作:カラミティ・プゥーン
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地中深くの迷宮にて、猛牛の怪物ミノタウロスと一人のヒューマンがぶつかり合っている。大人と呼ばれるにはまだ遠い、体は小さく顔立ちもあどけない白髪赤目の少年。ベル・クラネルは軽装ごと体の肉も骨も傷つけられながら、それでも猛牛の怪物に襲いかかった。
『ヴヴオオオオオッ!!』
「うおおおおおおっ!」
「ああああああっ!」
『ヴヴオオオオオッ!?』
互いに決め手を欠く一戦を前に、見守っていた少女達は永遠に続くかのような錯覚を覚えた。だが、そんなことがあるはずがなく、戦いというのは必ずいつか終わるもの。
戦局が大きく動く。
ミノタウロスの膝が
『ヴヴオッ!?』
少年はただ闇雲に突っ込んでいただけではなかった。攻撃力でも耐久力でも分が悪かった一戦において、彼はずっと待っていた。戦闘開始直後からコツコツと同じ箇所を攻め続け、その成果が実を結ぶ瞬間を。
「っ! 勝負だ!!」
動きが酷く緩慢になったミノタウロスに、彼は一直線に突っ込んだ。
自らも血を飛ばしながら切り刻んで、残る力を使い切るつもりで胸の魔石を突き刺す。ガギリッ、と何かが碎ける音が響いた。
『ヴフォッ!? グフッ……ヴ、ヴヴオオオオオォォ!!』
「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッ!!」
打ち上がる怪物の咆哮。死を逃れようとするミノタウロスの拳が少年の胸に叩き込まれ、口から血の塊が吐き出される。
だが、少年は止まらない。
たった
『ヴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ────ッ』
響く怪物の断末魔。空が見えない天井を仰いだ格好で、ミノタウロスの動きは完全に止まった。最後の絶叫の反響が消え去るのを待たずして、その巨体が灰へと姿を変えていく。
「はあ、はあ……」
後に残るのは少年の荒い息遣いと、遠くから聞こえてくる怪物達の雄叫び。勝敗は決した。
ベルは迷宮の床に崩れ落ちる。神に懺悔するような格好に変わった彼に、近付いてくるのは見届け役の少女達。紅の髪のヒューマン、ピンク髪のパルゥム、金髪のエルフの娘。最後に島国衣装の女が歩いてきて、バカを見る顔で言った。
「馬鹿が。こんなことをしても現実は変わらん。アルフィア達の汚名も、お前の肩書きも、なかったことにはならない」
「そんなことはどうでも良いわ! 今大切なのは、ベルがLv.2になれるってことよ! ミノタウロス倒しちゃったんだからランクアップは間違いなし! 今日はお祝いのパーティよ!」
サムズアップをかます紅のポニーテール娘、アリーゼ・ローヴェルLv.4。派閥の団長である彼女に冷めた視線を送るのは、今しがた辛辣な物言いをした極東美人であった。派閥副団長、ゴジョウノ・輝夜Lv.4。
「そうだな。貴方も馬鹿だったな、団長」
「馬鹿っていう方が馬鹿だって、アストレア様がおっしゃっていたわ! 私もその通りだと思うわ!」
「さっさと帰るぞ」
「最近の貴方って前にも増して辛辣よね。そういうの、友達がいなくなるからやめた方が良いと思うわ! 少なくとも私には優しくすべきね! だって私は団長だし!」
「仮にだ。私が素で優しくなったら、気色が悪いことこの上ないだろう。それに貴方は団長なら、私の暴言くらいでへこたれていてもらっては困る」
「それもそうね! うん、やっぱり輝夜は今のままでオッケーよ! さっきのはナシナシ!」
彼女達は新人冒険者、ベル・クラネルが挑んだ試練の見届け役だった。器の昇華、すなわちLv.を上げるためには偉業が必要だが、神々が求める偉業の基準は中々に厳しい。そして生産職ではない冒険者が偉業と認められるだけの成果を出すには、文字通り命をかけた勝負に勝つのが手っ取り早い。
Lv.1の冒険者はミノタウロスをソロで討伐するのはほぼ不可能。その定説を覆すことはほぼ間違いなく偉業であると、アリーゼは声を大にした。ちなみに、上層にはいないミノタウロスをここまで連れてきたのは輝夜である。ちなみにキッチリ調教して強化済み。鬼か?
