NHKアカデミア

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NHKアカデミア 第40回 <小説家 吉本ばななさん>①

吉本ばなな:小説家。大学卒業後に「キッチン」で鮮烈デビュー。1989年のベストセラーランキングで、  1位(キッチン)と2位(TUGUMI)を独占 。日本を代表するベストセラー作家。

こんばんは。小説家の吉本ばななです。

私が大学の卒業制作で、初めての小説「ムーンライト・シャドウ」を出したのが1987年だそうです。ですので、約38年間ずっと物語を書き続けてきました。エッセーや対談などを含めると、日本語だけでも120冊以上の本を出しているそうです。自分では全然、数は数えていません(笑)。ふだんはあまりテレビに出ないし、カメラに向かって話すこともないんですけれども、このような機会があって、新しい試み、皆さんと交流することができるのを楽しみにしています。

<小説家 吉本ばななが生まれるまで>

下町だったので、とにかく近所の子たちとだんごになって育ったというか、あまり自分の家と人の家の区別がないような、そんな感じでした。だから今もほとんどないような、昭和の雰囲気というか、その中に染まって育っていましたね。とにかく外でばかり遊んで、活発で、屋根に登ったり、2階からベランダ伝いに降りたりとか、木に登ったり、あとは公園で生き物をとったり、とても東京とは思えない子ども時代を過ごして、今となってはよかったと思っています。

とにかく誰かが見ている。それが心地悪い人もいるのかもしれないけれども、子どもにとってはとても安心でした。だから、出た先のお店の人、それから近所の家の人、いつもやりとりがあるその辺の人・・・みんな見ていてくれるから、「さっきあっちに行ったよ」とか、「〇〇ちゃんならどこにいるよ」とか教えてくれるので、小さい町でしたけれど、全体がひとつの家みたいな感じでした。隣の家のおばあさんとかは、はだかだったのを覚えています、上半身(笑)。「こんばんは」とか言って、普通にあいさつをしたんだけれど、よく考えてみたら、今思うとすごいなって思っています。外も家だったなって。

本は家にはいっぱいあったんですね。それで、本というものがあるなと思いながら外で遊ぶ子でした。漫画はもう2歳か3歳ぐらいから夢中で読んでいて・・・漫画も本ですが。私は片目が悪くて、その視力を出すために、いい方の目を眼帯でふさいでいたんですね。それで、見えない方の目を見えるようにする訓練をして、結局見えるようになったんですけれども。だから見える方の目を自由にしていい時は、もうずっと漫画を見ていて、それで文字をすごく早く覚えたんです。いちばん初めの「オバケのQ太郎」をむさぼるように読んで、言葉も今でもほとんど覚えているというか、記憶にあるんじゃないかなと思うんですけれど。

よるさん「小説を書き始めたきっかけをお伺いしたいです」

吉本さん「よるさん、ありがとうございます。全然覚えていないんですけれども、5歳ぐらいの時に、なぜか姉は漫画家になるぐらいだから絵がすごくうまくて、7歳離れているからうまくて当然なんですけれど、私は本気で『お姉ちゃんが絵だから、私は文章しかない』と勝手に思い込んで、その思い込みを今まで引きずっているというケースなんです。初めて書いたのは結構怖い話で、子どもたちがいて、中の誰かが失踪しちゃって、それを探しにいくみたいな話でした。それだけはうっすら覚えているんです。でも5歳だからあまり書けていなくて、誤字脱字みたいな、自分だけが分かっているという感じの書き方だったことも覚えています。一作書いて、『よし、書き終わった』。また一作書いて、『また書き終わった』というのを、二十何歳まで続けていました。こつこつと。終わらせることが大切です。書きかけが20個あるよりも、1個終わったものがある方が勉強になりました」

