはさんだ後の8日に公開でやす---------