「I Am Here ~私たちは ともに生きている~」(浅沼智也監督・2020年公開)を観ました。
現在の法律における、性別変更に必要とされる性転換手術要件をめぐって、今年予定されている最高裁判決を前に、とても意義ある映画だと思いました。
現在、性別変更するには卵巣や子宮、精巣等の生殖器を除去する手術をしなければ認められません。これは世界的にみても日本は非常にハードルが高い要件で、手術しなくても性別変更できるのが世界的な潮流です。
生物学的な男の体/女の体になりたい人もいる一方で、手術による後遺症や体にメスを入れることの負担の大きさ等そうした苦痛や覚悟を強いられたくないトランスの人々は常に、憲法で保障されている社会権、自由権、平等権を侵害されている状態と言えます。
こうした法律の問題について、映画では、あるトランス当事者の方が、「生きるために制度があるわけで、制度のために生きているわけではない」と、今の状況をよく言い表していました。
また、性別変更に必要な、子なし要件についても疑問を投げかける当事者は、「なぜ、(自分の性別変更のために)自分の子どもがいなくなってほしいと当事者に思わせるような制度にするのか」との旨を語り、トランス当事者一人だけのことに留まらないことを気づかせてくれる、非常に重要な問題提起もありました。
また映画では、本当にいろんなつらいしんどいことがあるこの社会で生きる多くのトランス当事者に向けて、同じように人生を多様に生き延びている一人一人から、その人なりの生きることへの呼びかけがとても素敵でした。この映画を観たトランス当事者が、映画の中のトランスの誰かの言葉に共感したり、トランスの誰かの生き様に励まされたり背中を押されたりすることがきっとあると想像しました。
と同時に、女扱い/男扱いされたり強いられることで生きづらさや理不尽さを感じてきたシスジェンダーの女たち、男たちにもこの映画を観て考えてもらえたらと思いました。
トランスに限らずシス女性もシス男性も、それぞれが属性として誰もが、性別二元論の性規範や性文化に基づく偏見や先入観により不快で不条理な経験や差別された経験があり、また、一人一人違う固有の悩みや困難もあります。それと同じように、この社会でトランスと認識されるだけでどんな偏見や差別や被害の目に遭い、同じトランスでも一筋縄ではないどんな多様な経験や考え方や困難があるのか、丁寧に想像できるように、まずは現実に生きているトランスの人々のことを知ってほしいです。
そうしないと、属性に限らず、性別を持つ/選択している/越境している私たち誰もが、お互いを人として尊重し合う関係を作っていくことは難しいと思います。
まずはこうした映画や本やルポや手記などに触れて知って下さい。