隙あらば自分語りしようよ
相手の話を遮って自分の話をしたり、明らかに他者のターンなのを無視して自分の話をする人のことを「隙あらば自分語り」と揶揄するが、そういう人は単純に思いやりがないだけだから、本当の問題は「自分を語ったこと」ではなく「思いやりがないこと」だ。
にもかかわらず、「自分語り」という言葉が最悪なイメージを伴ってインターネット中を歩き回った結果、世の中は自分を語ることに非常に臆病になっている。
飲み会で、自分の話をした後に「自分語りをして申し訳ないけど」と付け加えられる現場に遭遇することが多い。いや、あなたのターンだったし、みんな傾聴していたし、興味深かったし、申し訳なく思う必要はない。
てか仮に興味深くなくても、クッソつまらん話でも、あなたがあなたの話をしていい。
これに似た現象として「お気持ち表明」という悲劇的によろしくない茶化しが誕生してしまったことが、長文や表明への怯えに拍車をかけたように思う。
何かに対して真剣に意見を述べんとする人間の頭に「でも、これを言ってみんなに茶化されたら。お気持ち表明と言われたら。長文乙wと罵られたら?」なんて懸念がよぎらなければならない世界はどう考えても間違っている。
自虐ならばまだわかる。とはいえ「自分を語って長文を綴るのは勇気がいるけど、末尾に(自分語り長文乙)と書いておけば、茶化されるのを阻止できる」なんて考えが発生しなければならない世界はやはり間違っている。本来は胸を張って為されていいはずの発言が注釈付きになった。
たとえば音楽に対して感想を言う場合、一行目に「最高」「良すぎ」等の賛辞がくるとして、二行目以降は大体が自分語りになると思う。「この歌詞が今の自分と重なった」だったり、「過去の恋愛を思い出した」だったり。
その二行目を読みたい。自分は、読みたい。
身も蓋もないことを言えばSNSの全てが自分語りだし表明だ。今更何を恐れることがある。
友人が「俺は、感傷的な投稿をしたらポエマーって言われるのがすげえ嫌だ」と話していた。「ラーメン美味かった」はよくて、「空が綺麗だ」は茶化しの対象らしい。
「ポエマー」も「自分語り」と同様に、本来はなかった文脈の悪い印象がついてしまった言葉だ。自分の話はダメ、長文もダメ、表明と感傷は茶化される。じゃあ何を書けばいいんですか?天気とか?
現代の、特にインターネットで「痛くないやつ」でいるの難しすぎる。何やっても痛いやつになる。「じゃあそれでいいです」つっていきたい。
隙あらば自分語りをすればいい。できれば面白く語れるように、面白めの人生を送っておくと、なおいい。


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