疾風の狂宴


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作:徹底的な正義
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《疾風の狂刃》


 迷宮都市オラリオ、27階層「水都」。薄暗い水路に滴る水音が静寂を切り裂き、湿った空気が重く肺にまとわりつく。リュー・リオンはそこに一人立っていた。金髪が乱れ、薄緑の瞳が闇の中で異様な輝きを放つ。彼女の手には木刀「アルヴス・ユースティティア」が握られ、その刃先が震えている。それは冷たい風のせいではない。彼女の内に渦巻く感情――抑えきれぬ怒り、押し殺した  悲しみ、そして正義への狂おしいまでの渇望が、彼女の身体を震わせていた。

 彼女の胸は熱く、頭の中は嵐のように乱れていた。アストレア・ファミリアの壊滅、仲間たちの血に染まった記憶、復讐の果てに得た虚無。それらが今、彼女を正義の執行者としてこの水都に立たせていた。彼女は呟いた。

 

「悪は根絶する…真偽など関係ない…正義に曇りは許されない…」

 

 その声は低く、抑揚がなかったが、どこか壊れた響きを帯びていた。彼女は自らを律するように繰り返し呟き続けていた。だが、その呟きは次第に小さくなり、彼女の瞳に奇妙な光が宿り始めた。

 

「リューさん!」

 

 その声が水都の静寂を突き破った。白髪の少年、ベル・クラネルが息を切らせて現れた。ルビーのような瞳に映るのは、決意と痛み、そして微かな希望。彼の手にはヘスティア・ナイフが握られ、その刃が微かに揺れている。リューは一瞬、凍りついたように彼を見つめた。ベル。深層で彼女を救った少年。共に命を預け合い、彼女の心に一筋の光を灯した存在。だが、今、その光は彼女にとって耐え難いものだった。

 

「ベル…なぜここにいる?」

 

 彼女の声は低く、抑揚を欠いていた。だが、その奥で何かが軋む音がした。彼女の胸の中で、感情がひび割れ、溢れそうになるのを必死に抑えていた。ベルは一歩踏み出し、叫んだ。

 

「リューさんがこんな場所で…人を裁いてるって聞いたからです!真偽も分からないのに、そんなの間違ってる!リューさんらしくない!」

 

 その言葉が、リューの心に突き刺さった。「間違ってる」「らしくない」。一瞬、彼女の瞳が大きく見開かれ、過去が脳裏を駆け巡る。アリーゼの笑顔、仲間の温もり、復讐に染まった自分の手。彼女の唇が震え、次の瞬間、抑えていた感情が爆発した。

 

「間違ってるだと!? らしくないだと!?」

 

 彼女の声が水都に響き渡った。鋭く、狂気を帯びた叫び。木刀を握る手が白くなるほど力を込め、彼女は一歩踏み出した。

 

「あなたに、いや貴様に何が分かる!? 悪が生き続けるこの世界で、正義を曇らせて何が救える!? この夜に蔓延る悪が、悪が私の仲間を殺した!私の全てを奪ったんだ!」

 

 ベルは目を丸くした。彼女の声に宿る激情に、言葉を失った。だが、彼は引かなかった。

 

「リューさんだって分かってるはずです!こんなやり方じゃ誰も救えない!僕が…僕がリューさんを止める!それが…僕の正義だ!!!!」

 

 彼がナイフを構えた瞬間、リューの中で何かが完全に壊れた。彼女の瞳が異様な光を帯び、口元が歪んで笑みを浮かべた。笑い声が漏れた。低く、掠れた、狂ったような笑い。

 

「止める? 貴様が私を? ハハ…ハハハ!笑わせるな!」

 

 戦いが始まった。ベルが「ファイアボルト!」と叫び、炎の矢を放つ。だが、リューは「ルミノス・ウィンド」を並行詠唱で展開。緑の風が炎を切り裂き、ベルを壁に叩きつけた。彼女の動きは疾風そのもの。感情が溢れ、抑えきれぬ怒りが彼女を加速させる。

 

「貴様のような甘ちゃんが! 正義を語る資格があるか!」

 

 彼女の叫びが水都に響き、木刀がベルの肩をかすめた。彼は歯を食いしばり、立ち上がる。

 

「リューさん…僕は…!」

 

 だが、リューは聞かなかった。彼女の心は怒りと狂気で塗り潰されていた。ベルが突進し、ナイフを振り下ろす。瞬間、リューは笑った。甲高い、壊れたような笑い声が水路に響き、彼女の木刀が風を纏ってベルの腹を捉えた。彼が膝をついた瞬間、彼女の声がさらに高ぶった。

 

「そうだ!跪け!貴様の理想なぞ、正義の前では無力だ!」

 

 ベルは苦悶の声を漏らし、それでも立ち上がろうとした。彼女の瞳が一瞬、揺れた。ベル。あの純粋な少年。深層で彼女を救った光。だが、その記憶が逆に彼女の狂気を煽った。

 

「貴様が…貴様がそんな目で私を見るからだ!」

 

 彼女の叫びが頂点に達し、木刀が再び振り下ろされる。ベルが最後の力を振り絞って突進するが、リューはそれを予見していたかのように一閃。風を纏った刃がベルの肩を砕き、彼を水面に叩き落とした。水しぶきが上がり、彼の白髪が水に広がる。ベルは動かなくなった。