「ベルにポーションぶっかけて……っと! さあ傷も治ったし帰るわよ!」
「治っていないぞ? 腕がもげたままだし、眼球が裏返っていて反応がない」
「治っていませんよアリーゼ、既に腕は回収しましたが、やはり眼球は裏返ったままです」
「いやああああああ! なんてこと! いつの間にか気絶してるじゃない!」
「騒ぐほどのことか。死んでいないのだから別に構わないだろう。腕に関しては接合して貰えば良いのだ」
彼女達は【アストレア・ファミリア】。この時点から数ヶ月前、絶対悪との戦いを乗り越えて更なる成長を遂げた、誇り高き星乙女達である。迷宮都市では正義の味方として認知されており、それは派閥が壊滅しても変わることはなかった。
*
最低三万人。
それが今より七年前に起こった正邪決戦──オラリオ史上最悪の大戦による死者数だった。
その戦いの名は『大抗争』。
オラリオ史に深く刻まれている正邪決戦である。
思い返せば十五年前、ヘラとゼウスの旧二大派閥は人類の悲願たる隻眼の竜の討伐に失敗し、壊滅。その悲劇はオラリオの弱体化に直結し、テロリスト集団『
混沌を望んだ彼らは着々と力を蓄え、かつての英雄達まで仲間に引き込み一斉蜂起。二人のLv.
ベルが初めてオラリオに来たのは、戦いが始まる直前のことだ。
目的は高位の
父のように慕っていた男と愛する義母。ザルドとアルフィアは不治の病を患っており、命の刻限は着々と近づいていた。誰にも治すことはできないと二人は話していたが、ベルはどうしても諦めきれず、藁にもすがる思いでオラリオに来た。祖父の力を借りることで実家を抜け出し、祖父の友人なる男
『やあ少年、こんな夜更けにどこに行くんだい! ハハッ、私はフェルズという者だ! 時に少年、カルシウムは足りているかな!? 骨は大事だぞ! かくいう私も丈夫な骨にはこだわりがあってね! 骨だけに! ハハハッ!』
『ギャアアアアア!? ガイコツがしゃべってる!?
化け物!?』
『うおおおおおお!? なんだこの骨!? アスフィ、アスフィはどこに行った!? 街中にモンスターがいるぞ!』
『私はモンスターではない! 化け物でもモンスターでもないのだ! 失礼だぞ少年、あと神ヘルメス!』
オラリオ訪問初日。
ベルは骨と出会った。ただの骨ではない。二足歩行する喋る骨だ。あとやたら陽気だった。これはあとから聞いた話だが、彼は本来は自称落ち着いた性格をしているらしく、軽々しく表に出てきて良い存在ではないらしい。ベルと会った時は自作の
『ハッ……私は何を? くっ、これはいけない私は隠密であるべきなのに! ということでさらばだ! 少年、驚かせてしまったことは謝罪しよう! 神ヘルメスはどうでもよい──さらばだ!』
フェルズなる骨は夜の闇に消えていき、ベルは祖父の友人ヘルメスと共に立ち尽くした。世の中には不思議なことが沢山ある。ちなみにヘルメスが神だと知ったのはこの時だ。骨が神だと言わなければ、ベルはもうしばらく、ヘルメスをただの美青年だと信じて疑わなかったことだろう。
この日は夜遅かったので、すぐに宿屋に向かった。
そして迎えたオラリオ訪問二日目。ベルは意気込んで治療師の宝庫こと【ディアンケヒト・ファミリア】に向かったが、その途中でまさかの
そんなこんなで出鼻をくじかれたベルは、しばらく治療院のベッドの上で過ごした。見た目麗しいナース達を眺めるくらいしかやる事のない日々を過ごし、肝心の高位のヒーラーには会えやしない。「僕はこんなことしてる場合じゃないのに」と焦るベルの人生は、ある日いきなり暗転する。
