作:サウロン死んじゃうロン
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守りたかった。
オラリオを、世界を、人々を、何よりかけがえのない仲間たちを。
贅沢なんて言わない。奇跡が起こるなら喜んでこの身を投げ出したって良かった。
僕はただ欲しかっただけだ。皆が生きていける未来というやつが。
──世界が壊れていく。
背後に広がる迷宮都市は今やモンスター達が溢れ返り、迷宮の封印は完全に突破された。神々の詠みは既になく、代わりに響くは壊れた精霊の歌声。絶望が臨界点を超えた時、人々はゲラゲラと笑い出す。いつか聞いた
──世界に破滅と狂乱が広がっていく。
どうしてこうなったんだろう、と思う。
竜の谷での一件を経て、僕はまた世界を知った。その上で、より多くの英雄と肩を並べられるようになって、終末に立ち向かうと決意したのに。
少し前までの晴れやかな気持ちが嘘のようだ。でも、綺麗な青空は変わっていない。それなのに世界はこんなにも壊れてしまった。そう遠くない未来、人類の生息圏は軒並み滅びるだろう。
「走るんだベル君!」
「走れ、ベル・クラネル!」
「ベル先輩っ、止まっちゃダメっ」
「ベル・クラネルっ! 早くしろおっっ! お前まで死んだらいよいよ世界はお終いなんだぞっ!?」
黒髪の青年は何を言っているのだろうか。もう
こうして逃げることに何の意味があるのか。
終焉の産声は今も上がり続けている。黒い風はすぐに僕達を捉えるだろう。天界に突き刺さった柱の数は何本になった? アイズ・ヴァレンシュタインとは何だったのだろうか?
今はいつなのだろうか?
どれだけ走ったのだろうか。
誰に何を言われて何を倒したのかもわからず、足の感覚などとうになくなっている中、どことも知れぬ光の中を突っ切っていく。
「こっちだ、ベル! ヘスティア様が待っているぞ! 私も──俺も君を死なせるわけにはいかない! いや死なせたくはない!」
まだ楽にさせてあげられない、すまないと叫ぶ男性の顔がハッキリ見えた。レオン先生はこんな時でも優しくて厳しい。
『アハッ』
『アハハハハ』
『アハハハハァ!』
光を打ち消す黒い風が吹き抜けた。身体中を切り裂かれて倒れ込んだ僕を見下ろすのは、
『ベル』
『ベル?』
『アハハハハ、ベル、ベル』
「──ベル!」
レオン先生の声が聞こえた。彼の腕に力強く引き寄せられる中、アイズさん達がひしゃげて変形したのが見えた。
目の前が真っ白になる。
既に折れて砕けていた心に、更に金槌が振り下ろされて、再起不能に陥った。
「ベル先輩!?」
「ベル君しっかりするんだ!」
「生きてはいる! さあ進むぞ! この光の先には何かある! 根拠などない! 破滅が待っていたら、あの世で私を恨んでくれればそれで良い! ラウル・ノールド、皆もレフィーヤを頼む! その子を死なせてはならない! いや、負傷者含めてここにいる全員が死ぬことは許可できない! 頼む!」
「わかってる! そんなことわかってるんだよ、【ナイト・オブ・ナイト】ッッ」
また、全ての音が遠のいていく。今度は完全に視界が黒く染まっていく。そして僕、ベル・クラネルは
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ざあっ、と。