吉本さん「当時の私のビジュアルみたいなものを見てもらえるとすごく分かりやすいと思うんですけれども、私はとにかく大学時代に、江古田で日芸に行って、文芸学科だったんですけれども、線路沿いのカフェみたいなところに行くと、いつも新井素子さん(1977年、17歳のときに書いた小説でデビュー。以来、数多くのSF作品を発表している)がいて、何か打ち合わせをしているんですよ、編集の人と。皆さんご存じかどうか分からないですけれども、新井素子さんは見た目がすごく地味で、一瞬『女子大生かな?』っていうような見た目なんです。本当によく勉強ができる女子大生という感じの見た目なんだけれど、明らかに打ち合わせをしていて、しかも周りの誰にも気づかれていなくて。私は文芸学科だったし、私の友達たちも文芸学科だから、『新井素子がいるよ、いるよ』とか言っていたんですね。で、私は、それぐらいを目指していたわけです。それぐらいって新井素子さんに失礼ですけれども、要するに人に見つけられない、でも知る人ぞ知るみたいなのって、『なんてかっこいいんだろう』と思ってしびれていたので、新井素子さんの体制で小説家になったのに、何か大変に売れちゃって、何事が起きたんだろうと思って。これはもう新井素子さんバージョンでは到底さばききれないと思ったぐらいから、やっと自分の人生を始めたような気がします。だから、今でも新井素子さん、私にとってのヒーローというか、その姿が私の中で基本にあるような気がしますね」

1987年、「キッチン」で海燕新人文学賞受賞。愛する人を失った主人公の成長と回復の物語。

私がこの世でいちばん好きな場所は台所だと思う。どこのでも、どんなのでも、それが台所であれば食事を作る場所であれば私はつらくない。

こんなに世界がぐんと広くて、闇はこんなにも暗くて、その果てしない面白さと淋しさに私は最近初めてこの手でこの目で触れたのだ。「キッチン」

その後も 繊細な文体と独自の世界観で多くの読者を魅了してきた。

<人生の経験が作品を変えた>

これを言うと子どもがつけあがるからあまり言いたくないんだけれど、子どもが生まれて、「絶対」というものを経験したのはとても大きかったです。それまでは「絶対はない」というような価値観の中で生きてきたし書いてきたんですけれども、絶対というものを見てしまった時に、自分の中で目が覚めたというか・・・「絶対はない」なんて思っていた自分は、子どものようだったなというふうに思うようになりましたね。しかも、自分よりも一番というものを経験してしまうって、すごいことだなと思って。それまでもずっと動物を飼ってきたので、何かを育てることにはとても慣れていて、それも過信していましたね。問答無用みたいな存在が人生に出現するというのが本当に衝撃でした。

比べる、比べないに関しても、自分はあまり比べないということを自慢にしてきたはずだったのに、もうはっきりと優劣がついてしまう、その自分の小ささに衝撃を受けましたし、それを知ったことが作品の幅を広げたというふうに思っています。

親の死に関しては、死なないとは思っていなかったんですね。親は死なないというふうに思っていなくて、親の60代、70代と、だんだん弱っていくのを見て、「ああ、この人たちはいつか死んでしまうんだ」というふうに思っていたんだけれど、いざ亡くなった時に、「あ、そのときの感想をもう聞けないんだ」って思ったのがいちばんびっくりしました。今まではどんなことがあっても、例えば入院とか海で溺れるとか、そういうことがあっても、「あのときはどうだったの?」と聞けたのに、もう二度と聞けない。私がいくら想像しても「想像に過ぎないんだ。本当の声を聞けないんだ」って。それを実感したのはとても大きかったと思います。創作にとって。というのは、想像と現実の違いというのを、創作しているとつい忘れちゃうんですけれど、「これは二度と」っていうことがあるんだなって。「絶対」にすごく近い話ですけれども、それを知って、自分がどんどん小さくなっていくんですね。だからこれまでは制限もないし、絶対もない、誰も比べないし、誰の方がより好きとかもないしって思ってきて。それから、どんなことでも自分の想像の中で答えは出せるって過信していたことが、全部潰れたわけで、人としてはすごく小さい気持ちになったけれども、そのことが作品を大きくするという、そういう現象を見ました。それまでもうちょっと若者の思い上がった感性というか、自分で言っても情けないけれど(笑)、「世界は俺のもの」みたいな、そういう高ぶった気持ちみたいなものが一切なくなりました。気持ちが広がって、何でもできるみたいな感覚がなくなりました。「なんだ、弱いところあるじゃん」みたいな。私自身が変わりましたね。そうしたらおのずと作品に若干反映されちゃって。作品の規模が若干せこくなったんだけれど、その代わりに深みは出たかなって。自分で言えば言うほど情けないですけれど、そういう感じがします。

