Uprety Rabindra Kumar

なかめのてっぺん 品川

Uprety Rabindra Kumar
(ウプレティ・ラビンドラ・クマル)

仕事は友達のような存在!
品川の飛躍を支えた実力派、クマルの成長の軌跡。

1989年、ネパール生まれ。2014年にMUGENに入社以来、「なかめのてっぺん 品川」の成長を支えてきた実力派メンバーである。
2021年、同郷出身の妻との間に愛娘が生まれた。お酒が好き。モットーは「明るく元気 日本一」

インタビュー

学校教師の家庭に生まれ、自分の意志で日本へ留学する。

私はネパールを代表する歴史的な地域、ヌワコート郡にある田舎町で生まれました。郡は首都カトマンズの北西に位置し、車で約3時間半の距離にあります。町の中心には18世紀に建設されたネパール王国・初代君主の宮殿があり、歴史的な建造物や寺院が点在しています。高い標高に位置し、山の斜面に広がるこの町からは、カトマンズ盆地やヒマラヤ山脈の素晴らしい景観を望むことができます。この美しい故郷は、2015年のネパール地震で甚大な被害を受け、私の生家も損壊しましたが、幸いなことに家族は全員無事でした。

私は学校教師を務める両親のもと、長男として生まれました(2人の妹がいます)。実家には広大な畑があり、お米や豆、野菜、菜種など、多くの作物が収穫できたので、日常生活において食材を買うことはありませんでした。両親の勤務時間は10時~16時(金曜日は13時には退勤します)。出勤前と定時後に、畑を監督するのが父母の日課でした。私には人の紹介で銀行に就職する道もありましたが、自分の意志で留学を選びました。現在、日本に渡航するネパール人の留学生は急増していますが、今から13~14年前は、一般的な留学先ではありませんでした。留学生の多くは、アメリカやヨーロッパ、オーストラリアに渡っていたのです。多数派の国に行くより、日本を選んだほうが面白そうだ…。とはいえ、当時の私は日本に詳しかったわけではありません。日本のイメージといえば、非常に安全で親切な国。たとえば日本で財布を失くしても、持ち主のもとへ無事に返ってくるという、信じられないような噂もありました。また、経済が安定しており、仕事が見つかりやすいとも聞いていたのです。

来日当初は、自分の名前すら書けなかった。

21歳の頃、日本での留学生活がスタートしました。最初の1年半は宮城県仙台市にある日本語学校に通いました。平仮名やカタカナなどの基礎的な日本語は、留学前からネパールの学校で習っていました。しかし、入学初日の日本語テストで、私は自分の名前すら書けなかったのです!このときは、自分の過去の学習態度を反省したものです。来日する前の私は、まったくマジメな学生ではありませんでした。日本語の授業も、映画館などでサボってばかりいたのです(笑)その後の2年間は東京の専門学校に通い、日商簿記を勉強しました。そして、卒業後は留学生ビザから特定活動ビザに切り替え、仕事を探し始めました。このビザには半年後に1回のみ更新が認められており、最長1年間は日本で就職活動を続けることができます。私の就職活動は困難を極め、最初の6ヵ月の間に仕事を見つけることができませんでした。特定活動ビザを更新し、いよいよ困っていたところへ、友人の紹介を経て巡り合えた会社がMUGENでした。

2014年、初めての就職先としてMUGENに入社する。

内山さんと初めてお逢いしたのは、有楽町にオープンしたばかりの「築地もったいないプロジェクト魚治」の店舗でした。その日の面接には私の他に、中国人やベトナム人、ネパール人など、多国籍のメンバー7名ほどが参加していました。MUGENには当時から、インド人やネパール人など、外国籍の先輩たちが活躍していたのです。内山さんの第一印象は、非常に明るくて話しやすい人!私は初対面から心を許し、ありのままの自分で面接に臨むことができました。あまりのフレンドリーさに、私は内山さんが社長であることを最後まで知りませんでした。面接が終わってから、紹介者の馬渕先生に知らされて驚いたのです(笑)

入社1年目。店舗での人間関係に悩み、無断欠勤をしてしまう。

私たち同期は、それぞれの希望をもとに店舗へ配属されました。私はそれまで大井町でアルバイトをしてきたので、距離的に近い品川を希望しました。過去には居酒屋「和民」にて、キッチンスタッフのアルバイトを経験していました。和民での仕事といえば、たとえば冷凍マグロの柵を切って、エビやタコの刺身と一緒に盛り付けるだけ。キャベツのコールスローも、既に千切りされたものを使っていました。MUGENに入社して初めて、私は丸一匹の魚に触れる経験をしたのです。まずは魚の大きさにビックリしました。当時の私にとって、あらゆる業務が初めての経験ばかりでした。

