「♪見よ東条のはげ頭」「♪パーマネントはやめましょう」 戦時中の替え歌から当時の子どもたちの本当の姿が見えた #きおくをつなごう #戦争の記憶
大分県の護国神社では、予科練で替え歌が歌われていた証拠が見つかった。去年閉館した地元の記念館から運んできた資料の中に、徳島県で訓練をしていた予科練生が書いた画集があり、そこに替え歌の歌詞が書かれていたのだ。題名は「練公と尻」。 「♪尻の痛みに耐えかねて 列を抜けだしションボリと 一人歩きのさびしさよ」
厳しい体罰を歌にして笑うことで気を紛らわせていたのだろうか。原曲は服部良一が作曲し大ヒットした「湖畔の宿」。本来は「♪胸の痛みに耐えかねて 昨日の夢と焚き捨てる 古い手紙のうすけむり」という感傷的な歌詞だ。 また別の画集には、戦争末期の緊迫した戦況をうかがわせるような替え歌が載っていた。 「さらばラバウル」という軍歌の替え歌だ。 「♪若い心につとなつかしく 忍ぶ母さん倒れし友よ にくいあの敵 もえたついかり 腕の血潮がまたうづく」
長野県の野辺山には基地があり、グライダーで特攻の訓練が行われた。そこにいた予科練生が書いたものだ。「野辺山節」と名付けたこの歌を、みんなで一緒に歌ったのかもしれない。戦史研究家の豊の国宇佐市塾・織田祐輔さんは、軍で替え歌が歌われた背景に、「一体感」があるという。「今の校歌などのように、歌を歌えば一体感が出ます」。
▼戦時中の“替え歌”はまだまだ眠っているはず
戦時中の替え歌を研究する立命館大学の鵜野祐介教授の元には、全国各地から情報が寄せられている。軍を揶揄する替え歌、苦しい生活を嘆く替え歌、様々なものがあるが、知られていない替え歌が、まだまだ眠っているのではないかという。
●立命館大学 鵜野教授 「替え歌って言うのはまず聞かないと出てこない文化。口伝えで『じいちゃん、子どもの頃に東条英機のはげ頭とかって歌っていたよ』と話すここがあっても、自分の日記には書かない。でも子どもの頃の文化を誰かが書き留めることによって、戦時中でも子どもが人間らしく、自分らしく生きていたいと思っていたという記録になると思う」 鵜野教授が収集した替え歌は 58 曲。文学部のこの日の授業では、童謡「夕焼け小焼け」の替え歌が取り上げられた。 「♪夕焼小焼で日が暮れない 山のお寺の鐘鳴らない 戦争なかなか終わらない からすもお家へ帰れない」 終わりの見えない戦争に対する、子どもたちの悲しい気持ちが表れている。 ●立命館大学 鵜野教授 「『からすもお家へ帰れない』という歌詞ですね。疎開をして、家を離れて都会から田舎に行ってそこで生活していた人が大勢いたわけですよね。その子たちが、『おうちに帰れないのはぼくも私も同じだ』という思いがこの『からすも』という歌詞にあると言われています」 替え歌を聴いた学生は-