第1話 アウトサイダーアート
まぶたの裏に景色が浮かんでくることが、昔から、たまにあった。
眼球を覆う薄い皮膜越しに山が見えるとか、海が見えるとかではない。強烈な日光が透かして現実のそれをうっすらと見せるとか、その実本当はまぶたを薄く開いているだけだったとかそういう話でもない。
それはときに光溢れる地底の世界であったり、砂岩が一面に広がり砂の上をゆく船が往来する土地であったり、一面の雪景色であったり――星の海であったり。
俺が見たことのない、まるで知らない世界がそこに広がっていて、まるでそこへくるように呼ばれているような、そんな感覚にさせられた。
それを人に話すと「寝ぼけているのか?」とか「いつまでも夢みてえなこと言ってんじゃねえ」とか「お前に本は書けんだろう」とか、まあ、中には好意的な人物もいて、「学者を目指すには色々見ておけ。まぶた越しにでなく、肉眼で」とか、やっぱりどこか小馬鹿にした様子で言われた。
それを別段、俺は悪い気持ちで受け取ることはなかった。それが妙なことだということは薄々感じていて、そして、言うべきことではないんだろうと、十歳に近づいたあたりから思うようになり、次第に誰かにそれを喋ることはしなくなっていた。
今日久しぶりに、俺はまぶたの裏に景色を見た。
それは、……よくわからないものだった。
夜空を泳ぐようにして浮かぶ、星。紫色の小さなそれは、明滅を鼓動のように繰り返し、なにかただならぬ熱を発していた。
俺はそれを掴もうとした。なぜだろう。それに触れれば、ここ数年感じている漠然とした不安を照らし、道標を、軌跡のようなそれを知ることができるのではないかと思ったのかもしれない。
いや、やはり、それは夢だった。景色ではない。
二年前の夢が甦る。
あの時俺はARTとして駆け出しで、「ゼノシス」に遅れをとった。
幸い、ゼノシス病原体は送り込まれた量はわずかで、病根は植え付けられなかったが、ウィルス管を刺された左腕は肩から仲間に切断され、それ以上の侵食を防いでもらった。
そしてどうにかして引きずられ、彼の知り合いだという医者のラボに運び込まれた。
その段階で、俺は三回も心肺停止していた。
夢の中で目が覚めると、全身を凄まじい激痛が苛んだ。夢の中にも痛覚はあるのかと思った。それとも生身の脳をホロスキャンして構築した、ホロブレイン故の機能だろうか。
体が動かない。いや、動かないというよりは、もう手足が——。
「君に選択肢をやろう」
女がそこにいた。白衣を着てマスクをし、無機質で虚無的な目でこちらを見下ろしている。医者のコスプレをした死神と言われれば鵜呑みにして信じてしまいそうな女だった。
「死にたくなければこちらの紙を、死んで終わりたければ君から見て左のこの紙を見ろ。生きたい場合君には全てを私に差し出してもらう同意書を書き、君の血を塗って証明とする。逆に、こっちは死亡診断書だ。君のバイタル停止を確認したのち、私はここに一筆添えてやる」
俺はなぜそこで右を見たのかわからなかった。でも、湧き上がってくる俺の意志は、死にたくないと連呼していて、こんなところで終わってたまるかと怒鳴り散らしていた。
「いい子だ」
医者はそう笑って、意識を失いかける俺のそばであくせく動き出すのだった。
「これより実験型次世代サイボーグ化手術の術式を開始する。安心しろ、私は闇医者としては腕がある方だ」
マスク越しにでも、女がニヤリと笑ったのがわかった。
×
「くそっ、黒き女帝の猟犬だ!」
「ハウンドってやつか!? 畜生、構うなっ、殺せ! 女帝の犬殺ったとなればみんな俺らにひれ伏すぜ!」
「拳銃なんか効かねえ、ランチャーガン用意しろ! パワードアーマー連れてこい!」
俺がサイボーグになって二年後——西暦二二六七年、五月九日。満月の夜。
かつての名を捨て、ハウンド・ゼロと名乗るようになった俺は、ブラック・ハンドラーの名でも知られるあの闇医者・ジュラと共にアートの仕事を再開した。
いや、芸術ではない。俺は画家ではないし、音楽家でも彫刻家でもない。そうではなくて、突撃兼探索傭兵、その頭文字をとってARTだ。
攻め込んだのは外周区の寂れた廃墟ビル。今日の仕事はそこを根城にするギャングの掃討だ。連中の中にはかつての俺のような純粋な人間もいれば、そうではない亜種族人外人類もいた。