入社当初の私は、何をするにも常に怯えていました。もしも日本語を間違えたら、お客様を怒らせてしまうのではないか…。食材を触って失敗したら、店長たちに責められるのではないか…。どんな仕事を前にしても、最初に恐れが出てきてしまうのです。実際に当時のMUGENには、今とは違って怖い先輩方が結構いました(笑)魚の下ろし方を知りたくても、細かい点までは聞きづらい…。みんな忙しいのに、声をかけたら怒らせてしまうかも…。そんな遠慮もあり、何も知らずに真鯛を触った私は、背びれが指に刺さって熱を出したこともありました。すごく痛かったし、悲しい気持ちになったものです。外国人の私には、そもそも任せてもらえる業務が限られていました。当時の環境は私にとって、仲間として認められていないような疎外感があったのです。任された経験がないので、いざ手をつければ失敗する。そして、厳しく責められるのです。あまりに理不尽に思える状況に、先の見えない日々が続いていました。入社して1年も経たないうちに、ついに私は無断欠勤をしてしまいます。とうとう店に行くのが嫌になってしまったのです。店長からは何度も電話が来ていましたが、ずっと無視をしていました。こんな想いをするくらいなら、他の仕事を探そうと思っていたのです。丸2日間、さんざんお酒に溺れた後、品川で一緒に働いているネパール人のサンカルからの説得もあり、店舗で話合いの機会を設けることになりました。再びメンバーと顔を合わせ、それでも心は完全には晴れませんでしたが、ひとまず現場に戻ることにしました(あのときは、ご迷惑をおかけして申し訳ございませんでした)。

一人のリーダーの登場により、店舗も自分も生まれ変わった!

その当時、品川ではメンバーの異動や退社があり、新たに平良さん(現在は退社されて社外で活躍されています)が副店長として配属されました。彼が来てから、品川の雰囲気はガラリと変わりました。平良さんは私に対して、どんな仕事も任せてくれる初めてのリーダーでした。「人間は失敗するのが当たり前!失敗しなくちゃ誰だって覚えられないからね!」「やってみよう!クマルにも絶対にできるよ!」…彼は私にそう言って、あらゆる業務にチャレンジさせてくれました。私は以前とは見違えるほどに、仕事にやり甲斐を見出すようになりました。一人のリーダーの存在により、自分が仲間として認められていること、仲間のために貢献できていることを、初めて実感できるようになったのです。あれほど怯えていた失敗への恐れも、いつしか消えていました。出刃包丁で何度も指を切りましたが、「できる!」というマインドに変わったことで、自然とモチベーションが湧いてきたのです。

社内の各種検定にも積極的に参加するようになり、調理技術の評価指標となる「料理検定」「炉端検定」では、無事にA判定を取得しました。翌年には平良さんが店長に昇格し、さらに明るく、強いチームへと成長しました。その頃には、仕事は「楽しくてたまらないもの」へと変わっていました。仲間と通じ合い、協力し合えることが嬉しい!お客様との交流も楽しい!売上はどんどん上がり、毎日がお祭り騒ぎ!その年の社員総会では、私たちが店舗MVPを受賞し、仲間と喜びを分かち合うことができました。

毎日顔を合わせる「仕事」は、自分にとって「友達」である。

私にとって「仕事」とは、まるで「友達」のような存在です。友達には、毎日だって逢いたいでしょう?いつも身近にいてくれて、人生を豊かにしてくれる大切な存在…。それが仕事であり、友達でもあるのです。このような仕事観が得られたのも、私がMUGENに入社できたおかげです。あのとき一度は逃げ出した私を、店舗の仲間は再び受け入れてくれました。「やればできる!」という自信を、私に与えてくれる素晴らしいリーダーにも恵まれました。今や私はどこへ行っても、その自信が揺らぐことはありません。私にはもう、憂鬱な気持ちで仕事に向かう日などないのです。ただし、二日酔いの朝だけは除きますが…(笑)

