福知山線脱線事故は2005年4月25日、兵庫県尼崎市のJR福知山線で、快速電車が脱線して線路脇のマンションに激突し、乗客106人と運転士1人(当時23歳)が死亡、562人が重軽傷を負った列車脱線事故である。事故の原因について、国土交通省航空・鉄道事故調査委員会(当時)は「運転士のブレーキ使用の遅れ」と推定した。安全対策をめぐり、JR西日本の歴代社長4人の刑事責任が問われたが、いずれも裁判で無罪が確定した。
事故概要
事故名 | JR福知山線脱線事故 |
発生日時 | 2005年4月25日午前9時18分ごろ |
場所 | JR福知山線 塚口―尼崎間(兵庫県尼崎市) |
被害者 | 乗客の男女106人と運転士(当時23歳)が死亡、562人が重軽傷 |
特徴 | JR西が、仕事でミスをした運転士らに「日勤教育」と呼ばれる過酷な再教育をしていることが事故の背景にあったとの指摘も出た |
事故は05年4月25日午前9時18分ごろ、兵庫県尼崎市のJR福知山線塚口―尼崎間で起きた。7両編成の快速電車が、制限速度70キロの右カーブに時速約116キロで進入。1~5両目が脱線し、1、2両目が線路脇のマンションに激突した。
事故調の報告書によると、乗客106人と運転士1人の計107人が亡くなり、562人が負傷した(神戸地検が認定した負傷者は485人)。犠牲になった乗客106人のうち、事故当時乗っていた車両を特定できなかった4人を除く102人が1~3両目にいた。
事故調は原因について、運転士のブレーキ使用が遅れたため、快速電車がスピードオーバーの状態でカーブに進入し脱線したと推定。また、ミスをした乗務員への懲罰的な再教育である「日勤教育」など、JR西の運転士管理方法が関与した可能性があるとも指摘した。
神戸地検は09年7月、JR西の山崎正夫元社長を業務上過失致死傷罪で在宅起訴した。山崎元社長のほか、歴代社長3人についても遺族による検察審査会への申し立てを受けて同罪で強制起訴したが、いずれも無罪が確定した。
被害の状況
脱線した先頭と2両目の車両が激突したマンションは、カーブに差しかかって間もない線路脇に建っていた。先頭車両は線路から完全に飛び出し、マンションにぶつかった衝撃で、2両目と共にほぼ「く」の字に折れ曲がった状態で止まった。3両目は線路をまたぐようにレールから外れ、4両目も線路から右に飛び出した。
現場周辺は住宅や工場の密集地だった。事故現場のカーブには、自動列車停止装置(ATS)が設置されていなかった。
事故調の報告書には乗客の口述も盛り込まれ、事故当時の様子が明らかとなった。1両目に乗車し、骨盤骨折の重傷を負った男性は「『フワ』と傾いた時、後ろから落ちてきた感じで、人が自分にぶつかった。車内はまるで洗濯機のような状態で、砂袋でぶたれるような感じだった」と語った。
1両目に乗車し、両足切断の重傷を負った男性は「気が付いたら運転席の後ろのガラス窓を突き破って体が飛ばされ、運転席の機器の上に体が乗っていたように思う。救助されたのは、22時間後だった」と証言した。
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事故原因
なぜ運転士は制限速度をオーバーして走行し、ブレーキをかけ遅れたのか。
事故調によると、運転士は事故直前に伊丹駅で約72メートルオーバーランしていた。その際、車掌にオーバーランの距離を過少報告するよう車内電話で依頼した。車掌は「だいぶと行ってるよ(ずいぶん行き過ぎているよ)」と答えるとともに、乗客対応のため運転士との会話を途中で打ち切った。
車掌は総合指令所に列車無線でオーバーランを「8メートル」と虚偽報告した。その約34秒後、運転士は時速約116キロでカーブに進入し、脱線事故を起こした。
事故調は運転士のブレーキ使用が遅れた理由について、①オーバーランの虚偽報告を求める車内電話を切られたと思い、車掌と輸送指令員との交信に特段の注意を払っていた②日勤教育を受けさせられることを心配して言い訳を考えていた――ことなどから、注意が運転からそれたためと推定した。
虚偽報告を求めた背景には、JR西がミスをした運転士に普段から懲罰的な再教育制度である日勤教育や、懲戒処分をしていた社内風土があったと指摘した。
運転士は事故以前に3度、日勤教育を受けていた。友人には「日勤教育は社訓みたいなものを丸写しするだけで意味が分からない」「その間の給料がカットされ、本当に嫌だ」と話していたという。
