美神の眷属が女神そっちのけで酒場に入り浸っているのは間違っているだろうか


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作:ぴえんふー
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プロローグ 疾風恩讐


 ワイルドハント。
 亡霊が率いる伝説上の狩猟団であり、馬や猟犬と共に空や大地を駆けるとされている。
 そんな彼らは、きっと嵐も逃がさない。


 

 

 

 ――闇派閥(イヴィルス)

 十三年前。飛んで五年前。

 世界の冒険者が集う栄華と鮮烈の街、迷宮都市オラリオにおいて人々を震撼させた邪神、暴徒や死兵と化した冒険者たちを人々はそう呼んだ。

 

 無数の異形なる獣を放つ大穴を塞ぐ、神の御業による拓かれた『神時代』に突入して千年。

 天界より下界たる地上へ降臨した超越者たる神々の存在は、文字通り人類を革新へと導いた。

 太古の獣にも勝る肉体を与えられる恩恵。種族を問わず魔法を身に宿すことを可能とする神秘。

 

 只人を超越存在(デウスデア)へと近づける御業は――善人をより善人に。悪人をより悪人へと変生させることとなる。

 

 神々が人へ授けた恩恵による傷痕は、決して浅くはない。

 多くの悪人が滅んだと同時に、多くの善人が命を落とすこととなった惨劇。

 正義を嗤い、悪徳が我が物顔で街を蹂躙し、数えるのも億劫になる人々の人生を狂わせた。

 だがその動乱はなんの皮肉か、狂わされた人間の善悪を問わない。

 

 善人は時に悪に堕ち。

 悪人は時に善を自覚した。

 

 そして動乱の余波は歳月を跨ぎ――今ここで一つの嵐を生み出している。

 

「――――ッ!」

「――――!」

 

 土砂降りの雨の中、光が沈んだ都市の一角にて銀光が奔る。

 迸る閃光。火花は雨を押し退け、得物のぶつかり合いに鋼が甲高く鬨を上げた。

 交わるは二者。

 一人は深き森の木の葉を思わせる緑の外套が風に乗る、長耳と空色の瞳を持つエルフ。

 一人は都市の暗がりに溶ける深い蒼の外套を雨に晒し、白い髪と褐色の肌を持つヒューマン。

 

「――くッ!」

「――――」

 

 剣風がいきり立つ。

 石造りの街路へ、民家の屋根へ、両者の戦場は速さに応え流転してゆく。

 前者はエルフの森の聖樹より切り出された木刀。

 後者は女神の血と鍛造させた黒鉄の一刀。

 蒼の暴風と深緑の疾風は重く衝突し、人の気配が希薄となった街のあらゆる路地を駆け巡る。

 一撃ごとに疾風は暴風の剣戟によって傷つき押し込まれ、一足ごとに暴風は疾風に置いてけぼりになり、無限とも言える加速と衝突を繰り返した。

 

「ハッ、はっ、は……!」

「――――ッ」

 

 ――それが、本当に無限であればどれだけ良かったことか。

 無限でなくても良い。

 あと本当に僅か、ほんの僅かな時間だけで良かった。

 この衝突の余波を嗅ぎ付け、駆けつける同業の者が居たのかもしれない。

 あるいはこの戦いを傍観する存在の気まぐれで、終わらせることが出来たのかもしれない。

 

 だがそれは無意味な仮定だ。

 無限とは有限こそが絶対だからこそ確立する矛盾。

 瞬間最大風速は一度切りの加速を以て観測され、残るは下り坂のみ。

 

 一際大きく奏でられた金切り音が、二人の間合いを突き放した。

 

 

「【フレスベルク】」

 

 

 瞬間――(やじり)の如き蒼い剣が男の周囲へ召喚される。

 それは嵐氷の尾羽。

 吹雪を内包する無数の小さな嵐の群れ。

 