社内の料理コンテスト『M-1グランプリ』で、ヒット商品の開発に成功する。

私は社内の料理コンテスト『M-1グランプリ』で、昨年末に初めて優勝しました。『M-1グランプリ』は、コロナ禍で店舗の営業が出来なかった時期に、現場の商品開発力を高めるために始まった新しい取り組みです。月に1度のコンテストでは、参加者がそれぞれ自慢の一品を持ち寄り、全員で試食を行います。商品はすべて、「なかめのてっぺん」業態での販売を想定して出品します。価格・味・見た目・提供シーンなど、総合的な観点において、いかに高付加価値の一皿を開発できるか。それが、コンテストにおける評価基準です。結果は参加者の投票で決まり、優勝者のレシピは、グループの居酒屋業態全店舗に共有されます。そして1ヵ月間、実際に各店舗のお勧めメニューとして導入されるのです。さらに、販売数に応じて、その売上の一部が発案者にキックバックされる仕組みになっています。私が優勝を獲得した商品は、ネパールのおやつとして親しまれている「パニプリ」をアレンジした、その名も『痛風パニプリ』。「プリ」と呼ばれる油で揚げたスナックの玉のなかに、「白子」と「あん肝」を添えたのがクマル流のアレンジです。この『痛風パニプリ』は、お客様からも大好評!各店舗のメンバーが積極的にお勧めしてくれた成果もあり、なんと1ヵ月間で9240個の販売数を記録したのです!このときは本当に嬉しかったですね。

MUGENに入社する前の私は、料理の知識も経験もありませんでした。今では毎月のコンテストが楽しみになり、レシピに関するアイデアも次々に浮かんでくるようになりました。MUGENでは、現状の知識やスキルだけを見て評価されることはありません。一人ひとりのチャレンジ精神を尊重し、未来に期待してチャンスを与えてくれる環境があります。そのような文化に背中を押されて、私はここまで成長できたのです。

感謝の想いを胸に、今後も店舗を盛り上げていきたい。

コロナ禍もようやく落ち着き、以前のように活気に満ちた光景が品川にも戻ってきました。仲間と一緒に働けること、お客様が店舗に足を運んでくださることが、私にとって以前にも増して幸せなものへと変わりました。店舗の営業が思うように出来なかった2年間、会社は私たちの給料をずっと保証してくださいました。これには本当に感謝しかありません。飲食店にとって危機的な状況が続いた数年間、周囲では閉業を余儀なくされた店舗も少なくありません。そのような状況においても、MUGENでは商品開発力の向上を掲げた料理コンテストをはじめ、未来に向けた取り組みが続々と生まれていました。社員総会や社員旅行も変わらず開催いただき、内山さんという頼もしいリーダーのもと、私たちは前向きに歩むことができました。多くのお客様が、「なかめのてっぺん」の料理や接客を愛してくださっていますが、私自身が誰よりもお店のことが大好きです。妻とは毎月のように食事に訪れていますが、いつ来ても、何を食べても本当に美味しい!決して飽きることがないのです。

将来的に私が日本に永住するのか、またはネパールへ帰国することになるのか、今の時点では何も決まっていません。明日のことは誰にもわからないし、それで良いと思っています。今後も感謝の気持ちを忘れずに、楽しみながら店舗を盛り上げていきたい。それが私の一番の想いです。娘が生まれてからは、自分のなかで責任感が大きく増しました。今ではお酒を飲んで家を空けることもありません(笑)現在、娘はネパールに住む両親のもとで預かってもらっています。家族と離れて暮らす生活には、もちろん寂しさを感じることもあります。内山さんは、そんな私たちを常に気にかけてくださり、私は今春に6週間もの帰国の機会をいただきました。おかげさまで両親や娘と久々に再会し、故郷で幸せな時間を過ごすことができました。妻の喜ぶ姿も見られて本当に良かったです。年内には店長のサンカルの一時帰国も決まっているので、彼が心置きなく里帰りを楽しめるよう、仲間としっかりと店舗を盛り上げていくつもりです。今のところ、今期の品川の業績は順調に推移しています。ぜひとも再び店舗MVPを受賞できるよう、気を抜くことなく励んでいきます!

※MUGENでは、社長は肩書きではなく名前で呼ばれています。

なかめのてっぺん 品川

住所 〒108-0075
東京都港区港南2-2-2 富士ビル3F
電話番号 03-6433-3069
営業時間 【月~金】
ランチ 11:30~14:00
ディナー 16:00~0:00(L.O.23:00)
【土】
ディナー 16:00~0:00(L.O.23:00)
【日・祝日】
ディナー 16:00~23:00(L.O.22:00)
定休日 なし
座席数 30席
HP なかめのてっぺん 品川

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