宇野ゆうかの備忘録

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アサシンクリード・シャドウズ「神社の祭壇破壊」について〜それが何を意味するのか理解してこそ、適切に冒涜できる

何かと炎上しているアサシンクリード・シャドウズ(Assassin's Creed Shadows)が、また炎上していた。プレイヤーが神社の神鏡が置かれている祭壇を攻撃すると、祭壇を破壊できるようになっているのだ。実在する神社の名前を無断で使用していたため、その神社が制作会社のUBIsoftに対して「適切な対応」をすることになったという。

 


www.youtube.com

発端となった動画はこれのようだ。発売前のβ版をプレイする機会を得た西洋のYoutuberが、ただゲーム内で何ができるのかを試しているだけのように見える。おそらく彼は、神社にある「それ」が何を意味するものなのか、知らなかっただろう。

動画では「Itatehyozu Shrine」と表示されており、これが姫路の射楯兵主神社だということがわかる。

 

産経新聞の見出しは”仏ゲームソフト「弥助」神社の内部破壊する映像が物議 実在の神社側「しかるべき対応」”となっているが、少々誤解を招くおそれのある表現だなぁと思う。プレイヤーはたまたま弥助を使っていたのであって、もう一人の日本人主人公である「奈緒江」も、同じことができるだろうからだ。「仏ゲームソフト、プレイヤーが神社の祭壇を破壊できるシステムが物議 実在の神社側『しかるべき対応』」のほうが、良かったのではないだろうか。

まぁ、日本のゲーム会社が日本人主人公で同じことをやったとしても、神社側からお叱りを受けそうという感じはするが。

www.sankei.com

 

今までのアサシンクリードは、破壊したらアイテムを獲得できるものくらいしか破壊できなかったが、今作ではかなり色々なものをリアルに破壊できるシステムにしたようだ。UBIsoftは、その新システムを売りにしている。

おそらく、神鏡が置いてある神社の祭壇を(無意味に)破壊できる設定にしたのも、この新システムの一貫だろうと推測する。

(@アサシンクリード
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このことについて、アサシンクリードのコミュニティでは論争が巻き起こった。ある日本人がX(Twitter)で発した言葉が大炎上したのだ。

(Shohei Kondo (@shoheikondo)

目を覚ませ、ユービーアイソフトの「擁護者」よ、我々の声を聞きなさい!実際の宗教施設を破壊するアサシン クリード ゲームとは一体何なのか?日本文化は消費されるが、尊重されない。ここに完璧な例がある。)

これに対して、彼を批判する人の多くは、「弥助の問題だろ」と解釈し(要するに、黒人差別だという意味)、これを「fake outrage(作られた憎悪)」だと言っている。どうやら、多くの西洋人が、これが彼の動画で、彼があえて弥助でプレイして祭壇を破壊したと、勘違いしたようだ。

 

この件についてUBIsoftを擁護する西洋人たちは、「祭壇は破壊できるけど、鏡は落ちただけで破壊されていない」とか、「神社で祈ることで敬意を払うことができる」などと言っている。日本の神と神社の概念を知らない人々が、神社において何が意味のある行為で何が意味のない行為なのかを独自に考案している光景は、正直、見ていて奇妙だと感じた。

また、寺や神社で暴れまわり、物を破壊することが批判されているのだと思ったのか、「Rise of the Ronin」などの日本製のゲームの映像を出して、「ほら、日本のゲームも同じことをやっている」と言いたげな西洋人もいるが、その映像を見ると、壺や燭台や屏風などが破壊されているだけで、仏像などは破壊できないようになっているということがわかるだけだった。

アサシン クリード ニュース ⛩️
@_L3vi3
さらに、Shadows で神殿を完了するには、指定された場所で神殿を称えるために祈る必要があります。

なぜこれが公開されず、神殿が破壊される様子がわかるクリップだけが公開されているのでしょうか?

嘘ではなく真実を広めてください! ❌
#AssassinsCreedShadows)

日本人の感覚からすると、「いやぁ、神社の御神霊があるところを攻撃して、祭壇破壊してるのに、『祈って神殿を称える』とは、どういう意味なの……?」と思うのだが……祭壇を破壊したら神殿を完了(クリア)できないようにすれば良いんじゃないかな?

 

また、この件についてUBIsoftを擁護する人たちは、過去のアサシンクリードシリーズでも、宗教を冒涜する行為があったと主張する。例えば、「アサシンクリード2」では、教皇を殴ることができたとか、「ヴァルハラ」では、ヴァイキングの主人公になって、キリスト教の教会を襲って略奪したとか…

 

私がこれらの「論争」を見て気づいたことは、創作活動において、宗教的な物は、それがその宗教において何を意味するのかを、作者がよく理解しているからこそ、適切に称賛することもできるし、適切に冒涜することもできるということだ。

(ここから先、過去作のネタバレあり)「アサシンクリード2」に登場する、主人公が殴れる教皇ロドリゴ・ボルジア(アレクサンデル6世)は、実際の歴史上でも、あまり評判のよろしくない人物だ。彼はこのゲームにおけるボス戦の相手であり、綿密な演出がなされている。

ヴァイキングの主人公になって、キリスト教の教会を襲って略奪する行為も、それが実際に歴史上起こっていた出来事だ。ゲームにおいては、教会を襲うと報酬が手に入るが、プレイヤーは襲いかかってくるキリスト教徒のNPCと戦わなければならない。

また、ゲームの進行上、巨大な十字架を倒す場面もあるが、主人公は(冗談で)「アーメン」と言っている。これもまた、作者が、キリスト教において十字架を倒す行為が何を意味するのかを理解していなければ、出てこない演出だ。

(リベズ・ウルフ 🐺
@LibezWolf
アサシン クリード シャドウズ』の監督に対する批判、中国のエロネア建築、日本における黒人関連のニュース、一時的な破壊行為、現在に至るまでの情報を含むACブラザーフッドのビデオ)

 

一方、日本が舞台の「シャドウズ」における神社の祭壇破壊は、非常に不可解だ。奈緒江も弥助も、神社の祭壇を破壊する動機がない。弥助は、信長に命令されない限り、そんなことはしないだろう。なのに、その辺のオブジェクトと同じように、無意味に破壊することができる。

そして、映像を見る限りでは、神社において非常に重要なものを攻撃しているのに、その後何も起きていないように見えるのだ。私の記憶が正しければ、古代ギリシャを舞台にした「オデッセイ」では、プレイヤーが聖域で望ましくない行動をすれば、ペナルティが発生した。主人公はお尋ね者になり、賞金稼ぎから付け狙われることになった。巨大なゼウス像の股間部分に登った時でさえ、主人公は「ここは登るべきじゃなさそうだ」と呟いていた。

 

神社に祀られている神は、大抵、その地域一帯の守り神のような役割を持っているわけで、神社の御神体がある場所を攻撃したり、祭壇を破壊しようものなら、その地域一帯の人々を敵に回してしまいかねない行為である。*1

織田信長のような強力な軍隊を持っている人なら、比叡山を焼いて地元住民の恨みを買ったとしても、軍事力で彼らを黙らせることができるかもしれないが、奈緒江や弥助がそれをやって得なことは、何一つないだろう。そして、もちろん、織田信長比叡山を焼き討ちしたのは、彼にとってそうする必要があったからだし、歴史上の事実だ。

 

アサシンクリード・シャドウズ」における神社での祭壇破壊行為は、まるで、UBIsoftが、それが神社において何を意味するのかを、全く理解していなかったかのような印象を受ける。一般的な外国人が、それについて知らないのは不思議ではないが、UBIsoftが知らなかったとすれば、それは彼らの不作為であることを示しているだろう。

とりわけ、アッバース朝バグダッドを舞台にした「ミラージュ」において、UBIsoftイスラム教の表現に神経を注いでいたことを考えると、「シャドウズ」における神社の扱いは、随分と杜撰に感じられる。*2

あるいは、彼らは、弥助のキャラクターを、「日本の宗教について全く無知な外国人」として設定したのだろうか?だとすれば、奈緒江は弥助とは違う行動をとるのだろうか?

 

今までのアサシンクリードシリーズのゲームシステムから考えると、神社の祭壇を破壊不可能に設定して、プレイヤーが神社の祭壇の前に来ると「これは破壊できないな」「ここには神がいる」などと呟くか、あるいは、神社の神域に入った時点で「神聖な物を破壊してはならない」と警告が表示され、もしそれを破ったら、ペナルティが発生するシステムにしておくのが、良いのではないかと思う。

ペナルティは……戦国時代の日本には、寺や神社には武装した僧兵や神人がいた。ゲーム内で、仏像や祭壇を攻撃・破壊すると、彼らが襲いかかってくる。あるいは、何かしらの神罰が下る……というのはどうだろうか?

 

まぁ、要するに、理解した上でやってる表現と、理解しないでやってしまった表現を、一緒にしたらあかんよ、ということだね。両者は、創作としてのレベルが全く違うから。

 

さて、本来、こういう問題は、日本人側が「間違えてるよー」と言えば、制作側が「ごめん、修正するわー」で済む問題である。

とりわけ、このアサシンクリードというゲームシリーズは、「歴史観光」的な側面を売りにしており、その国その時代の歴史や文化が学べるというのが、歴史好きのファン層に受けているゲームなのだ。よって、プレイヤーが、日本の神社にある「あれ」が何なのかを学べるゲームシステムになっているほうが、本来のアサシンクリードとしては楽しめるはずである。

 

ところが、どうも、西洋方面では、これで済まない話になってしまっている。

私は、最初、「外国人は、神社の鏡の意味を知らないから、あんなことを言うのだろう」と思って、彼らに説明を試みた。しかし、一向に話が通じない。

わかってきたことは、この日本の神社の祭壇の一件は、既に西洋人にとって人種の問題になってしまっているということだった。「人種差別的な白人」は、UBIsoftを批判する要素があればあるほど喜ぶ。それに対抗する側の西洋人は、UBIsoftを擁護し、UBIsoftは日本人に対して失礼なことなど全くしていないということにしたがる。そして、この件は日本人に失礼なのではないかと考えている「人種差別的な白人」ではない者も、後者から容易に「人種差別的な白人」認定されてしまう。

つまり、日本人は、まさにこの問題の当事者であるにも関わらず、西洋の人種問題に巻き込まれて、「透明化」させられてるというわけなのだ。「保守白人VSリベラル白人」の対立の中で、肝心の日本人の声が無視される構造が、既に出来上がってしまっている。……一見すると「白人VS黒人」の対立に見えるが、実際には、保守白人は東アジア人を味方につけたがり、リベラル白人は黒人を味方につけたがる構造の中で、結局、東アジア人と黒人は、両陣営からそれぞれ駒扱いされているという構造なのだろう。

ああ、これが西洋社会で言うところの「アジア人の不可視化」というやつなんだなぁ、と思った次第である。

 

まぁ、それでも、実在の神社の名前を無許可で使った件に関しては、別問題だが。*3これについては、UBIsoftは、アメリカのフェアユースの考え方が、世界共通の考え方だと勘違いしたのではないだろうか?

 

ちなみに、東大寺は弥助が来日する十数年前の1567年に松永久秀三好三人衆の戦いによって主要堂塔が焼失しており、ゲームの舞台となった時代にはまだ、再建されていない。

『アサシンクリードシャドウズ』神社の内部破壊する映像が物議 実在の神社側「しかるべき対応」 | JAPAN Forward

アサシンクリードシリーズでは、その時代には存在しなかった建造物でも、「かっこいいから」という理由で存在していることがよくある。今作の「シャドウズ」では、江戸時代中期に再建された、現代の東大寺が登場するようだ。

私個人の考えとしては、戦国時代に大仏殿と回廊が焼失して、首のない大仏だけがそこにある状態の東大寺を再現し、プレイヤーがそこに行った時に「なんて悲惨な光景なんだ…」などと言わせたほうが、宗教を象徴するものの破壊によって、戦の悲惨さというメッセージ性を込めることができたのではないかと思う。何世代にも渡って人の手で守られてきた貴重な文化財が、戦争や内戦によって一瞬で失われてしまうのは、今も昔も変わらない。

 

[追記:2025年3月5日]

―時系列―

1月の終わり、Skathaという海外Youtuberが、発端となった動画を公開する。*4

2月1日、X(Twitter)で、この記事内でも取り上げたShohei Kondo (@shoheikondo)という日本人の発言が炎上する。*5これを「fake outrage(作られた憎悪)」と言う西洋人が出てくる。

2月12日、X(Twitter)で、Grummz(@Grummz)が「The Itate Hyozu Jinja shrine in Japan has filed a formal request to Ubisoft, asking them to remove the entire religious site from Assassin's Creed Shadows.(日本の射楯兵主神社は、Ubisoft に正式な要請を提出し、アサシンクリード・シャドウズから宗教施設全体を削除するよう求めました。)」と発言。*6これは現在のところ、事実かどうか確認できていない。

2月20日産経新聞が紙面で取り上げる。紙面には「同神社の担当者に、事前にUBIから使用に関する連絡があったかを尋ねたところ、「なかった。もしあればお断りしていた」と不快感を示した。「しかるべき対応」の詳細についてはノーコメントとしたが、ゲームからの削除を求めている可能性がある。SNSで対応に乗り出したという噂が出ている神社本庁の担当者はこれを否定した。」と記載されている。*7

2月末、Youtubeで、射楯兵主神社宮司が地元議員のインタビューに答える。*8

 

 

 

 

 

ダサピンク現象から10年~紳士はハートネックレスがお好き

私がダサピンク現象についてブログに書いてから、今年で10年になる。正確には、Twitterで呟いたのが2013年だったから、11年なのだろうか?ともかく、今でもこの言葉は死語にならず、まだまだ使われているようだ。

 

yuhka-uno-no-nikki.hatenadiary.jp

 

残念な結果になった東京オリンピック開閉会式

近年起こった出来事で印象的だったのは、東京オリンピックの開閉会式だ。「プロ」の人たちが締め出され、素人である「偉い人たち」の口出しによって、全体的にしょぼくなってしまった出来事は、ダサピンク現象が起こる仕組みそのものだった。おそらく、パラリンピック開閉会式のほうがずっと良かったのは、「偉い人たち」が、障害者パフォーマーのことを知らなかったので、口出しがなかったからだろうと考えているのは、私だけではないはずだ。

今でも、リオ五輪の引継ぎ式と、パラリンピック開会式はわりと思い出せるのだが、オリンピック開会式は、森山未來五体投地くらいしか印象に残るものがなかった。良いものができるかどうかは、クライアントの判断能力しだいなのだということが、ありありとわかる仕上がりだった。

資金の「中抜き」問題といい、まるで、日本の社会問題の縮図を見せられているような開閉会式だったので、ある意味、非常に「今の日本」を表していたと言えるかもしれない。

bunshun.jp

 

bunshun.jp

 

”企業のグッズとかデザインが微妙なものに「これ消費者が喜んで買うと思うのか、デザイナーは無能か」と感じるものが多かったけど、いざ自分がそういう職に就いたら「なるほどデザイナーがダメなんじゃない…企業の偉い人の"こういうのを作りたい"にセンスがないんだ…」という事に気づいてしまって闇”

企業グッズとかの微妙なデザインに「これ消費者が喜んで買うと思うのか…デザイナーは無能か」と思っていたが戦犯は企業の偉い人だった - Togetter [トゥギャッター]

 

”最初に日系の広告代理店系の仕事をした時に驚いたのは

  • そもそも最初にコンセプトの話をしない。
  • デザイナーを下請けとみていて「自分のいうことを聞いてくれる人なのか」という上下関係を異常に気にする。
  • 途中経過でなにかの書類にサインをすることを嫌がる。なぜ下請けがクライアントの意思決定を限定するのか?と怒り出す人や意思決定するためには材料が足りないという人がいます。

という点でした。広告代理店の人もそうですしクライアントにもそういう人がいます。”

日本人は、欧米と異なりデザイナーのデザイン領域まで素人が平気で修正指示を出してしまいますが、どうしたら欧米のようにデザインは専門職の領域なので細かいところは任せるという意識に変えられるでしょうか? - Quora

 

 

欧米に比べて、日本はデザイナーの地位が低い。欧米では、デザイナーは専門職とみなされ、デザインの良さが売り上げに直結することがよく知られている。おそらく、欧米諸国は、「ものづくりの時代」はとうに終わり、第三次産業中心の国になって長いからだろう。

「ものづくりの時代」を生きてきた日本の上の世代の人たちは、デザインの重要性をあまり理解していない人が多いように思える。よって、クリエイティブな分野に対する「発注リテラシー」がない人が多いのではないだろうか。加えて、この世代の人たちは、概して、自分より上の立場の人の言うことを聞く訓練は受けているが、自分より下の立場の人の言うことを聞く訓練は全く受けていない。

日本のデザイナーや広告業界の人たちは、残業して長時間働いている傾向がある。ならば、日本のデザインや広告は、海外の5時になったら帰るクリエイティブ職の人たちよりも、頭一つ分飛び抜けて優れているのだろうか?しかし、実際はそういうわけではない。これは何が原因なのだろうか?

