作家・曽野綾子さん死去 93歳 「誰のために愛するか」200万部超のベストセラー 夫は故三浦朱門さん
作家の曽野綾子(その・あやこ、本名・三浦知寿子=みうら・ちづこ)さんが2月28日、老衰のため東京都の病院で死去した。93歳。大学在学中に同人誌に参加した後にデビュー。1970年出版のエッセー「誰のために愛するか」は200万部のベストセラーとなった。また、敬けんなクリスチャンでもあり、同じく作家だった夫の三浦朱門さん(2017年死去、享年91)とはおしどり夫婦としても知られた。 世界各地を訪ねた経験などを元に、人間の根源に関わるテーマを軽妙な文体で表現した作品を生み出した曽野さんが、静かに逝った。 半世紀以上にわたり、数多くの作品を世に送ってきた曽野さんだが、子供のころはどちらかといえば文章を書くことが苦手だったと。そんな曽野さんを鍛えたのが、母親の特訓。小学校に入った時から毎週作文を書かせ、添削を行った。当時は嫌々ながらだったそうだが、後の作家としての「土台」が完成し、小学6年の時には「小説家になる」と友達に宣言していたという。 とはいえ、当時は“良家の娘”が作家になるというのはタブーと考えられていた時代。苦肉の策として曽野さんが考えたのが「ペンネームで書くこと」。こうして、「曽野綾子」の名前が生まれた。その後、紹介を得て参加することになった同人誌「新思潮」で出会うのが、終生の伴侶となる三浦さんだった。 当時の三浦さんは東大文学部を卒業し、日大芸術学部の講師をしていた時期。「新思潮」の会合に初参加する曽野さんを迎えに来たのが三浦さんだったという。周囲からは「あいつとだけは結婚するな」と止められたそうだが、22歳で学生結婚。以来、三浦さんが亡くなるまで64年にわたり、連れ添った。 芥川賞候補にもなったデビュー作「遠来の客たち」の出版は、長男を出産した年の55年。以来、年数冊というハイペースで小説を発表した。有吉佐和子さん、瀬戸内晴美(寂聴)さんら女流作家の活躍と共に「才女時代」と言われた。 高校生の時に洗礼を受けて以来、思考の中心には常にキリスト教があったが、69年の「無名碑」で初めて題材に。その後は生や愛、幸福など、人間の本質的な部分に迫る作品が増えていく。そんな中で発売されたエッセーが「誰のために愛するか」。同作はベストセラーとなり、映画・テレビドラマ化もされた。 作家活動と並行して曽野さんが力を入れていたのが、海外で活動する日本人のシスターや神父の援助。72年から開始し、現在は「海外邦人宣教者活動援助後援会(JOMAS)」として活動が続けられている。95年には日本船舶振興会(現日本財団)の会長に就任し、話題となった。 また、同じ聖心女子大出身であることから、上皇后美智子さまとも親交が深かった。10年以上前から、上皇さまと美智子さまが葉山御用邸に滞在する際に、曽野さんが三浦半島に所有する別宅へお立ち寄りになられていたという。 ◆曽野 綾子(その・あやこ)本名・三浦知寿子(みうら・ちづこ)。1931年9月17日、東京府南葛飾郡(現東京都葛飾区)生まれ。聖心女子大在学中の19歳で同人誌「ラマンチャ」、その後に第15次「新思潮」に参加し、53年に同誌の先輩格だった三浦朱門さんと学生結婚。54年、「遠来の客たち」が芥川賞候補となり、作家デビュー。有吉佐和子さんらと共に「才女時代」と呼ばれるブームを引き起こす。95年12月、日本船舶振興会(現日本財団)の会長に就任。2003年、文化功労者。
報知新聞社