第2話 オルテンシアセット
オルテンシアセット。
ここいらでは一、二を争う巨大企業である「OST」が支配し、運営・管理する企業都市の一つである。
都市の中にあるすべての会社組織は、一部の外部提携企業以外は全てOST傘下企業であり、市民はオルテンシア・システムズ・テクノロジー・コーポレーション——すなわち、OST社に貢献することが求められる。
貢献度が低い者は壁にほど近い危険な貧民区へ追いやられ、最終的には追い立てられ、外に放り出される。
無論、外の世界がいかに危険かは——実際に、そこを知らねば理解のしようもないが、かつての文明を終わらせた怪物たる「ゼノシス」がひしめき、そして、そいつらは感染性の生物であることを説明すれば、イメージはできるだろう。
ただ触れただけでは感染しない。接触、空気感染、血液媒介による感染もしないし、飛沫感染もしないことはわかっている。
しかし、病原嚢から病原体——病根を直接送り込まれれば最後。ゼノシス化が始まり、だいたい三日から十日で、完全に奴らの仲間入りだ。
二十四時間以内にその病根を取り除けば、最悪機械化手術が間に合う。ただし、脳までやられていたらアウト。
そういう意味では俺は運が良かった。病根が根を張った左腕を切断するという英断を下せる仲間がいなければ、俺はきっと機械化も間に合わなかっただろう。
俺は二年前までは人間だった。亜種人外ではない。ひたすらに純粋な人間だった。市民籍はオルテンシア。血筋は、伝聞系だが母はノルウェー人の末裔で、父が日系人らしい。どちらも、俺に至るまでに多くの血が入っていて、もはや滅んだ国の、どこの血を引いているかなど、どうでも良かった。
人間であった俺は都市に貢献するため、手っ取り早く稼げるアートという傭兵稼業に手を出した。幸い、ルーキーと言われる一年は、無事、生き延びた。この一年の年間生存率はおよそ六割。百人の新人アートがいれば、うち四〇人近くが死ぬ計算になる。
死線を潜り抜けた、という思い上がりが、俺を慢心させたのかもしれない。
巨大なハエのような、いや、おそらく生前は女性のヒトであっただろう、ハエ女のゼノシスが木陰で呑気にタバコを吸っていた俺に接近していて、ふと気づいた瞬間、病原管を左の前腕に突き立てていた。
俺が咄嗟に片手で突撃銃をハエの胸に撃ち込んだ。乳房が弾け、脂肪と血が飛び散り、悲鳴が上がった。
左腕が脈打つような激痛を発し、俺はのたうち回り、その隙に二人の仲間が応戦した。一人は大火力のフルオートショットガンをぶっ放してハエ女を粉砕、討伐し、もう一人が「すまん!」と声を絞り出して、山刀を振り下ろして俺の左腕を、肩から落とした。
それからは、地獄。あるいは——あれこそ黄泉路というべきかもしれない。仲間の声が亡者のうめきのように聞こえていた。もしくはそれは、頭蓋をふるわす自分の呻き声だったのかもしれない。
応急処置を行い、緊急用の生体ナノエイドを投与し、そうして俺は、腕のいい闇医者にかかった。真っ当な病院に行けば、俺たちの稼ぎでは末代までの借金になるからだ。まあ、実際のところはゼノシスに病根を植え付けられたといえば、即時射殺だろうが。
闇医者——あの、死神女のジュラは「こいつに聞いてみようか」と言ったらしい。
そうして俺は、命以外の全てを差し出し、ジュラの機械化手術を受けたというわけだ。
二年間暮らしてきた外周地区のラボが、黒煙を上げる。
そこには、焼き尽くしてぐずぐずになった粗悪なホムンクルスと、メンテナンス中に暴走して爆散した予備義体——の残骸が飛び散っているだろう。ホムンクルスにはジュラの歯形がそっくりそのままトレースされ、培養した血液が充填されている。
俺たちはOST中央管理局に対して死を偽装し、地下に潜る。
もともと俺の義体は個人製作・所有のもので、企業軍によるタグ管理はされていない。こういった違法スレスレのグレーサイボーグなんぞ珍しくもなく、OSTの警備局もいちいち取り締まったりしていない。
「名残惜しいな」
「死神にもそういう情緒があるんだな」
「ふ……死神だからこそ、さ」
ジュラと俺は現在、地下に続く通路を歩いている。
一旦、壁の外に出る必要があり、俺はジュラの護衛のため細心の注意を払った。途中遭遇した小型のネズミ型ゼノシスを三体射殺し、進むと、城跡が見られた。
そこは外部防衛拠点の一つであり、すでに打ち捨てられているが、現在は「下層区」の住民の「門」として機能していた。
通行料は決して、安くはなかった。だが、それを払う蓄えを二年間していたのだ。ジュラはおそらく、その前から闇医者として溜め込んでいた多くの資産を、何らかの形で下層へ持ち込んでいるのだろう。
地下へは専用のリフトで降りていく。
「下層区域って、地下何メーターくらいあるんだ」