 

4℃(ヨンドシー)ハートネックレス問題

また、「ダサい」と論争になりがちなジュエリーブランド・4℃(ヨンドシー)が、実はずっと女性客より男性客のほうが多いブランドで、近年になって女性向けに舵を取ったリブランディングにより、初めて女性客が男性客を上回ったことも、ある意味象徴的な出来事だった。

これについては記事を書いてまとめたので、詳しい内容はこちらをお読みください。

yuhka-uno.hatenablog.com

 

このTweetから始まった話題も、かなり注目されていた。

togetter.com

 

この「話を聞かない」については、色々な理由が考えられるが、こういう書き込みを見つけた。

”クリスマスになると女性陣からこきおろされるジュエリーブランドで働いてました。
男性はジュエリーデザインのことはよく知らないので、買いにくる男性に「彼女は普段どんな服装ですか?どんな雰囲気のものが似合いそうですか?どんな印象の人ですか?」みたいに、贈る相手のことを想像させます。
すると十中八九「可愛い服で、可愛い子だから可愛いものが似合います!可愛い=ハート!あ、これはハートで限定品なんですね。これにします」となります。
彼女が可愛いから可愛いハートを選んでるんですよ。”

なぜ男性はプレゼントでハート型のネックレスを選ぶのでしょうか? - ハー... - Yahoo!知恵袋

……うん、これはどうやら、店員さんの質問の意図を全く理解していないな。

店員さんは、彼女の普段のファッションの傾向や顔立ちの系統を聞いて、できるだけ彼女に似合うものを選んであげようとしているんだけど、この質問は、「ファッションレベル1」の人にとっては、専門用語なのかもしれない。

フルーツバスケット」という漫画の一場面を思い出してしまった。幼い娘が行方不明になった時、警察に娘の特徴を聞かれた母親の今日子の答え。「だから!かわいいボンボンつけてかわいい服着てかわいい声でかわいい顔したかわいい女の子だよ!わかったか!」「わかりません。」

 

ダサピンク現象を提唱した経験から言うと、少なくない男性から「お前がピンク嫌いなだけだろう」って言われるんですよね。ある種の男性は、「男性の頭の中に存在する架空の女性」を大多数の女性だと思い込み、それに異を唱える女性を「少数派の特殊な女性」と認識して、絶対に譲らない。「話を聞かない」には、そういう思考回路が働いている可能性もあるのかな。

例えば、ドラゴン自体が嫌いな男性は少ないけど、「そういうドラゴンが全面にプリントされているようなネクタイは売れないぞ」と言ったら、「あんたがドラゴン嫌いなだけでしょ」って言われて、ドラゴン嫌いな男がドラゴン好きな男を攻撃してると思われるみたいな、そんな感じになってしまう。すごくおかしいけど、どうやら彼らは本気なのだ。

 

「女性はデザインで判断している」ということ自体がわからない?

news.yahoo.co.jp

さて、最近書かれた記事だが、これもイマイチ的を外しているように思った。

” もともと、4℃はこれまで決してイメージの悪いブランドではなく、現在でもそうであると思う。むしろ、「価格の割に品質が高く、デザインも良い」という良いイメージのほうが強かった。

 それが「価格が高くない」=「安っぽい」「学生でも買える」=「大人には向かない」というふうに文脈が変換され、SNSで流通してしまっているのだ。”

確かに、4℃は2000年代頃には「価格の割に品質が高く、デザインも良い」と評価され、勢いがあったようだが、その後は徐々に流行の変化から取り残され、2020年の時点では、ブライダルラインはともかく、一般ジュエリーのほうは、概ね女性からは「価格の割に品質は良いが、デザインは流行遅れ」という評価だったと思う。確かに使えるデザインのものもあるのだが、全体的に現代女性に刺さる商品が少なく、他の国産ジュエリーブランドと比較しても、4℃のデザインが良いとは言えない、という感じだった。

ただ、女性にプレゼントを買う男性たちには選ばれていたので、主に男性客に買い支えられていたということだろう。2019年2月期の売上比率は、女性25.4%/男性46.3%/カップル27.5%である*1

この記事を書いた人は1971年生まれの男性とのことだが、もしかして、4℃は、その世代の男性たちにとっては、ずっと「価格の割に品質が高く、デザインも良い」というイメージだったのだろうか?

 

” 1980年代後半頃から、ジュエリーのギフト需要の高まりとともに、4℃は男性客を取り込む戦略を取ってきた。その「プレゼント用のラインナップなのに価格は高くない」という点が裏目に出てしまったようにも見える。

 ブランド価値は、品質よりはイメージによって形成されるものだ。特に、プレゼントは「値打ちがあるものをもらった」ということが重要になるため、コストパフォーマンスのよい4℃のような商品は、必ずしもその価値が評価されるとは限らない。

 いっそ、価格を上げてハイブランドとしてのポジションを獲得することを狙えばよいと思ったりもするのだが、価格を上げることはそう容易なことではない。特に、日本では「高級ブランドは海外ブランド」というイメージが強く、特にファッションやジュエリーでのハイブランド戦略はなかなか成功しないというのが実態だ。”

4℃に関しては、2023年の匿名宝飾店より以前と以後では、推し出している商品デザインが明確に女性向けに変化していることを抜きにして語ることはできないと思う。それに女性たちが反応して、女性客の売り上げが上がったのだろう。

前回記事を書いていた時も思ったが、デザインの判断軸がないと、価格やブランドイメージでしか判断できない。多くの男性は、女性のファッションなんてわからないから、価格やブランドイメージで判断するしかない。だからこそ、2020年の、30歳女性がCanal 4℃のハートネックレスをプレゼントされた件での炎上以前と以後で、男性客の売り上げが大きく落ちてしまったのだろう。

 

4℃について、多くの女性が判断軸にしていたのは、デザインだ。身につけるものに関しては、デザインは最優先事項と言っても良い。どんなに品質が良くても、自分の日頃のファッションに組み込めないデザインは、使えないのだ。

「プレゼントは『値打ちがあるものをもらった』ということが重要になるため」と書いてあるが、4℃ハートネックレスが多くの女性から敬遠されるのは、「使えないものをもらった」からだろう。まぁ、実用性も値打ちのうちではあるが。

 

”日本では「高級ブランドは海外ブランド」というイメージが強く~”という部分に関しても、どうなんだろうと思う。agete(アガット)、ete(エテ)、AHKAH(アーカー)、MARIHA(マリハ)などの国産ブランドは、実際に女性に人気があるし、プレゼントされたら嬉しいという女性も多いのだから。


コストパフォーマンスの良さは、悪い要素ではないと思う。例えば、ユニクロも、かつては「ユニバレ」と言われて、「ユニクロだとバレたら恥ずかしい」「価格に対して品質は良いけど、デザインがイマイチ」という評価だったが、デザイン性を高めたことで、「ユニバレ」と言われなくなった。これについては過去に記事を書いている。4℃も、「ジュエリー界のユニクロ/GU」みたいな位置を取れたら、強いかもしれない。

yuhka-uno.hatenablog.com

 

以前のデザインのまま価格を上げたところで、女性は欲しがらないと思う。かえって、プレゼントしてくれた男性に対して、「ああ、そんな高いのに使えないもの買っちゃって……」と思うだけだろう。とにかく、以前の4℃に足りなかった要素は、女性に刺さるデザインだ。

例えば、ゲーマーは「ゲームとして面白いかどうか」の判断軸を持っている。「これは面白い」「これはつまらない」「これは自分向きではないけど、人気があるのはわかる」など。大手ゲーム会社のAAAタイトルだからといって、コケる時もあるし、インディーズゲームでも面白いものはある。でも、ゲームをやらない人は、そこの感覚はわからないよね。デザインを判断する感覚も、似たようなものかも。

 

2021年のTweet。まぁ、大多数の大人女性は選ばないデザインですね……

例えば、AHKAH(アーカー)のローラハートネックレス。こういう、非常に小ぶりでシンプルデザインなハートネックレスなら、受け入れやすい女性は多いと思う。様々な服装に合わせやすいし、オフィスでも使えそう。ただ、もっと言うと、「そもそも、自分にとってハート型のネックレスは必要か?」という判断基準もあるけどね。

ete(エテ)のレイヤー クレセントムーン ネックレス。4℃ハートネックレスと同価格帯ながら、大人女性が身につけて遜色ないデザイン。

 

2020年の、30歳女性がCanal 4℃のハートネックレスをプレゼントされた件では、多くの男性が「ハイブランド好きな女が、もっと高いものを寄越せと言っている」と解釈して、「女叩き」状態になっていた。

薄々思ってはいたが、もしかして、デザインがわからないと、「女性はデザインで判断している」ということ自体が、わからないのかも?

 

「王道」の女って何だ?

toianna.hatenablog.com

はてなで4℃といえば、こちらの記事という気がする。2016年に書かれた時には批判を浴び、例の30歳女性がCanal 4℃のハートネックレスをプレゼントされた2020年に再掲された時は、それほど批判を浴びていない。2024年の今、読み返すと、また違った印象を受けるのだろうか?

 

2016年は、「ノームコア」という「究極の普通」を体現したファッションが流行っていた時くらいだ。最初に「量産型女子大生」と言われた、茶色く染めた髪をふんわりと巻いて、リズリサのワンピースを着て、サマンサタバサのバッグを持っているガーリーな女子大生の時代は、2013〜2014年頃をピークに過ぎ去っており、スポーティーな恰好や大人系の恰好が女子大生のファッションになっていたという。この時代だと、確かに、4℃名物ラブリー乙女チックハートネックレスが、既に「ダサい」と認識される時代になっていたとしても、おかしくない気はする。

appmarketinglabo.net

 

トイアンナ氏の記事では、何度も「王道」という言葉が出てくる。

”何歳になっても4℃で心から喜べる女性はチョロいかもしれない。王道ファッションを好むと分かっているからだ。リッツ・カールトン、ディズニーランド、パリ旅行と喜びそうなものが想像できる。従って男性がプレゼントを考える時間も少なくてすむ。どれもお金さえ払えば手に入るから、彼女の笑顔をたやすく手に入れられる。”

4℃で喜ぶ女はチョロいのか - トイアンナのぐだぐだ

それにしても、「王道」とは何だろうか?確かに、4℃は、長らく男性にとって、女性に贈るジュエリーのブランドとしての王道だったかもしれない。だが、女性にとっては、実はかなり以前から王道ではなくなっていたのではないだろうか。今後、4℃が再び女性にとっての王道になる時が来るかもしれないが、今の時点では、王道とは言えない気がする。

また、昨今はパリ旅行も最早王道ではないかもしれない。最近の女性たちが行きたがるのは、韓国が主流かもしれない。*2

もし女性の「王道」というのが、「男性の頭の中に存在する架空の女性」に合致する女性のことならば、それはあまりにも男性目線なのではないだろうか。女性目線で見た「女性の大多数はだいたいこんな感じ」を「王道」にしてもいいような気がする。

 

たとえ好みが「王道」でなくても、「予算言ってくれればこっちで考えるよ」という女性は、相手の男性はプレゼントを考える必要もなく、彼女の笑顔を手に入れられるから、チョロいと思う。ただし、こういうタイプの女性は、「女の子ってこういうの好きなんでしょ?」系の男性とは、抜群に相性が悪い。ちゃんと相手の好みに耳を傾けられる男性と付き合う必要がある。

 

ダサピンクが生み出される発想は、女児の発想とほぼ同じ?

前々から、ダサピンクなデザインは「女児っぽい」と言われてきた。「どうも上司は女児と女性の区別がついていないのでは…」というコメントを頂戴したこともある。*3これは、ダサピンクが生み出される発想が、女児の発想とほぼ同じだからではないだろうか?

ごく幼い女児は、ピンクやハートやレースやフリルなど、「女の子向け」とされているものが大好きな子が多い。これは、子どもが「自分は〇〇」というアイデンティティを獲得していく過程で、まず性別が最もわかりやすいものだからだという。

しかし、成長するにつれて、女の子の好みは変化してくる。小学校高学年になると、「ピンクは幼い」という感じがして、大人っぽい白黒のモノトーンを好むようになる女子が増えてくる。

 

 カラー&イメージコンサルタントの花岡ふみよさんによると、平均的な幼少期の女の子は「かわいく女の子らしい」ピンクを選ぶ傾向があることは確か。「女の子はピンク系、男の子はブルー系という大人の既成概念でカラー展開されている子供服やおもちゃなどを見て『私は女の子だからピンク』という意識が働いているものと思われます」。

 しかし、成長して「自我」が目覚めてくるに従い「みんなとは違う色がいい」との意識が芽生え、水色などを選ぶようになると考えられるとのこと。さらに中学生の頃になると「大人っぽいもの」への憧れからモノトーンが増えてくるといいます。

「女の子の服選びには『ピンク期』と『水色期』がある」投稿に共感の声、その後は「モノトーン期」? | オトナンサー

次に、女子の好きな色を学年別にみてみよう(図H-4参照)。特徴的だったのは、以下の3色である。「ピンク」は、学年が上がるにしたがって、好きな者の割合が急激に減る(「ピンク」1年:62.1%→6年:38.8%)。反対に、「黒」と「白」は、好きな者の割合が増えるということである(「黒」1年:5.8%→6年:16.5%、「白」1年:1.0%→6年:13.6%)。高学年の女子に「ピンク」が不人気なのは、彼女たちが「ピンク」を幼い色と捉えているからなのかもしれない。学年によって、好きな色が変化する部分があることがうかがえる。

女子は「水色」と「ピンク」が好き

 

ただ、大人になると、一周回ってピンクも良いと感じる女性が増えてくる。それは、ピンクという甘い感じがする色も、デザイン次第で子供っぽくならないようにできることに気づくからだ。また、好きな「カラー」より、好きな「テイスト」に比重を置く傾向が強くなる人が多いため、単に「好きな色は?」と聞かれて答える色と、実際に使う色が、一致していないことも多くなる。

ダサピンク現象を観察していると、多くの男性には、この「一周回って、子供っぽくないデザインにすれば、ピンクは大人女性にも使える」という感覚がないのだろうと思う。なので、「女性=ピンク・かわいい」を何のひねりもなく使って、結果、女児向けピンクデザインになってしまうのかもしれない。

 

女児「ピンクは女の子の色!ピンクかわいい!ハートかわいい!レースかわいい!だからピンクのやつにする!」

男性「ピンクは女の子の色!ピンクかわいい!ハートかわいい!レースかわいい!だから女性用はピンクのやつにする!」

大人の女性「仕事では、『かわいい』よりも、プロフェッショナルに見えるかどうかが大事」「子どもっぽいのは嫌」「流行遅れなのは嫌」「私はナチュラル系が好き」「私はモード系が好き」「私はエレガント系が好き」「私はアンティーク系が好き」……

 

一方、女性が「大人の男性向け」のものを考える時、ごく幼い男児が好むようなデザインにしてしまうことは、まずないだろう。このTweetだって、「普通、大人の男性にこんなものプレゼントしないでしょ」という前提があるから言えることだ。この非対称性は、一体どこから来ているのだろうか?

