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渡辺真由子氏の総説論文「性的有害情報の実証学的系譜」への批判

はじめに

インターネット上において、性的表現について論じられる時、しばしば「性的表現の悪影響」が取り上げられ、一部のフェミニストやリベラル知識人たちから規制の強化が必要だと叫ばれる。

その時、頻繁に引用されるのが2012年に渡辺真由子氏が出版した総説論文『性的有害情報に関する実証的研究の系譜~従来メディアからネットまで~』である。例えば、直近でも次のようなツイートがあった。

Twitterで表現の自由界隈と呼ばれている(私も含まれる)人々にとっては、うんざりするほど繰り返し紹介されてきた論文であり、都度、その内容にある不備や著者の問題(渡辺氏は博士号を論文剽窃により剥奪されている)を批判してきた。

しかし、ツイートでのやり取りは、常に一時的かつ散発的であり、当該論文は間を開けては延々と使われている。

体裁としては一応「(立派そうな)論文」ではあるため、人によっては反論したり、不備を指摘したりするのが難しい。問題点を上手く言えずに屈してしまうケースも想定される。(中には、黙って「なるほど。性的表現には悪影響があると科学的に実証されているから、規制も仕方ないのか。」と納得してしまう人もいるだろう。)

そこで今回、当該論文のみに集中して批判を加える。これにより、渡辺論文を引用して規制が唱えられた時、適切な「反論」が本記事のリンクを貼るだけで出来るようにしておく。

「性的有害情報」という著者独自の概念

渡辺氏は論文の冒頭から次のように述べている。

インターネットへのアクセスを容易にしたスマートフォンは近年、青少年にも急速に普及しつつある[1]。一方、従来の携帯電話向けフィルタリングではスマートフォンへの対応が技術的に難しいとされ[2]、ネット上の「性的有害情報」[3]を青少年が目にする機会は増加傾向にある[4]。技術的な規制のみに頼るには限界があるなか[5]、性的有害情報への新たな対策が急務といえよう。

渡辺真由子『性的有害情報に関する実証的研究の系譜~従来メディアからネットまで~』(2012)


この分野を普通よりは調べている私にとっても、「性的有害情報」は聞き慣れない用語である(渡辺氏はこの用語を自ら"obscene harmful information"と英訳している)。海外を含めた他の論文でも見たことがない。注釈では、『青少年が安全に安心してインターネットを利用できる環境の整備等に関する法律』によるとあるが、この法律本文に「性的有害情報」なる用語は登場しない。登場するのは「青少年有害情報」である。

そもそも、ある表現物が「有害」であるかどうかは、それこそ実証研究を行なって初めて明らかになることである。「性的有害情報」という名付けは論点先取の非難を免れない。

また、渡辺氏は「性的有害情報」の海外の研究事例を多数論文内で紹介しているが、"obscene harmful information"など当然ながら一切研究されておらず、Google Scholarで検索しても6件しか該当候補がない。しかも、6件のすべてが渡辺氏の論文か、その論文を引用した論文が引っかかっただけである。

「性的に露骨な表現物」(Sexually Explicit Materials, SEM)ならば国内外において長年にわたる研究の蓄積がある(こちら4万件以上候補が出る)。

だが、日本の法令上定義された言葉ですらなく、どこまでも渡辺氏の造語でしかない「性的有害情報」(Obscene Harmful Information)など当然調べられていない。新たに定義した新しい用語を使うのは構わないが、メリットが見当たらず、不可解である。

偏向した論文選別

2012年当時はもちろん、2023年現在においても、暴力的・性的表現にどういった有害性がどの程度あるのかについて、専門家のコンセンサスは形成されていない(Ferguson et al., 2009Mellor et al., 2019; Ferguson et al., 2020)。すなわち、学術的には、ある表現物が「性的有害情報」であるかそうでないかを共通認識をもって区分するのは不可能であり、有害性の有無や効果量に関する見解も一致していない。