事故調は日勤教育について「一部の運転士には、運転技術向上に効果のないペナルティーと受け取られていた」「実践的な運転技術の教育は不足していた」と指摘した。
事故調の報告書を巡っては、07年6月の公表前、事故調の山口浩一・元委員が山崎元社長に報告書の案を渡していたことが発覚した。
山崎元社長はATSに関する報告書案の記述について「後出しじゃんけんであり、表現を柔らかくするか削除してほしい」と要求。これを受け、山口元委員は事故調の委員会の席上、「後出しじゃんけんにあたるのでいかがなものか」と発言していたという。
山崎元社長は「事故調の調査に全面的に協力する中で、調査状況を把握し、迅速に対応するとの思いから報告書案などを事前にもらった。軽率で不適切な行為であったと反省している」と謝罪した。山口元委員は「安全対策を積極的に推進する姿を見て助けたかった」などと釈明した。
データベース記事から |
山崎元社長の裁判
神戸地検は09年7月、事故を予見できる立場にありながらATSを設置しなかった過失があるとして、山崎元社長を業務上過失致死傷罪で神戸地裁に在宅起訴した。
山崎元社長は、JR西の安全対策を一任された鉄道本部長在任中の1996年~98年、①事故現場カーブを半径600メートルから304メートルに半減させる工事②JR函館線のカーブでの貨物列車脱線事故③ダイヤ改正に伴う快速列車の増発――により、現場カーブで事故が起きる危険性を認識していたにもかかわらず、ATSの設置を指示せずに事故を起こさせたとして在宅起訴された。
山崎元社長のほかにも運転士らJR西の関係者9人が書類送検され、歴代3社長も遺族に告訴されたが、神戸地検は山崎氏以外の12人については不起訴処分とした。運転士は容疑者死亡が理由で、他の11人は事故を予見できなかったとして容疑不十分と結論づけた。
山崎元社長の裁判は10年12月に神戸地裁で始まった。山崎元社長は「106人の尊い命を奪い、多くの人にけがをさせた。おわび申し上げる」と謝罪する一方、起訴内容については「危険性の認識などの指摘は事実と全く異なる」と全面否認し、無罪を主張した。
弁護側は「鉄道業界では当時、カーブの安全対策は余裕のある制限速度を設け、速度順守は運転士に委ねるのが常識で、カーブにATSを急整備すべきだとの規範意識はなかった」と主張した。山崎元社長には、危険性の認識も事故の予見可能性もなく過失はなかったと述べた。
これに対して検察側は冒頭陳述で、山崎元社長が安全対策室長だった93年、東海道・山陽線のATS設置を巡り、経費削減のために重要度の低いものを減らす検討を指示した▽その際、カーブでの速度超過による事故の危険性について報告を受けていた――などと指摘した。
当時は運転士の人為的ミスが多発し、設備面で補うのが業界の常識だったうえ、JR函館線事故などの報告も受けており、予見可能性があったのは明らかだったと述べた。
裁判では、事故で家族を失った遺族らが意見陳述した。事故で全身を38針縫い、左足を複雑骨折した西尾和晃さんは陳述書を検察官に託した。
「長い長い将来に(わたり)障害を負った。どんなに頑張っても元通りにならない」と無念の思いを吐露し、「ATSの設置は、責任者としての義務ではないか」などと山崎元社長の責任に触れた。
事故で18歳の次男を失った上田弘志さんは「『正直に話すことが償いになる』と約束したのに、つじつまの合わない証言をしていますが、それが償いですか」と語りかけた。
23歳の長女を亡くした大森重美さんは「この大事故が運転士1人だけの責任ということになれば、司法の限界が見えたということになる」と訴えた。
裁判にはJR西や同業他社の関係者、鉄道専門家らが証人出廷した。山崎元社長の元部下に当たる当時の社員らは、カーブの危険認識を認めた捜査段階の供述を法廷で次々に覆し、「カーブの危険を感じたことはない」などと証言した。
神戸地裁は12年1月、山崎元社長に対して無罪(求刑・禁錮3年)の判決を言い渡した。事故の予見可能性について「JR西に多数存在するカーブの中から、現場カーブの脱線転覆の危険性を認識できたとは認められない」と指摘した。
一方、JR西の組織としての責務について「カーブでの転覆リスクの解析やATS整備のあり方に問題があり、大規模鉄道事業者として期待される水準に及ばないところがあった」と述べた。
その他、カーブの工事について「半径304メートル以下のカーブはかなりの数存在している」とし、ダイヤ改正も「列車が脱線転覆する危険性を高めたものとは認められない」と判断した。
