話したくない
もう20年ほども前、当時私はパキスタンという国のカラチという街に住んでいた。日本に出張するにはカラチからバンコック経由で成田に向かう便が常道だった。その日は夕方カラチを発ち、夜中の12時ごろにバンコックに着き、空港併設のホテルで仮眠して早朝に日本に向かう便に乗り換えるスケジュールだった。
夜12時頃、バンコックの空港、当時は今の空港ではなく古い空港だった、に着き、ホテルにチェックインし、眠りに着くための寝酒を一杯やろうと思い、独りでホテルの中にあるアメリカン・ダイナー風のバーカウンターに座り、ビールを注文した。店内は空いていて、カウンターには私一人、テーブル席に2~3組のお客さんがいた。店内には60~70年代の洋楽の流行り歌が流れていた。
ハイネケンを手酌でグラスに注ぎ、一口目を飲み、それがはらわたに染み渡る感覚を覚えた丁度その時、この曲のイントロが耳に飛び込んできた。
https://open.spotify.com/track/2JWKzkQbYsNzx019WyGzaH?si=Zq1UaC5eQFyRfqcP0K20jQ
ロッド・スチュワートのI Don't Want To Talk About It.という曲。発表当時に結構ヒットした曲で、耳にしたことは多かったが、特に好きでも嫌いでもなかった曲。ところがその夜はその曲が心に染み込むように入ってきて、普段英語の歌詞など聞き取れもしないはずの私の耳に、ロッドが歌う言葉の意味が何故かはっきりと聞きとれたのだった。そして溜まっていた疲れがスーッと抜けて、歌詞の意味にちょっと涙が滲んですらきた。その曲がヒットしたのは70年代半ばのはずだけれど、2000年になって突然私の心に染み込んできたのだった。
それ以来この曲が好きになって、ちょっと調べてみたらこれはロッドのオリジナルではなく、ダニー・ウィットンという人が書いた曲とわかった。ダニー・ウィットンとは、ニール・ヤングのバックバンドとしても活動していたクレイジー・ホースのギタリストで、ロッドのバージョンがヒットした時には既に薬物中毒で帰らぬ人になっていた。そのダニーが歌うオリジナルも凄く良い。
https://open.spotify.com/track/0myBFxr4evQ0HxjbaL5TOe?si=ujysAdJfRyi8B9tIZYwdaw
それからさらに15年ほど経ち、私はシンガポールに住むようになり、現地の生活にようやく慣れた頃、自宅近所のダイナーで夜独りで疲れきって食事をしていたら、同じ曲の聴いたことがないバージョンが耳に飛び込んできた。聴いたことがないとは言うものの、その声は私がもっとも好きな女性ヴォーカリストの一人であるトレイシー・ソーンの声のように聞こえた。あわててSHAZAMでチェックすると、エヴリシング・バット・ザ・ガールのバージョン。つまり歌っていたのはまさにトレイシー・ソーンだった。
https://open.spotify.com/track/5G8x4iQxQGgPFCYRNnXwBb?si=CpGqwZv9S3yNZWeq_8dwHw
同じ曲が、違う人のバージョンで、15年の時を超えて、似たようなシチュエーションで耳に届き、そして心に染み入ってくる。
そこになんの意味があるわけでもないだろうけれど、この曲は今も自分にとって忘れがたいものとして心に刻まれている。
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