NHKアカデミア

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NHKアカデミア 第40回 <小説家 吉本ばななさん>②

<小説から生まれる“生きる知恵”>

ニュースとか番組とか、全体的に何かを見ていると、何かって何ですかね・・・この世の中、電車に乗っていたりとか、最近こういう人が多いなとか。そうすると、だんだんだんだんテーマが自分に勝手に磁石みたいに寄ってきて、それで「あ、次はこういう話なんだ」と思って、考え始める。「さあ、テーマよ来い」って言っていたら、全然来ないです。ぼやっとしていると、だんだんだんだん寄ってくる。

例えば、「下町サイキック」(特殊能力をもつ少女が下町を舞台に成長していく物語)だったら、「最近なんか世の中がうまくいっていないのは何でかな?」みたいな感じのことをぼやっと思っていたら、いろんな事例が集まってきて、「あ、これがないからだ。下町にはあったんだ」みたいな感じで。あと最近、発達障害という言葉をやたらと聞くけれども、本当に障害なのかなとか。そういうことを思っているうちに、実際に話を見たり聞いたりする率がすごく高くなっていって、そしてだんだん結論が出る。

小説を書くことにあたっては、本当に長い時間考えるんですね。突き詰め過ぎてどうにかなっちゃうんじゃないかぐらいまで考えるので、そこには哲学とかはなくて、小説があるだけなんです。もう、あらゆる勘とかを総動員して、あらゆる知識も総動員して、小説に関しては一応、答えを出しているっていう捉え方を自分はしているんですけれども、問題は、そうすると何だろう・・・分かった、豆腐!豆腐を作ったらおからができるみたいな感じで、副産物っていうのかな、そういうのが出てくるんですよ。必ず出てくるんですよ。そういうことが生きる知恵の部分だと思っています。だから、散りばめてやるぞと思っているわけではなく、豆腐を作ったらおからができたから、おから入りをつけて売ろうみたいな、副産物だから控えめに提供しようかなという感じです。

<吉本流 幸せの見つけ方>

吉本のエッセーには独自の“生きるヒント”が記されてきた。昨年出版したエッセーのテーマは、幸せの見つけ方。

そういう自分のことを自覚して、もう一度、本来の生き物としてのセンサーを取り戻していくのが、生きるってことじゃないか。軸足を自分に戻すことからしか、自分の幸せは始まらないと思うのです。「幸せへのセンサー」

自分を知るというのはすごく大事で、自分らしさっていうようなものを見つけていくのが人生だとさえ思っているんですけれども、そのために大事なのは“実験”ですよね。実験を毎日していくこと。そして、結果を反映させること。それをコツコツやっていくしかないんです。自分らしさというのは、まず半分は人が教えてくれますよね。何かを着たりすると、「それ、あなたらしくない」とか言われたり、「すごくあなたらしい考え方だね」とか言われることがあると思うんですけれど、自分らしさというのは、半分は人が教えてくれる。そしてもっと細かいことは、自分しか分からないじゃないですか。「お風呂から出て足拭きマットがないともう本当にダメ」みたいなこととか、小さいことでいいんですけれども、「その足拭きマットは、けいそう土がいいの?それともすごくふかふかしたやつがいいの?もっとひらべったい、でもおしゃれなのがいいの?」とか。自分の快不快というのは自分しか分からないから、他人が言ってくる自分らしさと自分の自分らしさをミックスしたものが自分なんじゃないかなと思うと、どんどん自分の向き不向きを突き詰めていけるように思うんですね。それが幸せ。幸せというよりは、私の言っているのは快不快の快かもしれないですけれども、それに近づく道なのかなと思います。ですからそのためには、めちゃくちゃふだん着ない感じの服とかを着てみて、人の反響を見るとか、そういうのも実験ですよね、生活の中の。「あなたらしくないよ」って言われるのか、「え、意外に似合うね」か分からないじゃないですか。だから、やってみる。それが実験ですよね。「もう絶対それは着ないほうがいい」って、家族にも親戚にも友達にも言われたら、ちょっと考えますよね。「じゃあどういうのが似合うんだろう」とか言って、「これは?」「これは?」と言って見せていくと、新しい自分が見えたりするし、自分にとって、私はこの着心地も好きだし、周りから見てもOKなんだっていう結果が見えるじゃないですか。そういうことがまめにできるのが幸せになる道なのかなとは思います。