例えば、Fergusonらは、次のようにポルノグラフィーと性的な攻撃行動の関係について、それぞれ全く異なる結論が多数報告されている実態を説明している。

ポルノが攻撃的行動や性的暴行に及ぼす影響に関する調査では、一貫性のない結果が得られている。ポルノが攻撃的行動に及ぼす統計的に有意な影響は小さいとする研究(Alexy et al., 2009; Burton et al., 2010; Dawson et al., 2019)もあれば、影響なしとする研究(Endrass et al., 2009; Hagan et al., 2018)もあり、ポルノが攻撃的・加害的行動を減らす可能性を示唆する結果(Diamond et al., 2011)さえある。数少ない既存のメタ分析研究も、ポルノグラフィーの消費と攻撃的行動の関係に関する結論についてはまちまちである(Allen, D'Alessio, & Brezgel, 1995; Allen et al.) さらに、これらの研究の多くは古く、単に相関的であり、方法論的な欠陥があるため、先行研究が効果量を過大評価している可能性が示唆される。われわれのメタ分析の結果、非暴力ポルノへの曝露と性的攻撃性の間には関係がないことが明らかになった。

"Pornography and Sexual Aggression: Can Meta-Analysis Find a Link?"(Ferguson et al., 2020)
※強調太字は引用者による。


この論文自体は2020年だが、上記の引用内でも「逆の効果(性表現の消費が性的攻撃を減らす)がある」「良くも悪くも効果がない」「悪影響を弱める効果がある」と述べた2012年以前の論文が複数挙げられている。また、著者であるFergusonらは、より高度に設計したメタ分析の結果によって性的表現物と性的攻撃性との関連性を否定している。

渡辺氏は、「実証的研究を概説する」としながら、(2020年のFerguson論文を2012年以前に参照するのは不可能だが)2012年以前にもあった多数の都合の悪い論文を無視しているのである。これは当時からしても実態から乖離した「概説」である。

また、渡辺氏はメタ分析論文(Paolucci et al., 2000)や縦断分析論文(Ybrra et al., 2011)を引用しつつ、性的表現による与える比較的強い悪影響を強調する。

これらを含む様々な研究によって、性暴力を女性が受け入れるポルノグラフィーは、「女性は強姦されたがっている」という誤った信念(強姦神話)や、性暴力を肯定する価値観を男性に持たせ、性犯罪の発生を促す恐れがあることが指摘された[10](大渕)。その後も海外で、従来メディアのポルノグラフィーに関する実証研究は精力的に積み重ねられている。2000年には、これまでに英語圏で行なわれた46の実証研究を、Paolucci,etal.(2000)がメタ分析した。その結果、ポルノにさらされると、「逸脱的な性行動を取る傾向」、「性犯罪の遂行」、「強姦神話の受容」、「親密関係に困難をきたす経験」がいずれも2~3割程度増大することが明らかになった。Paolucci, et al.は、「結論は明白で、且つ、ぶれがない」とした上で、「ポルノ影響に関する諸々の研究結果が示していることは、ポルノグラフィーが暴力や家族機能に影響を及ぼすか否か、という論点を超えて、その次の段階に議論を進めるべきだ、ということである」と述べている。近年も、Ybarra et al.(2011)が10歳~15歳の男女を対象に、「暴力的な性描写の視聴経験」と「性的な攻撃行動」との関連性を調べた。それによれば、暴力的な性描写を見たことがある子どもは、見たことがない子どもよりも、性的な攻撃行動をとった経験が6倍も高い。

渡辺真由子『性的有害情報に関する実証的研究の系譜~従来メディアからネットまで~』(2012)

ずいぶんショッキングな内容ではある。しかし、先述の通り、同様のメタ分析や縦断分析は他の研究者によっても行なわれており、相互に結論が食い違っている。しかし、渡辺氏はPaolucciらやYbrraらの研究が、それらと相反する結論を導いたメタ分析や縦断分析よりも優越する(質の高い)研究であることを説明すらしていない。不都合な論文を紹介していないため、比較検討するという思考も働かないのだろう。


