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振り返ってみればいい思い出ばかりだった、なんて人生はそうそうあるもんじゃないです。「ああすればよかった」「こうだったら良かったのに」と己の不明を恥じるばかり。それも神の試練と弁えて、一歩一歩進んでいくんです。

そんな試練のような初めての不動産投資での受難を記した前編では、安全な投資物件だろうと思っていたものが蓋を開けたらワケあり住民ばっかりで、おじさんたちに職を斡旋してあげたり、シングルマザーの皆さんには生活保護の受給申請に付き添ったりしたら、結果的に彼らはまあまあ幸せになり、私がただ1人大損したことまで説明しました。

「もうやることやったし、いい加減大丈夫だろ」と、やっと家賃が入ってくるようになるかと思っていたのですが…残念ながら、世の中そんなに甘くはありませんでした。

自主管理はおすすめしない

あれからしばらくして。家賃が入ったり入らなかったり不安定な状況が続きながらも、仕事を斡旋したおじさんおじいさんも、いい歳して水商売みたいな黒シャツを着ているおじさんも、みんな辞めることなく順調に働いて、生活保護から脱却する人も出てきました。

元気があれば何でもできる。元気ですかー。真面目に働き、ガッツリ稼いで、稼いだ中で酒を買い、競艇やぱちんこするならご自由にどうぞ。

ただ家賃と電気代水道代NHK受信料携帯代はちゃんと払え、納税しろ、飯はちゃんと食え、寝具にはカネを使え、寝る前にはちゃんと歯を磨けよ…このように、私はおまえのお母さんかと思うようなことを言わされています。すべては、順調に家賃を納めてもらうために。

当時の日記を見返すと、やけに暑かったその夏の終わりに、会社で車を出して川口「たたら(製鉄)祭り」という原住民の祭典に社員さん店子さん子どもたちも、さらに他の保有物件の住民や協力先の足場部隊の社員さんたち希望者全員120名ぐらい総出で行った記録が残っています。

というのも、弊社社員さんに立て続けに赤ちゃんができ、奥さま方がずっとお家での育児でストレスが溜まっていると食堂で話してたので「じゃあ、みんなで『たたら祭り』にいくか」となったんです。

そういえば、うちの店子さんにも遠出のできないシングルマザーが複数いるよなと思い当たり、希望するなら連れて行ってあげようという話になったんですが、無関係のおっさんがたもたくさん便乗してきました。お調子者どもめ。

会場は確か川口市青木のほうにある新しい施設と、その前の大きな広場でした。東京の摩天楼に比べれば空がとっても大きくて、そんな快晴の下に所狭しと出店が並び、縁日にはどこからか湧いた埼玉県民でごった返しています。

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ただ、残念ながら、あんまりいい思い出にはなりませんでした。

というのも、みんなで酒やジュースを飲みながら花火でも見ようと思って、夕方前に弊社社員さんと店子さんに酒を買ってやり、ブルーシート敷いて占領させてあったはずの敷地を、別の旧与野市(2001年に大帝国さいたま市に併合されていた)の連中らしいグループに奪われそうになっている、とヘルプの電話がかかってきたのです。

川口市には特に愛着のない、東京都中央区八重洲出身の江戸っ子の私ですが、到着するなり、知らん連中とウチの社員たちがわあわあ騒ぎながらすでに殴り合いをしています。

いかんだろ。

見た瞬間、怒りゲージがMAXに。ゴルァァァァーーー、ウチの社員に何してんだお前ら。皆の衆、出合え出合え。『アバター』で原住民エイリアン側に肩入れして地球政府の横暴に抗う地球人みたいな状態になったわけであります。

誰かの「やっちまえ」のコールを合図に、もう全力です。問答無用だバカタレ。すかした政令指定都市のやつらに川口民の意地を見せてやる。なにが大正義さいたまだ与野市民のくせに。