オラリオが火の海になった。
邪神達が率いるテロリスト集団が一斉蜂起し、迷宮都市を強襲したのだ。敵の最大戦力はなんと英雄ザルドとアルフィア。二人の真意を探るべく、ベルは自らの無力も忘れて治療院を脱走し、またしても自爆テロに巻き込まれた。
炊き出しに参加していた少女を庇おうとして、自分だけ見事に吹き飛ばされるという神業をやってのけた。導き出された結果は瀕死である。当然の結果であり、九割程度くっついていた足が再びちぎれた。後で担当治療師から大激怒されたのは、怖い思い出でしかない。
「どれだけ心配したとおもっているのですか! どれだけ心配したとおもっているのですか! がみがみ! がみがみがみがみがみがみ!」
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい!」
脱走について叱られたのは随分後になってからだ。
目が覚めた時、戦いは既に終わっており、ベルには心を整理する時間が必要だった。彼女もそれを理解していたのか、退院する日まで一言も文句を言わなかった。
戦いは終わり、ザルドとアルフィアは討たれた。
かつて英雄と呼ばれた二人は、最悪の犯罪者として歴史に名を残することになった。そしてベルはそんな二人の息子も同然である。だがベル自身には何の罪もないからと、心優しい女神アストレアが引き取ってくれた。【アストレア・ファミリア】入団である。
その後のベルは
寝ても覚めても強くなることだけを考え、鍛錬ばかりに時間を割いた。パッと見でいちばん強そうだった派閥の先達に師事し、もとい付き纏って教えを仰ぎ、剣の扱いやら何やら、何くれとなく学ばせてもらった。
あの頃は異常なほど貪欲だったと、ベルは後に振り返っている。
夢である英雄になるため努力している間は、辛い現実から逃れられたのだ。その姿は【ロキ・ファミリア】の金髪幼女、次代の英雄アイズ・ヴァレンシュタインと重なるところがあったが、二人が出会うことはまだなかった。
とにかく強くなることだけを考えて、モンスターばかりを追いかけて過ごす。そんな日々を送る中、発現した
成果はすぐに形になった。Lv.2にランクアップしたのは恩恵を刻まれた一ヶ月後である。
正確な所要期間は二十八日。異常すぎる速度での昇華を神々は讃え、ベルは街の人達から
*
史上最短でのLv.2到達。
その偉業はオラリオを通じて世界に知れ渡り、ベル・クラネル
「なんかなにもしたくない」
だが、当の本人はミノタウロス戦の直後から別人のように抜け殻になり、Lv.2になってから一度もダンジョンに潜らなかった。一年間の引きこもり期間を経た後で、ある日いきなりダンジョンに特攻を繰り返すようになり、最終的にはオラリオから逃げ出してしまったのである。
当時のことを、女神アストレアはこのように振り返っている。
「神の自己満足、
頑張りすぎたせいで一時的に燃え尽きたところまでは、彼女の想定の範囲内だった。不味かったのはその後で、どこぞの神が必要以上に少年の偉業を喧伝しまくり、意図的に祝福ムードを作り出したのだ。裏から手を回して、アルフィア達との関係性を徹底的に隠蔽しようとまでした。