<吉本ばななのお悩み相談>

吉本さん「ええと、大阪府のはちさん。いらっしゃいますか」

はちさん「ハンドルネームはちです。思春期の頃からばななさんの小説やエッセーを読ませていただいています。ばななさんの作品には直感力の鋭い人がよく出てくるなと思います。直感を磨いたり、感覚を研ぎ澄ましたりするコツはありますでしょうか。いろんな情報があふれている中で、本物というか大事なことに気づくにはどうしたらいいんだろうなと思うようなことがあって、何かご意見いただけるといいなと思います」

吉本さん「それに関しては、1995年以降、インターネットが普及してから、私も常に考えている問題です。結局、『直感を磨くというより違和感に気付く』ほうが、方法としてはいいと思います。つまり、ちょっとネットとかを開けば、テレビを見てもそうですけれども、温めろとか冷やせとか、全然逆の・・・納豆食べろとか食べるなとか、真逆の意見をいくらでも探せる世の中になっちゃったので、やってられないなと思って己に帰りたいわけだけれども、もう帰る場所が分からないみたいな状態ですよね。きっと、みんな。だから、やっぱり違和感に気付くことですよね。話している人のあり方とか。例えば、言っていることと書いていること、やっていることが全部違うとか、それは違和感としてしか見えないはずなので、違和感に気が付くことですね。

特定のものを言っているわけではなくて、例えば、足にいい靴を履いてみなさいと言われて、もうめちゃくちゃ1時間ぐらいフィッティングして、履いて街を歩いたら、めちゃくちゃ違和感みたいな・・・そういうことってありますよね。そういうときに違和感のほうを絶対。例えば、もう3万円もかけちゃったしとか、フィッティングに1時間かかったし、絶対に元を取ってやりたいと思うんだけれど、でも足が嫌だって言っているみたいな感じのことを全部に応用すれば、すぐできるようになります。直感を強くすることが。直感がだんだん磨かれていくと、違和感にも、靴を履く前から気づくので、その靴屋の見た目とか、靴のラインナップとかデザインとかサイトとかすべてで、早めに分かるようになるので、その1時間とか3時間を無駄にしなくてすむので、お金とかも。そういうふうに思って取り組むと、どんどんどんどん磨かれていって」

はちさん「違和感に目をそらさずにということですか?」

吉本さん「時々、目をそらしたくてもそらせない会とかありますよね。もう全部違和感なんだけど、行かなくちゃみたいな。そういうときは思い切り目をそらしてもいいと思うので。ただ、違和感があるなって気付いておくこと。で、それを自分で否定しないこと。大抵、やっぱり違和感があるけどいい人だしとかなるじゃないですか。いい人ってみんな言っているしとか。体にいいっていうし、これを食べておこうかなとか。そういうときに、『あ、でも私にとって違和感があるわ』とか、『ちょっとおなかがごろっといったわ』とかいうのがあれば、どんどんどんどん磨かれていきます」

はちさん「はい、ありがとうございます」

わかちゃんさん「私と同い年の吉本ばななさんなんですけれども、還暦を迎えまして、この先の人生をどのように生きていこう、どう生きたいかということもあわせてお伺いできますでしょうか」

吉本さん「私は基本的にやっぱりあまり表にも出ないで、引きこもって、好きなことを家の中でちまちまやりたいなと思っていて、それは多分実現できると思うんですね。あとはやっぱり若い人になるべく譲っていきたいなと思っていて、私の場合ですけれども、文芸誌に私が載ったら、その分若い人の場所がなくなるわけで、なるべく譲ってあげたいなというふうに、素直に思うようになりました。だから、こんな世の中はダメだとかっていうよりも、もうただ譲っていきたいと思っています。

