女神、それも美神ともなればその口に合うものはなんだろうとテキトーに考えてみる。
自由奔放な
手頃な屋台が数多く立ち並ぶそこは、飯のバリエーションで言えばまず選ぶのに困らない。
そして一つの結論に至る。
「――それで、ジャガ丸くんってどういうことかしら?」
「どうしてですか。ジャガ丸くん美味しいでしょう」
「オッタルやアレンにこのことを伝えたらどう思うかしら」
「俺も貴女じゃなければこんな風にしませんよ」
「ある意味特別扱い、ってことね」
「食べたくなきゃ俺が食べますが」
手頃なベンチに座った俺とフレイヤ様。
俺のそんな言葉にじっ、と手に持つジャガ丸くんを見つめているフレイヤ様に構わず俺の分のジャガ丸くんに噛り付く。
口内を通じて鼻腔へ広がる香ばしいパン粉と、揚げ物特有の口の中を弾く衣の歯応え。
高温の油で外から中身にかけて加熱された芋は熱すぎず冷めすぎず、素朴な味わいを保ちつつ調味された芋の味を隅々まで堪能できる絶妙な温度感を以て腹の中に収まっていく。
「路地裏でゴミを漁っていた頃が懐かしいです」
「コレを見てなんでソレを思い出すのかしら」
「生ごみと比べたら立派な高級料理ってことです」
「料理未満の食べ物との比較は比較にならないのよ?」
それは本当にその通りである。
だがだからこそ、手軽かつ簡単に栄養補給が出来たうえに味のバリエーションがつけられるジャガ丸くんはオラリオにおいて神にも紹介できる最高の食べものと言って良いだろう。
で、そんな風に堪能している俺に何を感じたのか、一口食べてみて……そのまま食べ進めるフレイヤ様の姿が隣にあった。
「結局食べるんじゃないですか……」
「食べないなんて誰が言ったかしら。それに、たまにはこういうのも悪くないわ」
「ここまでやっといてアレですが……これそんなにヒドイでしょうか」
「少なくとも女性を伴う食育に関しては心当たりがあるわ」
「フレイヤ様の為に追加でトッピングまで乗せたんですよ」
しかも期間限定のしおから味。
「エールが欲しくなってきますねぇ……やっぱり仕事の後にするべきだったか」
「あなた今年でいくつだったかしら」
「今年で十六です。誕生日を知らないので年の節目で数えることになりますが」
「私ね、年齢って心の若さで量るべきだと思うの」
「推定年齢ウン億歳が何をいけしゃあしゃあと」
「選出にセンスを感じない」
「はっきり言い過ぎでは?」
女性に年齢の話を持ち込んだ俺も悪いが、傷つく心くらい俺も持っている。
とは言いつつも悪くないというのは本当なのか、小さな口ではも、と女神と隣り合わせで手に握った揚げ物へ噛り付く。
……だが言われてみると、どう見えるんだろうかこの絵面。
美の女神が、ジャガ丸くんを食べている。
清流に揚げ油でギットギトのパン粉を流しこむ暴挙とかそんな感じだろうか。
下界に降りてきた神は『全知零能』と呼ばれ、端的に言えば超越者としての能力の大半を封印することで只人と等しくなっている。
だから、神によっては『神気』なるものを抑えてこうして群衆に溶け込むことも可能ではあるのだが……その精度はわかる
ましてやフレイヤ様は『美』を司る女神。
いくら神としての気配を封印しようが、自前の美しさが普通に人間離れしてるからどうあっても人目を引いてしまうのだ。
「それで、今回はどんなことで動き回っているのかしら。あなたの立場上、ロイマンの頼みごとを汲むことはあれど頼まれることはないとは思うのだけれど?」
「どうせおおよその検討はついているのでしょうに」
「でも対処するのは貴方じゃない」
そうあっけらかんと口にする女神にまた溜息が出そうになるのをどうにか堪える。
とはいえ、俺が今取り組んでいることは彼女の
他のことは、好きに立ち回らせて貰っている義理を通す為にやっているに過ぎないのだから。
それを知ったうえで、フレイヤ様が眷属の護衛を抜け出して俺に会いに来た。
女神フレイヤとは気紛れである。
美と豊穣、戦場と生死を司るが故に、その行動原理は多岐に渡りどこで結びつくかわからない。
それこそ猫なんて目じゃない『神』のソレは、時に一刻を争い大国の情勢すら傾きかねない規模にもなる。
それらの性質の影響でこれまでに何人の女神や男神、オラリオの神々から畏れられ、恐れられ、恨みを買っているのかなんてのは彼女の眷属の一人として働くうちに否が応でも理解したことだ。
何もないわけがなかった。
「――ことの発端は『
故に回りくどいことはなしだ。
何もないわけがないが、それでこの女神の意図が読めるようであれば俺はこれほど苦労しない。
この人とて暇じゃない。基本的に傍で仕えているのがオラリオ――ひいては現状において下界最強の冒険者の一人が付きっ切りで彼女を護っているのだ。
そんな
そして予想通りに銀の視線が続けて、と語っている。
「ダンジョン内で行方不明になった冒険者パーティが立て続けにギルドに報告されていました。現場の血痕と装備から、既に亡くなられてると判断しギルドは調査にあたっているのが現状です」
