ベル・クラネルは地獄に落とされていた。
『強襲』の役目を命じられたベルは、北西の方角より【フレイヤ・ファミリア】に接近し、そして円形闘技場で見つかった。
【
破壊された。
体の節々を、肉を、骨を、意志を。
これでもないほど破壊され、土に塗れ、泥を喰まされる。
都市最強の冒険者は、一人の雄を泣き喚く一人の子供に変えてしまう。
それでも。
それでも、ベル・クラネルは立ち上がる。
フレイヤを、シルを、一人の少女を助けるため。
自分が泣かせた少女に、もう一度会うために。
「あなたをっ……倒す……!!」
「そうだ。来るがいい」
再び、『洗礼』が始まろうとしていた。
「………ゴムゴムの、」
そこに、一つの声が差し込まれる。
「
突如空から飛来した一つの『槍』が、二人の間に突き刺さった。
『槍』にギョロリと睨まれ、思わず後ずさるベル。
「ら、ラテックスさん……?」
「あっひゃっひゃっひゃっ!」
『槍』——ラテックスは、異様に伸ばした鼻を地面から引き抜きながらベルに笑みを返した。
今までとは雰囲気も、顔の形も異なるラテックスを見て、ベルは困惑の声を漏らす。
ラテックスはベルには見向きもせずに、オッタルに視線を向ける。
「お、強そうだなお前! 遊ぼうぜぇ〜? あっひゃっひゃっ!」
「……」
オッタルは油断なくラテックスを見つめ、大剣を構える。
ラテックスは腰を落とし、コミカルに腕をぶんぶんと回す。
静寂が訪れた。
(……? オッタルさんが、攻めない?)
都市最強の冒険者が。
その剣を振るえば全てを均すことのできる絶対強者が。
まるで目の前の得体の知れない何かを警戒するかのように、動かない。
ベルが僅かな違和感を覚えた瞬間、ラテックスが動いた。
「な——」
速い。
Lv.5の動体視力を持ってなお、捉えきれない。
ラテックスはその伸ばした腕を振り上げ、オッタルに一撃を見舞った。
対するオッタルの対応は完璧だった。
大剣を構え、磨き抜かれた技を持って、拳を逸らす。
オッタルの絶対防御の威容を見せつける——筈だった。
異様な光景だった。
あらゆる攻撃に耐えうるであろう、黒大剣が、ぐにゃりと軟化していたのだ。
黒大剣は盾としての役割を果たせず、ラテックスのパンチは黒大剣ごしに、オッタルの顔面を撃ち抜いた。
「絶対防御を!?」
「無理矢理破った?!」
ティオネの言葉にティオナが補足する形で言葉を続ける。
「……久々に見たな。オッタルのあんな姿を見るのは」
フィンが呟く。
一撃だった。
一撃で、オッタルが片膝をついた。
「……ジョイ、ボーイ」
ベルが息を呑む。
「あっひゃっひゃっひゃっ!」
神々も、オラリオの住人も、冒険者も。
誰も、何も言わなかった。
目の前の現実が異様すぎて、言葉を失っていた。
ラテックスだけが笑っていた。
「……久々だ。泥の味を噛み締めるのは」
ただ一人、オッタルだけが目の前の現実を理解していた。
「この身を越えてみろ。道化」
「あっひゃっひゃっひゃっ!」
オッタルの瞳が、『獣』に堕ちる。
◼️◼️
「オッタルの獣化!! じゃあ今のオッタルは……Lv.8!!?」
アスフィが驚愕の声を上げる。
「末恐ろしいのう……。あの白いの、獣化したオッタルをも『力』のステイタスで上回っておる」
「回避の仕方も不自然だ。何らかの手段でオッタルの思考を読んでいるな」
「軟化の技も厄介だ。あらゆる防御が通じない」
ガレスとリヴェリア、フィンが各々に見解を述べる。
それらは全て事実だ。
ラテックスは自分の体を流れる実の力を覚醒させ、Lv.8以上の腕力を兼ね備えている。
ラテックスは研ぎ澄ませた見聞色の力を使い少し先の未来を読み、駆け引きを一方的に無視している。
ラテックスはゴム化の権能により、あらゆる防御を無視して攻撃ができる。
それら全ての情報をひっくるめて、フィンは結論を出した。
「
フィンの指摘は全くもって正しい。
オッタルは足りない腕力を技で埋めた。
オッタルは駆け引きが無駄だと悟るや否や、スピードと手数を持って攻めた。
オッタルは絶対防御を絶対攻撃に切り替え、ステイタスで優っている『耐久』による勝負に出ることにした。