麦穂が擦れる音が聞こえた。目を開けるとそこに広がっていたのは、黄金の景色。広大な麦の道の真ん中に、僕はいた。
すぐに違和感を抱いた。目線が低くなっていたからだ。ああ、車椅子に乗っているのかと合点がいく。どうやら僕は眠っていたようだ。他に考えることは山ほどあったはずなのに、この時の僕は妙に心が冷めていた。
「無事か、ベル」
「レオン先生?」
「ああ、俺だ。君が目覚めるまで待っていた。見てみろ、とても美しい景色だ。我々が見た世界の終わりが嘘のようだな」
僕はずっと眠っていたらしい。一ヶ月ほど。道理で、立ち上がろうとするとよろけるわけだ。体がとても重いし、力が入りづらい。
「僕……?」
「歩きながら話そう。君はそのまま車椅子に座っていなさい」
ポンっと上から肩を押される。レオン先生の手はとても大きかった。対する僕の手の平はとても小さい。比喩じゃなくて実際に縮んでいた。身長も。僕は幼児化していた。なぜかあまり驚かなかった。
「おいレオン。私にも喋らせろ」
不意に静かな足音と、女の人の不機嫌そうな声が聞こえた。ゆっくり顔を後ろに向けると、レオン先生の隣には、びっくりするような綺麗な女性が立っていた。漆黒のドレスに身を包んでおり、髪の色は
「アルフィア、ベルは混乱している筈だ。一気に情報を与えてはこの子も困ってしまうだろう。貴方の気持ちはわかるが、ここは大人として弁えてもらえると──」
「──
次の瞬間、ドガッッッッッッ!! と。
破滅的な轟音と共にレオン先生が
何が起こったのか恐る恐る確認してみると、レオン先生の下半身が土にめり込んでいた。彼は悲しそうな顔で夕焼けを見上げている。頭からはゆらゆらと煙が上がっていた。どうやら拳骨を落とされて、下半身が地面に突き刺さったらしい。わけわがわからない。
「レオン貴様、いつから私に舐めた口がきけるようになった。ああ、舐め腐っていたのは昔からだったな」
「アルフィア、流石にこれは酷い。早く抜いてくれないか」
「自分でどうにかしろ。それにこの程度、在りし日を思えば可愛いものだろう」
「ははは、貴方は相変わらずだな」
「貴様は変わったな。あのどうしようもない悪童が教師などと、唖然失笑とはこのことか」
爽やかな顔で喋ってはいるけど、レオン先生はまだ体の半分が土に埋まっている。Lv.7を相手にこんな真似ができるって、アルフィアさんって何者……?
それに、この景色は一体……?
一ヶ月も眠っていたのなら、世界はとっくに終わりを迎えていてもおかしくない。怪物と穢れた精霊の大行進によって、人類の生存圏は次々に食い荒らされ、竜の谷の風印は破壊されるだろうと、そういう話だったはずなのに。この平和な景色は一体……?
「色々あったし、人というのは変わる。貴方だってそうだろう。こうして妹の忘れ形見を目にして、生きる活力を取り戻した」
「さて、帰るぞベル。言い忘れていたが、私はお前の母親の姉だ。お前の母親は既に他界しているから、これからは私を母と慕うように」
混乱が加速する。お母さんのお姉さんって、それっておばさんってことだよね……? 僕にオバサンなんていたのか。いやそれよりも、僕の体が縮んでたり、レオン先生が若返ってたり、僕達の身に一体何が起こったのだろうか。
一緒にいた皆は無事なのか。
ヘスティア様は?