これは「魔界のドラゴン夜光剣」というそうだ。

 

ちなみに、女児向けアクセサリーで有名なセボンスターが、2024年で45周年を迎えたとのこと。

prtimes.jp

 

ダサピンク現象について言及されている書籍

ここに載っていないものがあったら、ぜひ教えて下さい。

女の子は本当にピンクが好きなのか(著:堀越英美

このブログの記事”「ダサピンク現象」から5年~『女の子は本当にピンクが好きなのか』より”でも紹介しているが、堀越氏は、本の冒頭で、ジェンダーを意識せずに育てたつもりの娘さんが、3歳でピンク星人になってしまったことを述べ、ピンクとジェンダーの関わりについて、欧米と日本の事例から解き明かしていく。

「ピンク=女子」は欧米発祥なのだが、その意識が社会に根付いたのは、意外とさほど古くない。日本では「ピンク=女子」より「ピンク=エロ」のほうが歴史が長い。

 

もっとオシャレな人って思われたい!(著:峰なゆか

主に、生理用品のパッケージ等のデザインについて言及する際に、「ダサピンク現象」が使われている。

生理用品といえば、私が以前から思っているのは、香りつきパンティーライナー。一時期よりはマシになったけど、やたら「女の子!」って感じでキラキラしてる商品が多いと思う。そんなに香りやパッケージデザインに拘るなら、フレグランスソープのパッケージみたいな感じにしてくれ!

峰なゆか氏は、ダサピンクデザインは男性向け風俗のデザインに似ているという。

 

ぜんぶ運命だったんかい――おじさん社会と女子の一生(著:笛美)

著者は広告企業で働いていた女性なのだが、ダサピンク現象が起こる現場について、すごく生々しい描写がある。

下のサイトで試し読みできる。

www.akishobo.com

「女の子案件」(若い女性向け広告、という意味だろう)としてメンバーに呼ばれているのに、若い女性が言うより、先輩男性が言ったほうが聞いてもらいやすい。だから、あらかじめ男性のクリエイティブ・ディレクターに、「女性はこう考えますよ」と根回ししておくという。若い女性向けの広告を作っているのに、なぜ、当の若い女性の言うことに耳を傾けられないのか?と思うのだが、残念ながら、これはすごく想像がつく光景だ。

若い女性クリエイター」として仕事に呼ばれているのに、結局は男性が妄想する「女の子が好きそうな企画」になってしまう。一体、何のためにメンバーに呼ばれているのか……?

 

わたし、いい人やめました(著:カマンベール☆はる坊)

明確に「ダサピンク現象」という言葉は出てこないけど、ダサピンク現象そのもののエピソードが登場する。

「働くクール女子」向けの商品企画で、アンケートや売り上げデータでも「青」「モノトーン」がウケていると出ているのに、クライアント先営業部長のおじさんが「なんで『ピンク』や『ハート』がないんだ!!」「女性は『カワイイ』が好きだろ!!」と言って、全く話を聞かない。

著者たちが、なんとか「ピンク×ハート」でもクールめなデザインにしようとするも、「ピンク×ハート×カワイイ」デザインに拘るおじさん。結局、そのデザインだけ売れてないのに、第二弾でもまた乙女デザインを加えろというおじさん……

 

Numero TOKYO 2022年9月号

「ダサピンク現象」については、内容的には下のサイトのものと同じ。漫画家の瀧波ユカリさんのイラスト入りで紹介されている。

”女性向け商品が残念なデザインになる謎
女性は「ピンクが好き」「かわいいのが好き」「恋愛要素が入ってるのが好き」という固定概念から、女性をターゲットにしたプロダクトが、当の女性消費者にとっては手に取りたくない、微妙なデザインになる現象のこと。2013年に宇野ゆうかが提唱し、14〜15年にかけてネット上で議論を巻き起こした。女性向けコンテンツにピンクやハートが多用される現状に一石を投じるきっかけになった。「ピンク=ダサい」という意味ではない。”

漫画家・瀧波ユカリと紐解く!ややこしい「ピンク」な言葉 | Numero TOKYO

 

女の子が死にたくなる前に見ておくべきサバイバルのためのガールズ洋画100選(著:北村紗衣)

”「キューティ・ブロンド」ダサピンクを脱する映画の、ダサピンクになってしまった日本語タイトル”

キューティ・ブロンド」の原題は「Legally Blonde」だ。

私の中では、なんとなく「紳士は金髪がお好き」と「キューティ・ブロンド」がセットみたいになっている。どちらも、欧米における「おバカなブロンドの女の子」というステレオタイプを扱っているし、どちらの女性もピンクのドレスを着ているから。

紳士は金髪がお好き」は、マリリン・モンロー演じる、結婚相手は金持ちであることが重要だと考えている、おバカでお気楽なローレライと、ジェーン・ラッセル演じる、姉御肌でイケメン好きなドロシーのコンビの物語。最後のほうのセリフで「えっ⁉」と思わされる。ある意味、「男性の頭の中に存在する架空の女性像」の物語だ。

natalie.mu

 

紳士は金髪がお好き」の象徴的なシーン。マリリン・モンローが「Diamonds Are a Girl's Best Friend(ダイヤモンドは女性の親友)」を歌うシーンの、有名なピンクのドレス。

Pink dress of Marilyn Monroe - Wikipedia


www.youtube.com

 

 

 

 

4℃(ヨンドシー)ハートネックレス炎上を振り返る~男性向けブランドから女性向けブランドへ

クリスマスの風物詩とも言われるジュエリーブランド4℃(ヨンドシー)の話題。前々から「男性が贈って、女性が嬉しくない」ハートネックレスが話題ではあったが、決定的だったのが、2020年に、友人関係の男性からCanal 4℃のハートネックレスを贈られた30歳女性が、Twitterで呟いた一件だっただろう。これは激しく炎上したので、当時、私も興味を持って記事を書いた。

yuhka-uno.hatenablog.com

 

今回、私が再び4℃について記事を書こうと思ったのは、4℃がマイナスイメージを払拭するべくリブランディングに挑んでいることと、この動画を見たからだ。おそらく、2023年、4℃が原宿にポップアップストア「匿名宝飾店」を出した時期のものだと思う。

特に10:35から見て欲しい。


www.youtube.com

これは鋭いと思った。いや女性だと「こういうことなんだろうな」と思ってる人は珍しくないだろうけど、男性でここに辿り着ける人は珍しい。まぁ、この方は企業コンサルタントだから、それが仕事なのだろうけど。

 

炎上のおさらい

件の30歳女性がプレゼントされたのは、Canal 4℃のハートネックレス。Canal 4℃は、4℃の妹ブランド的な位置づけで、10代~20代前半がターゲット層だ。「飲み誘われたら行くくらいの友人」の男性から、オルゴールの箱つきでプレゼントされたとのこと。

実は、私は当時Canal 4℃というブランドラインを知らなかったのだが、そんな私でも、一目見て「あー……これは大多数の30歳女性には好まれないデザインや……」と思ってしまった。

そもそも、彼氏彼女の間柄ではないのだから、アクセサリーはむしろ贈らないほうが良いだろう。百貨店のプチギフトコーナーにある2000~3000円くらいの品物でも良かったかもしれない。友人関係のアラサー女性へのプレゼントには、ティファニーよりティファールだ。*1

 

当時ついていたレス。

 

当時の炎上は、こういった詳細な部分が省かれて、「男から4℃のネックレスを贈られた女がSNSに晒して炎上したらしい」みたいな、非常にざっくりとした認識で人々に記憶されることになっていった。この一件は、ひろゆきが言及したことによって、一気に広まった面があったと思う。

getnews.jp

 

ちなみに、贈った男性は現在結婚していて、贈られた女性とは今でも友人関係が続いているとのこと。

 

4℃はどういうブランドだったのか?

私は4℃の全盛期を知らない。私の4℃の端的なイメージは「ダサいと評判のハートネックレスが有名なブランド」だった。一般的には、「一昔前のブランド」「大学生男子が彼女にプレゼントするためにバイト頑張って買う」というイメージで語られることが多いようだ。

 

4℃は、1972年原宿でデビューした。当初は女性が自分のために買うジュエリーだったが、バブル期に、男性が女性にジュエリーをプレゼントする文化が広まって、4℃もギフト用に購入する男性客向けに、売り上げを伸ばしていったという。かつては若い世代に支持されていて、「安くて品質が高くて、かわいい」というイメージで、バブル崩壊後から10年を過ぎた頃も、若者から人気だったという。バブル期から、エビちゃんもえちゃんの愛されOLの時代くらいを上げている人が多かった。*2*3*4

 

”「4℃(ヨンドシー)」とは、日本のジュエリーブランドです。4℃について50代後半の親戚に話を聞いてみると、昔はみんな4℃を持っていた!というほどの人気があったそう。

ところが最近、主にSNSなどで若者世代の「4℃はダサい」という意見を聞きます。

一見、4℃はティファニーやスワロフスキーなど、他のジュエリーブランドと大差がないようにも見えますが…”

 

"今回はインターネット上や大学などで度々耳にする、この「4°Cダサい説」について考えてみたいと思います。"

 

4°C(ヨンドシー )って、何でダサいと言われているの? | 056号室

炎上の前年の2019年に書かれた記事。記事の内容によると、当時は大学生女子の間でも、「4℃=微妙なブランド」という共通認識があったことが伺える。

 

2021年のTweet。流行が一巡したら、またこういうのが流行るようになるのかな……?

 

4℃にも、一粒ダイヤネックレスのような、女性が必要とするシンプルデザインのものもある。ただ、他のジュエリーブランドには、女性たちから「このブランドのこれ良いよね!」と支持されるような商品があって、そのブランドの象徴みたいになっていたりするものだが、4℃の場合、かわいらしすぎるハートネックレスが、このブランドの象徴になっていた。

実際、実感としても、炎上当時の4℃の商品ラインナップは、いまいち現代の女性に刺さるデザインが少ないという印象だった。

 

ちなみに、4℃は、「匿名宝飾店」にこの種のハートネックレスは出さなかったそうだ。

 

例の炎上前後で、4℃に何が起こっていたのか?

改めて調べてみたが、これまでの4℃は、女性客より男性客のほうが多いジュエリーブランドだったそうだ。

炎上以前、2019年2月期の売上比率は、女性25.4%/男性46.3%/カップル27.5%*5

炎上以後、2022年2月期の売上比率は、女性31.7%/男性38.9%/カップル29.3%*6

炎上以前は、男性客が女性客の倍近くだ。ある意味、4℃は男性向けブランドだったと言えるだろう。

 

例の炎上以前から、ある程度ファッションやジュエリーに興味がある女性たちからは、「4℃のハートネックレスを贈られたけど、嬉しくない」というシチュエーションは、あるあるな話になってしまっていた。*7また、ある種のネット民にとっては、「クリスマス後のメルカリでよく出品されているブランド」として、毎年の風物詩になっていた。*8*9*10そして、それは4℃側も把握していたようだ。

こうした状況に 4℃ 側が特に危機感を抱いたのが 「15年のクリスマス」 (瀧口社長 (引用者注: ヨンドシーホールディングス傘下でジュエリー事業を手掛けるエフ・ディ・シィ・プロダクツの瀧口昭弘社長) ) だ。男性から贈られた 4℃ のジュエリーを、女性たちが使わないままフリマアプリに続々と出品。SNS でネタにされていた。「これまでのやり方が間違っていたと気付かされた」 

4℃、もうギフトに頼らない 女性の購入、男性逆転へ - 日本経済新聞

これらの女性たちにとっては、あの炎上は、既に前々からSNS上で言われていて、今さらな話題で、「ああ、またか」という感じだったと思う。

 

ただ、今から思えば、あの炎上はこれまでとは違った。2020年の炎上は、女性のファッションやジュエリーに詳しくない層の人たち……つまり、これまで4℃の主要客であった男性たちにまで、届いて広まってしまったのだろう。現に、炎上前と炎上後で、売上高が明らかに落ちているし、Googleの検索ボリュームでも影響が見てとれるのだ。

 

実際には、4℃には女性にプレゼントしても良いようなデザインもあるにはあったし、婚約指輪や結婚指輪を扱う、ちゃんとしたブライダルラインもある。価格の割に品質は良いフェアなブランドなのだが、いかんせん、「男性が贈って、女性が嬉しくない」ハートネックレスが象徴的すぎた。

 

女性のファッションやジュエリーにリテラシーがある人たちにとっては、4℃の印象は、炎上前と炎上後で変わらなかったと思う。問題は、女性のファッションやジュエリーに詳しくない層の人……主に男性たちだった。炎上をきっかけに、これまで4℃の主要な客層であった男性たちにまで、「4℃ってダサいらしい」「プレゼントしても喜ばれないらしい」という認識が広まってしまったのではないだろうか。

 

2023年、4℃は、ブランド名を出さないで、ポップアップストア「匿名宝飾店」を実行した。また、男女が対象のユニセックスな「4℃HOMME+(ヨンドシーオムプラス)」や、石の自然美を生かした「KAKERA(カケラ)」などの新しいブランドラインを出した。

明確に女性向けに舵を取ったリブランディングによって、2024年2月期に、初めて女性客が男性客を上回ったとのこと。実際、今の4℃が押し出しているイメージや商品ラインナップは、明らかに以前とは違っている。

 

www.nikkei.com

 

 

以前から危機感を持っていた4℃も、例の炎上で、本格的にギフト用中心から女性が自分で買うブランドに方針転換することを決意したのかもしれない。

結局のところ、男性客に向けて売っていたものは、女性たちの「貰っても嬉しくない」という声が、一般的な男性たちにまで届いてしまうと、売れなくなってしまう。長くブランドを維持していくために、女性たちが自ら買いたいと思うようなブランドにしていく方向に舵を切った、ということなのかもしれない。

 

www.excite.co.jp

2022年の記事。このサイトを見ると、4℃のジュエリー売上高は、実は例の炎上以前から徐々に落ちていたようだ。もしかしたら、あの炎上が、結果的に4℃にとっての「底つき体験」になったのだろうか?