ラテックスの拳が、蹴りが、あらゆる物を破壊する筈の暴威の乱舞が、しかしただ一人の最強を破壊するに至らない。
「おあああああッッッ!!」
「ぐ……ッッ!!」
猛猪が叫ぶたびに、道化の体には傷が増えていく。
あれ程までに不気味だった笑い声も、もう聞こえない。
研ぎ澄まされた黒大剣の一閃が、ラテックスの腹に大きく傷を作る。
ついに膝をついたラテックスに、オッタルは問いかける。
「お前は誰だ」
剣技一つであらゆる策を超越するオッタルは、ラテックスの状態を本人以上に理解していた。
今のラテックスは自我を奪われ、暴れ回るだけの戦闘人形と化していることに。
「……」
「答えないか。それもまたいい」
オッタルは黒大剣を構え、膝をついたラテックスに最後の一撃を放とうとする。
ラテックスは動けない。回避は不可能。防御も不可能。
ラテックスの命を狩らんとするオッタルが剣を振り上げる。
それと共に、雷の砲撃がオッタルの背中へ突き刺さった。
「ガッ……!!?」
「総員、前へ! あの猪をここで仕留めるんだ!!」
円形闘技場の縁で、ヒュアキントスが叫んだ。
クロッゾの魔剣を構えるのは、【アポロン・ファミリア】のメンバーだ。
彼らはラテックスの暴走にいち早く反応し、魔剣を携えてラテックスの後を追ったのだ。
「
「むっ……!!」
至近距離で放たれた爆砕に、オッタルは対処せざるを得ない。
リューの一撃に気を取られた瞬間、ベルがラテックスの体を抱いてその場から離脱する。
ラテックスが戦っていた間も派閥連合は勝利に向かって動いていたのだ。
リューは友に張り手を食らわせてやるため、戦いに参戦し。
ヒュアキントスは主に勝利を捧げるため、頭を回し続けていた。
ヒュアキントスが叫ぶ。
「お前は誰だ、だと? 決まっているだろう! 道化だ道化! いつもヘラヘラ笑っていて、不愉快で、アポロン様に不敬ばかり働く間抜けだ!」
その声を聞いて、ラテックスの体がピクッと揺れる。
「一を笑わせる道化になるのだとほざいていた貴様はどこにいった! 自分の信念さえ思い出せない腑抜けなど我がファミリアに必要ない!! とっととファミリアを抜けろ! アポロン様と私の蜜月を二度と邪魔するな!!」
「こ、後半ただの暴言じゃ……」
あまりのいい様に言葉を無くすベルの腕の中で、ラテックスがゆっくり顔を上げた。
「ヒュアキントス〜? ずいぶん素敵に褒めてくれるじゃねぇか?」
「無駄口を叩くな。獣風情、とっとと沈めてみせろ」
「助けてもらって悪いな、ベル・クラネル」
「気にしないでください。……勝ちましょう、僕も、譲れない理由があるので」
そう言ってナイフを構えるベルを見て、ラテックスも笑みを浮かべる。
「おう。さぁ、ここにいる全員で———喜劇を始めよう!」
憧れの存在のセリフを、憧れの存在と瓜二つの少年の前で告げる。
それは誓いだ。
二度と憧れから目を背けないという、ラテックスの誓いだ。
ドンドットット♪ ドンドットット♪
ドラムの音色が加速していく。
それはラテックスの気持ちの表れだ。
どんな痛みも、今のラテックスを止めるには至らない。
ラテックスは未だかつてない程に、
「いっくぜ〜〜〜!! 受けてみろオッタル!!」
ラテックスが一歩踏み出す。
そのたびに1
ゴライアスと見紛う程に巨大化したラテックスは大声で叫ぶ。
「【フレイヤ・ファミリア】はダンジョンに潜らないんだろ?! 階層主との戦闘経験なんて足りてないんじゃないか?!!」
足の踏みつけ、拳の振り下ろし、スライディングでの薙ぎ払い。
圧倒的質量による、容赦のない連続攻撃。
オッタルは一撃も喰らうことなく、冷静に攻撃を避け続ける。
「うぉおおおおおおおおぉおおおおおおおおおおお!!!」
「案ずるな。ウダイオスの攻略ならやっている」
咆哮を上げながらがむしゃらに暴れ回るラテックスの攻撃を見切り、オッタルが飛んだ。
黒大剣など身につけていないかのように、膝、肩を軽やかに駆け上がっていく。
オッタルが狙うは頭部。巨大化したことで広がった、人体の急所。
回避不能の一撃を、ラテックスに叩き込む——その瞬間。
ラテックスの口がパカりと開き、オッタルは唾液に塗れたベルと目があった。
「【ファイアボルト】ぉおぉおおおおおおおおぉおッッッ!!」
