■選挙落選は国家の陰謀と主張

 

 年が明けて1990年2月18日に投票が行われた衆議院議員選挙では、麻原をはじめ「真理党」から立候補した25人全員が落選しました。麻原の得票数は1783票にとどまり、教団では、投票箱のすり替えが行われ不当に落選させられたと主張しました。

 

 麻原は、翌2月19日の説法で、以下のように述べています。

 

 今回の選挙の結果は、はっきり言って惨敗、で、何が惨敗なのかというと、それは社会に負けたと。いや、もっと別の言い方をするならば、国家というものに負けたと、いうことに尽きると思います。で、今回の結果を、まあ君たちはどう分析してるかわからないけども、わたしは初めは、狐につままれたような状態で、あの結果の推移を見ました。そして、まあ、それが決定されたあと、わたしの長女であるドゥルガー、それから、三女であるウマー・パールヴァティーが、
「お父さん、トリックがあったんじゃないの?」
と。つまり、選挙管理委員会を含めた大がかりなトリックがあったんじゃないかという話を、まあ、子供たちがわたしにしたわけです。

 

 で、君たちも知ってるとおり、真理党の基礎票というのは一万数千票はあったはずと。ところがこの一万数千票が、少なくとも基礎票である一万数千票が、票になって出てこなかったと。そして、わずか千数百票と。で、気づいた人もいるかもしれないけども、東京周辺部、つまり千葉・埼玉・神奈川の票は出ていると。ところが東京の票は出ていないと。だから、考えられることは、選管絡みの大きなトリックがあった可能性はあると。わたしはそう考えています。今ですね、これは。つまり、国家に負けたと。


 冷静に考えれば、このような国家ぐるみの「トリック」など、できるはずもなく、あるはずもないのですが、こうした滑稽な説でも多くの信者が信じてしまったのでした。現実感覚を失っていたものといわざるをえません。

 

 上祐氏等の一部の信者は、独自の調査の結果、麻原の落選は間違いないと合理的に判断していましたが、大部分の信者は麻原の荒唐無稽な説を信じてしまいました。というよりも、むしろ信じることを帰依として、美徳としていました。

 

 なお、麻原は、盲学校時代に生徒会長選挙に立候補し、落選した際にも、落選は教師による陰謀と思い込む被害妄想があったとされており(前掲『麻原彰晃の誕生』)、それが真実だとすれば、これは麻原の青年時代からの一貫した傾向ということができます。

 


■落選を機に教団武装化へ

 

 同年3月、麻原は、遠藤誠一氏らにボツリヌス菌の培養を指示しました。4月中旬までに日本中に散布するという計画を立て、実行に移そうとしたのです。さらに、風船爆弾を開発して、ボツリヌス菌を風に乗せて、アメリカまで飛ばし、散布する計画も立てました。

 

 このような武装化のスタートは、選挙落選を機に行われるようになりました。

 

 現に4月10日頃、麻原は、

 

「今回の衆議院議員選挙は、私のマハーヤーナにおけるテストケースであった。その結果、今の世の中、マハーヤーナでは救済できないことが分かったので、これからはヴァジラヤーナでいく。」
「これは宇宙の法則であり、本来なら神々がすることだが、神々がやると残すべき人を残すことができないので、我々でやる」

 

等と述べています。

 

 判決でも、麻原は、
 

「現代人は生きながらにして悪業を積むから,全世界にボツリヌス菌をまいてポアする。救済の計画のために私は君たちを選んだ。などと言って無差別大量殺人の実行を宣言」

 

したと認定されています。

 

 また3月24日にも、

 

「人間の魂がもっともっとけがれ、そして第四期、破壊の直前になるとタントラヤーナの修行においても救済できない、そういう魂の世界が人間界に形成されます。ここで登場してくるのが、ヴァジラヤーナ、つまりフォース、力を使って、武力を使っての破壊です。」

 

という説法を行っています。

 

 前記の通り、もともと麻原には武力行使の思想は強くあったのですが、それはイメージの世界だけにとどまっていました。しかし、選挙落選によって、現実に、武器製造と大量殺戮計画という形で本格化していったのでした。

 

 こうした動きについては、大部分の信者は知りませんでしたが、選挙敗北は国家権力の不正のせいだという被害妄想的な意識の集団的な増長が、こうした教団の変化を生んだと考えることもできます。

 


■信者避難のための石垣島セミナー

 