 

海外の女性たちも、ハートネックレス問題に悩んでいた。

もしかしてと思って、「ugly heart necklace(ダサいハートネックレス)」でGoogle検索してみたら、出てくる出てくる……海外の女性たちも、日本の女性たちと全く同じ問題に悩んでいた。もちろん、4℃という日本のブランドの話題は全く出てこないのだが、画像検索して出てくるものが、ことごとく日本の女性たちも「ダサい」と認識しそうな形のものばかりだった。

 

特に、これは背景画像込みで見ると味わい深い。

”どうか、バレンタインデーにハート型のジュエリーを買うのをやめてください”

www.racked.com

"As a gift, a piece of heart jewelry is a total and complete cop-out. Can you think of anything less personal and more cheesy at the same time? It’s a shallow expression of intimacy and love that doesn’t bother to consider what the giftee actually likes, unless she happens to be part of the small cadre of adult women who are actually super into heart pendants."

(贈り物として、ハート型のジュエリーは完全に言い逃れです。これより個人的でなく、同時に安っぽいものを思いつきますか? 贈り物を受ける人が実際に何を好むかを考慮しない、親密さと愛情の浅はかな表現です。ただし、その人がたまたまハート型のペンダントに非常に興味を持っている少数の大人の女性の一員である場合は別です。)

 

"It’s also an appeal to Zales to PLEASE, STOP TELLING PEOPLE WE LIKE THOSE HORRIBLE “INFINITY” HEART PENDANTS, and a plea to Kay to just cut it out. Do you really need to make over a thousand varieties? Did you have to add angel wings, too? (It’s not just the mall brands, either. You’re an offender too, Tiffany. David Yurman, we see you.)"

(これはまた、ゼールズ社に対して、お願いですから、私たちがあのひどい「インフィニティ」ハートペンダントが好きだと言うのをやめてください、という訴えでもあり、ケイに対しては、もうやめてほしいという嘆願でもあります。本当に1000種類以上も作る必要があるのですか?天使の羽も付け足す必要があったのですか?(モールブランドだけではありません。ティファニーさんも犯罪者です。デイビッド・ユーマンさん、私たちはあなたを見ています。)

ゼールズもケイもティファニーもデイビッド・ユーマンも、向こうのジュエリーブランド。わざわざ大文字で訴えている。

 

また、X(Twitter)にもこのような投稿がされており、リツイートが5.6万、いいねが37万ついており、まさに論争状態になっていた。

(あなたのガールフレンドはハート型のジュエリーなど欲しくないはずです。これを読んでもまだハート型のものが欲しいと思うなら、私はダサくないものを見つけるお手伝いをします。これは私の女性仲間への奉仕行為です。)

 

プレゼントにハートネックレスは「無難」なのか⁉

実際には、女性が自ら「欲しい」と思って買うようなハートネックレスも、世の中には存在しているけれど……ファッションが苦手な男性が選ぶハートネックレスは、大体、贈られる本人が好まないものになってしまいがちだから、自分で判断しないで、彼女の希望を聞くか、おしゃれな女性にアドバイスしてもらって下さい。

 

最近だと、ANNIKA INEZ(アニカ イネズ)のハートネックレスあたりなのかな……?

 

4℃はよく「無難なデザインが多い」と言われているが、私の感覚では、プレゼントにハートのネックレスは、決して無難ではない。「彼女はこのタイプのアクセサリーが好き」とわかっているのでない限り、あえて選ぼうとは思わない。そのくらい、実は難しいものなのだ。多くの女性たちが考える「無難なデザイン」とは、シンプルな一粒ダイヤのネックレスだと思う。

 

ハートネックレス問題について、「男性にとって女性のアクセサリーは観賞用だけど、女性にとっては実用品だから」と言っている人がいたが、確かにそう。男性だって、ドラゴン柄のネクタイを贈られても、使いどころがないだろうしね。これは、ドラゴン自体が好きとか嫌いとか、そういう問題ではないのだ。

こんなん誰が就活に使うねん。

 

4℃の今後に期待。

 選択と集中を行った効果は目覚ましく、2023年3-8月のジュエリー事業の営業利益率は6.8%。前年の4.5%から2.3ポイントも上昇しました。

 ヨンドシーのファッションジュエリーの弱点は、男性客がメインだったこと。男性目線と女性目線がかみ合わないことが、SNSで論争を巻き起こす要因の一つになっています。

 しかし、ファッションジュエリーに経営資源を集中し、ブランドの再構築を行った結果、女性客の売上高は2023年2月期に37億円となり、前期比3割増となりました。女性から敬遠されるイメージは、過去のものとなりつつあります。

「4℃(ヨンドシー)」が大量閉店した納得の理由。“女性に敬遠される”のは過去の話に――大反響トップ10 | 日刊SPA!

 

 

4℃が今後、気を付けたほうがいいことがあるとしたら、「広告炎上」だと思う。炎上する時というのは、大抵、「まるで、現場の女性たちが考えたものを、上層部のおじさんが添削したような」あるいは、「まるで、上層部のおじさんに忖度したような」感じの広告を打ってしまった時だ。

とりあえず、女性たちに対しては、特に何も言う必要はないだろう。基本的に、ただ良いものを作って、「私たち、こういうものを作りましたよ!」と見せるだけで良いと思う。

男性たちに対しては、言うことがあると思う。「彼女に喜ばれるジュエリーの選び方」みたいな。まぁ、予算を伝えて彼女に選んでもらうか、店員さんに予算を伝えて彼女の写真を見せて、あとは任せるかの、どちらかだろう。

 

4℃の今後に期待。

 

余談

この記事をほぼ書き上げた時に、これが話題になっていた。今回、4℃関連の話題について色々調べていて、これと同じことを言っている人が複数いたので(4℃の店員さんとは限らないけど)、そういう男性は、実際よくいるのかもしれない。

togetter.com

そういえば、以前こういうまとめがあったけど……これは「カップルで来て」一緒に選んでるから、幸せだってことなんだろうなぁ……

togetter.com

まぁ、贈り物で失敗するのは、誰にでもあることなので、ある意味人生の通過点と言えるかもしれない。

 

 

 

*1:ぶっちゃけ4℃に限らず好きでもない男にドヤ顔で”ティファール”とか渡されても「ハ?」ってなるやん→かなり嬉しいのでは...? - Togetter [トゥギャッター]

*2:SNSでネタにされて悔しかった…女性インフルエンサーに「今までごめん」と言わせた有名宝飾店4℃の逆襲 あえて原宿に「匿名宝飾店」を出店して大成功 | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン)

*3:https://x.com/kensuu/status/1705073746749673481

*4:サマンサタバサ、4℃大量閉店 エビちゃんOL系が令和世代にウケない背景|コクハク

*5:4℃、もうギフトに頼らない 女性の購入、男性逆転へ - 日本経済新聞

*6:匿名出店で衝撃の「4℃」は業績不振…そもそも「誰が」買っていたのか、その「意外な客層」(坂口 孝則) | マネー現代 | 講談社

*7:4℃で喜ぶ女はチョロいのか - トイアンナのぐだぐだ

*8:メルカリにクリスマスプレゼントらしきアクセサリーが大量出品「これを別の男性が買って女性にあげるのか…」 - Togetter [トゥギャッター]

*9:クリスマス後のメルカリがとっても世知辛い状況になっております「もはや風物詩」「かなしみ」 - Togetter [トゥギャッター]

*10:毎年恒例Xmas後のメルカリに今年はいつもの以外も多く出品されているもよう「この世の業がつまってる」 - Togetter [トゥギャッター]

『将軍 SHOGUN』『ラスト サムライ』『アサシンクリード シャドウズ』~白人酋長または白人の救世主について

白人の救世主(白人酋長モノ)と呼ばれるジャンルがある。これは、「なろう系」とか「異世界転生」とかに近いのだが、要するに、白人主人公が異人種や異民族を相手に無双する内容だ。有能な白人が、文明的に遅れている民族や未開の地で人々を助け、現地人に称賛され、ついでに現地女性にモテるとか、そういう物語である。

まぁ白人が気持ちよくなるためのものなので、利用された側にとっては、当然不快に感じる。そのため、このジャンルは過去に批判されてきており、近年のポリコレでは、白人の救世主はやってはダメということになっている。

 

映画における白人の救世主(英語: white savior)とは、白人が非白人の人々を窮地から救うという定型的な表現である。その表現は、アメリカ合衆国の映画の中で長い歴史がある。白人の救世主は、メシア的な存在として描かれ、救出の過程で自身についてしばしば何かを学ぶ。

白人酋長モノなどともいう。

白人の救世主 - Wikipedia

Screen Saviors: Hollywood Fictions of Whiteness labels the stories as fantasies that "are essentially grandiose, exhibitionistic, and narcissistic". Types of stories include white travels to "exotic" Asian locations, white defense against racism in the American South, or white protagonists having "racially diverse" helpers.

(Screen Saviors: Hollywood Fictions of Whitenessは、これらの物語を「本質的に大げさで、自己顕示的で、ナルシスティックな」ファンタジーと分類している。物語の種類には、白人が「エキゾチックな」アジアの場所を旅すること、アメリカ南部での人種差別に対する白人の防衛、または「人種的に多様な」助け手を持つ白人の主人公などがある。)

White savior - Wikipedia

 

現実には、高い能力を持っていたら、その社会で無双できる(ゲームプレイヤーになれる)かというと、たぶんそうでもないだろう。その社会でゲームプレイヤーになれるかどうかは、能力を持ってるかどうかより、権力を持ってるかどうかだと思う。能力を持っていても、権力を持っていなければ、その社会で能力を発揮できないか、権力者に能力を利用されるだけだ。

2024年リメイク版の『将軍 SHOGUN』は、そこが現実的だと思った。あのドラマの中で、ゲームプレイヤーはブラックソーンではなく虎永である。ブラックソーンは、状況に振り回されるしかない。『将軍 SHOGUN』は、この構造を演出することで、ドラマが白人酋長モノになることを避けたのだろう。

 

そして、白人が異人種・異民族の社会に入っていくということは、その社会において白人がマイノリティになるということでもある。

80年代に制作された『将軍 SHOGUN』を見ると、ブラックソーンのもとに次から次へと女性たちがやってくる描写があるが、2024年版にはそういう描写はない。彼は、鞠子以外の女性からは全くモテていなかった。

能力さえあれば、単独で異なるコミュニティに入っても、そこでゲームプレイヤーになれるというのは、いかにも白人男性的な考えであったと言えるだろう。

 

2024年版の『将軍 SHOGUN』に改善点があるとすれば、若くて性的魅力のある男性が、ブラックソーンしかいなかったことだろう。欧米のメディアにおいて、アジア人男性は、ずっと性的魅力に欠ける存在として表現されてきた。ここは続編で改善の余地があると思う。(ちなみに、どういうわけか、コズモ・ジャービスは日本人女性の間であまり話題になっていない。みんな真田広之浅野忠信の話ばかりしている。)

 

ラスト サムライ(Last Samurai)』は白人の救世主だろうか?

(ネタバレになるが)この映画は、幕末の時代、欧米からやってきた軍事顧問の男が、侍の集団に捕まって捕虜になり、そこで生活するうちに、彼らの生き方の中に美しさを見出す。最後は侍たちと共に戦って、侍の時代の終焉を目撃するという筋書きだ。トム・クルーズが演じた主人公のネイサン・オールグレンのモデルは、ジュール・ブリュネであり、渡辺謙が演じた侍たちのリーダー・勝元盛次(かつもと もりつぐ)のモデルは西郷隆盛である。この映画の「ラスト サムライ」とは、勝元たち日本人の侍のことであり、オールグレンのことではない。

勝元を演じた渡辺謙は、The Guardianのインタビューで、この映画は白人の救世主かという質問に対して、「そんな風には思っていなかった」「『ラスト サムライ』の前には、眼鏡をかけ、歯をむき出しにし、カメラを持つアジア人というステレオタイプがありました」と話す。*1一方で、松崎悠希は、この映画は白人の救世主だと言う。*2海外では、この映画は概ね白人の救世主だと考えられているようだ。

 

この映画は、日本人から見ると変な日本描写が多数あった。当時はハリウッドのスタッフを使わなければならなかったため、そうなったという。特に、忍者の集団が襲撃してくるシーンは、あまりのあり得なさに、ある意味で記憶に残るシーンだった。もう20年程前の映画なので、現代の感覚からすれば、時代遅れだと言わざるを得ない。

それでも、当時はハリウッドが日本の侍をテーマに日本人俳優を使って映画を撮るのが珍しかったこと、日本の侍たちが格好良く表現されていたことなど、あの時代としては、日本に対する敬意が感じられたので、日本人から受け入れられたのだと思う。当時の欧米では、日本文化に関心を持っている人はまだ少なく、トム・クルーズが前面に出ていなければ、アメリカの観客たちは、知らない俳優たちが出ている侍映画を見なかっただろう。

はっきり言って、『ラスト サムライ』は、侍映画を見慣れている日本人の鑑賞に堪えるものではなかった。日本人の大部分が知らない2023年制作のアニメ『Blue Eye Samurai』から考えると、もしかしたら、欧米社会に「日本人は江戸時代が終わるまで銃を使わなかった」という偏見を残した映画であったかもしれない。しかし、欧米の観客に対して、『ティファニーで朝食を』のミスター・ユニオシのようなものではなく、あの時代において、日本人に対するイメージを刷新し、物事を前進させたものであったという評価はできるだろう。

ラスト サムライ』がなければ、2024年の『将軍SHOGUN』はなかっただろう。おそらく、真田広之は、『ラスト サムライ』の時にできなかったことを、『将軍 SHOGUN』で全てやったのだ。

 

さて、最近ネットで大炎上して話題になった『アサシンクリード シャドウズ(Assassin's Creed Shadows)』だが、なぜ多くの日本人が不快に感じたのかというと、要するに、弥助が「黒人の救世主」になっているからだろう。もっとも、ゲームを作っているUbisoftは、ほぼ白人の会社である。

このゲームの問題点については、前回記事『Yasuke is so white! ― ポリコレ視点から見るアサシンクリードシャドウズ(Assassin's Creed Shadows)弥助炎上事件』において詳しく述べたので、そちらもご覧頂きたい。

日本人がアサクリシャドウズを不快に思う理由は、もし『ラスト サムライ』が、トム・クルーズが、まるで大名のように高価で豪華な甲冑を着た「伝説の侍」になり、彼が道を歩けば地元の庶民たちが直立してお辞儀をして、日本人の首を不必要に切り落とし、抑圧者から日本の人々を解放するカリスマヒーローになる内容だったら?で説明できると思う。こんな内容の映画、絶対に日本人から認められなかっただろう。

 

アサシンクリードシャドウズの弥助

伝説の侍になろう

カリスマ性のある侍、弥助となって、残忍な正確さと力で敵を攻撃しましょう。戦闘に特化したスキルを使って、敵を攻撃、ブロック、受け流し、倒しましょう。刀、金棒、弓、薙刀など、さまざまな武器を使いこなして、日本を圧制から解放しましょう。

 

おそらく、Ubisoftの考えは「日本を舞台に白人の救世主をやるのはダメ。それは差別的だ。でも黒人をエンパワメントするために、黒人の救世主を作るのはOK。それは先進的だ」なのだろう。

しかし、普通に考えて、かつて、たまたまその国にいた外国人を、史実よりも非常に身分が高く、史実よりもその国の人々から敬われ、そんなことをしていた記録はないのに、抑圧者から人々を解放する人物として表現して、処刑する時の戦闘モーションでその国の人々を殺すゲームを作ったら、その国の人々が不快に思うのは、当然だろう。仮に、日本のゲーム会社が、日本人主人公でこれと同じことをやったとしたら……それは非常にナルシスティックだし、相手の国の人たちに対して失礼だと感じる。