産廃屋固定装備・安全靴トーキックを喰らえ。こちらは肉体労働で鍛えた精鋭が日ごろの鬱憤を晴らすべく囲うようにホワイトカラー然とした相手を引き倒します。薄汚れたつなぎを着た男たちが、朝礼の「今日も安全!」「積み荷よし!」「お客様、喜んで!」を唱和しながら突撃。

さらに急を聞きつけ続々と車で肉体労働者が集結してきました。「オラァァ! 踏み潰せ!」精兵と多数で押し切る戦となり、地元川口勢の圧勝となったのです。戦いは数だよ兄貴。者ども、勝鬨を挙げろ。

しかし、そこへ埼玉県警マッドシティ川口署の皆さんが駆けつけてきて我に返りました。おお…人類はなんと酷いことを。顔見知りのデカさんも呆れ顔です。もしかして、これは、やり過ぎてしまったのではないか。

実にお恥ずかしい話なのですが、私の闘争心の強さ、性格の至らなさ、未熟さ、人間の小ささもあって、後先考えず、つい、大暴れをしてしまいました。あれは私が悪い。

結局、その場は撤収せざるを得なくなり、子どもたちにはわずかばかりのお小遣いをくれてやりお昼間に縁日は堪能させられたものの、肝心の花火も見せられずに失意の帰宅という悲しい思い出になってしまいました。

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いま思えば、そんなことはやめておけばよかったと反省しています。「だって着いたらみんなもう喧嘩してたんだもん」って言い訳にもなりません。

しかも、騒動の原因はどうやら場所取り中にしこたま飲んで泥酔した弊社社員が中年男性の性(さが)で尿意を催し、近くの木の根元にてズボンとパンツをくるぶしまで下げて立ち小便をしたことを先方に言い咎められたことが発端であったことが分かりました。モロ出しであります。お前、なんてことをしてくれたんだ。

後日、派手にやらかして迷惑を掛けた相手のところに菓子折り持ってお詫びに行ったら「いろいろすみません」「あれはあれで楽しかったね」と意気投合し、いまだ24年にわたるお付き合いとお取引が続いています。しかし、相手の出方次第では危うく前科一犯になるところでした。

こういうこともあるので、自主管理での不動産投資は皆さんに本当にお薦めしないのです。

シングルマザー氏の絶叫

そんな不動産部門で新たに雇った担当の女の子は、控えめに言って地元のヤンキーで金髪というかゴールドに髪を染め、小柄に似合わず金属ぽいのを身体のあちこちから下げていました。

もともとうちの産廃工場のひとつでは、やってきたゴミをベルトコンベアーに乗せて資源ごみと燃やすごみとに分別する前工程があり、そこで頑張ってもらうために採用していたのです。

が、新人なのにそこで手際よく作業をし、またベテランの社員さんも仕切っていたのでコミュ力がありそうでした。これは良い。なので、いずれ営業にしようと思い、まず手始めに不動産管理を手伝ってもらうつもりでいました。

「中卒社会人」でも、唇にピアスをしていても、過去にいろいろあってワケアリでも、産廃業界なんてそもそもピカピカの経歴の人なんて来ません。極論、耳と耳の間にミソが詰まってて2個の目と2本の腕と手があれば、足ですらいらない。その代わり、お互い手を取り合い、頑張って一緒に生きていこう。そういう人でも人である限り仕事に意義と意気を感じてもらい、意見を出し合い、安全に、役割を果たして社会のためになり給料をもらい、家賃を払う。

これが、昨日より良い明日を築く、私たちの送るべき人生なのです。その日から、担当の子は産廃ラインの作業の傍ら、楽しそうに物件管理にも取り組み、素早く仕事を覚えていきました。

やがて年末も押し迫りクソ忙しく、八重洲にある本業のゲーム会社で残業していたら、突然シングルマザー氏から携帯電話に着電がありました。

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「こんな深夜に電話をしてくるなんて、よほど何か大変なことがあったのかな」という暖かい心と、「私は大家だぞ。友だちみたいに夜中気軽に電話してきやがって馬鹿が」という冷たい心が、黒潮と親潮のようにぶつかってプランクトン大量発生で漁場ができます。