 同年4月には、沖縄県・石垣島に多くの信者を集めてセミナーが開かれました。正式名称は、「神言秘密金剛菩薩大予言セミナー」というもので、当時地球に接近しているとされるオースチン彗星がもたらす影響についての説法がなされるとのことでしたが、さしたる内容もないまま現地で急きょ打ち切りとなり、皆、本土へ帰ったのでした。

 

 実は、このセミナーは、教団がボツリヌス菌を本土に散布するにあたって、信者だけはその被害を受けないようにと考え、信者を避難させる目的をもって行われたものでした。しかし、もちろんそのような真の目的は、一般の大部分の信者には全く知らされていませんでした。
 
 しかし、ボツリヌス菌の製造に失敗して散布計画が破綻し、避難に意味がなくなったため、上記の通りセミナーは急きょ打ちきりとなったわけです。

 

 事実、このセミナーに際して、4月13日、麻原は以下の説法をしています。

 

 もし、今回のオースチン彗星が本当に光音天に至るためのサインとして登場したのなら、この中の四分の三以上は滅んでしまうだろう。なぜならば、生きていくための、生き残るための、そして、生かされるための条件を整えてないということになるからだ。

 

 一つだけ言っておこう。君たちの知らないオウム真理教の部分があるということだ。それは君たちがちゃんとこのように修行できるために、その人たちは、日夜、どのようにしたら君たちが本当に修行ができるか、あるいは、多くの魂が修行できるかということを考えている一群があるということだ。そして、その人たちはヴァジラヤーナの道を歩かなきゃなんない。

 

 このように「君たちの知らないオウム真理教の部分」があって、しかもそれは「ヴァジラヤーナの道」を歩いているということが、すでにこの頃の説法で論及され、裏の非合法活動について示唆されていたことがわかります。

 

 しかし、大部分の信者は、その真の意味合いを理解せず、真剣に探究しようともせず、麻原のいうまま安易にこの流れに乗り続けたのでした。

 


■武装化拠点として波野村に進出

 

 5月になると、麻原は、熊本県の波野村に約15ヘクタールの土地を取得し、「シャンバラ精舎」と名付けて、新たな教団施設の建設に着手します。

 

 その真の目的(の少なくとも一つ)は、教団のヴァジラヤーナ活動のための兵器開発の場を得ることでした。

 

 ところが、麻原は、その誇大妄想的な傾向のためか、教団の軍事力の行使を相当に近い将来に設定して、それを急ぐあまり、通常の土地取得に求められる法的な手続き(国土法の届け出)を行いませんでした。そのため、適法に取得手続きを進めようとする早川氏を怒鳴って急がせたほどでした。このことが、後に、国土法違反として、熊本県警から摘発される要因となってしまいます。

 

 この波野村への進出は、地元村民の大きな反対運動にあいました。6月には「波野村を守る会」が発足し、波野村行政は信者の転入届を不受理としました。また多数の村民が教団施設前に訪れ、教団の工事や通行を妨げるなどしました。

 

 こうした動きに麻原は激しく反発しました。7月、波野村一帯に水害が発生すると、麻原は、自分こそノストラダムスに予言された救世主であり、救世主を迫害した波野村に災厄が訪れた旨の解釈を機関誌で公表しました。

 

 そして、

 

「私はここに宣言する。私は今世紀最後の救済者であると。また、オウム真理教は、私自体が予言詩にあるとおり神である証明として、今年中にマハー・ムドラーの成就者を40人出し、神の団体となっていくだろう」

 

等と宣言しています。

 
 また、この時期の機関誌では、「素晴らしきグル麻原――命分け与える真実の愛」と銘打つ特集を行い、グルイズムを強化するとともに、秘密結社フリーメーソンが世界を支配しようとしているとも機関誌で論及しました。

 

 こうして、波野村騒動の中で被害妄想が拡大するとともに、ノストラダムス予言を引用してのグルの絶対化(誇大妄想)を進め、フリーメーソン等の外敵を設定して内部結束を固めるとともに、閉鎖的な環境の中での共同幻想を増長させていったのでした。

 


■進む武器の製造

 

 この間、教団の裏では、武器の製造も進んでいました。富士宮市や上九一色村、そして波野村の施設で、ボツリヌス菌、塩素系の毒ガス、硝酸(火薬の原料)、時限発火装置の研究などが行われました。

 

 まず、ボツリヌス菌については、この年の前半までに、製造実験の失敗が相次いで、後に述べるように警察に検挙されそうにもなったため、いったんは中止となり、年の後半は、塩素系の毒ガスの研究・実験に移行していきました。

 