「後手後手ね」
「ええ、我ながら情けない話です」
これでは何のためにギルドの管理体制にメスを入れたのかわからない。口利きしてくれたギルドの職員の方々にも申し訳なさしか感じない。
残った一口ぶんのジャガ丸くん口に放り込む。
更に一つを取ろうとして、いつのまにか食べ終わっていたフレイヤ様が袋に手を伸ばしてきたので、お先にどうぞと明け渡す。
「それで? 今更あんな辛気臭い組織が今のオラリオに何の用があるのかしら。四年前の事件以降、そんな大っぴらに活動できる手足は軒並み斬り落としたと思うのだけれど」
「でしょうね。俺も話を又聞きした程度ですが、同じ意見です。ですが――」
「――動き出した以上、
……流石は全知零能。
というか、それだけ頭が回るのに零能を自称するなんて俺からしたらそれこそ嘘っぱちというか、反則じみている。
だが、それもまだ確定したわけじゃない。
実際のところは『闇派閥』に扮した存在で、何かの新勢力である可能性だって捨てきれないのが現状なのだから、そう断ずるのは危険極まりない。
あくまで現段階、ということを念頭に置いておかなければ。
何せ、きな臭いのはそういった動きだけではないのだから。
「
「……それは?」
「今のところは手掛かり、としか」
外套の懐から取り出したのは――極彩色の魔石。
掌サイズのソレは、ダンジョンに住まうモンスターから採取できる『魔石』と称されるもの。
魔力が込められたそれらは様々な道具に加工できるという特性からオラリオの産業を支え、冒険者の資金源ともなるそのアイテムは、その色は一様に紫紺であるのが特徴である。
だが、それは基本的な話。
では、今フレイヤ様の掌に握られるソレはどうか。
中心が極彩色、残る部分は紫紺色となっており、これまでの冒険者の活動において見た事のない輝きを放っている。
ギルドに寄った理由の一つは、コレを回収するためのものでもあった。
「……俺はこの後、調査の為にとある場所に『
「あの子いつも働いてるわね」
「もうそういったスキルが発現してもおかしくないかと」
「今度様子を見に言って笑ってあげようかしら。なにせ『
「やめてあげてください」
『
だが言われて、脳裏に協力者である水色の髪を持った眼鏡の美女の姿を思い浮かべる。
最後にあった時は随分とやつれていた様に見える。
目元に隈があったのを見るに、気苦労が絶えない境遇にあることは大いに察せた。
彼女に誰にも見つからず一人で静かにゆっくりできる食事処でも紹介しよう、と心に決める。
「というわけで……頼み事をするなら今ですよ」
「ふふふ、お見通しというわけ?」
「あなたのことですから、俺が断る様な話運びになんて持っていかないでしょう。俺の気が変わらないうちに、どうぞお申し付けください」
慇懃に、はたまた無礼と取られて当然な口調を以てフレイヤ様へ問いただす。
……俺とてこんな口の利き方はどうかと思ってる。
実際、それで他の眷属に半殺しにされたこともあるのだ。
だが、なんの不思議か。
どうにもフレイヤ様には、俺のこうした態度から来るやり取りがこう……凄く、楽しく感じてるみたいなのだ。
「そうね――アルノに、向かって欲しい場所があるの」
……それ見たことか。
なんとなくそんな予感はしていたが、その『神意』は問い質してみないことにはわからない。
たとえそれが、聞いた時点でどうしようもなく関わざるを得ないものだとしても。
「口ぶりからして俺一人で向かうと解釈しますが……オラリオを離れるわけにはいかない、とはご理解いただけてると思います」
「なにも遠出して欲しいわけじゃないわ。場所はオラリオの東側よ」
「……そこで俺に何をしろと?」
「とある女の子の『わだかまり』をどうにかして欲しいの」
……話が見えてこない。
俺にそれをさせる理由、俺でなきゃ行けない理由も、背景の何から何まで曖昧だ。
だが、これまでの付き合いから何となく理解できる。
これはいつもの
「……てっきり
「ふふっ、ある意味そうと言えるかもしれないわね」
「毎度思うのですが、その意味深げな言動もう少しどうにかなりませんか」
「別にからかってるわけじゃないのよ。そうしないとおもしろ……つまらな……えぇ」
「途中で面倒くさくならないでください」
せめて取り繕う努力はして欲しい。
とはいえ、今回の件は明らかに彼女なりの深い理由があって、思考を巡らせ、適切な段取りをしているのは事実だろう。
『
……しかし、女。女と来たか。
何分そういった方面に関しては経験は皆無なので、俺にどうしろという感が正直強いが、この神の頼みを断れるというのなら最初からそうしている。
「場所はどこです? まさかダンジョンの深層ともなれば話は変わってきますが」
「『豊穣の女主人』って酒場なのだけれど」
「…………」
「ふふふ、どうしたのかしら。アルノ」
…………………それは、なんというか。