「ぐああぁああああぁッッッ!!」
放たれた雷火が、オッタルの胸を抉った。
一分間のチャージの末に放たれた一撃は、獣化したオッタルにすら通じる破壊力を秘めていた。
「……無茶苦茶に叫んでいたのは、チャージの音を掻き消すためでしたか」
「へへへ、手品が中々上手いだろ?」
リューの驚きの言葉にラテックスはウィンクを返す。
雷火を直撃させられ、何とか空中で体勢を立て直すオッタル。
そこにダメ押しとばかりに、ラテックスの巨大化した足が踏み下ろされた。
「ぐぐうううううううッッッ!!」
「おりゃぁあああああぁあああああぁああっ!!」
唯一優っている『力』のステイタスに任せた豪快な踏みつけ攻撃。
それを避けられなかったオッタルは、黒大剣を全力で振り抜いた。
ラテックスの足の下で、技も駆け引きも関係ない、ただ力だけが求められる押し合いが繰り広げられる。
「動きを止めたぞ! 今だ!! 撃てぇ———ッッッ!」
動きを止めたオッタル目掛け、ヒュアキントスの指示でクロッゾの魔剣が振り抜かれる。
オッタルには回避も攻撃もできない。
雷の嵐が
【アポロン・ファミリア】の団員が魔剣を振り抜く直前だった。
銀の閃光が、【アポロン・ファミリア】のメンバーを引き潰した。
「なっ——」
驚愕に目を開くヒュアキントスの真横を通りすぎ、銀の戦車はラテックスに襲いかかる。
巨大化したラテックスでは、光り輝く弾丸を避けきれない。
「グぁッッッッ!!?」
「フッ———ッッッ!!」
全身を撃ち抜かれる痛みで一瞬怯んだ隙を突いて、オッタルはラテックスの足の下より脱出した。
「アレン……」
「道化なんぞに負けそうになってるんじゃねぇ!! テメェの敗北は、あの方の敗北だぞ!!」
どこか責めるような口調のオッタルに、アレンは絶叫を返す。
ラテックスに投げ飛ばされた時から既に、アレンに慢心はない。
『オルザの都市遺跡』の近くの湖から這い上がり、即座に魔法を使用した。【フレイヤ・ファミリア】を中央の戦場で殲滅し続けていたヘディンの雷の雨すら圧倒的な速度で走り抜けたのだ。
その場にいるもの全てが直感した。
アレンの撃破無しに、オッタルの打倒はあり得ない。
ラテックス以外の全てのメンバーがアレンを攻撃した。
そして全てが、当たらない。圧倒的に加速する戦車を、誰も止められない。
「【来れ、西方の風!! アロ・ゼフュロス】!!」
「遅ぇ」
「がっ———っっっ?!?」
太陽光が凝縮されたような大円盤。
振り抜かれた右手から放たれた、必殺の攻撃。
しかしヒュアキントスの決死の一撃すらも、アレンには届かない。
アレンは入れ替わるようにヒュアキントスの懐に入り、躊躇なく轢き潰した。
ヒュアキントスは血の混じった吐瀉部を撒き散らし、ボロ屑のように転がった。
(もう時間はかけられねぇ! ギア5が続いてるうちに、オッタルを倒せなきゃ負ける!!)
「いくぞオッタル!! 最後の勝負だ!!」
ラテックスは大声を張り上げ、周囲の注意を自分に向けた。
アレンは妨害するだろう。しかしここで終わらせなければもはや勝ち目がない。
ラテックスはそう判断し、最後の勝負に出た。
返事の代わりに、オッタルは黒大剣を構えた。
ラテックスは思わず破顔してしまった。ここで引けば【フレイヤ・ファミリア】の勝利は揺るがないだろうに、目の前の男は笑ってしまうくらい武人だ。
「タイミングバッチリだぜ! ヒュアキントス!」
ラテックスは
「おあああああああああああぁああぁあああああああああッッッ!!」
「【
対するオッタルは全力だった。
この一撃にラテックスの全てがかかっていることを察したのだろう。
最大の一撃を持って、ラテックスを潰しにかかった。
「させない! 【ルミノス・ウィンド】!!」
並行詠唱を持ってして、リューはオッタルの詠唱を止めようと全力の魔法を放つ。
緑風を纏う大光玉の砲弾が全てオッタルに注ぎ込まれる。
回避、防御、迎撃。どんな行為だろうが、詠唱の邪魔はできる。
しかしオッタルは、そのどれも選ばなかった。
「なっ———」
片目が潰れ、肉が裂け、骨が軋む。
しかしその構えは決して乱れない。
オッタルの集中は、全て目の前のラテックスにのみ向けられていた。