<下町の物語に込めた思い>

最新長編「下町サイキック」(2024年):東京の下町を舞台に、人と違う能力を持った少女が成長していく物語。

「友おじさん、どうして人は色とかお金とかに目がくらむの?だって、今までの暮らしが普通に幸せだったら、それ以上つけたすべきものはないはずじゃない?(略)私にもわかるようなそんな簡単なことが、大人になるとどうしてわからなくなるの?」「下町サイキック」

私が育ったような環境は、すごくよくできていたなと思っています。小さなコミュニティで人々が助け合ってお互いの様子を見て、街に変な人が入ってきたらすぐに気付いて、それから街にいる差別されるかもしれないような人が差別されないようにうまく包んでいる下町の文化というものを、ちょっと誇張してですけれども、今書き残しておかないと本当になくなっていくんだなというふうに思ったんですね。

まず、今の世の中は人と少し違っていると生きにくいとか、発達障害とか、そういうふうに言われますよね。それで、この主人公の子はちょっとした超能力みたいなものがあって、人が見えないものが見えたりするんですけれども、そういう、人とちょっと違ってしまっているということは、決して病気ではなく、そこからしか始まらないものってあるんですよ。そのことを本当はみんな知っていると思いますけれども、はみ出したものとか変わったものからしか生まれないものがあって、それを周りの人がどうやって育てていくかというようなことに焦点を当てて書いた話です。育て方によっては病気ではなくて、宝になる。そのことを下町の人たちはよく知っていたなと思います。

それから、時代が昭和と違ってだんだんならされていく。要するに、平均的になっていくことはしかたがないし、どんなことにも中途半端な解答がある時代であることも、情報が多いからしょうがないと思うんですよ。だけど、そうじゃなくて、自分たちにはもっと力があるんだって、一人ひとりの中には力が潜んでいるんだということを言いたかったです。

あるところから、もしかしてそうかもっていうふうに思うようになって・・・というのは、書き始めた頃は自分を救いたかったんですね。何かちょっと生きにくい自分自身をどうやったら救えるのだろうと思って書いていたものが多かったんですけれども、だんだんそのフィードバックが多くなってくるにつれて、ああ、これはもしかしてここを頑張った方がいいのかもなって、あくまで受け身に思っています。

もしもね、この世から消えてなくなりたいと思っている人がいたとしたら、読んでいる間に20分とか10分とかでいいから、すべてを忘れてもらいたい。私の話はそんなにすごいアップダウンがないので、ちょっとスーパー銭湯に行ったなとか、温泉に行ったなとかぐらいの気持ち。それで10分でも20分でも生きている時間を長くできたらというふうに、それはいつも願っています。

<Q&Aパート①>

吉本さん「東京都のまゆさん。質問してください」

まゆさん「文章を書く際に心がけていることはありますか」

吉本さん「えっとですね、心がけていることはすごくくだらないことなんだけれど、まずテーマから考えるんですね。『テーマが寄ってくる』と言っても過言ではないかもしれなくて、テーマをまず思い浮かべたら、とにかく最後まで、結論を出してから書くということです。書きながら考えるというのは、私はあまりできなくて、結論を出してから書いていきます。それで途中で考えたら結論が変わったとか、深まったということはあるんですけれども、基本的にはそんなに変わらず書いていけます。まずテーマありきということと、物語の結論とかテーマの答えを自分なりに持っているということを常に心がけています。『見切り発進はしない』みたいな。伝わりましたでしょうか」

まゆさん「ありがとうございます」

あんなさん「現在大学3年生で、文芸創作について学んでいます。エッセーは比較的、筆が進む方だなと思っているんですけれども、物語を書くとなると、どうしても人の目を気にしてしまったり、世間体を気にしてしまったりして、つまらない文章になりがちなんです。どうしたら物語をうまく書くことができるのかという質問をしたいなと思います」 