間違った"切り抜き"論文紹介

また、ご都合主義は別の面でも作用している。例えば、BourkeとHernadezの研究を渡辺氏は次のように紹介している。

米連邦刑務局のBourke & Hernadez(2009)は、ネットを利用した児童ポルノ[13]の所持・受領・配布で逮捕された受刑者のうち、実に85%もの受刑者が、実在する子どもへの性犯罪を起こしていたことを明らかにした。この調査結果はあまりに衝撃的だったため、米連邦刑務局は世間の反発を恐れ隠ぺいしようとしたが、New York Timesによるスクープ取材で明らかにされた(DeAngelis, 2009)。Bourke & Hernadezは、「『児童ポルノ所有者』を『児童への性犯罪者』と分けて考えることが、果たして現実的なのだろうか」との問いを投げかけている。また、この研究から、ネット上で児童ポルノにさらされると「児童を性的対象と見なす」「児童をモノ化する」「被害者の苦しみへの想像力が麻痺(脱感作)する」、といった影響を受けることも示された。

渡辺真由子『性的有害情報に関する実証的研究の系譜~従来メディアからネットまで~』(2012)

まず、渡辺氏も書いているように、Bourke & Hernadezの研究は、児童への性加害または児童ポルノの製造・所持で刑務所にいる人々(受刑者)を対象としている。更に言えば、その中でも彼らが考案した「小児性愛治療プログラム」に自主的に参加した人々でもある。

バレたら逮捕されるとしても、なお違法な児童ポルノを入手したか、実際に児童に対して性加害を行なった人から得られた知見は、合法的な範囲で性表現を楽しんでいる人には適用できないだろう。

しかし、これも次に比べると些末な指摘に過ぎない。

この研究から、ネット上で児童ポルノにさらされると「児童を性的対象と見なす」「児童をモノ化する」「被害者の苦しみへの想像力が麻痺(脱感作)する」、といった影響を受けることも示された。

渡辺真由子『性的有害情報に関する実証的研究の系譜~従来メディアからネットまで~』(2012)
※強調太字は引用者による。

この部分は、明確に嘘である。

当該論文は、この治療プログラムの評価が主軸であって、表現物による影響を調べたものではない。特に「表現物(特に児童ポルノ)に悪影響を受けて犯罪を犯す」という分析はどこにも出てこない。その上、Bourke & Hernadezはほぼ真逆の主張をしている。

元の論文では次のように書かれている。

本研究では、インターネット上の児童ポルノに接することが、どのような状況で、どのように個人に影響を与えるのかという疑問には触れていないが、今回の調査結果に基づいて、インターネットが接触性犯罪の因果関係であると結論づけるのはおこがましいと思われる。私たちの治療プログラムの参加者の大多数は、インターネットを通じて児童ポルノを入手する前に、実際に虐待行為を行ったと報告している。
今回の調査を以て、児童ポルノの閲覧と接触性犯罪の間に関係がないことを意味するつもりはない。実際、複雑な相互作用が存在すると考えている。しかし、この分野での実証研究が少ないことを考えると、現時点で関係性のパラメーターを定義するのは時期尚早である。

"The ‘Butner Study’ Redux: A Report of the Incidence of Hands-on Child Victimization by Child Pornography Offenders."(2009)


治療プログラムの参加者の大多数が児童ポルノを入手する前に、実際に虐待行動を行ったと報告している以上、少なくとも当該論文から「児童ポルノによる悪影響で……」と主張することは出来ない。順序が逆だ。仮にそういった悪影響が現実にあるとしても、他の研究に拠らなければならないだろう。

「この研究から、」と渡辺氏が書くような、一方通行的な「児童ポルノの消費→児童性虐待の実行」という因果関係は当該論文からは示せない。しつこく繰り返すが、逆である。

すべてを紹介しきれないが、この渡辺氏の総説論文は、偏りと誤りに満ちている。

カリフォルニア州ゲーム規制法違憲判決の誤った理解

さらに渡辺氏は、暴力的ビデオゲームについても取り上げる。ただし、今回は、研究の紹介というよりも、カリフォルニア州のゲーム規制法が違憲として米国連邦最高裁に棄却された件についてである。渡辺氏は結論部分で「法整備が急務」と書くほど規制派なので、この違憲判決は苦々しいものがあるのだろう。