でもなんか気持ちがザワザワして暖かい心が勝ち、うっかり着電に出てしまいます。

「山本ですけど」

「血が出てて! 溢れてて! キャーー!!」

どう聞いてもいきなり修羅場です。「どうしたの」と落ち着かせる間もなく緊急性は理解しました。こういうときもあろうかと個人用と会社用と携帯電話を当時から2台持ちしていた私は、最悪の事態に備えて119番を回していました。

「消防車! 消防車! キャーー!!」

「いまどこ? 救急車呼ぶよ?」

「ここ! ここに呼んで!! 前!」

右耳でつんざくようなシングルマザー氏の絶叫。左耳で落ち着き払った救急隊指令の若い男性の声。

住所を伝え、誰か出血の由、状況は分からないのでまずは救急車はすぐ急行して欲しい。

「アパートの前ね? 状況教えて」

「早く!! 早く!! 血が止まらない!!」

シングルマザー氏に代わって、そばにいたのか電話口に出た黒シャツおじさんから、焦った声で衝撃の事態が。

シングルマザー氏の娘(以前私にお花をくれた女の子)が「アパートの前で暴走バイクに撥ねられた」。

「は↓↓あ↑↑↑?」

いかんだろ。

今度は私が真っ青に。

「安静にさせて! 蘇生して! 傷口を強く押さえて!!」

絶叫するのは私の番。どうなってるんだ川口。まあそれが川口なんだけども。電話の向こうの遠くから「心マ! 心マ!」「頑張って!!」の声。

時間が停まり。そして、視野が狭くなるんです。分かりますか。ヤバいときの、アレ。

自分の子どもでもないのに、特に血がつながってるとかでもないのに、まるで我がことのようにサーッと血の気が引いていきます。眠いとか忙しいとか疲れたとか全部吹っ飛び。

シングルマザー氏の携帯電話の番号は登録してあるので、シングルマザー氏にいったん切るね、すぐ救急から電話が来るからと伝え。いま自分にできる、最善は何か。

そして――車に飛び乗って単身、川口へ、本蓮へ。すでに救急車は病院に向かったとの報を車中で受け、市立医療センターへ。このクソ急いでるのに飲酒検問とかすんな埼玉県警。

駐車場に車を停め、救急窓口に駆け込むとポツンと座っている男の子が。目にいっぱい涙を溜めたお兄ちゃんが、口をへの字にして、気丈に静かに待っていました。看護師も私に気づいて声を掛けてきます。

「お父さんですか!?」

「……いえ、大家です」

あ、いますっごく不思議そうな顔をしたな? そうだろそうだろ、私も不思議なんだよ。

悄然としたお兄ちゃんに自販機で飲み物を買ってやり、私も待合のソファに腰掛けて腕組みをしたまま、男ふたり静かに報告を待ちました。午前4時になって当直の若い医師がやってきて、ハッと立ち上がるも「処置は終わっており、いま眠っています」との簡潔な言葉。おい待て。待ってくれ。

「先生もお疲れのところすみません。どんな状況でしょうか」

「事故後の処置が早かったこともあって、大丈夫そうです。快復することを期待しています」

「そうですか…ありがとうございました」

これは、どうにかなるのだろうか。

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しかし、翌朝になっても女の子は目覚めることはなく、近所住みの担当の子が休日なのに「私がみまーす」と代わってくれたので、疲れ果てたお兄ちゃんを車で物件に帰すと、私は徹夜のまま八重洲で仕事に戻りました。開発の仕事が炎上してたんだよ。

「退院したくない」

女の子の意識が回復し、容態が安定したのはそれから3日も経ってからでした。心配された後遺症もなさそうだと電話で聞いたとき、人生で何度も出したことのない「おおーー……↓↓」という声を発したのを、よく覚えています。