海外では、このゲームを擁護する人たちは、「日本人自身が弥助に関する創作物を作っているのだから、AC Shadowsの弥助も、日本人は受け入れている」と主張する。が、もちろん、日本人が創作した弥助は、侍として登場したとしても、大名や武将のようではないし、このような誇張された救世主的描写は見られない。私が知る限り、日本人が創作した弥助のフィクションで論争が起こったことは、今までなかった。日本で論争が起こった弥助のフィクションは、アサシンクリードシャドウズが初めてである。

 

Ubisoftは、愚かにも、弥助をナルシスティックな救世主にすることが、黒人をエンパワメントすることだと考えているのだろうか?だが、「白人の救世主」は、白人をエンパワメントしていたのだろうか?私はそうは思わない。それは白人たちのナルシシズムを満たしていただけだ。

自己肯定感とナルシシズムは別物だ。自己肯定感は、他者と良い関係を築くが、ナルシシズムは、他者との関係を破壊してしまう。エンパワメントとは、相手の自己肯定感を引き出すことであって、相手のナルシスティックな願望を満たしてあげることではないはずだ。

Ubisoftは、黒人をエンパワメントすることと、他国の歴史や文化を尊重することの間で、バランスを取るべきだった。

 

いずれにせよ、今まで「白人の救世主」が問題視されていたのは、ハリウッドが白人中心だったからで、これから非白人が主人公になる機会が増えると、非白人の救世主モノが創られ、それが問題視されることは、これからも起こるだろう。ある意味では、それが主人公になる機会が増えるということなのだ。その時には、「白人の救世主」という言葉は古くなり、「外国人の救世主」という言葉に置き換わるかもしれない。

主人公やファッションモデルが白人ばかりだった時代に戻るべきではない。一方で、男女が平等になるということは、女性も男性と同じように昇進し、高い地位に就く機会を得て、男女ともにセクハラやパワハラの講習を受けるということなのだ。これと同じことが、非白人が主人公になる場合にも言えるだろう。

 

そして、日本も、アニメや漫画が日本人だけが見るものではなくなった以上、世界発信を前提としたコンテンツでは、「日本人救世主」にならないよう、気を付けたほうが良いのだろう。
「救世主になりたい」という願望は、白人だけが持つものではなく、誰もが持つ願望だと思う。しかし、相手の国の人々にとっては、それはクールとは限らないのだ。主人公がすごいことを表現するために、他国の歴史や文化を「道具」として使用するのは、過去に白人たちが散々やってきて、ことごとく失敗している。それを反面教師とするべきだろう。

 

togetter.com

 

将軍 SHOGUN』は、ステレオタイプ的な日本人描写、白人の救世主、無意味な女性のヌードシーンなどを排除して創られた、かなりポリコレな作品である。女性をちゃんと描いているのも評価されている。北米では日本はマイノリティであり、これまでは、日本人の役を中国人が演じる、原作は日本人なのに白人が演じる、ステレオタイプ日本人、トンチキジャパン描写が、ハリウッドでは普通だったのだ。最早、今の時代においては、私たちがよく目にする映画やドラマの多くは、ポリコレの視点が入っていると言っても過言ではないだろう。

将軍 SHOGUN』は、『ラスト サムライ』から20年余りの間に、真田広之がハリウッドで信頼を積み重ねてきたこと、(北米における)マイノリティの文化を尊重しようという時代の流れができたこと、日本文化に対する観客の鑑賞力が高まったことなどが、ちょうど噛み合って生まれた傑作だろう。これまでもハリウッドで奮闘した日本人俳優はいたが、やはり、今の時代でなければできなかったと言わざるを得ない。*3

 

関連記事:

yuhka-uno.hatenablog.com

 

 

 

Yasuke is so white! ― ポリコレ視点から見るアサシンクリードシャドウズ(Assassin's Creed Shadows)弥助炎上事件

日本が舞台のゲーム「アサシンクリードシャドウズ」が、大炎上していますね。先に結論を言うと、これはアジア人差別的なビデオゲームです。私はこのゲームのファンなので、とても残念な気持ちです。この問題は、シリーズを知らない人にはわかりにくいので、順に説明していきますね。

この問題を理解する鍵は、欧米におけるアジア人男性に対するステレオタイプ、「白人の救世主」という概念、Ubisoftの制作陣が言った「私たちの侍(our samurai)」という言葉です。

なお、ここで「アジア人」と書いてある場合、それは東アジア人のことを言います。

 

アサシンクリード(Assassin's Creed)とは?

アサシンクリードは、歴史の裏で暗躍する暗殺者になって、歴史上の人物から無名のモブキャラまで、人を殺しまくるゲームです。残酷なシーンや大人のロマンスシーンがあるので、年齢制限が設けられています。

これまで、ルネッサンス期のイタリア、革命期のフランス、ヴィクトリア朝ロンドン、プトレマイオス朝古代エジプトなど、様々な国と時代がゲームの舞台になってきました。

表向きの歴史は私達が知っているものと同じだけれど、実は、裏では、人々をコントロールしようとする集団と、人々の自由を求める集団が、何世紀も争い続けていて、さらに、実は、人間より先に来た宇宙人(?)がいて、その人たちが神話上の神で、神の秘宝を手に入れた人間が、強大な力を得て支配者になれて……といった、ある種「マトリックス」的な、壮大なフィクションになっています。

「表向きの歴史」の部分では、当時の建物や町並みを、オープンワールドでかなり忠実に再現していて、そこを自由自裁に走り回れる、「歴史観光ゲーム」としても楽しめます。

 

アサシンクリードは、フランスに本社があるゲーム会社「Ubisoft」が制作しています。Ubisoftは、ヨーロッパ最大のゲーム会社であり、アサシンクリードは、既に17年続くシリーズもので、累計2億本売れている、この企業の主力商品です。欧米では、「ファイナルファンタジー」に匹敵するほどの人気ゲームであり、パリオリンピック開会式に登場するくらいには有名です。

Ubisoftについては、この方が詳しく解説して下さっています。

note.com

 

炎上・第一段階:アフリカ人男性と日本人女性の主人公〜「アジア人男性は主役になれない問題」

このゲームシリーズは、「アサシン」という性質上、歴史に名を残さない、架空の現地人が主人公でした。イタリアならイタリア人、フランスならフランス人、北米ならイギリス人とアメリカ先住民の間に生まれた人……といった具合です。歴史上の人物は沢山登場しますが、それらは全てNPCでした。

シリーズ初期は男性主人公一人が殆どでしたが、ここ近年は、男性主人公と女性主人公を出してきていたので、ファンたちは、なんとなく、「主役は日本人男性と日本人女性だろう」と思っていました。しかも、過去に「山内鷹(Yamauchi Taka)」*1という日本人アサシンの存在が仄めかされていたため、「山内鷹か、彼に関係した人物が主人公だろう」と思っていた人も多かったのです。

それに、なんと言っても、シリーズ始まって以来、AAAタイトルで初のアジアです。アジア人が主人公になったことは、これまでありません。日本のアサシンといえば、忍者だよね! 世界中のファンたちが、日本が舞台のアサシンクリードを、楽しみにしていました。

 

で、蓋を開けてみれば、弥助です。

 

はぁ?バエク(Bayek)いたじゃん。(古代エジプトヌビア人男性)

アドウェール(Adewale)も。(奴隷制時代の黒人男性)

 

実際、最初の段階では、日本のSNSでは、アサシンクリードを知らない人たちは、「弥助が主人公のゲーム? 良いじゃん!」と反応していましたが、シリーズのファンたちは、もやもやとした、複雑な気分になっている、という雰囲気でした。*2

 

一方、海外では、既に炎上していました。というのも、欧米では、アジア人男性のレプリゼンテーション(Representation)の問題があったからです。

欧米社会では、アジア人女性は魅力的だが、アジア人男性は魅力的ではないと思われている。なので、映画などのメディア媒体で、アジア人男性が主役になれないという問題があるのです。アジア人男性は、弱々しくてオタクっぽいというステレオタイプがあるため、恋愛序列の最下層です。*3そんな彼らにとって、侍や忍者やカンフーの達人は、かっこいい主役になれる貴重な機会なのです。

一方、アジア人女性は、エキゾチックで性的かつ従順だと思われています(もちろん良い意味ではない)。「Asian fetish」と言えば、それは「アジア人女性フェチ」のことです。欧米の映画では、白人男性とアジア人女性の主人公は、よく見る組み合わせです。それだけに、主要キャラクターが全員アジア人のラブロマンス映画『クレイジー・リッチ・アジアンズ』は、当時のハリウッドでは、非常に画期的だったのです。

 

過去作のアフリカ系主人公については、AAAタイトルで、古代エジプトが舞台でヌビア人男性の主人公。PS3版限定で、フランス人とアフリカ人の間に生まれた女性主人公。ダウンロードコンテンツで、黒人男性主人公がいました。

アジア人主人公については、明時代中国が舞台のミニゲームで、女性主人公。秦時代中国が舞台のモバイル限定ゲームでは、シリーズ初となるキャラクターカスタムで、プレイヤーの外見と名前を自由に選択できました。しかし、これは同時に、アジア人男性を選ぶ必要がないことと、明確な主人公がいないことを意味しました。

そして、今回、日本が舞台で、アフリカ人男性と日本人女性です。

他のゲームタイトルでは、ほぼ毎回、現地人の架空の男性主人公がいたのに*4、アジアが舞台のゲームタイトルでは、3回とも全てアジア人男性主人公がいないのです。これは、このシリーズを知っているファンからすると、非常に不自然なことです。

 

In a leaked email to studio executives, about why he didn't cast an Asian American as the lead for the movie "Flash Boys" - based on a book with an Asian American lead character named Bradley Katuyama - Aaron Sorkin wrote "there aren't any Asian movie stars".

"I'm tired of hearing from people that they can't 'see' an Asian American actor playing the romantic lead or the hero, so I created #StarringJohnCho to literally show you," he said.

 (スタジオの幹部に宛てた流出した電子メールの中で、アーロン・ソーキンは、ブラッドリー・カツヤマというアジア系アメリカ人の主人公が登場する本を原作とした映画「フラッシュボーイズ」の主役にアジア系アメリカ人を起用しなかった理由について、「アジア系の映画スターがいない」と書いている。

アジア系アメリカ人俳優が恋愛の主役やヒーローを演じる姿を『想像できない』という声を聞くのにうんざりしているので、文字通り皆さんに見せるために#StarringJohnChoを作りました」と彼は語った。)

#StarringJohnCho highlights Hollywood's 'whitewashing' - BBC News

「子どものころ、アジア系男性への典型的なイメージといえば“強いけどモテない武芸の達人”、あるいは”卓球経験のあるオタク気質な数学の天才”というようなものでした」と、パンは振り返ります。

  「子どもながらに自分が人に劣っていると感じ、自尊心が欠如していました。メディアで見聞きすることに影響され、セルフイメージにコンプレックスがあったんです」。

アジア系男性はモテない!? 全米で話題の俳優クリス・パンから見る「アジア系男性の魅力」

 

この時点で、欧米のアジア人たちは怒っていました。彼らにとって、この配役は露骨に差別的でした。どうやら、Ubisoftは、現時点でも、「アジア人の代表者は奈緒江一人で十分だ」と考えているようです。

アジア人男性が抱えている問題は、「欧米のメディアで、自分たちの存在が無視されている」ことなので、日本のゲーム会社が日本人男性を主役にしたゲームを作っても、それは彼らの問題を根本的に解決したことにはならないのですね。

アサシンクリードシャドウズの主人公は、日本人男性と日本人女性であるべきでした。

 

多くの日本人は、弥助が主人公のゲームを作ること、それ自体は問題ないと思っています。(日本人差別的な内容でなければ。)なので、アサシンクリードシリーズを知らない日本人に、この件についてどう思うか尋ねても、「良いんじゃない?」という反応が返ってきます。

実際、海外では、アサシンクリードをプレイしたことがない日本人の回答を持ち出して、「ほら、日本人は怒ってないよ」と言う人たちが沢山いました。一方、このシリーズを知っているアジア人たちは、不満を感じている人が多いです。

そして、多くの黒人の人たちが、日本のゲーム会社が作った、ウィリアム・アダムスが主人公の『仁王』や、映画『ラストサムライ』の例を出して、「白人の侍なら良くて、黒人の侍ならダメなんだろう⁉」と思っている。そういう現状です。*5

 

炎上・第二段階:「伝説の救世主」〜超豪華な甲冑を着た弥助が、日本人たちを撲殺

私は、弥助が発表された時、彼の外見に違和感を感じました。鎌倉時代の上級武士が着ていた大鎧と、戦国時代の当世具足をミックスしたようなデザイン。豪華な金細工。一部の上級武士しか着られないようなものです。

例えるなら、新入社員が超高価なスーツを着て、ロレックスの腕時計をしているような感じです。

弥助は、これまでも、日本の漫画や小説やゲームなどに登場していました。ただ、多くの日本人は弥助のことを知らないし、知っている人の弥助のイメージは、「侍だったとしても、地位は高くない」だと思います。*6下級武士は全くリッチではありませんでした。

 

そして、ゲームプレイ動画が発表されました。


www.youtube.com

見た瞬間、「あ、これはあかん」「これは日本人にとって印象悪いぞ」と思いました。

超豪華な甲冑を着た弥助が道を通ると、日本人の農民たちが深々とお辞儀をします。そして、大男が日本人を次々に撲殺。そして、最後には斬首。(あの場面で斬首する必要ある?)

 

Yasuke "to free japan from its oppressors"/弥助「日本を抑圧者から解放する」

ああ、これ、「白人の救世主」だ。

 

「白人の救世主」とは、白人が異人種や異民族を助けるという、お決まりのストーリーです。助けられる役は黒人であることが多いです。「白人の救世主」が嫌われるのは、白人が良い気分になるためのものだからです。実際には、黒人が黒人を助けているケースが多くても、それらはあまり題材にならないのです。現地人は、自分で問題を解決する能力がなく、強い外国人に頼って何とかする人たちとして描かれます。

 

映画における白人の救世主(英語: white savior)とは、白人が非白人の人々を窮地から救うという定型的な表現である。その表現は、アメリカ合衆国の映画の中で長い歴史がある。白人の救世主は、メシア的な存在として描かれ、救出の過程で自身についてしばしば何かを学ぶ。

白人酋長モノなどともいう。

白人の救世主 - Wikipedia

Screen Saviors: Hollywood Fictions of Whiteness labels the stories as fantasies that "are essentially grandiose, exhibitionistic, and narcissistic". Types of stories include white travels to "exotic" Asian locations, white defense against racism in the American South, or white protagonists having "racially diverse" helpers.

(Screen Saviors: Hollywood Fictions of Whitenessは、これらの物語を「本質的に大げさで、自己顕示的で、ナルシスティックな」ファンタジーと分類している。物語の種類には、白人が「エキゾチックな」アジアの場所を旅すること、アメリカ南部での人種差別に対する白人の防衛、または「人種的に多様な」助け手を持つ白人の主人公などがある。)

White savior - Wikipedia

 

「日本で、超豪華でリッチな甲冑を着て、侍になりたい!日本人相手に、伝説的でカリスマ的な救世主になりたい!俺が通ると現地人がお辞儀して、俺を敬うんだ!俺は日本では大男だ!チビなアジア人を倒しまくって、『フウゥーーーー!! 俺強ぇぇぇーーーー!!!』ってやりたい!」

「まぁ、今の時代、白人キャラでこれやったら、私たち、絶対に皆から『ホワイトウォッシュ』『白人の救世主』って言われて批判されるけど……黒人キャラなら大丈夫だよね!」

こういうことですかね?