さらに、函館線脱線事故は「閑散区間の長い下りで貨物列車が加速するに任せて転覆した事故で、本件事故とは様相が異なる」として、危険性認識の根拠とは認められないとした。
ATS設置については「当時、義務づける法令はなく、カーブに整備していたのはJR西を含む一部の鉄道事業者のみだった」とし、現場カーブで個別に整備すべきだったとの検察側の主張を退けた。
地裁判決を受けて、遺族らは神戸地検に控訴を申し入れたが、地検は「全証拠を精査し、控訴しても認定を覆すのは困難との結論に達した」として控訴を断念した。
<判決の骨子>
・山崎元社長が、事故現場カーブで速度超過による脱線事故が起きる危険性を認識していたという証拠はない
・山崎元社長が、事故を回避するため現場カーブにATS整備を指示すべきだったとまではいえない
・JR西にはカーブでの転覆リスク解析などで問題もあったが、山崎元社長が事故を予測できなかったとの判断は変わらず、山崎元社長に過失はない
歴代3社長の裁判
山崎元社長のほかに、JR西の歴代3社長も業務上過失致死傷罪で強制起訴され、最高裁まで争われた。
起訴されたのは井手正敬・元会長、南谷昌二郎・元会長、垣内剛・元社長。
遺族が09年、井手元会長ら3人を神戸地検に告訴。地検は「安全対策を鉄道本部長に一任しており、事故を予見できる立場ではなかった」として不起訴処分にしたが、処分を不服として遺族らが審査を申し立て、神戸第1検察審査会は「起訴相当」と議決した。地検は同年に改めて不起訴とし、検察審査会が10年、強制力のある起訴議決をした。
3人は、脱線事故が起きる可能性を予見できたのに、ATSの設置を指示しなかったとして起訴され、12年7月に神戸地裁で裁判が始まった。
3人はいずれも「事故が起きると想定できなかった」と述べるなどして、無罪を主張した。神戸地裁は13年9月、「カーブが数多くある中、現場カーブで速度超過による列車の脱線転覆事故が起きる危険性を具体的に予見できたとは認められない」として無罪(求刑・禁錮3年)を言い渡した。15年3月、2審・大阪高裁も1審判決を支持。最高裁第2小法廷も17年6月、上告を棄却する決定を出し、判決が確定した。
データベース記事から 罪のありか・尼崎脱線と組織罰/上 安全対策、企業に罰則を 運転士は23歳、全責任を負わすのか(2017年4月19日付) |
JR西日本の対応
JR西は事故後、安全技術の導入や社員教育に力を入れた。脱線事故では、現場カーブの手前にATSが設置されていなかったことが問題視された。JR西は06年3月までに1234カ所にATSを設置し、進路を切り替える「分岐器」(ポイント)などでも1000カ所以上に設置した。
07年には、大阪府吹田市の研修センターに「鉄道安全考動館」を開設した。事故現場の模型や被害者のメッセージを展示し、過去の鉄道事故について学ぶことができる内容にした。
18年には、事故現場に慰霊施設「祈りの杜(もり) 福知山線列車事故現場」を整備した。慰霊碑のほか、手紙などを展示した「追悼の空間」や、資料を展示する「事故を伝える空間」を設けた。このほか、事故車両を吹田市で建設予定の専用施設に保存する方針も示している。
一方、社員の世代交代による事故の風化も懸念されている。グループ会社などを除いたJR西の社員のうち、事故後に入社した従業員が20年4月時点で約1万4150人に上り、初めて半数を超えた。JR西労組が同年1月に実施したアンケートでは、「事故の風化防止を意識している」と回答した社員が全体の約75%を占めた。
遺族の取り組み
事故から2カ月後の05年6月、遺族らは「4・25ネットワーク」を結成した。①事故の原因究明②悲しみを語り合う③JR西の企業責任追及④公共交通機関の安全を考える⑤JR西との交渉の情報交換――を目的に、月1回の例会などを開いてきた。
14年には、事故を起こした企業への処罰を研究する「組織罰を考える勉強会」を設立。16年には事故を起こした企業に刑事罰を科す法制度の実現を求める「組織罰を実現する会」が発足した。
長女(当時23歳)を亡くした大森重美さんは「企業の幹部が責任を逃れられないようにしなければ、安全な社会にならない。娘の死を無駄にしたくない」と話している。
データベース記事から 悲しみのふちから:尼崎脱線4・25ネット/上 真相知ることは、弔いの入り口(2006年4月14日付) |