「偶然、でしょうか」
「私も驚いたわ。だからあなたにこうして会いに来たの」
「もしかしなくとも、俺の会話などどこかから筒抜けだったのでは?」
「それこそ神のみぞ知る、ね」
「うまく言ったつもりですか……」
俺が何に驚いているのか。何やら意味深げに笑みを浮かべるフレイヤ様の姿も、今は視界にも入らない。
何を隠そう。
そこは、次の『仕事』の待ち合わせ場所であったのだから。
「それで、どうかしらアルノ。引き受けてくれる?」
「完遂できなきゃまた俺に無理難題ふっかけるでしょう、アナタ」
「女神だもの。何より子の試練を用意するのは
直後――世界は停止した。
「――――」
切り取られた世界から、色が消え去った。
空を往く鳥も。街の喧騒も。太陽の傾きも、女神の『一瞥』を前に悉くその刹那を奪われた。
終わりなき刹那は永遠と同義。
否、ソレに時間の概念などない。
一秒とて切り取られ、留まれば、それは永遠となる。
何せそれは、本能や身体に施されるものではなく『魂』へ働きかけるもの。
人の御業を超えた神の権能。
それが、たった一人の
「――あなたの『過去』も、私の
頬に手が添えられる。
伸ばされた指はやがて柔らかく艶やかに、その顔全体を包み込む。
肌に甘く溶けていく痺れは、事実猛毒が如く快楽をもたらす。
それはまさしく、魂を喉元でゆっくりと嚥下する様に。
その視線で、声色で、仕草で、色気で。
不条理な法則染みた『美』の圧政を以て、アルノ・レンリの魂を解きほぐす。
――――これこそが女神の放つ『魅了』。
『美』の女神フレイヤの権能にして真髄。
劇薬も過ぎれば転じて毒となる。
水を飲む、脚を使って歩くという単純な行為も度を過ぎれば醜悪に見えるように。
文字通り空間すら蝕む魅力というのは、絶大なまでの暴力でしかない。
蠱惑的な笑みは理性を溶かし、ヒトをヒトのまま獣に堕としめる魔性の気。
俺はそれを――。
「――――ソレ、
――恐らくしかめっ面だったであろうその表情を以て、その銀の瞳を見つめ返した。
「……ふふふふふ、ふふっ」
そして、世界が元に戻った。
せき止められた時間の流れが、何事もなかったかのように全て元に戻った。
たった一人に向けられた『魅了』によって、人々は俺達に目をくれることもなくこの場を通り過ぎていく。
それを知る者はこの場においてたったの二人だけ。
その片割れは、文字通り全身に歓喜を巡らせ、扇情的な白い頬をいっそ病的なまでに紅潮させていた。
「……今日イチ機嫌が良いことに疑問を覚えるのですが……こう言うのはあれですが、俺って不敬なのでは?」
「ええ、不敬。生意気。慇懃ね。でもそれで良い、それがあなたよ。アルノ」
「……」
「そんなあなただから、頼みたいのよ」
「……また碌でもない頼みなのは目に見えてます」
「そして、それを断らないのもアルノ・レンリという男の本質、でしょ?」
「…………」
……どういうつもりだったのか。それを聞くつもりはない。どうせ答えてくれないだろうし。
幸いなのは、今の仕事を放棄しろというわけではないということだろうか。
……まぁ、どうであれそんなことになろうものなら何が何でも取り組んでいたわけだけれども。
そもそも、冒険者は万年人手不足。
オラリオにおいて数と規模で言えば最大派閥である『ガネーシャ・ファミリア』も手をこまねている現状で享楽に嗜む最強派閥というのは些かどうかと思うが、それはそれ。
であれば――女神の神意の一つや二つ、並行して叶える他ない。
「なんやかんやで私の言うことを聞いてくれるアナタのその姿勢、好きよ」
「俺はいい迷惑ですが」
「今も思い出せるわ。初めて会った時、あなた私のこと見たうえで横に素通りするんですもの」
「あの時は俺も余裕がなかったんですよ。色々と」
「今もそう変わらないじゃない」
「お陰様で」
そう口にして、すっかり重くなっていた腰をベンチから持ち上げる。
ジャガ丸くんは、いつの間にか全て無くなっていた。
「では、行きましょうか」
「あら、仕事に行っても良いのよ?」
「女性を独りというのも。それに休憩時に割って入って来たのですから、この際付き合いますよ」
そう口にすると、フレイヤ様は意外だったのか切れ長な銀色の瞳をそれこそ少女みたくぱちくりとしている。
否定されるのかと思ったのだろうが、それこそ心外である。
彼女の行動を咎め、決定的に間違えないように諫めたりすることはあれど、その目的にまで否定する気など微塵もない。
誰かを愛したい。
誰かに愛されたい。
そういった人を求める気持ちは、痛いほど理解できるから。
「……ふふふ。なら、お言葉に甘えさせて貰おうかしら」
「言っても無駄でしょうが、ほどほどにお願いします」
「それは私次第ね」
「実質制御不能なのですがそれは……」
待ち合わせは夜。
時間があることを幸と見るべきか不幸とみるべきか。
俺は呆れつつも、しばしの暇として女神の都市の散策に付き合うのだった。