 本来、詠唱という過程を得て放たれる筈のソレは、その真名を紡ぐだけで効果を発揮した。

 降りしきる雨粒を押し退け、風が唸る。地面を叩く雨水が空中で凍てついていく。

 高速の中で突き放された距離は剣という得物の間合いではない。

 

 故に――間合いの外より男の号令により一斉に射出される。

 

「【氷葬(フロス)】」

「ッ――――!」

 

 轟、と風が唸る。

 暗がりとなった都市の街路を、蒼い光と嵐が頬を斬る氷牙と共に駆け巡る。

 無数の剣は放物線を描きながら飛び回る妖精の軌跡を辿り、着弾と共に溜め込まれた凍てつく暴風を放たれれば、妖精は当然足を止めた。

 

 ――この戦闘は互いの高速機動ゆえに成立する。

 否、元より男と妖精には絶対的な()()()()()()()()()()異なっている。

 それが『勝負』として成り立っていたのは、妖精の持つ剣の腕と男の気の迷いに過ぎない。

 

 ならどちらかが足を止めたらどうなるか。それは言うまでもない。 

 

 

 疾風を、暴風が捉えた。

 

 

「――なっ」

 

 故に終わりは必然。

 甲高い音を立てて、手元から疾風の得物である木刀が弾かれる。

 がらんどうとなった胴体を晒したのは、深い森の葉を思わせる緑のケープを纏ったエルフの方。

 まさしく疾風(はやて)の如き速度のぶつかり合いにおいて、その隙と得物の喪失はこの『死合』の結果通告に等しい。

 

 迎撃、その思考すら浮かばせることもなく――その華奢な体を地面に叩きつけ、くるりとその黒い片刃を彼女へと突きつけた。

 

「ここまでです、リューさん」

「……」

 

 曇天にくすんだ空色の瞳が、男を見据えている。

 投げ捨てられたように脱力する手には、言われるまでもなく抵抗の意思は感じず、さりとて向けられた刃の切っ先に臆することもない。

 雨に打たれるきめ細やかな白い肌は石造りの床に叩きつけられて汚れ、小さな口元には苦悶なく、その流麗な顔つきを赤黒い血で染めている。

 

 だが、雨に晒されているからだろう。

 

 その瞳の端には零れるように――小さな雫が頬を虚ろに焼いていた。

 

「――なんで、抵抗しないんですか」

 

 男の……否、少年のソレはまさしく絞り出す様な声だった。

 ほんの僅か前の疾風を追い立てる戦士としての気迫など今となってはどこにもいない。

 微動だにしない刃は無情なまでに、彼女の心の臓腑へ突き立てんとその刃を雨に晒している。

 

 それこそが、この少年のこれまでの成果。

 これほどまでに弱々しくなろうとも一寸の狂いもなく、迷いがあろうとも淀むこともない太刀筋は、ただひたすら『そのため』だけに生きて来た少年の歩みの果て。

 

 

 その全てはただひたすら、彼女を殺すためだけにあったのだ。

 

 

「……なら貴方は、どうして私にとどめを刺さないのです。アルノ」

 

 栄華を極めた不夜の都に、いつもの灯かりはない。

 あるのは静かに残酷に、地面を打ち続ける雨の音。

 身に着けた外套に沁みる雨水は不思議と冬季の雨を跳ねのけるほど熱く、胸が締め付けられる。

 

 星明りも、月の光すらも呑み込む暗い暗い曇天の空の下。

 何も映らない筈の視界に映ったのは儚く言葉を放つ妖精と、石造りの床に作られた水鏡に映った男のくしゃくしゃになった顔だけ。

 

 

 故に介入もなく、妨害もなく、その言葉は冷酷に紡がれる。

 

 

「――私は憎しみのままに、貴方の義母(ははおや)を殺しました」

 

 

 震える刃に、力が宿る。

 音が遠くなる。足元は瓦解し、頭のてっぺんから爪先まで、痺れという形で世界への隔離を錯覚させられていた。

 なのに、なのに。

 指は忘れるなとばかりにその末端にまで熱を巡らせる。

 