そして、それとは別の側面で、私がよく行く台湾料理屋さんがあるんですけれども、そこに初めて行った時に、すでにそこのお父さんが90歳ぐらいで、料理する娘さんがすでに70歳ぐらいの感じで、『すごっ』と思って、『皆さんすごいですね』みたいなことを言っていたら、『いや、父がこの店を始めようと思ったのが70歳の時なのよ』とか言って。それで、『へぇ!』と思って・・・。『だから私も急に料理を始めたんだけど、なんかうまくいっているのよ』って言うんですよ。譲るとか引きこもるとか言っていても、いざ何かが起きたら、それで立ち上がれる状態を作っていたいなと思っています。その両方を兼ね備えていると、あまり世の中についていけないとか悲しいとかいう気持ちになりにくいのかなと思います。あと、何かやらなきゃとも思わないですむのかなって」

わかちゃんさん「両方バランスよく持っていたいですね」

吉本さん「はい。そのバランスを間違えちゃうと、年をとると苦しいとかになっちゃうし、街に行っても行き場がないとかなっちゃうから、そうじゃなくて、隙間、隙間で力を出していくイメージというか、そう思っています」

わかちゃんさん「ありがとうございます」

吉本さん「ありがとうございました。お互いに元気で70代を迎えましょう」

わかちゃんさん「がんばりましょう」

ともたけさん「私はちょうど、吉本ばななさんと同じ時期に子育てをしていました。今もしているんですけれども、23歳と21歳の子どもがいるんです。ちょうど子離れの時期にあるんですね。ただ私は一緒に暮らしています。二人とも一緒に暮らしていて、一緒に暮らしているとつい過干渉になってしまって、家の中が険悪なムードになりがちなんです。今ちょうどそういう時期で、お子さんと接するにあたって心がけていらっしゃること、また子離れをどのように乗り越えられようとしているのかを聞かせていただけたらと思います」

吉本さん「まず一つに、自分と引き比べて考えてみたら、もう大人ですよね。だから、自分の若かった時と比べて考えると、もう大人だから、もう何にも言っちゃいけないんだなと。何にも言っちゃいけないのに、『こんなに重たい服を洗濯させるなんて』とか、『夜中におなかが減ったとか言わないで』と思うんだけれど、もうちょっとしか一緒に暮らせないからと思って、今めちゃめちゃ甘やかしているんです。多分、2歳ぐらいの時より甘やかしています。それがいいのか悪いのか、後にならないと分からないですけれども、私はいいのかなと思って。今しかないんだから、今しかできないことだなと思って、すごく甘やかしていますね。そうすると逆に自立心が湧いてくるのかな。ただ、人間としての尊厳に関わること、例えば『お母さん、今外は雪だけど、塩ラーメン買ってきて作って』って言われたら、『ふざけるな。塩ラーメンはお前が買ってこい。そうしたら、作ってやる』。そういうバランスが大切なんですよ。だから、何でもやってあげると言っても、例えば『この服がどうしても欲しいんだけど、ママがネットで注文して』とか言われたら、『いや、注文は自分でしなさい』。それが高い服だったら、『〇万円までなら出してあげるから』とか。相手を大人扱いしたバランスを持ちながら、自分は唯一絶対の親であるという、そのバランスです。それがとても大切だと思います」

ともたけさん「はい。分かりました。逆に甘やかすっていいなって。私もちゃんとうまく言えるか分からないんですけれども、もうちょっとちゃんと一人前にしなきゃとか、何かやってほしいという気持ちが強すぎて、無理やりいろんなことをやらせようとしたりとか、そういう場面があったなと今思って」

吉本さん「それはもう大人だから大丈夫」

ともたけさん「甘やかすっていいなと思いました。ありがとうございます」

吉本さん「うんうん。ぜひやってみてください」

Chikaさん「生きている中で本当に落ち込んだりすることがいろいろとあるかと思いますが、本当に元気がなくなる時というのは、どこかに出かけたりとか、ショッピングを楽しもうという気持ちにもなれない。元気がないとそういうところにも気持ちがなかなか向かわないと思うんですね。本当に落ち込まれた時には、どういったことで対処されているんでしょうか」

