セントラルキッチン、外食発展の契機(古今東西万博考)
1970年・大阪
1970年の大阪万博で来場者の人気を集めたレストランが米国ゾーンにあった。ロイヤル(現ロイヤルホールディングス)が運営した「ロイヤル・アメリカン・キャフェテリア」だ。
日本では当時珍しいカフェテリア方式を導入。客が料理を選んでレジで会計し、席まで運んだ。314の客席は来場者で終日にぎわい、5台のレジには会計を待つ長い行列ができた。アルバイトとして働いていた冨永真理取締役は「国内外から来場した多くの人が楽しそうに食事をする光景は、当時の日本では珍しく、今でも目に焼き付いている」と振り返る。
万博での成功を支えた要因の一つが69年に福岡県に建設したセントラルキッチンだ。米国の最新型を見習い、ドレッシングやハンバーグなどの加工食品を調理。会期中は福岡から専用トラックで約600キロメートル離れた大阪府まで食材を輸送し、1日に最大5千食規模の大量提供を可能にした。
大阪万博以降、ファミレスやファストフード店の出店が相次ぎ、日本の外食産業は幕開けを迎えた。「非日常のイベント」だった外食が普段の生活に溶け込むようになった。セントラルキッチン方式は1カ所で集中的に調理して、複数の店舗で均一の味を提供することができる。外食大手がチェーン展開する際の設備投資の手段となった。
大阪万博から50年たった今、新型コロナウイルスの感染拡大で外食企業は営業形態や料理の提供方法を見直している。2025年の国際博覧会(大阪・関西万博)でも新たな外食スタイルが現れそうだ。
(丸山景子)
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