 リューは息を荒くしながら彼を見下ろした。胸が激しく上下し、感情が嵐のように渦巻いていた。怒り。悲しみ。悔恨。そして、奇妙な解放感。彼女の手が震え、木刀が水面に滴を落とす。

 

「ベル……」

 

 声が詰まった。彼女の瞳に一瞬、涙が浮かんだ。深層での記憶が蘇る。彼の優しい声、温かな手。彼女の胸が締め付けられ、息が乱れた。

 

「なぜ…貴様が…私の前に…!」

 

 彼女は叫んだ。感情が溢れ、涙が頬を伝った。だが、次の瞬間、彼女はそれを乱暴に拭い、声を荒げた。

 

「いや、違う!貴様は悪だ!私の正義を曇らせようとした!だから…だから裁いたんだ!」

 

 彼女は自らに言い聞かせるように叫んだ。声が水都に反響し、狂気的な響きを帯びる。ベルを見下ろす彼女の瞳から涙が流れ続け、だがすぐに笑みに変わった。

 

「そうだ…私は正しい…正義は私だ…!」

 

 彼女の声が震え、笑いが止まらない。壊れた人形のようだった。彼女は水路に膝をつき、両手で顔を覆った。だが、指の隙間から漏れるのは嗚咽ではなく、狂った笑い声だった。

 

「ハハ…ハハハ!もう元には戻れない!分かったんだ!私にはこれしかない!正義しかない!」

 

 彼女は立ち上がり、ベルを見下ろした。動かぬ彼の姿に、彼女の心は一瞬だけ締め付けられた。だが、それを即座に否定するように叫んだ。

 

「貴様が死ねばいい!貴様のような甘さが、この世界を汚すんだ!私は…私は全てを根絶する!」

 

 彼女の瞳が異様な輝きを放ち、狂気が頂点に達した。ベルへの勝利は、彼女にとって最後の鎖を断ち切る瞬間だった。アストレアの教え。仲間の死。復讐の日々。そしてベルとの絆。それら全てが、彼女を正義の怪物へと変えた。

 彼女は水都を歩き始めた。木刀を手に、血と水に濡れた足跡を残しながら。彼女の耳に、ベルの最後の声が響いた気がした。「リューさん…」。その声に、彼女の心が再び揺れた。だが、彼女はそれを振り払うように自らを殴った。頬に赤い跡が残り、彼女は笑った。

 

「黙れ!黙れ!貴様なんかに私の正義は分からない!」

 

 彼女の独り言が水都に響き続けた。彼女は水路の奥に進み、そこで新たな影を見つけた。冒険者か、闇派閥の残党か、真偽は不明。だが、リューには関係なかった。彼女の瞳が輝き、笑みが広がった。

 

「悪だ…悪だ…貴様らも悪だ!」

 

 彼女は叫び、風を纏って突進した。「ルミノス・ウィンド」が炸裂し、影たちは悲鳴を上げて倒れた。彼女は血に染まりながら笑い続けた。

 

「そうだ!これが正義だ!私が正義だ!」

 

 彼女の狂気は止まらなかった。彼女は水都を彷徨い、目に入る全てを裁いた。無垢な商人、逃げ惑う冒険者、ただそこにいた者たち。真偽を問わず、彼女の刃が振り下ろされた。彼女の耳に響くのは、もはや仲間たちの声でも、ベルの笑顔でもなかった。ただ、彼女自身の狂気的な呟きだけがこだました。

 

「正義に曇りは許されない…悪は根絶する…私が…私が正義だ…!」

 

 その日から、オラリオに「疾風の狂刃」の伝説が広がった。彼女は深層を進み、血と風を撒き散らした。冒険者たちは彼女を恐れ、近づく者はいなくなった。ある者は囁いた。

 

「彼女は怪物だ…正義に取り憑かれた亡魂だ…」

 

 だが、リューにはそんな声すら届かなかった。彼女の心は完全に壊れ、正義への狂気だけが彼女を動かしていた。

 彼女はダンジョンのさらに深い階層へと進んだ。そこには闇派閥の残党が潜んでいた。彼女は笑いながら突入した。

 

「見つけた…貴様らだ…悪の根源だ…!」

 

 彼女の声が狂気を帯び、魔法と木刀が嵐のように敵を切り裂いた。血が飛び散り、叫びが響き、彼女は笑い続けた。

 

「ハハハ!死ね!死ね!貴様らが生きてるから私がこうなったんだ!」

 

 戦いの後、彼女は血に濡れた水都に立っていた。彼女の手は震え、瞳には涙が浮かんでいた。だが、それは悲しみではなく、狂気による興奮だった。彼女は自らに呟いた。

 

「もっとだ…もっと裁かなければ…正義が…正義が私を呼んでる…!」

 

 彼女の笑みがさらに歪み、彼女は深層へと進み続けた。彼女の足跡は血と水に染まり、彼女の声だけが闇に響いた。

 

「私は正義だ…私が正義だ…!」

 

 リュー・リオンは、もはや過去の彼女ではなかった。彼女は正義の化身となり、狂気そのものとなり、迷宮の深みへと堕ちていった。その瞳に宿るのは、決して満たされない正義への渇望と、壊れた魂の残響だけだった。

 

 

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