「私たちの侍(our samurai)」って、そういう意味かな?

 

日本では、この動画の公開から一気に炎上してきました。まぁ、変な箇所が多かったですしね。流石に「関ケ原鉄砲隊」の旗の件はマズかったですが、弥助の印象が悪かったからこそ、あそこまで日本人からの反発を招いてしまったのでは?と思うのです。

ところで、日本人以外の人が、侍の甲冑を身に着けて、記念撮影などすることは、何も問題ありません。念のため。

 

炎上・第三段階:トーマス・ロックリーによる「弥助・メアリー・スーの物語」

もう、これについては、こちらを御覧ください。

togetter.com

togetter.com

 

私は、ロックリー氏は、特に日本人を貶める気はなかったのではないかと思います。彼は本気で、「16世紀の日本人は、黒人を偏見なく受け入れる人たちだった」と表現したつもりだったのではないかと。巷では、彼が黒人奴隷は日本発祥だと言っているという話が広がっていますが、実際には、そこまでのことは言っていないようですし。まぁ、今や彼はイソップ童話の狼少年なので、全く信用されていないのはわかります。

要するに弥助が人気過ぎて黒人フィーバーが起きたという内容にしたかったのでしょう。彼のやりたかったことは「弥助スゲー」であって、日本に黒人奴隷の責任を押し付けることではないかと。

https://x.com/laymans8/status/1815011020072718478

「トーマス・ロックリーによって『黒人奴隷は日本発祥』というデマが広がっている」というデマ - 電脳塵芥

 

しかし、彼の「弥助ファンフィクション」に登場する日本人は、ほぼ全員、弥助を称賛するためだけに存在しているかのようです。実際には、織田信長の周囲には、「本物の」伝説の侍たちがいました(当たり前)。しかし、彼の著書では、「昔の日本の中で最も大きく、最も強かった男は実は日本人ではなかった」。それは弥助だと紹介されています。*7要するに、これは典型的な「メアリー・スーの物語」ですね。

”お手軽メアリー・スー作成講座改:蛇足1.メアリー・スーの真髄は主人公の全能性よりも、他のキャラをまともに動かさない事です。主人公が全能でなくても、原作キャラは主人公を賛美し、どんな悪役も主人公の活躍で倒せ、全ては主人公のためだけに回ります。そしてそこに論理的な展開などは不要です。”

お手軽「メアリー・スー」作成講座・改♪ とメアリー・スーについての私感 - Togetter [トゥギャッター]

 

彼はおそらく、弥助に対して共感を持っていたのでしょう。弥助に自分自身を重ね合わせていたのかもしれません。なぜロックリー氏が、これをファンフィクションに留めておくのではなく、ノンフィクションにしたかったのか、わかりませんが、とにかく、彼にとって弥助は、実際に周囲から称賛される特別な存在でなければならなかった。史実そのままの弥助で十分興味深い存在だという捉え方はしていなかった、ということでしょう。

ちなみに、彼の最新作は、日本人の少年が海賊船に拾われて、エリザベス一世女王の元でジェントリの地位を得る、ノンフィクションらしいです。

 

当時、英語圏で弥助のことを調べようとすると、トーマス・ロックリーに行き着く状態だったので、アサシンクリードの弥助は、かなり彼のファンフィクションの影響を受けているでしょう。おそらく、Ubisoftの製作陣は、彼が書いた「弥助・メアリー・スーの物語」に魅了され、酔わされてしまい、クリエイターとしての情熱と冷静さのバランスを失ってしまったのではないでしょうか。奈緒江は、これまでのアサシンクリードの主人公と同様、魅力的に見えるのに、弥助からは、どこか、製作者の自己陶酔が感じられます。

彼らは、「弥助は日本では伝説の侍なんだから、これまでの慣例を破って日本人男性を外しても、日本人は受け入れてくれるはず!」とでも思ったんでしょうか?

 

 Q: Do you think writers who write unsatisfying Mary Sues are just not self-aware?

PS: I think that's the great part of it. They're so un-self-aware that they think this keen story that means so much to them must mean exactly the same to everybody else. I've thought up Mary Sues—we all do—I just never wrote them down. I lived out my little adventures in my head, wandering around. Now, with the Internet, everyone can publish their stories…and they do.

(Q:満足のいかないメアリー・スーを書く作家は、単に自己認識がないだけだと思いますか?

追伸:それが素晴らしいところだと思います。彼らは自己認識があまりにないので、自分にとってとても意味のあるこの素晴らしい物語は、他のみんなにとってもまったく同じ意味を持つに違いないと思っています。私はメアリー・スーを思いついたことがあります。私たちはみんなそうします。ただ、それを書き留めたことがないだけです。)

https://journal.transformativeworks.org/index.php/twc/article/view/243/205

 

彼が弥助伝説を創作した理由については、私の推測はこの方の見解に近いです。単なる金儲け目的ではない気がします。

japanese-with-naoto.com

 

「伝説の侍・弥助」は、白人たちによって作られたキャラクター

私は、これを「ブラックウォッシュ」と言うのは、適切ではないと思います。なぜなら、アサシンクリードの弥助は、白人たちによって作られたからです(Ubisoftが黒人の会社なわけがない)。これは、ホワイトウォッシュの亜種だと考えるべきでしょう。

 

JONATHAN 弥助については、まず“私たちの侍”、つまり日本人ではない私たちの目になれる人物を探していましたが 

"We were first looking for "our samurai" someon who could be our non-Japanese eyes"

『アサシン クリード シャドウズ』混乱の安土桃山時代を生きる侍・弥助と忍・奈緒江のダブル主人公、リアルに再現された日本に迫る国内独占インタビューを公開! | ゲーム・エンタメ最新情報のファミ通.com

 

現在、この箇所は、「差別的だ」と批判があったからか、元の記事から削除されています。

このインタビューに答えている人たちは、日系人一人を除き、全員白人です。彼らは、弥助のことを「私たちの侍」と言っています。なんか変ですね。「私達は、日本を訪れる際、東アフリカ人の目を使います」という意味でしょうか?

おそらく、Ubisoftは、奈緒江を「日本人の代表」、弥助を「日本を訪れる外国人の代表」……つまり、弥助を、彼らの主要な顧客である欧米人が自己投影できるキャラクターにできると考えたのではないでしょうか。

ちなみに、歴史学者の人は、宣教師アレッサンドロ・ヴァリニャーノが日本に来る途中、モザンビークかインドのゴアで、弥助を連れてきたと考えているみたいです。実際の弥助は、アメリカはもちろん、日本に来るまでに、ヨーロッパに行ったこともないのでは?

そもそも、アサシンクリードシリーズには、全ての出来事を見つめている現代編の主人公*8がいます。「日本人ではない私たちの目(non-Japanese eyes)」なら、彼らが最も適任でしょう。

 

最近のメディアコンテンツでは、白人の主人公が、異人種・異民族のコミュニティに入っていく場合、できるだけ「白人の救世主」にならないよう、注意深く配慮します。

しかし、これが黒人の主人公になると、Ubisoftは、全く何も注意せず、何も配慮せず、「英雄になりたい!」「救世主になりたい!」「現地人に敬われたい!」という欲望を露出させてしまいました。彼らは、それで日本の人々にどう思われるのか、何も考えていなかったようです。

これで、本気で「日本人は怒らない」と思っていたなら、不思議です。どう考えても、絶対に炎上するでしょう。

Ubisoftは、新しいことをしたつもりだったのでしょうか? アジア人にとっては、何も新しいものはありません。主人公が白人でも黒人でも同じことです。アジア人に対する扱いが古いままだからです。

 

もし、彼らが、全くの善意で、黒人をエンパワメントしようとしていたとしても、その結果、彼らが生み出したものが、「これまでの白人のダメなところを再現した黒人キャラクター」だったなら、彼らの「白人の救世主コンプレックス」は、あまりにも根深いと感じます。

 

多くの日本人は、「白人の救世主」という概念を知りませんが、ゲームプレイ動画を見た時、多くの人が「なんか不快だ」と感じたのでしょう。例えば、『セクハラ』という概念を知らなければ、自分がセクハラされていても気づかないけれど、「なんか不快だ」という感情は残ります。

その「なんか不快だ」の正体は、一言で言うと、ナルシシズムでしょう。多くの日本人は、弥助そのものではなく、弥助を創った人たちのナルシシズムに、不快感を感じているのだと思います。

これは、あくまでも私の推測ですが、今の炎上は、彼らが感じた「なんか不快だ」という感情を、日本描写の間違いを厳しく指摘するという形で、表現しているのではないでしょうか。(『Ghost of Tsushima』も、日本人から見て少し変だなと思う箇所はあります。でも、日本で大人気です!)

 

現代の感覚で言えば、「白人の救世主」(この場合は、「白人たちが創った黒人の救世主」)は、ダメなフィクションです。日本描写が正しくても、弥助が侍であってもなくても、「白人の救世主」を創るのは、ダメなんです。

 

黒人とアジア人が争う構造を作ったのは、誰?

さて、最初に「黒人主人公はもういた」と書きましたが、やはり、シリーズ全体を見れば、白人主人公が圧倒的に多く、黒人主人公は少ないです。そして、アジア人主人公は実質いませんでした。

今回、Ubisoftが非常にダメだったのは、希少な主人公の席を、黒人とアジア人が奪い合う構造を作ってしまったことです。

マジョリティが、マイノリティ同士で争い合う構造を作る。マイノリティが分断されてしまう。これは、小規模なものから深刻なケースまで、様々な差別構造でよく見られます。

例えば、親が毒親だった場合、希少な「親からの愛情」を巡って、兄弟たちが熾烈な争いを繰り広げることになるのは、よくあることです。

 

そもそも、16世紀の日本より、ずっと多くの黒人がいた国と時代は、沢山あったはずですよね。ヨーロッパを舞台にしたAAAタイトルの作品では、黒人を主人公にしていないのに。白人は黒人に席を譲らないのに、アジア人が黒人に席を譲るのですか? なんか、ずるいなぁ。まずは、トマ=アレクサンドル・デュマ*9シュヴァリエ・ド・サン=ジョルジュ*10を主人公にするべきだったのでは? 私は、他のマイノリティを犠牲にするのでなければ、黒人を主人公にしたゲームタイトルを創るのは、大賛成です。

ついでに言うと、東アジア人はNPCですら少ないです。エツィオ・アウディトーレ(Ezio Auditore)最後の弟子シャオ・ユン(Shao Jun)と、女海賊ジン・ラン(Jing Lang)の他に、誰かいたっけ? まぁ、私は、古代ギリシャヴァイキングの世界に、東アジア人が出てくることを、望んでいるわけではありませんが。

 

何が問題なのかわかっていないUbisoft

以前Ubisoftが出した声明*11*12は、「謝罪になっていない謝罪」ですね。以下に問題点をまとめておきました。

 

  • 「Once An Accident, Twice A Coincidence, Three Times A Pattern.」という諺があります。これまで、ミニゲームも含めて、アジアを舞台にしたゲームを3作創って、なぜ、全てアジア人男性主人公がいなかったのですか?(もちろん、アジア人女性の主人公も必要ですよ。)
  • アジア人男性は、魅力的ではない、弱々しくてオタクっぽい、ロマンスを演じるには向いていないというステレオタイプが存在している。そのため、欧米のメディア作品で、アジア人男性が主人公になる機会が少ないという社会的な問題について、考慮していましたか?
  • 今作品が「白人の救世主」の再現になっていることに、気づいていなかったのですか?主人公が黒人であっても、アジア人にとっては、これまでと扱いが何も変わっていないのだとは、考えなかったのですか?
  • シリーズの主人公は、白人が多く、黒人が少なく、アジア人は実質いなかった。この状況で、アジア人男性を退け、黒人男性を主人公にしたら、どのようなことが起こるか、考えなかったのですか?あなたたち自身が、マイノリティ同士(黒人とアジア人)が分断され、争い合う構造を作ってしまったのだと、理解していますか?

 

今回のことに上手く対応できなければ、「シャドウズ」は、アサシンクリードシリーズの汚点になりかねません。そうなってしまっては、本当に残念です。

Ubisoftは、声明の中で「敬意を持った表現で戦国時代の日本を描くことに注力してきました。」と言っていますが、それ以前に、日本人に対して敬意を持った表現になるよう注力して欲しかったですね。

私たちが、奈緒江についてあまり話題にせず、弥助のことばかり話題にするのは、奈緒江にはあまり問題がなく、弥助には問題があるからです(当たり前)。

できれば、発売延期して、日本人男性と日本人女性の主人公で作り直してほしいです。実際、そのほうが売れるんじゃないでしょうか? 今なら、全部トーマス・ロックリーのせいにするという言い訳もできますし。

 

ちなみに、アサシンクリードとは別のタイトルで、弥助が侍という設定で主人公にしたゲームを創ることは、何も問題ありません。ただし、その場合、トーマス・ロックリーが言ったことは、全て忘れて下さい。

 

海外での炎上はこのような模様になっています。こちらもお読み下さい。けっこう地獄です。

アサクリ騒動で学ぶアジア人の透明化現象。「お前はグーグル翻訳の偽日本人だ!」 海外の文化戦争に巻き込まれてアサクリ批判派の複雑な感情がリベラル勢力とアサクリファンボに伝わらない件&反ポリコレも味方にするには厄介すぎる件

togetter.com

 

ポリコレはアートを殺すのか?

どなたかが「ポリコレはアートを殺す」と言ったことが、話題になっていましたが、私自身は、それには懐疑的な立場です。というのも、ポリコレや多様性に配慮していながら、良い作品も沢山あるからです。

Netflix映画『シティーハンター』では、主演の鈴木亮平が「女性をこれだけ性的に見ているリョウが、自分が体を張らないのはダメです。ぜひ入れてください」と提案して、「もっこりダンス」のシーンができたそうです。*13こういうケースでは、「ポリコレに配慮した結果、おもしろくなった」とは言われません。ただ「おもしろい映画だったな」と思われるだけです。ポリコレや多様性に配慮していても、配慮が自然であるため、見ている人にそれがわからない。そういう作品は多いです。

確かに、80年代に描かれた『シティーハンター』の内容を、2024年にそのまま再現してしまうと、ジェンダーの問題が色々とやばいので、そこは考えられているわけですね。いずれにせよ、今の時代において、特に世界展開しているメディアコンテンツでは、ポリコレを無視するわけにはいきません。

 

ただ、アサシンクリード・シャドウズの場合は、「ポリコレがアートを殺した」とは違うと思います。逆です。政治的に正しくない(Politically incorrect)のが、このゲームの問題です。

逆説的ですが、アサシンクリード・シャドウズを見ると、なぜポリコレが必要なのかがわかりますね。うっかり差別的なものを作って企業が炎上しないようにするためです。ポリコレはリスク管理でもあるのです。最近だと、Mrs.GREEN APPLEの『コロンブス』のMVが炎上した件がありましたしね……*14

 

ちなみに、私が考える「政治的に正しい黒人の救世主」は、『進撃の巨人』に登場するオニャンコポンです。彼は、物語の中で救世主的な立ち位置にありますが、作者の自己陶酔でもなく、メアリー・スーでもない。かといって、「マジカル・ニグロ」でもない。他の登場人物と同様、一人の人間として描かれています。

 

そもそも、アサシンクリードって、差別的要素が少ないゲームだったはずなんですよ。特に、「ACIII」では、イギリス人とアメリカ先住民との間に生まれた男性が主人公で、深いテーマを扱っていました。でも、アジアを舞台にした途端、これなのかと。もう2024年だというのに、まるで、『ティファニーで朝食を』のミスター・ユニオシを見たような気分です。

 

あとがき

まぁ、そうは言っても、日本人も、けっこう「日本人スゲー!」みたいな話が好きな人、多いですからね。「救世主になりたい」という願望は、誰でも、どの人種の人でも、持っているものなのでしょう。それが「架空の異世界ファンタジー」なら良いのですが、実在する人種や民族に対して、自分の願望をむき出しにしたらどうなるのかということを、このゲームは反面教師として見せてくれました。

 

やっぱり、日本人男性と日本人女性の主人公が良かったですね。弥助は重要なNPCで、追加のダウンロードコンテンツで主人公になる。結局、それが一番良かったと思います。弥助が、実はエツィオ・アウディトーレの弟子たちに暗殺術を教わったスパイアサシンだったら、ファンとして喜んだと思いますが。

そもそも、アサシンクリードにおいては、主人公は侍である必要はありません。侍の専門分野は軍隊です。暗殺者は単独行動です。僧兵でも良いし、あるいは、単純に、忍者の姉弟でも良かったかもしれません。

 

Youtube等でゲーム実況している人は、いつも通りこのゲームの実況をしてほしいなと思います。この手のゲームをしない人も内容を検証できますから。私は、購入した人を責めることには賛同しません。

 

「Yasuke is Gay!!」って言ってる人多いけど、あれは、『オデッセイ(古代ギリシャが舞台)』の時と同じように、プレイヤー自身が誰と性的関係になるか選べるって意味なのでは……?

