Post

Conversation

いや、山村工作隊により暴力革命を企図していたことはありますが、幾つかの暴力事件があっただけで革命には至りませんでしたから、この議員の方がおっしゃっていることは事実ですよ。 そしてこうした動きに実質的な効果が認められず、将来展望も見出せなかったので、1956年の六全協と言われる全国委員会で、暴力革命路線を自己批判して、方針を全面的に転換しました。 それにより先鋭的なグループが日本共産党から離脱してできたのが革命的共産主義者同盟です。後の中核派と革マル派の母体です。
Quote
久保田学(横山緑)から葛飾区を守る党(豚油)
@manabushinagawa
戦後日本政治史を覆す日本共産党議員の暴言に、私はコンスコンの様な表情になりましたよ。 x.com/isatetsurou/st…
Image