どうやら最近コーパルのルートを確立したとかで勢いづいているらしく、依頼主であるOST傘下企業の下請だという、個人依頼主はそのルートを奪い、個人的に一儲けしようという魂胆らしい。
結果的にそちらが制裁されるのでは? と俺もジュラも思ったが黙っておいて、その仕事を受けた。
企業や組合に属さないアウトサイダーアートである俺たちにとっては個人依頼主だろうが企業の依頼だろうが、選り好みしている場合ではなかった。
ビルは全部で四階建て。二階で、俺は猛攻にあっていた。
奥からハンドランチャーガンを持ってきた、パワードアーマーを着込んだ女がやってきて、こちらに狙いをつける。
舌打ちし、右の柱の影に飛んだ。銃声、銃声。超音速の高速ライフル弾が体のアダマン装甲を掠め、火花を散らす。
直後、一〇〇ミリの榴弾が炸裂した。ビルが崩れるんじゃないかというほどの激震が走り、事実二階の俺がいた床は崩落。
「ジャンキーは生き埋めもお構いなしか」
こいつらがアッパー系——カチノンを豊富に含んだコーパルツリーの一種である、バイパーという木の葉を乾燥させた、バイパーリーフというものを向精神薬に使っていることは知っている。
多幸感と興奮をもたらし、ついでに気まぐれと覚醒作用を与える。
依存すれば最終的には廃人になるとされ、本来は緊急時の痛み止めのようなものとして使う薬品の材料だった。
俺はジュラが開発した(正確には魔改造した)元は型落ちである多機能個人兵装『ルー=ガルー』を突撃銃モードで起動、「コーパル」マガジンの残量は充分、俺は引き金を引く。
充填されているのは、二二六七年現在の地球では一般的に用いられているエネルギー樹脂である「コーパル」であり、それがコーパル・パルスエナジー弾となって放たれた。
青緑色をしたパルス弾は敵の一人、その右肩を穿ち後ろに倒す。すかさず殺到した二発が喉と左胸を吹っ飛ばし、すぐに狙いを変えその右の五十過ぎの男の頭部を撃ち抜き、反撃の銃弾を柱に隠れ、回避。
いくらサイボーグである俺とはいえ、無敵ではない。十字砲火に身を晒せば装甲は削られ、ボディ損傷が過ぎれば機能に多くの不作動が見られ、そのままなぶられるように殺される。
無論必要なら多少の被弾くらい無視するが、不要なダメージは避けたい。修理費だってタダではないのだ。
パワードアーマーを着込んだ女が、ハンドランチャーに再装填していた。
本当にビルが崩れるんじゃないか? 俺は流石に生き埋めはゴメンだった。俺は機械の体ゆえ瓦礫に潰されたくらいでは死なないし、この体の馬力で無事瓦礫の山から出られても、コーパルルートを知るこいつらのボスが死んでしまったんじゃあ意味がない。
俺はすかさず陰から飛び出し、銃撃。パワードアーマーの脚部、その油圧シリンダーを射撃した。
パルス弾がシリンダーを破壊し、直後、油圧オイルがこぼれた。姿勢安定性能が狂ったアーマーがあらぬ方向に倒れ、ハンドランチャーが暴発気味に打ち出された。天井に衝突した榴弾は、上階の床に大穴を開けて激しく塵ぼこりを降らせてくる。
一人、ヒートナイフを握る男が飛び出してきたが、落下してきた天井に潰され、圧死した。血が、そしてナイフを握る右手が転がってきた。
激しすぎる戦闘の末の沈黙。俺はライフルモードのルー=ガルーを構えて、どうにかパワードアーマーを脱いだ女と対峙した。
ド派手なパンクロッカーのようなメイクの女で、髪は緑色。俺は銃を向け、「おかしな真似をすれば射殺する」と嘘を言った。俺はいずれにしても殺す気だった。
「何が目的だ」
「お前らがつかんだコーパルルートを答えろ。どこで知った、そんなこと」
「言えるわけねえだろカス。そういや、最近のサイボーグはアソコがしっかり機能するんだって? あんたの女になるから、ここは手打ちと——」
「ありがとう、よくわかった」
撃つ。パルス弾が女の頭部を、鼻から上を粉砕し、脳を飛散させられた体が千鳥足でふらついた後数歩たたらを踏んで、後ろに倒れた。
糞尿を漏らす音と、においが立ち込める。
俺はコーパル残量が充分なことを確認し、上の階へ進んで行った。
今の時代、余計な情けは禍根を生む。
