和田彩花「パートナーが私を変えた」アイドル活動で“家族”がわからなくなっても
アイドル活動で犠牲になった“家族のかたち”
そんな私が、親と子で構成される“実の家族”という存在に向き合うようになったのは、アイドルグループを卒業した24歳くらいから。 仕事が落ち着いて、家族のもとに帰ると、家族のかたちは変わっていた。それが素直な感想だった。なぜ、こんなに家族関係をぎこちなく感じて、どうやって家にいればいいかもわからなかった。 時間をかけて、親と妹の話を聞いていくと、どうやら私の仕事が、家族の時間を、家族というかたちそのものも変えてしまったようだった。 デビューした高校生のときは、親の送り迎えが必須だったので、母が私につきっきりで群馬と東京間を往復してくれた。年越しのライブが終わった深夜でも、母も父も車で群馬から迎えに来てくれた。そして1月2日からのライブのため、また朝早くに送迎してくれた。 小学校低学年のころまでよく行っていた夏の海や、冬のスキーにも行かなくなった。私を中心に家族が回るようになってしまったからだ。私だけでなく、妹が一番楽しみを奪われたと思う。きっと、親との時間も。 ステージでは、ああやってみんなにありがとうと言ってもらえて、グループを去ったけど、その犠牲のひとつに家族の存在があることは忘れられない。 もちろんそれぞれの家庭によって異なると思うけど、兄弟姉妹が犠牲になる経験はアイドル仲間からもよく耳にする。 私の家は、群馬と東京間の往復とはいえ、母も父も送迎に協力的だったからありがたかった。もし、親のどちらかしか協力してくれなかったら? シングルで子育てしている家庭だったら? 送り迎えによって、親の仕事も制限され、それは当然収入の減少につながる。 アイドルを続けられたのは、親の協力があってこそだった。 若いころ、ひとりで帰るときにはよく新幹線で寝過ごして、越後湯沢駅まで着いてしまったことがある。終電だったので、親が越後湯沢駅まで車で迎えに来てくれた。 では、私がこんなことをしている間、妹は夕食の時間をどうやって過ごしたのだろう? そもそも妹の制服姿も見たことがなかった。 だから、家族ってなんなのかわからない。家族と過ごした時間があまりに少なく、家族のかたちを変えてしまった私には、今でもわからない存在なのだ。 家族のことをこれ以上話すのは難しい。いろいろ事情がある。人に言えない悩みがある。悩みなんてないでしょうと言われるたびに家族を思い出す。それくらい、私の仕事は家族に影響を与えた。 ここでも書けないけど、そうやって生きていることだけ知ってほしいし、それぞれに苦しみとか問題を抱えているってことだけ忘れないでほしい。 だからか、よけい、家族を持つことへの理想も夢もなかった。