 しかし、9月頃になると、波野村の土地取得に絡む国土法違反の容疑で熊本県警が教団の捜査に乗り出しているとの情報が入ったため、麻原は、毒ガスの製造を急ぐように指示しましたが、当然完成することはなく、強制捜査が行われました。

 

 強制捜査の結果として、毒ガスの製造実験が摘発されることはありませんでしたが、その時までに行なわれた研究実験は一切中止となり、設備も含めて撤去されました。

 

 また、この頃、麻原は、ノストラダムスの予言研究を再開し、1997年からハルマゲドンが起きると解釈しました。97年がタイムリミットと設定され、ますます緊張感が高まっていきました。こうした予言が有形無形で信者らを精神的にヴァジラヤーナ的雰囲気へと追い込んでいくことになりました。

 

 なお、このような武器製造については、関与していたごく一部の信者しか知らないことで、大部分の信者に対しては秘匿されていました。「君たちの知らないオウム真理教の部分」と述べられていた通りです。

 


■ヴァジラヤーナ活動に基づく成就認定

 

 こうした武器製造の過程の中で、同年6月、村井氏らがボツリヌス菌の製造実験中に作った菌入り培養液を川に流していたところ、山梨県警に発見され、連行されるという出来事が起きました。

 

 しかし、そもそもが、教団の製造したボツリヌス菌は有毒なものではなく、事実上雑菌であったことから、警察はサンプルを収集しただけで、村井氏らをすぐに釈放し、後から立件することもありませんでした。

 

 しかし、この検挙の結果、ボツリヌス菌の製造実験は一切中止となり、強制捜査の可能性を恐れて、その製造施設も撤去されることになりました。

 

 同時に、村井氏は、集中的な瞑想修行に入り、その3日後に、マハームドラーといわれる教団内では高い修行ステージを成就した、と麻原に認定されました。村井氏が短期間に成就にした理由は、一般信者には説明されませんでしたが、麻原によれば、「警察に検挙されるという失敗のため、闘争心の煩悩・カルマが落ちたから」というものでした。

 

 このように修行の成就のプロセスが、違法行為を含んだ、特異で反社会的なものとなっていっていったのですが、この傾向はその後の教団に続いていくことになります。

 


■国土法事件――ヴァジラヤーナを決意

 

 10月22日、熊本県警は、波野村土地取得に絡む国土法違反容疑で、青山弁護士ら複数の幹部を逮捕し、全国施設を捜索しました。

 

 一定以上の広さの土地を購入するにあたっては県知事への事前の届け出が必要であるにもかかわらず、それをしていなかったという容疑です。前記の通り、武装化拠点としての整備を急いでいた麻原は、この届け出をすることなく土地を急いで購入したので、確かに国土法に違反していました。

 

 しかし、教団では、この土地は「購入」したのではなく、「贈与(正確には負担付贈与)」されたものであるから事前届け出は不要だったという嘘の主張を展開して、無実を訴え、熊本県警の捜査は不当な宗教弾圧だと反発しました。

 

 この際、麻原は、一部の信者に対して、

 

「マハーヤーナ(大乗、合法的手段)でも救済できるかもしれないと私が思ったのは間違いだった、やはりヴァジラヤーナ(非合法手段)で行く!」

 

とか、

 

「(強制捜査よりも早く毒ガスができていたら(警察に)勝てたのに」


などと言いました。

 

 さらに、多くの高弟が逮捕されたことに怒り、熊本県警に重油入りのトラックで突っ込むべきだと主張する一幕もありました(これは、上祐氏の反対があって、取りやめとなりました)。

 

 そして、麻原が、100パーセント、ヴァジラヤーナ路線で進むことを決意したのは、この強制捜査の後だと考えられます。というのは、それまでは、麻原の中に、マハーヤーナ路線との選択に迷う面があったからです。

 

 というのも、この年の6月以降、村井氏のマハー・ムドラーの成就に続いて、少なからずマハー・ムドラーの成就者が誕生したため、麻原は、いったんはマハーヤーナ路線でも自分の救済ができるのでは、と考えた時期があったのでした。

 

 一方、大部分の信者らは、国土法のような形式犯(微罪)にもかかわらず、大々的な捜索や逮捕がなされたことから、ますます被害妄想を強めていくことになりました。

 

 教団は、機関誌上で、青山氏ら国土法事件で逮捕された信者達は、他人の苦しみを引き受けるという聖なる菩薩の修行をしており、国家は間違っている旨を主張しました。

 

 こうして、自分たちこそ聖なる被害者としての位置づけを行い、自己陶酔的な盛り上がりを見せ、より反権力的になっていくきっかけとなったのが、この国土法事件でした。

 

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