【緊急事態の虎】1996年 最下位低迷、藤田平政権の悲劇…なんと暴走虎ファン新幹線乱入!

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1996年6月2日、ヤクルトに3連敗し、帰りの東京駅でエキサイトしたファンに詰め寄られる藤田監督。このまま新幹線内で虎党との車中会談となった

 球団の管理体制がしっかり整った今では絶対に起きないであろう「緊急事態」が起きたのは1996年6月のことだった。題して「暴走虎ファン新幹線乱入事件」。藤田平監督時代は本当にいろいろありました。

 今思えば、なぜ、あれほど無防備、無警戒だったのか? 現在なら、監督はもちろん選手も関係者も、ホテルからバスやタクシーに乗り込んで、ファンと接する機会を極力を避ける。コロナ騒動で頻繁に登場する「濃厚接触者」は皆無に近い。

 あれは千葉(現ZOZO)マリンスタジアムでヤクルトに3連敗した日の帰路だった。球場そばのホテルを出た藤田監督とフロントらは、タクシーで最寄りの海浜幕張駅へ。JR京葉線で東京駅に向かう。

 が、駅には家路に就くものすごい数の阪神ファンが。しかも、連日のようにふがいない虎を見せつけられて、いらだちはMAX。このカードが始まる前の時点で通算15勝29敗。最下位。カード勝ち越しはわずかに3度。じり貧で借金が増え続けていた。

 ホームに立つ敗軍の将に当然のようにヤジを飛ばしてきた。車内であーだこーだと文句をいう輩も。でも、指揮官はグッと我慢。東京駅に到着し、京葉線ホームからの長い移動通路を歩いて新幹線に乗り込む。

 ところが、その車内にまで付いてきた暴走ファンが数人いた。何を血迷ったか、グリーン車内に乱入して監督に迫った。球団史に残る緊急事態だったかもしれない。もちろん同行のコーチ、広報担当が怒る。制止する。

 すると、監督は静かに指示を出した。「代表者を個室に呼んでくれ」と。当時の新幹線には数人が入れる個室車両が存在していた。その一室で暴徒に説明した。「今は確かに勝てていない。でも、自分も選手も一生懸命に戦っている。もう少し時間をかけて、見守ってほしい」。やがて、暴徒たちは勝ち誇ったかのように個室を出て、姿を消した。

 当時の一部ファンの暴走はすさまじかった。千葉へ行く直前の甲子園では応援団がボイコットを実行。鳴り物が消えた。楽しみに来たファンに「応援するな」と威圧。取材に行くと「ブン屋はうせろ」と恫喝(どうかつ)してきた。

 千葉では連夜、選手宿舎に大挙押し寄せ、フロントがファンで埋め尽くされた。食事に出かける選手に「なんで勝たないんだ」と詰め寄るシーンも。何もかもが異常な日々だった。

 この新幹線乱入事件には後日談ならぬ翌日談がある。報道を見て激怒した人物が、当時中日ドラゴンズ監督だった星野仙一だ。怒りの矛先は球団フロントだった。

 「球団の人間は一緒にいて、何をしてるんだ。なんでタイラ(藤田監督)に対応させた。フロントの仕事だろう!」

 まさに正論だ。冒頭に書いたように、今なら起こることはないであろう事件。この緊急事態は今に生きている、と言えるのかもしれない。

★ノムさんが挑発できない弱さ

 ファンの暴走にはあきれ返るばかりだが、この年の阪神の成績も目を覆いたくなる。事件はヤクルト3連敗後に起きたが、この年の対ヤクルトは悲惨。4月17日のシーズン2試合目に1-0で勝って以降、なんと負けに負けて15連敗。2勝目は8月1日だった。相手を挑発することで有名だったヤクルト・野村克也監督(当時)ですら「阪神のことは何も言わん」。挑発する必要すらないという姿勢だった。

★1996年6月当時の阪神

 新幹線乱入事件が起きたのは6月2日、デーゲーム終了後のことだった。この3連戦は5月31日が2-11、6月1日が0-9、2日も4-6で3連敗。その直前、5月28-30日の横浜戦(甲子園)で、このシーズン3度目のカード勝ち越し(2勝1敗)を決めていたが、いいムードをぶち壊してしまった。ちなみに4月は7勝14敗、5月は8勝16敗だった。

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