命の値段は、資産価値とイコールだ。企業が力を持つ現代、稼ぎのない貧民の命の値打ちは限りなく低い。企業に貢献できるものが壁のある企業都市で暮らせる世界。外には、異形と、かつてヒトとして生きてきた化け物——ゼノシスたちがひしめいている。
三階に上がると、そこはもぬけの殻だった。兵隊のほぼ全員が二階で防衛線を敷いたのだろう。戦力の逐次投入という愚策は演じなかったようだが、無意味だったなと、俺は肩透かしを食った気分で一応周囲をスキャン。
熱源と音源を探り、ここに生体反応がないことを確認。四階に二人分の反応。体温と、鼓動らしき音源。
その足で四階に上がった。反応があった奥の部屋に進むと、そこにひと組の男女がいた。
ギャングのボスとその愛人か。いずれもスーツ姿で、負けを悟ったように、武器も一切持たず、両手を上げて降伏の姿勢を取っていた。
「なぜ俺が来たかわかるな」
「コーパル流通ルートだな。いいだろう、俺たちを殺したことにしてくれるのなら教えてやらんでもない」
「なるほど、取引だな。……レートは、成立してる」
「その前に一つ。お前の依頼主は想像以上に黒いぞ」
「いつものことだ。で、ルートってのは」
俺は結論を急いだ。四方山話をしに来たんじゃない。
ボスは愛人を抱き寄せ、「酒を用意してくれ。それから車を回すように」と命じ、俺に視線を向け直す。
「このオルテンシアセットの下層区画のさらに下を知っているか?」
「貧民や不法入居者が集う下層、そのさらに下となると最下層か? 海に通じる下水だろ、あそこは。いざってとき都市を捨てるとなれば、脱出路にもなるリニアがあるって聞いたことがある」
「リニア? 眉唾だろう。……まあいい、その最下層のとある区画に、外に通じる穴が空いた。地上のコーパルツリーの根が壁を破ったんだ」
「なるほど、その根の一部からコーパルを採取してるんだな」
「その通り。とはいえ、最下層はゼノシスが侵入してくることさえある危険地帯で、企業軍がうろついていることもある。この仕事は命懸けな上、企業に知られればたちまち根を接収されてしまう。くれぐれも俺が漏らしたと言わないように」
俺ははっきりと頷いた。
取引内容としては十分成立する情報であり、裏切るような不義理を働く道理は、現状はない。無論これが俺たちを嵌めるための罠であれば、俺はこの男を探し出して干し首にし、その目の前で愛人の肝を生きたまま引き抜いてやるところだが。
「取引は成立か?」
「ああ。あんたたちからは手を引く。殺したことにして報告する。だが、あんたらものこのこ街中を歩くんじゃないぞ。バレたら、それこそそっちのおしまいだ」
「わかっている。我々にも一応、外に拠点がある。では、さらばだ」
男はそう言って酒瓶を手に、女と共に窓から梯子をおろし、降りていった。
と、そのときゴゴゴッとビル全体が揺れ始めた。
「くそ、あの女暴れすぎだ」
榴弾二発の直撃で老朽化していたビルは限界を迎えていた。
俺は男が開けた窓に突っ込み、飛び降りる。地上十メートル以上、俺は宙に身を踊らせ、地面に三点着地。右手のルー=ガルーを周囲に向け、それから崩落を始めたビルから転がって遠ざかる。
肩を窄めるようにして崩落したビルが、粉塵とセメントダストをもうもうと巻き上げて、瓦礫の山になった。
あたりを見るが、あの男女はもういない。
俺はライフルモードのルー=ガルーを背中のハードポイントに固定し、ボディに内蔵されている無線でジュラに連絡する。
「聞いてたか?」
「ああ。興味深い内容だった。だが深追いはせんほうがいいな。この情報は破棄だ。むしろ、都市まで根を伸ばすほどの樹自体を見つけたほうが効率はいいだろう」
「わかってる。じゃあ、次は外の依頼か?」
「ああ。それからそろそろここを引き払う時だろう。お前のおかげで十分稼いだ。密林を探す上で必要な資金と人脈は十分集まったよ。危険だが、中央の目を逃れるべく拠点を「下」へ移すべきだろう。すでに、土地は押さえた」
俺は目を細めた。
「コーパルツリーの密林……この世界でズグラを見つければ、底辺から脱せられる。ゼノシスの脅威も、最低な治安環境からも抜けられる……」
「君の目的にも近づく」
小さく息を漏らし、答えた。
「すぐに戻る」
「そうしてくれ」
ジュラはそう言って、通信を切った。