カスタマーレビュー

  • 2022年7月1日に日本でレビュー済み
    ドイツ語の教師として働いていても、ドイツ哲学を一緒に読んでくださいと言われることは滅多にない。その珍しい学生に今年は出くわした。むさ苦しい髪をした汚らしい男子を想像しないでいただきたい。ダンス・サークルにも参加する現代っ子の女子学生である。(ドイツ語教師という一見地味で絶滅を危惧される職業も、女子学生に囲まれて意外にも華やかなのだ!まいったか!)テキストに選んだのはカントの『道徳形而上学の基礎づけ』。たまたまその学生が聴いていた哲学の講義で教師が紹介していたのと、光文社古典新訳文庫で新しい翻訳が出ているのをボクが知っていたので、参考になると思い、これに決めたのだ。春にGuten Tagを習ったばかりで、文法の学習も終えていない初心者にカントを説明するのは大変だが、「君にはまだ無理だ」と言って追い返したくはなかった。そこであらゆる文法事項を説明しながら、カントを一行ずつ読む、ビデオ講義を作成することにした。初心者に説明するのだから決して急がず、丹念かつ綿密に読むことを心掛けた。ビデオ講義を4回ほど行って、ようやくカントのテキストを1パラグラフ、翻訳で1ページほど読むことができた。ゆっくりと読んだおかげで、意外にも中山訳に誤訳と思われる奇妙な訳を見つけてしまった。学生用に作った教材で申し訳ないのだが、拙訳と比較してください。
    Die alte griechische Philosophie teilte sich in drei Wissenschaften ab: die Physik, die Ethik, die Logik. Diese Einteilung ist der Natur der Sache vollkommen angemmessen, und man hat an ihr nichts zu verbessern, als etwa nur das Prinzip derselben hinzu zu tun, um sich auf solche Art teils [ihrer Vollständigkeit] zu versichern, teils die notwendigen Unterabteilungen richtig bestimmen zu können
    中山訳「古代ギリシアの哲学は、三つの学問に分けられていた。自然哲学、倫理学、論理学である。この分野別の分類は、哲学の本性にまったくふさわしいものであり、分類の原理を付け加えることのほかには、改善すべきところはまったくないと言ってよい。この分類の原理をつけ加えれば、哲学がさらに完璧なものになるのは確実であるし、[原理に基づいて]それぞれの分野をさらに細かく分類するという必要な作業を正しく規定することができる。」
    読みやすい訳だが、これでいいのかな。拙訳と比較してください。
    拙訳「古代ギリシア哲学は三つの学問、すなわち自然学、倫理学、論理学に区分されていた。この区分は、事の本性に完全に相応しく、その区分に改善すべきものは何もない。もしあるとすれば、例えば、その区分の原理を付け加えることだけであり、そのような方法で一部には、『その完全性』を自らに保証し、また一部には必然的な下位区分を正しく規定できるのである。」
    問題は「その完全性ihrer Vollständigkeit」がいったい何の完全性なのかということだ。ここでカントは哲学の区分について語っている。ギリシア哲学は三つの学問に区分されており、この区分は事の本性に相応しいので、改善すべきことは何もない。できることはせいぜいその区分の原理を加えることだけであり、原理を加えることによって区分は完全になる、と主張している。そうだとすれば、「その完全性ihrer Vollständigkeit」は「区分の完全性」であろう。しかし中山訳は「哲学がさらに完璧になるのは確実である」と訳している。ihrer Vollständigkeitを哲学の完全性と理解したのだろう。しかし哲学の区分の原理を加えるだけで、どうして哲学が完璧になるのか理解しがたい。もちろんihrは女性名詞を指しているのだから、「哲学の完全性」と訳すことは文法上不可能ではないが、上述した文脈から判断して「区分の完全性」だろう。この解釈は岩波文庫の訳に支持される。篠田英雄氏は次のように訳している、「この原理が備われば、区分の完璧も期せられる、」と。中山訳は誤訳と看做してよいのではないだろうか。
     中山訳の誤訳には意外なメリットがあった。「翻訳は信頼できない」と学生に言うのは簡単だが、納得させるのは難しい。しかし中山訳は、わずか一ページ読むだけで、しかも、ドイツ語として読みにくい文章でもなく、カント哲学の解釈にかかわることもない極めて平易な文章に誤訳があるのだ。とはいえ、「学生を外国語の学習に導く素晴らしい教材だ」と皮肉を言って済ませるわけにもいかない。
    誤解してほしくないのだが、中山訳はよくないとか、買うなと言っているわけではない。そもそもボクもドイツ語教師である以上、カントを読みたければ、ドイツ語で読めばいいのであって、わざわざ中山訳を参照したのは、氏の翻訳を優れた訳業だと思っているからに他ならない。実際、中山訳は読みやく、それに加えて解説も分かりやすく、中山訳のメリットは大きい。問題は他の点にある。光文社古典新訳文庫は優れた翻訳にあふれている。中山氏の翻訳だけではない。ヴォルテールは魔法でもかけたかのような面白い訳だった。しかし光文社は中山氏に依存しすぎではないだろうか、中山氏はカントの他にルソーやフロイトまで翻訳している。これほど多くの仕事を抱えては、一つの翻訳に時間をかけられないだろう。既存の訳を参照する時間もなかったのではないか。出版事業が、単なる営利事業ではなく、文化事業でもあるとすれば、一つ一つの出版物には時間をかけるべきであろう。読者の側も翻訳を鵜呑みにするのではなく、ときには原テクストに立ち返って、翻訳も解釈の一つとして批判的に読むべきだろう。
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