和田彩花「パートナーが私を変えた」アイドル活動で“家族”がわからなくなっても
みんなの「あやちょ」のままでいるのが嫌だった
恋愛に興味がなく、結婚も、子供を持つことにも興味がない自分は、アイドルの適性があるとみなされるのにひどく心地悪さを感じた。 結婚せず、子供を持たなければ、私はみんなの「あやちょ」のままであるのだろうか。いつまでも、誰かにとっての私でしかいられないのだろうかと悩んだ。 なので、私はパートナーの存在を隠すことをやめた。言っても言わなくてもいい選択は残したくて、必要のあるときにしか話さない。 パートナーのステイタスを自分の価値かのように話す会話が嫌いだったので、パートナーの話をしなくても生きていける人間になりたかった。とはいっても、いつまでもみんなの「あやちょ」でいることが嫌だった。 もちろんアイドルという肩書を名乗る以上、ファンが私をどう楽しむかまで制限はできない。ただ、私はファンに対して疑似恋愛的な見せ方はしない努力をかなりしていることは伝えたい。 そして、ファンが私に疑似恋愛的な感情を持っていたとしても、ファンにとっての理想像であったとしても、私の外見も、身振りも、誰かのためにやる必要はなくて、私は私のために生きればいいのだと言いたい。 <画像> 時々、卑猥なコメントがDMで送られてくる。ファンの楽しみ方を私が制限できるものでないにしても、卑猥なコメントを相手に投げるのはやめてほしい。 または、水着の写真をSNSに投稿したアイドルのコメント欄にも同じことがいえる。 どう楽しむかはあなたの自由であるけれど、卑猥な言葉をわざわざ書き込む必要も、伝える必要もない。それは立派な嫌がらせにしかならないからだ。 そういうコメントをもらって喜ぶと思っているのであればあまりに思考が歪んでいるし、嫌がらせで送っているのだとしたら人として文字どおりクソだと思う。
家族よりも私を知ってくれている“ファン”という存在
若いときは、ファンとの関係を親戚みたいだと思った。 お客さんが入らなくなったライブツアーに来てくれた人たちの顔は、今でも思い出せる。グループの困難を一緒に乗り超えていくことで、心の距離はいつも近い場所にあった。 そんなファンを含めた仲間たちと大きなステージに立ったときは、とてもうれしかった。 私たちのグループを応援してくれたファンのみなさんは優しく、「メンバーの将来像をファンのみんなと話したんだ」と教えてくれたり、私があくびをしてしまったときには「気にしないで」と言ってくれたりするような人たちだった。 ファンとのコミュニケーションは、時には精神的な負担もあった。けれど、ライブを通して築いていける信頼関係を感じたりもした。 ファンとのよい出来事があまりに多かった。この関係をどう説明したらいいかわからない。今でも歩きながら時々みんなのことを考える。 今は「一緒に生きている」って感覚だとよく思う。グループにいたときのような、競争に挑む必要もないし、過酷なライブスケジュールを一緒に乗り超える必要もない。 現実社会にステージを移した私のいろんな経験を一緒に楽しんでくれている。時には、バッシングされる私を支えてくれて。 夢のようなステージで会うことはなくなって、現実ばかり突きつけてくる私の言動をおもしろがってくれて、いろんなかたちや場所でライブする喜びを分かち合ってくれる。 仕事での出来事について、今、一番素直に話をできるような相手でもある。それは友達とも違うし、一緒に暮らす家族とも違う。 だけど、時には友達よりも、家族よりも私のことを知っているのがファンだ。 <画像> でも、友達と違うことがあるとしたら、やっぱりパートナーの話は自然には出てこない。むしろ避けている。 今年の私のテーマは、ファンにパートナーとの出来事も共有することだ。何を言っているんだと思うかもしれない。 けれど、これだけ自分のことをベラベラ話すのに、パートナーの話題を避けるのはなんか不自然だった。 あるとき思った。人生のステージが変わるプライベートな発表とかって、報道が出てから知るじゃない、世間的には。でも、いつも近くで支えてくれるファンの方にも、世間と同じタイミングでお知らせするのって悲しくない?と思った。 私はどちらかというと、世間に公表する前に、みんなには自分の口で話したいと思った。 パートナーとか、恋愛とか、結婚とか、そういう話だけファンに伝えないなんてそんな寂しいことある? これが私のみんなへの愛だ。