面白いことに、この点は、日本人主人公だったら、騒ぎにならなかったかもしれませんね。今日び、私たちは、昔の日本人の性愛に対する価値観が、現代人とは違っているということを、知っていますから。

 

「神社で線香」については、当時は神仏習合の時代だったし、別に間違ってないかもしれない。二礼二拍手一礼は、最近の参拝の仕方。

「鳥居が村の入口」については、あれは、弥助が神域の森林から出てくるところなら、間違いではありませんね。確認したところ、しめ縄が村の側につけられているので、そうだと思います。

桜と田植えについては……私はよくわからないけれど、桜も米も、現在のそれらとは品種が違うからなぁ……どちらも、現在より1ヶ月くらい後かもしれない。まぁ、ここまで細かいことは、ゲームに対しては求めませんが。

ただ、できれは、武士が正座してるのと、主君が座るところに畳が敷いていないのに、家臣が座るところに畳が敷かれているのは、修正して欲しい。そこは流石に違和感あるわ(笑)。当時、畳は高価でしたからね。

 

今回の件で、「もし弥助が侍なら、本能寺の変で主君を守りきれなかった時点で、切腹してるはずだ」って言ってる人、何人も見かけたけど、いやぁ……戦国時代は、主君を裏切ったり倒したりする侍、いっぱいいいたからなぁ…… それに、そんなこと言ったら、本能寺の変から逃げ延びた織田長益(有楽斎)はどうなるんだということになるし。そういう、主君に忠義を果たす高潔な武士っていうのは、もっと後の時代にできたイメージよね。

むしろ、明智に殺されず、イエズス会の元に帰されたこと自体が、明智は弥助のことを恐れていなかったし、重要な人物だと思っていなかったことを示していると思います。

私は、織田長益も弥助も、生き延びて良かったと思いますね。

 

[関連記事]

yuhka-uno.hatenablog.com

 

*1:「鷹(Taka)」という名前は、昔の日本人としては女性っぽいので、例えば、「影鷹(Kagetaka)」とか「影鷲(Kagewashi)」という名前のほうが良いのでは?

*2:「実在してるから荒れるパターンもあるんか」実在した黒人侍をアサシンクリードの主人公にすることの是非、海外の弥助騒動は難解なことになっているらしい - Togetter [トゥギャッター]

*3:アジア系男性は「恋愛の序列の最下層」──リアルもオンラインも、なぜモテない|ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト

*4:例外として、前作の主人公が続投したケースはありました。

*5:ラスト・サムライ』は、もう20年前の映画なので、今の感覚からすると時代遅れですね……

*6:本当に弥助が侍だったのかどうかは、歴史の専門家に任せるとして。フィクションの世界では、弥助は侍として表現されることが多かったです。だって、そのほうが面白いですから!

*7:英語で読む外国人がほんとに知りたい日本の文化と歴史 著:ロックリートーマス

*8:レイラ・ハサン (Layla Hassan)など

*9:トマ=アレクサンドル・デュマ(Thomas-Alexandre Davy de la Pailleterie dit Dumas, 1762年 - 1806年)軍人。フランス人侯爵と黒人奴隷女性との間に生まれる。ナポレオン時代に陸軍中将であった。『三銃士』や『モンテ・クリスト伯』で有名なアレクサンドル・デュマ・ペールは、彼の息子。

*10:ジョゼフ・ブローニュ・シュヴァリエ・ド・サン=ジョルジュ(Joseph Boulogne Chevalier de Saint-Georges, 1745年 - 1799年) フランスのヴァイオリン奏者・音楽家プランテーションを営む地主と黒人奴隷女性との間に生まれる。フェンシングの達人でもあり、フランス革命時には1000人の黒人部隊を結成して戦った。

*11:https://x.com/UBISOFT_JAPAN/status/1815674629643719061

*12:https://x.com/assassinscreed/status/1815674592444187116

*13:鈴木亮平、『シティーハンター』“もっこりダンス”を自ら提案 振りはアキラ100%ら芸人4人を参考に 続編にも意欲(マイナビニュース) - Yahoo!ニュース

*14:「なんでこの企画通ったんだ…」Mrs.GREEN APPLEの新曲『コロンブス』のMVが物議を醸す - Togetter [トゥギャッター]

不登校児の回復には親の教育とカウンセリングが必要

togetter.com

 

とある不登校支援サービスが話題になっていた。内容としては、親だけに働きかけ、変わるのは親だけで、それで再登校する子が91%だと言う。

確かに、親に働きかけ、親が変わることは、不登校支援には不可欠と言っても良い。ただ、実際には、ここで書かれていることとはかなり違う。

 

先に断わっておくのだが、ひとくちに「不登校」と言っても様々なケースがあり、一概には言えない。ここでは「よくあるケース」の話をする。

不登校児で多いのは、PTSDなど、精神的に限界がきて心を壊してしまって、学校に行くどころではない状態になっているケースだ。学校に行くことができなくなるだけでなく、勉強もできず、外出もできず、中には風呂に入ることも歯を磨くこともできず、ぐったりとしてしまう子もいる。こういう子どもに必要なのは、とにかく休ませること。安心安全なを感じられる環境で、精神を回復させることだ。単なる怠けから不登校になっているのは、不登校の中ではレアケースである。

 

ところが、これがものすごく難しい。今の大人世代は、こんなこと全く教わって来なかったからだ。今の大人たちが子どもの頃は、鬱病すらも一般には知られておらず、「鬱病は怠け病だ」と言う人が多かった。当然、当時の大人たちは、「普通の人」が精神科に行くなんて考えていなかったし、不登校は甘えで怠けだと思っていた。

つまり、今の親世代は、精神疾患メンタルヘルスについて、何も教わったことがなく、ただ不登校に対する差別と偏見だけを植え付けられているのだ。この状態で、わが子が不登校になった時、正しい対応ができるわけがない。多くの場合、不登校に対して、親の人生経験は何の役にも立たず、かえって足を引っ張ることになる。

 

じゃあ、正しい知識を学んでもらえば解決するのかというと、これがそうもいかない。不登校児の親は、とにかく情報はよく調べるのだけれど、感情がついていかない状態になっている人が多い。

とにかく、思い通りにいかない、親の常識から外れた子ども、やるべきことをやらない子どもに対して、イライラが収まらない。子どもの将来が不安でたまらない。しかし、本を読むと、大抵「子どもを受け入れてあげて」「信じて待て」と書いてあるし、支援者にもそう言われるので、我慢して自分の感情を抑え込んで、結局爆発することを繰り返してしまう。

それは、「なぜ、子どもが不登校であることが、こんなに不安なのか」ということが、「正しい知識」とは別のところにあるからだ。不安の原因というのは、人によって違うのだが、突き詰めると、多くの親の根底に「子どもが不登校だと、社会から攻撃されて、排除されて、生きていけない!」「自分の親から認められなくなる」「ダメな親だと思われる」という恐怖が居座っているのだと思う。

結局のところ、感情というのは小さな子どものようなもので、他者の都合など考えないし、大人の理屈で説得できない。親の中の「不安だよ!安心させてよ!私を不安にさせるあの子が悪いんだ!あの子なんかより私を優先してよ!」と泣き叫ぶ感情ーー小さな子どものケアをする技術が必要になってくるのだ。

 

あとからわかったことですが、自分の中から湧いてくる怒りを抑え込んで強制的に静かにさせるような、まるで手下のような感覚を持ったままだと、逆に怒りはどんどん増幅されていきます。例えば「ここ(職場)ではキレてはいけない」と〝手下〟に命令して、言い聞かせることに成功しても、発散させる場所や相手の矛先を変えて結局爆発します。
夫にキレる自分が嫌で仕方なくてもがき苦しんだ私が、自分なりの「キレない生活」を過ごせるようになったきっかけは、自分の中の怒りを「言う事を聞かない手下」として捉えるのをやめ、「甘えてくる小さい子ども」なんだと理解したことです。

「キレる私をやめたい」の著者が怒りのしくみを解説。怒りは「甘えてくる子ども」、まずは話を聞いてあげよう | ランドリーボックス

 

子どもが回復するには、安心安全を感じられる家庭環境が必要不可欠で、それには親が子どもにどう接するかで決まってくる。しかし、子どもが不登校になると、親自身が不安でイッパイイッパイになってしまって、とても子どもの心のケアをするどころではなくなってしまう。なので、不登校の回復には、親の心のケアが必要なのだ。

それでも、元々、子どもにとって安心できる家庭環境を築いていた家庭の場合は、親が不登校のことを理解すると、回復環境ができて上手くいくことも多いが、元々安心できる家庭環境ではなかったケースだと、なかなか難しい。そういう家庭は、大抵、親がアダルトチルドレンで、安心できる家庭や、傷ついた子どもの心のケアをする親というものを知らない。親自身が自分の育ちに向き合って、アダルトチルドレンを克服してもらう必要がある。実際、子どもの不登校がきっかけで、自分がアダルトチルドレンだと気付いた親は多い。

 

不登校児の親のカウンセリングをしている人が、口を揃えて言うのが、カウンセリングを受けに来る親は、皆、生真面目で気遣いのできる良い人なのだという。これはつまり、アダルトチルドレン的な「いい子」なのだ。モラハラ被害に遭いやすいタイプとも被っている。まぁ、逆に言えば、比較的すんなりと不登校児を受け入れられる親と、どうしようもない毒親は、カウンセリングを受けに来ないということでもあるのだろうが。

「いい子」の親は、「自分に優しく、他人に優しく、子どもに優しい」ではなく、「自分に厳しく、他人に気を遣い、子どもに厳しい」傾向がある。親に従順に生きてきたので、社会の「普通」や「常識」に対しても従順で、それが安定的で幸せな人生を送るために必要なことだと思っている。それはつまり、自分の親の価値観で生きているので、感覚が一世代ほど古いことを意味する。また、子どもの頃から親に迷惑をかけないように生きてきた人は、わが子が自分に迷惑をかけるのを「許せない」という気持ちになったりする。

結局、どんなに「子どもが大切」と思っていても、親自身が、自分を大切にするスキルと習慣を身に着けていないと、子どもにそれを伝授することができないのだ。

こういう親だと、子どもが不登校になったら、親子とも大変な精神状態になり、不登校をこじらせやすいということは、目に見えている。残念ながら、「いい子」は「いい人」にはなれても「いい親」にはなれない。そして、日本はこういう親が珍しくない。

 

また、親(大人)の考えや価値観を取り入れながら育ったため、子どもの頃から大人化されています。それによって、親や大人側に立ったものの見方しかできなくなってしまっているため、子ども側の気持ちがわかってあげられないのです。

 

日本人の多くはACともいわれています。個人よりも目上や社会、他人に合わせることが求められる日本の風潮は、ACを育てる土台になっているのです。

ですから、”当たり前で何の疑いも持たない”ようなところの中に、実はACを育ててしまう素因があることに対処していかなければ、今後もACは受け継がれていくばかりなのです。

  ー『ママ、怒らないで。(新装改訂版)』ー

 

子どもが不登校になった時、周囲の大人たちは、勉強の心配と、将来の心配をする。しかし、本当に最優先でするべきなのは、子どもの心を守ること、命を守ることだ。はっきり言って、今まさに子どもの精神が危機状態になっている時に、学校に行くとか勉強するとかは、大して重要ではない。これは、今まさに子どもが骨折しているという事態においては、最優先で行うべきなのは骨折の治療であり、学校や勉強ではないのと同じことだ。

実際、子どもが将来、社会に出て働いていく上で最も必要なものは、心身の健康だ。私の考えとしては、不登校児に対しては、同年齢の子より社会に出るのが遅れても良いから、後遺症を最小限にして回復させてあげることを目標にするのが良いと思う。世の中、病気の治療で社会に出るのが遅れたり、大学に一浪二浪で入る人もいるのだから。

 

多くの大人は、不登校について、「学校に行けないのなら、フリースクールに行けば良い」と考えている。しかし、実際には、精神状態が回復して「学校に行くか、それとも別の方法を取るか」を選択できるようになるまで、かなり大変だし時間がかかるのだ。

文科省が定める不登校の定義は、「何らかの 心理的、情緒的、身体的あるいは社会的要因・背景により、 登校しないあるいはしたくともできない状況にあるために年間 30日以上欠席した者のうち、病気や経済的な理由による者を 除いたもの」だが、実際には、子どもを診てくれる精神科は少なく、初診で予約を取ろうとすると何ヶ月待ちと言われる状態なのだ。つまり、未診断の子どもが多いということになる。これは文科省だけで対応できる問題ではない気がする。そして、精神科にかかれても、適切な対応をしてもらえるとは限らない。

 

歯を磨かない、風呂に入らない、昼夜逆転、ゲームやネットばかりする等は、「不登校児あるある」だが、これは、どんな性格の子にも共通して起こっているため、不登校の「症状」と考えるべきだろう。というよりは、精神の調子が悪い人の「症状」なのだが。

なので、不登校児は、鬱病の人が回復するような過程を経て回復していくし、不登校児に対する接し方も、基本的には、鬱病の人に対する接し方と同じである。

  • 精神の回復は、何ヶ月という単位で考えるもの。
  • 本人にとって精神的負担が少ないことから、徐々にできるようになっていく。
  • 回復には波があり、良くなったり悪くなったりを繰り返しながら、段々良くなっていく。

これらのことは、大人の鬱病にも、子どもの不登校にも当てはまる。

しかし、不登校児の親たちは、遊びはするが勉強しない(できない)わが子に腹が立ち、回復期に学校に行ったり行かなかったりするわが子に、ジェットコースターのように一喜一憂し、『子どもを信じて待て』と書かれてある本を読んで、「いつまで待てば良いの!?」のイライラしてしまう。

 

精神的な安静とは何もしないで家でじっとしていることではなく、「イヤなことをせず、好きなことをする」ということ。うつ状態を訴えて会社を休んでいる人が遊びにいったり旅行したりするのはけしからんといった風潮がありますが、むしろ仕事のことは忘れて思いっきり遊ぶべきなんですね。