大罪人の血縁であるという事実は、英雄候補には不要。その男神は「君のためにならない」と隠し通すことを少年に迫り、そうすることで「アルフィア達の想いに応えることに繋がる」とまで言ってのけた。
ベルは子供心に嫌悪感を抱き、様々な想いに翻弄される中、それでも奮起しなければと立ち上がろうとしたが
『全て暴露してやろうか? ここまで名を売ってしまった今なら、民衆の反応はさぞ面白いことになるだろうさ……ふふ』
噂に戸はたてられない。オラリオに来た当初は公言していた義母達との関係を、意地の悪い女神は知っていた。性根の腐った女神イシュタル。彼女に脅された少年は更に思い悩み、「故郷に帰ります」とだけ告げてオラリオを去った。
派閥に入団してからピッタリ一年。いつでも改宗できるように恩恵を調整してもらい、少年は夜更けに館を出た。
迷宮都市に来た翌年。
そこから約六年間。ベル・クラネルは表舞台から姿を消し、徐々にその名を忘れ去られていった。
*
正義は背負うには重く、向き合うには恐ろしく、嘘偽りのない優しさは痛かった。六年前も今も、それらの気持ちは変わっていない。時の流れと共に気持ちは多少マシにはなったとはいえ、事実は何も変わっていないのだ。
愛する母と父のような男は大量虐殺者で、決して許されない大罪人。数え切れない人から憎まれている。
自分は二人の息子も同然で、後ろ指を指され石を投げられることを恐れている。だから胸を張って二人の息子だとは言えないし、それは結果として二人への裏切りだと感じるし、同時に不特定多数の人を騙していることにも繋がっている。
だから、正義は背負うには重すぎるし、向き合うのは恐ろしくてできないし、純粋な優しさを向けられるのはやはり痛い。実に悲しいことではあるが、正しく慈悲深い
「私の色気にひれ伏しなさい、ユニコーン!」
『……』
草原で寝そべり唇をぶちゅーの形にしている愛と美の女神アフロディーテ。彼女は真剣なようだがベルからすれば変顔にしか見えない。アフロディーテは何をしているのか。それは誘惑である。旅の途中で見つけたユニコーンに色気を見せつけ、飼い慣らそうとしているのだ。そういえば前に乗り心地が良いとか言っていたっけ、とベルは二者の様子をじっと見る。
『……!』
「なぜ後ずさるの? ユニコーン?」
ゴゴゴゴゴ……と厳しい雰囲気が流れている。ユニコーンは完全に不審者を見ている感じだ。草原のど真ん中で寝そべって変顔する女、うん不審者だなとベルは納得させられてしまった。
この女神と出会ったのは五年前である。
オラリオを出た後、ベルは故郷に戻るも祖父はおらず、モンスターにやられて死んだことを村人から聞いた。この時点で肉親は誰もいなくなり、放心状態であてもない旅を始めた。Lv.2の【ステイタス】があれば子供一人でもさして危険はなく、適当にプラプラとほうろうすること数ヶ月前。歌劇の国、メイルストラでアフロディーテに捕まった。酔っ払っていた彼女はベルを野生の白兎だと見間違え、縄で縛り上げて持ち帰ったのである。逃げようとしたが魅了されて捕まえられた。美の神の魅了は恐ろしい。
その後は彼女が所有する劇団のモギリをして過ごした。客のチケットをモギる仕事である。ずっとモギり生活を送っていくのかと思いきや、いきなり「オラリオに行くわよ」と強制連行されて今に至っている。
『……ッ!』
「あっ、逃げるなら魅了してしまうわよ!? 私を誰だと思っているの! 私は三千世界に愛された天上下界で最も美しい大女神!