「地熱発電プラントを保有している下層区域は、その最低層が地下五〇〇〇メートル。一般的な居住区域は地下二、三〇〇メートルってところかな。俗にいう最下層があるのは、地下六〇〇メートル地点だね」
「最下層なのに中間なんだな」
「中央も地熱発電をされてることなんて知らない。奴らにとって下層は目の上のたんこぶだが、逆に、こうしたアンダーグラウンドのおかげで、地上はまだ何とか治安を保っていられるんだ」
要するに、犯罪の温床——その受け皿であり肥溜めが、下層区域というわけだ。
「……あんたが強化人間じゃなきゃ、きっと地下入りして翌朝には、裏路地で孕まされてるんだろうな」
「こんな体なんぞに、まだ使い道があるかね」
ジュラは昏く嗤った。
外見は二十代半ば。だが、実年齢はすでに七十代。彼女は独自に開発した強化細胞を埋め込み、己を改造している。さながらペッテンコーファーのように。
おかげで彼女は不老になった。細胞分裂の回数を決定するテロメアという組織を再生する酵素を生成できるようになり、彼女の老いは永久に凍りついていた。
とはいえ、不死ではない。胸や頭が吹き飛べば死ぬ。
「あんたの技術を売れば、今頃本当に女帝様だぜ」
「いいのか、企業の役員は一生腐ったミカンで固定されることを意味する。変革を望むなら、奴らに与えるものは選んだ方がいい」
リフトが停止。出迎えは銃を抱え、俺たちに近づいてきた。
「ジュラ、そしてハウンドだな。約束のものを渡してもらおうか」
ジュラが無言で、腰からハンドガンケースのような、ジュラルミンのケースを取り出し、渡した。
「パスコードは先方が知っている。君たちには「知る権利」はない」
「そんなこと知っている。我々だって命が惜しいんだ。行け」
「指定の場所の人払いは」
「済んでいる。とはいえここは肥溜めだ。ルールなんてのは機能しない。……「掟」はあってもな」
ジュラは何も言わず、歩き出した。俺はその隣を進む。
まさか、戦闘用の強化——否、違法改造サイボーグが実質素通りである。おまけに軍隊でも精鋭部隊の士官クラスしか持たないような特別な兵装を所持してなお(これに関しては言わなきゃわからないのだが)、だ。
こんなに平然と通れるとは夢にも思わなかった。
あなどられてるわけではないんだろうな。……俺程度、カタログスペックがいかにあろうと、相応の信念なしには生き抜けないということか。
巨大な、何か大きな機材を運び込むゲートの脇にある通用口から入る。その通用口とて、軍用車両が二車線で通れそうなくらいに大きい。
ゲート脇に停まるジープをジュラが拝借してきた。勝手に乗っているが、誰も何も言わない。そういう取り決めなのだろうか。
「バイオレンス、ドラッグ、セックス、なんでもありの理想郷。企業が支配する貢献制管理社会……まさしく、ディストピアの対となる世界さ。皮肉だな、犯罪者が集う肥溜めが、一番自由で平和とは」
「死神様もご満悦ってか」
「少なくとも上よりは居心地がいいだろうな。闇医者の需要も高いだろう。ハウンド、私だって向上心はある。こう見えて、なかなかに戦えるようになったぞ」
「そうかい。でも、護衛として雇ってもらわないとな、俺は。この体の費用を払わないことには自由になれんし、そもそもそれがなくたって俺にはあんたとつるむ理由がある。互いにな」
ジープが上へ開いたゲートを潜り、通路をひた走った。
等間隔に並ぶライトが、パルスガンのように閃いて、通り過ぎていく。
「企業の悪政支配を終わらせ、変革する」
俺は言った。
この腐った、企業制度を終わらせる。そのためには、有数の企業都市であるオルテンシアで「変革」をもたらすのが一番だった。
「アナーキズム、かい? 無政府主義だと」
「いいや。俺はそこまで思想的じゃないし、民主主義が失敗に終わることも、歴史を学んで知っている」
「独裁政治! 素晴らしいね。神代より続く、確かな政治体系だ。シンプル、故に、絶対だ」
「強い奴が上に立つ。俺が望む世界だ……すくなくとも、地球はそう望み、結果、やつらが蔓延った」
俺のやろうとしていることは、大いに間違っていると指摘するものは多いだろうが、果たしてそうだろうか?
外に一歩出れば、あとは力が全て。俺たちは今、強くなることを求められている。
俺は弱かった。だからあまりにも多くを失い、苦痛を味わい、枯れるほどに泣いた。そしてその、多くの同胞の血が沁みた大地を這いずり、骸を喰らってなお生き延びた俺は、こうして力を得て生き延びた。
この命が、答えだ。真理だ。脈打つ鼓動が、俺の進むべき道を示している。
「小賢いうらなりの青瓢箪よりは、お前のように振り切った馬鹿の方が好きだよ。どうせ生きるなら楽しい方がいいしね」
「最高の景色を見せてやるさ」
俺はそう言って、笑った。
——ともあれまずはこの、すでににおってきているなんとも言い難い下層の臭気に慣れる必要がある。