「させるかぁ——ッッ!!」
アレンもまた、猛る。
ラテックスの必殺を不発に終わらせようと、全力で駆ける。
リューも、ベルも、ヒュアキントスも。
誰もアレンの邪魔はできない。
だから、
「邪魔するよ」
アレンを邪魔できるのは、盤外の存在。
巨人のような足音を鳴らしながら、ミア・グランドは戦場に割り込んできた。
「なぁっ!!? 時代遅れのババアが、今更しゃしゃり出てくるんじゃねぇ!!」
「そういうわけにもいかないのさ! あのバカ娘にはお灸をすえてやらなくちゃいけない!」
アレンの突撃が、減速する。
いくら回り込もうとも、ミアはその駆け引きを読み切ってついてくる。
「ふざけてんじゃ、ねぇ——ッッ!!」
アレンの絶叫がこだまするなか、二人の戦士は必殺の準備を終えていた。
「ゴムゴムの〜〜〜〜〜〜!!!」
「【駆け抜けよ、女神の神意を乗せて】」
ラテックスは大円盤に覇王色の覇気を纏わせて。
オッタルは黒大剣に黄金の毛皮を纏わせて。
「
「【ヒルディス・ヴィーニ】!!」
衝突。
全てを破壊する最強の弾丸と、全てを破壊する最強の剣がぶつかり合う。
その瞬間、比喩抜きで天が割れた。
空に漂っていた分厚い雲が、二つの技がぶつかり合った衝撃波で割れたのだ。
当然、地上にいるベル達もただでは済まない。
それぞれが戦闘を中止し、衝撃波に吹き飛ばされないようにしながら、勝敗がつくのを固唾を呑んで見守っていた。
「ぐ、うううぅううっ……!!」
僅かに。
僅かに、オッタルが大円盤を押し返した。
ベルが息を呑む。
既にラテックスは地面に倒れ伏している。
最後の一撃に力を使い果たしたのだ。
既に
ラテックスにこれ以上の戦闘続行は不可能だった。
だから。
吠えたのは、ヒュアキントスだった。
「【
大円盤が光り、爆ぜた。
誰も予想だにしていない意識外からの爆破。
それはオッタルの指を引きちぎり、黒大剣を手の内から弾き飛ばし、絶対攻撃も絶対防御も奪い去った。
そして、ただ一人。
何度もヒュアキントスと戦い、その魔法も知り尽くしていたベルは爆発と同時に駆け出していた。
(狙うのは——リューさんに潰された左目!!)
「ふぅッッ!!」
素早さを活かした白兎の猛攻を、しかしオッタルは素手で受け止めてみせた。
武器も失い、体力も僅か。獣化は既に解けており、普段の覇気はどこにもない。
それでも、オッタルは、どこまでも最強だった。
ちぎれた
「あ、あぁあああああああぁああああ!!」
「うぉおおおおおおおおおおおッッ!!」
ベルは叫んだ。
オッタルはさらに叫んだ。
顔に繰り出される手刀を《ヘスティア・ナイフ》で受け止める。
途方もない破壊力を秘めた回し蹴りを【ファイアボルト】で弾き飛ばす。
命を刈り取らんとするヘッドバットを読み切って回避する。
武器を失ってなお繰り出してくる致命的な一撃を、武器と駆け引きを使い何度も凌ぐ。
(今必要なのは、全てを貫く破壊力だ!)
ベルは
王者を喰らい尽くす一撃を放つため、足に
「があああああぁっ!!」
当然、それを見逃すオッタルではない。
右足を踏み込み、ベルの命を刈り取る一撃を放とうとする。
その瞬間、踏み締めた地面がグニャリと歪んだ。まるで、ゴムのように。
「な———!!?」
想定外の感触に、オッタルの思考に驚愕が走る。体勢が、崩れる。
オッタルが、初めて本当に無防備になった瞬間だった。
ベルの脳裏に、ラテックスの笑みがよぎる。
十五秒の
ベルが、跳ねた。
「うああああぁああああああああああぁああああああああああああああ!!!」
咆哮と共に繰り出される、兎の一突き。
万物を貫くその一撃は、オッタルの胸板を貫き中の臓器を破壊し尽くした。
胸を抉られ、仰向けに倒れるオッタル。
「おいっ!!? ふざけんな、ふざけんじゃねぇ!! 起きろ! テメェは【フレイヤ・ファミリア】の団長だろうが!! 立ちやがれ!!」
アレンの声が、円形闘技場に響き渡る。
数秒が経った。
オッタルは起きてこない。
数十秒が経った。
オッタルは、起きてこない。
『か、か、か——勝ったぁあああああぁああああああぁああああッッッ!!』
イブリの絶叫が、この場の全員の代弁だった。