吉本さん「まず、時間と空間を変えちゃうという荒技。どんなに調子が悪くても、どこか旅行に行っちゃうみたいな。荒療治っていうんですか。それがまず一つです。でもそれは本当の荒療治で、危険な可能性もあるので。旅行先って、落ち込むのも3倍ぐらいになるので、本当に荒療治です。それは。でも、それを結構私はやりますね。いつもの時間の流れとか、いつもの空間から出てしまう。それはかなり効きましたけれども、大概の場合。できれば1個だけ目的を作っていくといいかもしれないですね。なんでもいい。釣りをするとか、誰々さんに会うとか、この個展に行くとか、このライブに行くとか。あと具体的にはですね、昔のスケジュール帳、10年前ぐらいのスケジュール帳を見てみると、もう誰もいないんですよ。そのときに毎日会っていた人が。死んだとかじゃなくて、自然に。いる人もいますよ、もちろん。全とっかえしてないから、今もいる人もいっぱいいるけれども、大概いなくなっていて・・・『そうか』と思って。あるとき『どうせなくなっちゃうんだ。今の悩み』って思ったんです。落ち込みの時って、だいたい人間関係か環境の問題なので、『10年たつと、だいたいいなくなってるんだ、放っておいても』って思ったら、結構いいと思います」

Chikaさん「ありがとうございます。落ち込むとよく本屋さんに行くんですが、2時間、3時間、気が付くと立っていて、環境をそうやって、もう物理的に変えて、おさまるまで、落ち込みがなくなるまで環境をがらっと変えてしまうというところはすごく・・・」

吉本さん「本屋さんに行く、行ってももちろんいいんですけど、私もそういうこともよくありますけれども、結局、予想がつくじゃないですか。本屋さんに行って、すごい本に巡り合って帰れれば、もうそれだけで落ち込みから脱せられるけれども、自分が夕方思っていたのと、予想通りの夜になっちゃったなっていうのが一番落ち込みを増長させるので、何か1個、意外なことが起こることを仕組んでみるといいと思います。例えば、ひとりで焼鳥屋に入るとか、絶対したくないこんなことと思うようなことでも、予想がつかないことが1個でも入ると、まず生きる本能がよみがえるし、あと違う脳を使うから急に空気が入ってくるというか・・・なので予想がつかないことを求めるっていうのが結構いいと思います」

Chikaさん「すごくよく分かりました。ありがとうございます」

かほさん「私は今20代後半なんですけれども、よく不安に思うことがあるんですね。唐突に。周りの人たちが、すごく楽しそうにしていたりとか、いろいろと成功したりする姿を見ると、私は全然できていないなとか思っちゃったりして、この先どうなるんだろうってすごく不安なんです。でもやっぱり自分がやりたいことはいろいろあって、頑張んなきゃなって思うんですけれども、他人を気にせずに自分の道だけを見つめていくためにはどうすればいいかなというのをお聞きしたいです」

吉本さん「私の場合、この世全体を一つの体というふうに思うんですね。この世の人物全体が。だから、私は脳の細胞、私は足の先の細胞みたいな感じで、私は尻みたいな。そうやっていると、『全員がいないと成り立たないんだからしょうがないよね』っていうふうにいつも思っています。もうちょっときれいに例えると、森みたいな、もう全員がいて森。微生物とか苔(こけ)とか木とか、木に住んでいる虫とか、『全部で森だからもうしかたないよね』っていうふうに思うようにしていて・・・例えば、木の上のほうが羨ましいなと思う、虫がね。そう思えば、それは違う景色が見たくなるだろうし。分かりますかね?この例え。根っこは『葉っぱが羨ましいな、光に当たっていてよう』とか思うかもしれないから。そういうことを全部含めての森だから、『もうしかたないんだな、あるのは』って。それ、自分もあるよなって思うんですね。自分がどこのポジションかちょっと分からないですけれども、そのときそれぞれで。だけど、自分もこの中の一部だし、誰かが自分を羨ましいと思っているんだろうし、もうキリがないというか。そういうふうに大きく見ちゃうと、意外に人と比べて苦しむことがなくなる。