同じくユーザー参加型のメディアであるゲームについても、Anderson et al.(2007)は、ゲームがプレイヤーに暴力行為を観察・練習する機会を与え、そうした行為を反復させたり、報酬を与えたり、現実に近い生々しさを感じさせたりすることを通して、観察・練習効果を強化していくとする。一方、この研究結果には論争もある[15]。カリフォルニア州が制定した暴力的なビデオ・ゲームの子ども向け販売規制法をめぐる裁判では、米連邦最高裁が2011年6月、州が規制根拠としたAnderson et al.の研究結果について「あくまで相関関係であり、暴力ゲームが未成年者の攻撃的行動を引き起こすと証明したわけではない」とし、規制法を違憲とした[16]。だが暴力的なビデオ・ゲームに関してはその後、流血描写のリアルさがプレイヤーの攻撃性に影響を与えるとする研究(Jeongetal., 2012)や、プレイヤーに敵意を抱かせることが攻撃性を増大させるとする研究(Hasanetal., 2012)など、新たな知見が活発に提供されている[17]。

渡辺真由子『性的有害情報に関する実証的研究の系譜~従来メディアからネットまで~』(2012)※強調太字は引用者による。

ここでもご都合主義的な引用の偏りがある。暴力的ビデオゲームによる悪影響についても専門家のコンセンサスはない。2007年にFergusonがメタ分析を用いて暴力的ビデオゲームによる影響を検討しており、「暴力的なビデオゲームのプレイがより高い攻撃性と関連するという仮説を支持しなかった。」としている(Ferguson, 2007)。

つまり、2007年の時点でも、メタ分析できる程度に研究の蓄積があり、しかもそれによって「悪影響論」が支持されなかったのである。それ以降の新しい知見(渡辺氏が期待している知見)も、渡辺氏を助けてくれない。

ビデオゲームの影響に関しては、ハーバード大学医学部が大規模な調査を行なっており、こちらでも悪影響論は支持されなかった。その結果をまとめた一般向けの書籍も2009年に出版されている。(2012年から見て)3年も前に出版されているものを、なぜ無視できるのか。理解に苦しむ。


しかし、それよりも、渡辺氏は司法判断の主たる根拠を誤っている方が問題である。ゲーム規制法が棄却されたのは、ゲームによる悪影響の因果関係の立証に失敗したからではない。正確にはそれも作用はしただろうが、そもそも「表現の自由」を侵害していると認められた点が判決の本質である。

カリフォルニア州のゲーム規制法には、未成年者がプレイしてはならないという表示を義務付ける内容が含まれていた。通常、「表現の自由の侵害」というと、「特定の表現をしてはいけないと公権力が強制すること」が思い浮かぶだろう。それも正解であるし、ゲーム規制法はそこにも抵触している。が、もう一つ重要な点として、「特定の表現をしろと公権力が強制すること」も同様に表現の自由の侵害であることを指摘しておきたい。

日本でもゲームに関してはCEROによるレーティング審査があり、プレイヤーの年齢に制約を設けているが、これはあくまでも民間団体の自主的な取り組みであるから何とか合憲とされているのである。これが「法令」を以て公権力が強制すると、「表現の自由」と真正面から衝突してしまう。

加えて、因果関係が示せたとしても、規制がただちに許容されるものではない。例えば、「サッカーをすること」は、他のインドアな趣味やより安全なスポーツよりもケガをするリスクが高い。これに関しては因果関係も明確であり、疑いようもない。しかし、だからといって「サッカー規制」にいきなり結びつく訳ではない。広くいえば、私たちには(全部ではないにせよ)危険なことも含めて楽しむ自由があり、国家はそれをむしろその権利を保障する役目にあるからだ。

そのため、ゲーム規制法は米国の裁判所から次のように判決で言われてしまう。『ゲームと犯罪と子どもたち』(2009)にその内容が書かれているため、ここで紹介する。

 子どもたちの発達と精神への悪影響を防ぐうえで非常に影響力があるため、同法律は正当化されるという同州の主張にも、ケネリー判事は関心を示さなかった。ケネリー判事は判決のなかで、憲法の何たるかを説き、彼らを厳しく批判した。

 本国において言論は保護されており、国家には、それ聞いたり見たりする人々の思考や態度に影響するという理由で、言論を禁ずる権威[※原文ママ]はない。半世紀以上前にジャクソン判事が述べたように、「我々の社会のかけがえのない遺産は、各構成員が望んだとおり思考する制約のない法的権利である。思想統制は全体主義の専売特許であり、私たちは一切これを求めない。市民を錯誤に陥れないようにするのが政府の役割なのではなく、政府を錯誤に陥れないようにするのが市民の役割である」……。

