東日本大震災から間もなく14年。東京電力福島第1原発事故の処理を巡っては、風評被害が常に問題になってきた。福島在住のジャーナリストで東日本大震災・原子力災害伝承館客員研究員の林智裕氏は「印象操作や不安の扇動などの風評『加害』が生まれ、そこに一部メディアが加担する動きもあった」と指摘する。処理水の海洋放出や除去土壌の処分など、原発事故の対応は今後も続く。風評被害を防ぐため、メディアの役割が改めて問われている。
根拠を示さず「鼻血出た」
風評被害とは、根拠のない噂や臆測などで関係者が受ける経済的損失などを指す。福島第1原発事故の後では、周辺地域の農産物や水産物が、放射性物質の検査結果が基準値を下回っているにもかかわらず、買い控えられる状況が続いた。
林氏は著書「『正しさ』の商人 情報災害を広める風評加害者は誰か」(徳間書店)で、「情報災害」を「災害本体に付随する強い社会不安に伴った疑心暗鬼と風評、誤解によって起こる多様な悪影響のことを指す」と説明する。
分かりやすい例が「AERA」(朝日新聞出版)の平成23年3月28日号で、表紙に防護マスクの写真とともに「放射能がくる」との見出しを載せた。根拠を示さず放射線被曝(ひばく)で鼻血が出たことを示唆する漫画や記事も相次いだ。林氏は福島への差別や偏見の助長にメディアが加担する構図の具体例として、誤解を招くタイトル▽事実の中に根拠不明な情報を混ぜ込む▽別の意味を持つ数値や単位の混同-などを挙げる。
中国政府に利用され
令和5年8月から行われた原発内のタンクに貯蔵された処理水の海洋放出では、漁業関係者は風評被害の懸念から反対したが、廃炉作業の障害となるため政府は放出を決断。これに対し、中国政府は処理水を「核汚染水」と呼び、外交カードとして利用した。
処理水は人体に影響を与えないとされるトリチウム以外の放射性物質が浄化処理されている。メディアは処理水問題を具体的にどう報道してきたのか。
林氏は朝日新聞と東京新聞のX(旧ツイッター)公式アカウントを対象に、平成23年~令和5年のツイートとポストを調査した。事故直後は未処理の「汚染水」として取り上げていたが、平成29年以降に汚染水と処理水を混同する内容が急増。令和2年には「処理汚染水」「汚染処理水」などの造語が生まれた。
林氏は「社会の不安をあおっただけでなく、中国政府が外交カードとして使うきっかけになった可能性もある」と指摘する。
3年以降、経済産業省が処理水の定義を厳格化したことなどが影響し、造語や混同は減少した。5年に海洋放出が始まってからは、科学的データや国際比較に基づいて処理水を説明する報道が目立つようになった。
海洋放出から1年を迎えた昨年8月、朝日新聞は中国政府の「言いがかり」を批判する社説を掲載した。
「背景踏まえて言葉選ぶ」
風評被害を巡っては、被害を報じることがかえって風評を周知させる「逆効果」を懸念する声もある。だが、「反動に目を奪われ、デマが野放しにされるのは本末転倒だ」と林氏。中国政府の主張が国際社会で理解を得られていないのは、日本政府やメディアが根拠をもって反論を続けた結果とも考えられる。
報道各社はこの時期、東日本大震災の特別番組を制作している。2月の定例記者会見で、TBSの龍宝正峰社長は「科学的な知見を含む多角的な視点で、伝えるべき情報をしっかり提示し、裏を取って説明していくことが大事だ」と強調。文化放送の斎藤清人社長は「メディアが加害者側になることもあり得るという認識を徹底し、センシティブな題材を扱うときは、そこまでの流れとか背景を踏まえ言葉選びから神経質にならなければ」と述べた。
除去土壌を「汚染土」、人権侵害との指摘も
昨年9月20日、東京都新宿区議会の一般質問で、れいわ新選組新宿の沢居恵美区議は「これは再生利用などではありません。汚染の移動です。放射能汚染土の再生利用は、進めてはいけない」と発言した。
沢居氏の言う「放射能汚染土」とは、原発事故後の除染によって庭先や農地からはぎとって回収された土を指し、福島県内に大量に保管されている。環境省は放射性物質の濃度が1キロ当たり8千ベクレル以下の「除去土壌」は公共事業などでの再生利用が可能だと説明し、全国数カ所で実証事業を検討中だ。
新宿御苑も候補地で、区議会で質疑が行われていた。沢居氏の発言を受け、自民党区議団の渡辺美智隆区議が「人権侵害につながり得る発言があった」と動議を提案。議会運営委員会で協議され、動議は成立しなかったが、自民党区議団の意見として「汚染土と呼んで区民の不安をあおることは職業差別や人権侵害につながり得る」と議事録に明記された。
沢居氏は本紙の取材に「放射能汚染はなくなるわけではなく、汚染土はその通りの言葉。国の原発政策の誤りが積み重なっていることを象徴している」と主張。一方、渡辺氏は「科学的に危険を抑えた除去土壌を放射能汚染土と呼ぶのはレッテル貼りで、福島の人を傷つけ差別にもつながり得る」と話す。
除去土壌の再生利用は今後本格化する。林智裕氏は風評加害を懸念する一方、「新宿区議会での動きは率直に評価できる。科学的根拠を欠いた主張には都度きちんと反論することが重要だ」としている。(大森貴弘)