あと不安な時っていうのは、なるべく自分から自分を離さないほうがいいんです。でも、この極意は言葉でうまく伝わらないんですけれど。私たちって今、電脳社会というか情報社会の中にいるから、自分から遠くへ気持ちを飛ばして何かを見に行けちゃうんです。そのこと自体が悪いことではなくて、家に居ながらにして南極とかをライブカメラで見られるというすごい時代だから、そういうところはいいんだけれど、そのときに気持ちを南極に持ってっちゃわないことなんです。『今、私は家に居て、南極を見ている』と言い聞かせる。ちょっと例えすぎて分かりにくいかもしれないですけれども、自分にいつも自分を寄せておいて、自分の現実にいる場所と現実の状態、例えば、これは不安、もう来月も再来月もこれがなかったらどうしようとか、仕事がなかったら・・・とか。どうしても先に飛ばしちゃうじゃないですか、自分を。そういうときに、『今は、自分は家にいる。安全だし、食べ物もある。トイレも行けるし、お風呂も入れる。すごく安全。今、現在は安全』というふうに寄せてくるの、自分に。そうすると不安はすごく減ります。そうやっていつも確認していると、自分から自分が離れて行かなくなるんですよね。そうすると、この現代のわけの分からない不安状態から結構逃れられると思います」

かほさん「ありがとうございます。そうですよね。今、現実が十分幸せなのはよく分かるので、もし飛びそうになったら、『今こういうことあるじゃん』って思い出して頑張ろうと思います」

吉本さん「あと、幸せだとまで思わなくていいんですよ。『安全だ』って思うのがいちばん大事だと思います。不安に対しては。不安の反対はやっぱり安心だと思うから。『今、私は安心だ。安全な場所にいるよな、考えてみたら』って。そこまででいいんです。そこに感謝したり幸せを求めたりしなくても、結構現実的な対処法なので、できると思います」

かほさん「ありがとうございます」

ゆみなりさん「悩みなんですけれども、大切な人を失うのが怖いなというのがあって、先ほどの不安ともちょっと重なるんですけれども、永遠とかはないというのも分かるんですけれども、みんな年老いていくし、今の時間が寂しい、これがなくなってしまったりとか思うと寂しく感じたり、立ち止まってしまいそうになるんですけれども、そんなときにどういうふうに生きていけばいいのかお聞きしたくて」

吉本さん「私もそんなに多くの経験があるわけではないんですけれども、人よりはたくさん、何かがなくなって去っていくということを見てきたと思うので、小説にも反映されていると思うんです。結構、親って決定的で、『親が死ぬんだ』というのは私の中でびっくりしたこと。やっぱり知っていてもびっくりした。私はそういうわけでは義理のお父さんもみとっているので、割と近い間に3人がバタバタと亡くなったんです。それで思ったのは、『死ぬ直前まで生きているじゃん』ということだったんですよ。結構時間があるんですよ。もうだめかもと思ってから、結構長い時間があったなって、今となっては思います。だから、『死ぬ瞬間まで生きてるんだから、まだ死んでないじゃん』って思うっていう・・・。多分、今がいちばんきついんだと思います。まだあって、ああでもなくなっちゃうんだ、そう遠くない未来にって。そのときが私もいちばん嫌でした。犬とかを飼っていても、そう思います。こんな気持ちになるなら、もう誰とも暮らしたくないと思うんだけれども、死ぬ瞬間まで結構長く生きている。もう死にそうから、あと4日も生きていたとか。意外に、その間に豊かなすてきな時間があったりして、そっとそばにいたりとか、それが私を救っている気がします。そのように思い切ってみてください」

ゆみなりさん「わかりました。ありがとうございます」