人と会わず家に引きこもって過ごしていると、先ほどお伝えした「思い込み」が促進させてしまい、復職への心理的ハードルを高めてしまう恐れがあります。ですから、家族でもいいし、親しい友人でも構いませんので、誰かしらと一緒に好きなことをして過ごしてみてください。

休職後の復職、不安や怖さへの向き合い方を精神科医・斎藤環さんに聞く。「また休んではいけない」と思わない - りっすん by イーアイデム

 

「精神の回復は、何ヶ月という単位で考えるもの」ということを知っている人間なら、「短期間で不登校を治します!」と言っている支援者に対しては、危険信号が灯る。

『娘が学校に行きません 親子で迷った198日間(著:野原広子)』という、作者の体験を描いたコミックエッセイがある。この本の中で、校長先生から「6年生までに教室に戻れるよう頑張りましょう」と言われて、作者が「な な な 7ヶ月って!? なんだそりゃ」と反応するシーンがあるが、まぁ、妥当ですよね、と思う。

この娘さんの場合は、クラスの中で、誰かを順番に仲間外れにすることが起こっていたのが原因で、おそらく典型的なPTSD型の不登校だと思う。学校に行く以外は普通の生活ができて、旅行も行けるし宿題もできるので、不登校の中では症状が軽いほう。校長先生と養護の先生と小児科医が不登校のプロで、親も毒親ではないことが幸いしたが、それでも7ヶ月はかかるということだ。

www.lettuceclub.net

 

私は、親が不登校について知るのは、子どもが不登校になってからでは遅いのだと思う。なぜなら、不登校に直面した親の中には、不安でパニックになり、正しい情報が耳に入っていかない精神状態になる人が沢山いるからだ。助かりたいのに助かることができない。こういう状態になったら、親自身が心理カウンセリングを受ける必要があると思う。しかし、多くの親が、子どもが不登校になってから、良いカウンセラーに辿り着くまでに、かなりの時間を要してしまっている。

なので、子どもが小学校に入学する前の、親の精神状態が正常な時に、正しい知識を知っておいてもらう必要があると思う。これは、我が子が同性愛だと知る前に、同性愛について知っておいたほうが良いのと同じだ。実際、セクシャルマイノリティの子を持つ親の話を読んだら、驚くほど不登校児の親と共通する話が多かった。

 

不登校、というより、精神の不調全般は、回復できる環境が整って、初めて回復がスタートする。つまり、「親がわが子の不登校を受け入れるようになるまでの期間」プラス「子どもの精神の自然回復力が働く期間」が、不登校の回復にかかる時間である。なので、親の問題をできるだけ早く解決できれば、回復にかかる時間をぐっと縮められる。

実際、子どもの不登校を経験した多くの親が、子どもを傷つけたことを後悔し、「もっと早く、不登校のことを知っていれば……」と言う。多くの親は、子どもを傷つけたいなんて思っていないし、子どもには、できるだけ早く回復して欲しいと思っている。しかし、知識もなく、偏見だけを刷り込まれた状態では、それは難しい。子育ては、愛だけではどうにもならないのだ。

 

不登校支援は、小手先の誤魔化しが効かない。よく「子どもと雑談しましょう」と言われるが、親が子どもにとって、雑談していて心地良い相手じゃないと、やはり上手くいかないというのがある。

突き詰めると、「子どもは、親の不安を解消するために生きているのではない」というところに辿り着く。多くの親が、自分の不安を解消するために、子どもを学校に行かせようとするが、それは、弱った子どもに更なるプレッシャーをかけるだけで、何の解決にもならない。これは、鬱病などになって心を病んだ大人でも、無理をすれば「再出勤」できることもあるが、それは根本的な解決にならず、かえって悪化したりするのと同じだ。

親の不安は、子どもを使って解消するのではなく、大人を頼って解消する。そのために必要ならば、親自身が外部に助けを求め、心理カウンセリングを受けるなどして対処する。そういう親の態度が、不登校児の回復には必要になってくる。実際、外部に助けを求める能力は、子どもが不登校であろうとなかろうと、親業をやる上で必須スキルだと思う。

 

不登校支援者の中には、「子どもは自分の意思で不登校になることを選んだのだ」「だから、その意思を尊重してあげよう」と言う論調の人をよく見かける。不登校児の大部分は、不登校になりたくてなっているのではない。誰も好き好んで鬱病適応障害PTSDになるわけではないのと同じだ。また、生まれつき学校というシステムに合わない性質の子も、好き好んでそう生まれついたわけではない。

不登校児の大半は、自分の意思の力が働かない状態になっている。「学校に行かなきゃ」と思っても、どうしても体が動かず、「自分は怠け者なのではないか?」と自問し、自分を責めている。「自分には生きる価値がない」と思って、絶望している子が多い。

こういった支援者の方法論は、「本人の意思を尊重する」という点は合っているため、結果的に子どもは回復するのだが、まぁ、不登校に対して誤解があるな、と思う。

 

また、「子どもは、親を信頼しているからこそ、不登校になったんですよ」と言う支援者もいるが、これも違う。鬱病適応障害PTSDになるのに、親の性質は関係ない。むしろ、不登校児の親が毒親というケースだと、子どもは大変厳しい状況に追い込まれるので、こういう場合は、何らかの介入が必要になるだろう。このケースだと、親も子どもも、どちらも外部に助けを求めない。

私は、子どもが不登校になったら、向こうから支援者がやってくるシステムが必要だと思う。

 

自らの意志によって、「行かない」選択をした結果、「行かない行為」、をしていたわけではない。
もしそれだけだったなら、大人たちから、「原因」を聞かれても、答えられた。
「私は〇〇によって、行かないことを選んだ」、と言えた。
大人たちは、因果関係を聞き、〇〇にあたる「原因」を、理解できるように努(つと)めただろう。
しかし実際は、登校しようとしたとき、私は、自分の意志とは関係のない、「行く行為」を欠損させるもの(「x」)が、身体に起きていた。
その状態で、私に、(「行かない行為」であるかのように、)「原因」を聞かれても、答えようがなかった。

【当事者研究】不登校は「行かない行為」ではなく「〈行く行為〉の欠損」 どのような言葉があれば「行きたいのに行けない」という語りから脱することができるか - ひきポス -ひきこもりとは何か。当事者達の声を発信-

 

不登校は甘えだ。怠けだ」「不登校は親が甘やかすからだ」という、旧来言われていたことは、完全に間違いである。その反動からか、「不登校は親が原因ではありません」と言う人もいるが、これも一般化しすぎである。中には、「そりゃ、こんな家庭環境なら、子どもが不登校になるのは当たり前だわ……」と思うようなケースも、確かにある。

これは、例えるなら、子どもの骨折の原因は親なのか親じゃないのかと言っているようなものだ。骨折の原因は様々である。ただし、大人たちの多くが、子どもが骨折した時の対処法を知らず、骨折して動けなくなった者が「甘えだ。怠けだ」と言われるような社会なら、それは大問題だ。これでは治るものも治らない。

結局、不登校の問題とは、「体の調子が悪ければ動けなくなるように、心の調子が悪ければ動けなくなる。そうなったらプロを頼って、回復するまで休むしかない」という、実際には至極当然なことを、なぜ大人たちは、これほどまでに理解し受け入れることが難しいのかという問題なのだろう。心にダメージを負った子ども子どもに対応するのは大変だが、不登校に対する差別と無理解がなくなれば、不登校の親子が体験する苦しみは、格段に減る。

 

漫画『Shrink~精神科医ヨワイ』8巻で描かれている、適応障害になって休職した男性とその母親の関係は、ほとんど不登校児とその親の関係と一緒。

togetter.com

 

 

 

 

 

 

 

松山市役所の身だしなみルールから~「きちんとした格好」をしたければ、校則的服装指導はやめよう!

news.yahoo.co.jp

 

愛媛県松山市役所の職員向け身だしなみルールが厳しすぎると話題になっている。私が元記事を一読してまず思ったことは、「よくいる、学校の服装指導的な価値観が、世間一般に通用する服装ルールだと勘違いしている人が作ったのかな」ということだ。

 

”愛媛・松山市役所に向かうと、中には職員向けに身だしなみルールが貼られていた。

「ミニスカートは不可。髪は意図的に染めることは不可。白髪染めは地毛の色で」など細かく指定されている。

物議を醸しているのは、「勤務時間中の身だしなみモデル」と題した規定。

ミニスカート不可など、赤で強調された禁止事項以外にも「結婚指輪以外の装飾品は身につけない」という気になるルールがある。”

 

葬式ですら、真珠の一粒イヤリングや一連ネックレスは良しとされているし、スーツを着る時に身に着けるタイバーやカフリンクスもアクセサリーなのだが……地毛を重んじてアクセサリーが基本的に全てNGというのは、ビジネスフォーマルやビジネスカジュアルのドレスコード的な基準から離れており、学校の服装指導を思い起こさせる。

個人的に気になるのは、ポロシャツについてはかなりの文章量で基準を設定しているのに、ベルトや靴下については特に言及がなく、靴についてはほんの2行であることだ。靴はけっこう大事なんだよ……ローファーを冠婚葬祭に履いてきてしまう男性は本当に多いんだ……!(学生さんの制服にローファーはOK)

この、やたら染髪やアクセサリーに厳しいわりには靴に無頓着というのも、学校服装指導的価値観の人っぽい。あと、「男性はスラックスが基本。」とあるが、ポロシャツの場合、下はチノパンでも良いのでは。

www.mistore.jp

 

私は、世の中には、大きく分けて二種類の服装ルールがあると考えている。1つは、その業界や企業で定められた「社内規則」のようなもの。もう1つは、冠婚葬祭の時など、社会的に広く通用する「ドレスコード」だ。

学校の校則に基づいた服装指導というのは、実は前者の「社内規則」的なものの仲間であって、その学校におけるローカルルールである。これは、例えば、スーパーやコンビニの店員がお揃いのエプロンや制服を身に着けたり、医師や看護師が白衣やナース服を着たりするようなものだ。世の中には様々な職業があるので、様々な服装のローカルルールがある。

一方、普段はそれぞれの服装で働いている人たちも、葬式となれば喪服を着てくるし、結婚式となれば慶事向けのフォーマルな服装で出席する。これが社会一般的なドレスコードだ。

 

よく学校では、校則に違反した服装をする生徒に対して「そんなんじゃ社会で通用しないぞ!」と言う教師がいるので、それを真に受けてしまう人は多い。だが、考えてみてほしい。私たちは、学校で冠婚葬祭における服装マナーを教わったりしただろうか?「葬式では、一連のネックレスはOKだけど、二連のネックレスはNGなんだよ」とか「スーツを着る時は、紐で結ぶタイプかモンクストラップの革靴を履いて、スネ毛が見えない長さの靴下をはくんだよ」とか教わったりしただろうか?ほとんどの人は教わっていないよね。

ということは、実は、学校で指導しているのは、その学校における服装のローカルルールであって、ドレスコードやスーツの着方を理解していれば、学生時代に服装違反をしていようがいまいが、社会で通用するということなのだ。逆に、このような「校則」的な服装指導と「ドレスコード」を混同してしまっている人は、ドレスコードやスーツの着方についてよく知らず、結果的に合っていない服装をしてしまっていることがよくある。

学校の校則的価値観は、学校を卒業したら一旦忘れてしまって、社会人として、ドレスコード的価値観を身に着けたほうが良いと思う。ついでに言うと、学生の間は化粧禁止なのに、社会人になったら化粧がマナーになるというのも、校則がローカルルールだからだろう。

 

また、松山市の服装ルールからは、「おしゃれは必要ない」「きちんとした服装=おしゃれではない」という価値観が見えるような印象を受けるが、「きちんとした服装=おしゃれではない」というのは、大きな誤解である。おそらく、これもまた、学校の服装指導的価値観によるものだろうが……

スーツをはじめとしたビジネスウェアも、否応なくその時代のファッションの影響を受けるものだ。全体的なシルエット、ゴージラインの高さやラペルの幅、パンツの太さや裾の長さ、ボタンの数などには、その時代の流行が見て取れる。もちろん、女性のビジネスウェアも同様である。

 

スーツ・スタイルの流行の変遷。

muuseo.com

 

学校の服装指導と社会一般のドレスコードを混同してしまっている人は、スーツを学生服の延長として考えているように思う。

私は、スーツは着物に近いものだと考えている。今日における着物が、日本の服飾の歴史の上に成り立っている衣服であるように、スーツもまた、西洋の服飾の歴史の上に成り立っているものである。たまたま歴史の上で「近代化=西洋化」ということになり、西洋の衣服が全世界的に一般化したので、現代の私たちは、いわば「西洋の着物」を着ることになったのだ。

 

実際、あらためてスーツの着方やドレスコードについて知るとなると、いちから着物の着方やアイテムの格とTPOに合わせた着方を学ぶくらいのことは必要になってくる。着物で「きちんとした格好」ができるようになるには、そういう学びが必要なように、洋服もそうだということだ。

本当に「きちんとした格好」をしたければ、ローカルルールである校則的服装価値観から脱してしまわなければならない。イヤリングやネックレス等のアクセサリーを身に着ける歴史がある洋服の文化においては、「きちんとした格好=アクセサリー禁止」ではない。オフィスに適したアクセサリーとそうでないアクセサリーがあるだけだ。*1

はっきり言って、ドレスコードは校則よりも難しい。大抵の学校は、学校指定の制服が用意されていて、これさえ守っていれば先生に怒られない「正解」が提示されている。自由があまりない分、特に考えなくて済む。一方、オフィスのドレスコードは、「この範囲でならOK。あとは自分で考えて揃えてね」というものだからだ。

 

ちなみに、どういう格好をしたらいいのかわからない人は、本を一冊読んで予習した上で、ビジネスウェアの専門店に行って、店員さんに職場の服装ルールを伝えて一式選んでもらえば良いと思う。ビジネスウェア以外のお店では、店員さんもよくわかっていないことがあるので注意。*2

 

さて、松山市に限らず、市役所職員の人たちの服装ルールについてだが、いち市民の意見としては、もし服装ルールを設けるなら、学校的価値観ではなく、ビジネスフォーマルまたはビジネスカジュアルのドレスコードを基準としたものにするのが良いと思う。

理由としては、職員さんたちは、とっくに高校を卒業した大人だから。そして、ドレスコードを基にして服装を考えるのは、少なくとも、学校的価値観に基づく服装ルールよりは、ずっと国際的に通用するからである。

元記事のニュース映像を見たところ、松山市の場合は、冬季は男性の場合ネクタイ着用、5月1日~10月31日はクールビズ期間でポロシャツ着用OKとのことなので、「冬季:ビジネスフォーマル、夏季:クールビズ期間(ビジネスカジュアル・ポロシャツOK)」としておけば良いのではないだろうか(今のご時世、一年中ビジネスカジュアルで良い気もするが……)。ルールを設けるにあたっては、スタイリストやイメージコンサルタントなど、服装のプロの助言を得ても良いかもしれない(マナー講師ではなく)。

 

欧米のドレスコード解説記事。

www.wexlerevents.com

外国人向けの日本のドレスコード解説記事。

www.realestate-tokyo.com

 

〔関連記事〕

yuhka-uno.hatenablog.com

yuhka-uno.hatenablog.com

 

オフィスファッション、100年の歴史(女性版)。


www.youtube.com

女子の学校制服、100年の歴史。


www.youtube.com

 

 

*1:日本においては、簪など髪につけるアクセサリー文化があった。アクセサリーとしての帯留めは明治以降から。

*2:とりあえずスーツカンパニーあたりに行っておけば良いのでは。