吉本さん「これも結構明快で、まず分量を書くことですね、エッセーの。エッセーとか日記とかの、まず分量をたくさん書く。そうすると、その中からトピックが見つかりますから、それを一人称で書いてください。三人称で書こうとするとすごく難しくなります。私は時々三人称を使いますけれども、やっぱり一人称より難しいなと感じます。もう何でもできますけどもね、ここまで年をとると。何でもできますけれど、一人称で書いているのが私の基本ですが、そのこととは別に一人称だと書けます。多分、『今も一人称で書いているけれど進まないんだよ』と思っていると思うけれど、それは架空のことを書くからだと思います。だから、例えば日記とかエッセーをめちゃくちゃ書いて、その中からここがもうちょっと濃くなるなというところを見つけ出して、そこを一人称で細かく書いてみる。『それ日記じゃん』という話になると思うんだけれど、そうではなくて文体を変えてみる、微妙に。日記だと、『朝起きて、どこどこに行った、そうしたら誰々さんがいたからこういう話をした』ってなるじゃないですか。だけど、一人称で、その中で強いことだけを濃く書くというか・・・弱いところははしょる。そのメリハリをつけると小説になりますから。勝手になりますから、それをやってみてください。多分できると思います」

あんなさん「そうですね。物語を書こうと思うと、どうしても自分から切り離してしまって」

吉本さん「そうね、すぐ異世界とか竜とか・・・そこまでいってないか、そこまでいってないね、恋愛とか出会いとか。でももうちょっと近くで練習すれば、手元のことで練習すれば、もっと大きいことがどんどん書けるようになるので。あと、得意不得意がありますから。私も時刻表ミステリーとか書けないですから、頼まれても。だから、得意不得意もだんだん分かってきます。私は恋愛を書くのがうまいかもとか、日常の小さなことの方がうまいかもとか、だんだん分かってくると思います。そうしたら、得意に特化していけばいいだけですから」

あんなさん「毎日、日記を書いて頑張ってみます。ありがとうございます」

吉本さん「頑張ってー」

ナンユエンさん「私は今、詩人として自費出版をしながら作品を作り続けております。その中でばななさんに聞きたいのが、テーマ、先程のお話に近いんですけれども、アイディアの源泉が何かというのと、書き続けている中で大切にしているルーティンはありますでしょうか」

吉本さん「創作頑張ってください。続けてください。とにかく続けることなんです。これは坂口恭平さんもよく言っているんだけれど、本になろうがなるまいが、人が読もうが読むまいが、とにかく続ける。それに尽きると思うんですね。続けるために大事なこととして、私は、本当にバカバカしいことなんだけれど、ちゃんといすから立って体を伸ばしたり、あと私の場合は、今、家族もあって家事もあってという中で、週に一回必ず何かのトリートメントを受けています。体に関する。だから、温泉とか銭湯とかに行くでもいいし、もうなんでもいいんです。マッサージに行くとか、自分に合っているトリートメントを必ず週に一回は受けること。その時間は自分への投資だと思って、そうしています。そうするとやっぱり長く続けられるし。むらがある創作というのは、やっぱりむらがあって終わっちゃうから、もうとにかくコツコツ型でいくということ。10年続けたら、必ず何かにはなりますから。あと、よしあしもだんだん分かってきますので。だから10年書くための体力を作る、その土台のために自分に投資するということですね。ちゃんと自分の体をケアする。それに尽きます」

ナンユエンさん「トリートメントという考えがなかったので、すごく新鮮でした。ありがとうございます」

吉本さん「絶対にしたほうがいいですよ。美容院でもいいんですよ。体のためにいいこと、整体とかそういうことだけじゃなくて、全部を含めて、自分をケアすること。週に一回、何かを取り入れると、体が長持ちします」

モギーさん「ライターをしています。文章の書き出しにインパクトを出したいと考えています。ばななさんは1行目を書く時にどんなことを考えていますでしょうか。そして、いい1行目を書くために、何に気を付ければいいでしょうか」

吉本さん「これは明快に答えがあって、まず全部を考えることです。最後の1行ぐらいまで自分ではっきり決めると、その全部を総括したものってタイトルかと思うけど、実は1行目なんですよね。だから、1行目を書き出せれば書けると思わないで、全部を考えるということです。さらにタイトルはそのあとに決めようぐらいで。ライターさんだったら、もうタイトルとか、ある程度傾向は決められてしまっていると思うので、その中でインパクトを出したい場合はやっぱり全体です。全体を考えてから、“つかみ”っていうんですか、漫才でいうところの。そのつかみを全部から拾い出すということです。順番に書いていったら、順番になっちゃうことの順番を変えるという意味でもあるので。あまり複雑に変えてしまうと分かりにくくなっちゃうから、もうその1行目で、『お、何だこりゃ』って言わせるには、全部を把握しないといけないということです」

モギーさん「ありがとうございます」

吉本さん「良いお仕事をしてください」