疑問と不安が次々と湧き上がってくる中で、僕は震える声を発した。
「おかあ……さん? えっ……と、これ……まさか僕達は、過去……に?」
「そういうことらしいな。付け加えると、私とお前は本来なら会うことはなかった。そこの
「えっ、ヘスティア様?」
「そうだ。あの女神ときたら、この現状に対しロクな見識を持っていない。冒険者の主神としては全体的に知識に乏しいし、お前、アレの何に惹かれて契約したんだ」
まさか胸か、と問われた僕は慌てて首を振って否定した。そんな不埒な理由じゃない。いやらしい目で神様を見たこととかないし、これから先もないと思う。
「アルフィア、そろそろ抜いてくれないか」
「甘ったれるな。自分の力で脱出しろ。というかお前、余裕で抜け出せる筈だろうが。私に甘えるなど気色の悪い真似はやめろ」
「ははは、すまない。俺もまた平常心を失っているのかもしれないな」
レオン先生が地面から飛び出し、颯爽と僕の前に着地を果たした。爽やかな笑みを浮かべてはいるけど、髪は乱れまくっているし、ズボンは泥まみれだ。くっつき虫までついている。
「さて、ベル。現状は今しがた話した通り。私達はどういうわけか時を超えて過去に来た。正確な時期は君がオラリオに来た年の七年前。今の君は七歳ということになるな」
ひっつき虫を丁寧に除去しながら、レオン先生は話をまとめつつ補足してくれた。頭では理解出来た。感情は追いついてはきてくれなかったけど。
「思うことは色々とあるだろう。だが、我々にとって何よりも重要なことは、終末までの猶予が得られたということだ。──世界は終わってはいない。まだしばらくは終わらない。だから、君はまずは体を休め、動けるようになることだ」
アルフィアとも色々と話をすると良い、とレオン先生は穏やかな笑みを浮かべた。
「レオン貴様、さっきから偉そうに、何様のつもりだ」
次の瞬間、レオン先生の体が夕焼けに向かって吹き飛んだ。彼は本当に楽しそうに「ハハハ」と笑いながら飛んでいった。僕は乾いた笑いを漏らすことしかできなかった。これは夢なのだろうか。死に際に見ている幻想なのかとも思ったけど、結局、家についておじいちゃんの顔を見ても、夢は覚めてくれなかった。
現実だった。精霊の中から沢山のアイズさんが産まれ続けたことも、オラリオが滅びたことも。みんなが死んでしまったことも。
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久しぶりの実家に戻ると、懐かしのおじいちゃんとヘスティア様、そして僕と同じく若返った方々の姿があった。その中には幼児化したハーフエルフの少女がいて、彼女は僕の目覚めを涙を流して喜んでくれた。
学区で知り合って絆を育んだ少女の名は、ニイナ・チュール。ニイナはひとしきり泣いた後で、とんでもない爆弾を投下してきた。
「ベル先輩ベル先輩ベル先輩ベル先輩、ラピ君ラピ君ラピ君、大変だったし辛かったけど、私の人生あげるから、元気出して頑張ろう?」
「コラコラコラコラコラァ!? いきなり何を言ってるんだ君はッッ!!」
すかさずニイナはお尻を蹴られた。ヘスティア様のドロップキックが火を噴いたのだ。なんだか妙に懐かしさを感じる光景だけど、ここにはリリはいない。ヴェルフも
廊下に出るなりゾクッとした。
一人になった途端に肌が泡立った。
『ベル』
『アハハハハ、ベル、ベル』
『アハァ、ベル、ベル、
「ひ……ひいっ」
幻聴が聞こえる。今一瞬、窓ガラスに金髪金眼の少女の姿が見えたような。同じ顔がいくつも見えたような、気がした。反射的に目を逸らして、恐る恐る顔を上げてみると、そこには誰もいない。
「……は、は……はっ」
深呼吸をして息を整えて、今一度周囲を確認してみると、やはりアイズさんの姿はなかった。
「ここにいたか。本調子になるまで大人しくしていろ」
「アルフィアさん?」
代わりにおばさん。アルフィアさんが音もなく歩いてきて、僕の頭に右手を乗せる。可愛がってくれている……のだろうか。僕はまだこの人のことを何も知らない。それはこれから知っていけば良いし、こうしていると何だか安心する。
「今、何か見えたのか」
「いや……なんでも、ないです」
「そうか。それなら良い」
握ってくれた手は、ひんやりしているけど、心は少しあたたかくなった。安心する。今はそれだけで良いや。これからのことはそのうち考えよう。
僕は手を引かれて部屋に戻った。まだ、頭はあまり働かないし、感情もそこまで動かなかった。