ローレンス・カトナー, シェリル・K・オルソン共著, 鈴木南日子訳『ゲームと犯罪と子どもたち:ハーバード大学医学部の大規模調査より』(2009)
※判決文原文ではauthorityであり、文脈上の適訳は「権限」又は「権力」と思われるが書籍の訳に従った。


米国も表現規制について世論が動いているため、正確な予測は困難であるが、少なくとも上記のような「表現の自由」の理解が続く限り、仮に「悪影響」を実証できたとしても、米国連邦最高裁は規制を認めないだろう。元より因果関係の立証にも失敗しているが(少なくともコンセンサスはない)、立証に成功すれば規制できる・規制していいという訳でもない。

どうして性犯罪は増えてくれない?

最後に、渡辺氏が全力で目をそらしている問題について示す。

渡辺氏は、冒頭からスマートフォンの普及などにより「性的有害情報」による悪影響が今後ますます深刻になると予測していた。結論部分でも次のように述べている。

 青少年が性的有害情報に接することはネットの普及によって容易になり、更にフィルタリングが必ずしも有効でないスマートフォンの登場が、その傾向を後押ししている。
 本稿は、性的有害情報に関する従来メディアの研究を概観した上で、ネット上の性的有害情報をめぐり海外で行なわれている効果研究について最新動向を伝え、ネットならではの影響特性や影響研究の限界についても分析してきた。日本国内におけるネット上の性的違法・有害情報の氾濫については、海外との境目はなくなりつつあり[18]、海外の知見は日本にも普遍的にあてはまると考えられる。
 これらの研究によれば、性的有害情報と一口で言っても、単に男女の裸や性交場面が登場する内容が全て有害なのではなく、実写か非実写かといった媒体の違いにも、あまり意味がない。問題は、その描写内容に「性暴力」が登場するかどうか、さらには被害女性の反応をどう描くかにあることが示唆される。ネット上ではCG等を使った実写に近い創作物の制作が可能になったことや、それらに容易にアクセス出来ること、相互作用性により歪んだ性癖が肯定されやすくなっている実態にも目を向けねばならない。
 変化の速いネットの世界において、性的有害情報への対策を技術的な規制のみに頼るのは限界がある。我が国においても、効果研究から得られた知見を生かし、新たな自主規制、あるいは法規制のあり方を検討することが急務であろう。

渡辺真由子『性的有害情報に関する実証的研究の系譜~従来メディアからネットまで~』(2012)※強調太字は引用者による。

確かに、スマートフォンはおおいに普及し、最近ではAIイラストも現れ、渡辺氏が言う「性的有害情報」は量・質およびアクセス容易性が2012年から2023年の間に爆発的に伸びた。当然に若年層もその恩恵に授かっていることだろう。

それほどまでに有害であるなら、性犯罪率も増加するに違いない。では、見てみよう。

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残念ながら、強制わいせつは2012年から見て右肩下がりに推移しており、基準が厳しくなった強制性交等に関してもせいぜい横這いである。深刻で重大な「悪さ」をもたらすはずの「性的有害情報」は、犯罪統計を動かすほどではなかったと結論するしかない。

むろん、右肩下がりであるからといって、「性的有害情報がむしろ性犯罪の減少をもたらす。」などとは主張できない。警察の捜査能力向上や治安の改善、あるいは少子高齢化社会など色々なパラメーターが含まれるため、真の原因が何であるかは分からない。

しかしながら、あえて私見を述べるならば、おそらく「性的有害情報」とやらの影響は、良くも悪くも小さいのだと思われる。

むろん、小さな悪(罵詈雑言を言うようになる等)をターゲットにして、サンプルサイズ(調べる人数)を巨大にすれば何かは見つかるだろう。だが、それが何だろうか。私は「国家には、それ聞いたり見たりする人々の思考や態度に影響するという理由で、言論を禁ずる権限はない。(the States lacks the authority to ban protected speech on the ground that it affects the listener's or observer's thoughts and attitudes.)」という米国の姿勢に倣いたい。

以上である。

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