師走の多忙の合間を縫って何とか一度だけ鮭おにぎりとお菓子と絵本を持ってお見舞いに行き、たまたま病室前で黒シャツのおじさんとおばあさん母子や他の店子のおじさんたちと遭遇。しかし驚きましたね、無事回復して良かったです的な立ち話をしましたが、なんだこの連帯感。みんな滞納分の家賃を早く払え。

年末締め厳守と言われていたプログラム類を12月31日早朝に社員さんに納品させると、デスマーチの指揮を終えた私は他の仕事や別の物件の連絡を済ませた後で、3週間入院していた女の子の退院に付き添うため医療センターに向かいました。

10時30分退院だから10時前に現地待ち合わせだというのに、シングルマザー氏はいつまでも来ません。あのなあ。結局退院手続きでの一時払いは全額私が出すことになって怒りゲージを溜める一方、まだ痛々しく頭に包帯を巻いたままの女の子は「退院したくない」というのです。え、せっかく元気になって、年末年始はママや家族と一緒にいられるというのに。

「病院の、ごはんが美味しいの」で、私は膝から崩れ落ちました。そうか…そういう、ことなのか。

「お母さんとお兄ちゃんに、病院でもらったパンを取ってあるの。食べさせてあげたい」と、巾着に小さなパンが何個か入っていました。いかんだろ。徹夜明けで、心が折れる。

たまたまお昼用にと買ってあった雪印6Pチーズをあげて即完食したのを見届けつつ、お世話になった病院の皆さまに深く御礼をして帰路に着こうとしました。まるで、愛娘の命を救われた父親のように。

いま思うと、不動産投資で店子さんの人生に深入りすることは、本当にやめておくべきだったのです。不動産は、あくまで儲ける道具であり、手段であるはずなのに、物件が人の顔をした途端、人生の一部になってしまう。

それでも気になって、病院に遅れてやってきたシングルマザー氏と兄妹を車に乗せ、お昼にとんでん川口店で和定食を一家に振る舞って…どうにもならない現状は聞きました。

シングルマザー氏の困窮は、単に兄妹ふたりを女手ひとつで育て上げる苦労とは別に、ひところ愛した男が離婚時に決めた月イチの面会どころか、約束した養育費も一度として満足に払っていないようでした。

それでいて、父親として、元夫としての責務も果たさず、のうのうと、海を臨む横浜のマンション高層階に住んでいると聞いて、上がる血圧と共に箸を握る手がギュッと強くなる瞬間です。

彼女が勤めていた麻布の店は、常連の客と関係を持った当時21歳の彼女を守ることはありませんでした。幼いお兄ちゃんを置いて働いた赤羽の店で、私がやむなく物件を引き取るにいたった関係先の若旦那に引っかかって女の子を身ごもり、しかし、それも不倫だったので、修羅場の果てに子会社所有の物件で囲って――愛した男から見守られることもなく女の子を再び出産。そして会社は倒産。若旦那は破産。いまその物件は私の資産。

葛藤。何とも辛い身の上話をうっかり聞いてしまい、人としてこれを見捨てるわけにもいかないという暖かい心と、無責任な男どもと見る目なく関係持って捨てられた女の人生に同情してイレ込んでも一緒に堕ちていくだけだから深入りせず気持ちを切り替えていけという冷たい心が、黒潮と親潮のようにぶつかってプランクトン大量発生で漁場ができます。

そして、車の降り際…シングルマザー氏から衝撃的なひと言が飛び出します。

「わたし、3人目をいま妊娠しているんです」

「ええーーー!」

思わずサザエの不始末に直面したマスオのような驚愕の声を発してしまった私は、おめでたいんだか悩ましいんだか分からない感情を抱きつつ母子たちを物件まで送ると、年始にすぐまた来るからと約束して「良いお年を」と別れました。かなりの心を込めて。

困惑した童貞の私は、うっかり暖かい心が勝ってしまい、これはどうにかしなければと思ってしまうのです。やめておけばいいのに。