「仲間を殺されたことを言い訳にして、心のままに殺し尽くした」

 

 脳が震える。

 頭を煮沸させる灼熱と、手を伝って胃の底から頭かけて広がる刃の冷たさでぐちゃぐちゃになっている。

 

 今更、何を馬鹿正直に付き合っているのか。

 

 だって彼女が口にしたそれは紛れもなく――男が力を求めた理由そのものだというのに。

 

 自分だってそうだ。

 死んでしまった家族の死を容認できないから、それを理由に誰かを殺そうと今まで生きて来た。

 そのために美神の眷属となり『洗礼』を受け、幾度となく九死の一生を彷徨いながらも、こうしてそれらを打倒する力を得た。

 

「あなたのたった一人の家族を、殺したのです」

 

 大好きだった、本当に大好きだった血の繋がりの無い母親を殺した存在へ、報いる為に。

 血縁もないのに、息子の様に育ててくれた赤の他人だった人へ、報いる為に。

 

 それが、あと一刺しで終わる。

 

 これで全てが報われるのだ。

 

 この刃を下ろせばそれが果たされるというのに――今まで彼女と作ってきた思い出が、それを許さない。

 

 

 

「私を殺してください、アルノ」

 

 

 

 だが、それでも。

 彼女と作って来た思い出と同じ様に。

 今までの自分が、この道に至るまでに私情で潰してきた命を無駄にするのかと、言葉もなく叫び続けている。

 

「――――ぁ」

 

 それをわかっているから、彼女は薄く微笑む。

 これより自身へ降りかかる惨劇を彼女は理解していた。

 これから目の前の男がどんな末路を迎えるかも彼女は理解していた。

 

 だから、笑った。

 

 声を僅かに震わせながら、そこに宿る悲しみを押し殺しながらなお、彼女は笑った。

 笑みを浮かべることすら珍しいと言われたエルフが、まるで朝の挨拶を告げるように。

 

 柔らかく、穏やかに――壊れてしまいそうなくらい儚く、彼だけに向ける笑みを向けている。

 

 

 それが、決定打となった。

 

 

 

「――――あなたなら、良いです」

 

 

 

 心を、(こおり)にする。

 

 

 意思もなく、熱もない、ただ鋼を振り下ろすだけの機関となる。

 

 

 そして彼――アルノ・レンリは冷酷に、その刃の切っ先を彼女に目掛けて全力で振り下ろした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――復讐者(おんな/おとこ)の話をしよう。

 

 『愛』を知った獣は、やがてその正しさを憎悪でもって吠え立てる。

 

 義賊にして処刑人。従僕にして簒奪者。

 大義が壊れたその先に、それらは魔物へと変生した。

 

 虫すら殺せなかった無垢なる手を、彼らは激情で容易く鮮やかに、生き血の朱色で染め上げる。

 

 誰一人死んで欲しくない仲間だった、と『愛』を喪った女は言う。 

 

 決して死んで欲しくない家族だった、と『愛』を喪った男は言う。

 

 

 仲間の仇の一員を家族と慕う男を――愛してしまった者。

 

 

 家族の仇として憎み続けた女を――愛してしまった者。

 

 

 これまでの人生。

 

 己を懸けて望んだ邂逅は、彼らすら決して望まなかった悪夢(わるいゆめ)

 

 彼らは添い遂げることを望んだ筈なのに。

 

 

 なのに、どうしてこうなった――――。

 

 

 

 

 

 




 善人が気まぐれに見せる悪意。
 悪人が気まぐれに見せる善意。

 悪人の気まぐれで生み出した善人が居たとして、それに救われてた人が居たとしたら。

 それを結果的に奪ってしまった存在は、明確に『罪人』と言えるのではないのだろうか。

 だがどうであれ、自分の目的の為に人を殺すことは『悪』なんだろうなって。

 そこにどんな過去があったとしても。
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