『……ペッ!!』
「唾を吐いたわ! 馬のくせに女神に唾ァ!」
アフロディーテは瑞々しい肢体をジタバタさせ、透き通るような金の髪を振り乱し、ガンガンと地団駄を踏んで怒っている。その様子をユニコーンは一瞥すると、またしても『ペッ』と唾を吐いた。
アフロディーテは魅了を発動させようとしたが、その前にユニコーンが動く。恐るべき速度で彼我の距離を詰めてきたかと思えば、そのしなやかな前足をもって、女神のプリ
『フンッ』
「──うギャアアああああああああああああ!? おしりがっ、おしりが二つに割れたあっ!?」
踊り子のような露出だらけの服装のため、そのキックはほぼ直にプリ尻をぶっ叩いた。ベシンどころがベキッという鈍い音が鳴り響き、泣き叫びながらのたうち回る愛と美の女神。
何をやっているんだか……。
ベルは悲しげに遠くを見つめた後、同じく悲しそうな顔をしている男性に声をかける。
「すみません、待たせちゃって」
「いや別に構わないが、大丈夫かお前の主神様……ケツが二つに割れたって」
「大丈夫ですよ。だっておしりは元々ふたつに割れてるでしょ?」
「…………確かに」
「それと、あの方は主神じゃありません」
「…………そうなのか」
彼は馬車の行者である。オラリオまで彼の馬車に乗せてもらっているのだが、アフロディーテがユニコーンを発見したため停車させて今に至る。あまり待たせて迷惑をかけないよう、ベルは泣きわめく愛と美の女神の首根っこを掴んだ。
「なによ!」
「行きますよ。ユニコーンは諦めて下さい」
「嫌よ! あの子は私のペットにするの!」
「凄い睨まれてますから、やめときましょうよ。それに魅了とか効かなさそうですし、やめといた方が良いですって」
「そんなわけないでしょ! ウダイオスならいざ知らず、ユニコーンくらいは魅了できるわよ!」
「ウダイメスっていると思います?」
「オスがいるならメスもいるでしょ! 馬鹿なの?」
ズルズルズル……と引きずられていくアフロディーテ。雑に回収された彼女は馬車にぽーんと投げ込まれ、少年は盛大に溜め息をついた。同じ
左右異なる神秘的な瞳でベルを見つめると、フンと鼻を鳴らして馬車の前に出た。何やら蹄で地面を何度も蹴って、スタートの準備のような仕草をする。まさか先導してくれるつもりなのだろうか。
「え、なんで? どうして?」
『……フンッ』
ユニコーンは鼻を鳴らした。待機していた馬車馬に目で合図を送ると、本当に先導する形で走り出し、馬車馬もそれに続く。
「なによあの子、ツンデレってやつ? 私にひれ伏したのならそう言えば良いのに」
「ひれ伏してはいないと思いますよ……目がそんな感じじゃなかったです。あれはどっちかって言うと、見下してる感じの視線でした」
自称聡明な愛と美の女神ははしゃいでいたが、どう考えても懐いてくれたようには見えない。というかなぜに目的地に向かって一直線。オラリオに向かっていることを解っているのだろうと、ベルは驚愕半分、気味の悪さ半分であった。
「近づいてるわよ、オラリオ! ……オラリオ……私のトラウマはすぐそこに」
「……会いたくない人でもいるんですか?」
「人じゃなくて神よ! 内緒だけど!」
「じゃあ聞きませんけど、僕はどうしてオラリオに連れてかれるんですか?」
「この薄情者!」
「うわびっくりした……いきなり叫ばないでくださいよ」
ユニコーンが先導し、馬車が進み、白亜の巨塔が大きく鮮明に見えてくる。吹き抜けていく風はとても冷たい。オラリオを出てきた日は、今日よりも少しだけ寒かった。
「どうしてオラリオにって、そんなの決まってるじゃない。みなまで言わせないで頂戴」
「みなまで言わないとわからないんですけど……」
「ええい鈍感ね! これだから子供は嫌いなのよ!」
「それ、関係あります……?」
「やかましい!」
「理不尽な罵倒はやめてください……僕だって落ち込むんですよ」
「それはゴメン……」
やがて近づいてくる迷宮都市の巨大市壁。ユニコーンが速度を上げ、勝ち誇ったような顔で馬車馬を振り返る。挙動がいちいち人間っぽい。やはり気味が悪いとベルは思った。
「どうしてオラリオにって、そんなの貴方のために決まってるでしょ! 試練から逃げてる間は金ピカに輝くことなんてできやしない! 子供達の可能性っていうのはね、真実の愛っていうのはね、ちゃんと向き合ってこそ金ピカ輝くものなのよ!」
「金ピカ輝きたいとは思わないですけど、なんかありがとうございます。僕のためなんですよね」
「なんでよ! 金ピカ良いじゃない! それとお礼なんて不要よ! 見返りを求めるなんて品のない真似、このアフロディーテがするわけがないわ!」
「無償の奉仕はムリとかどうとか、前に言ってませんでしたっけ……」
「何事も対価というのは必要なのよ。そうしてこの美しい世界は回っているの」
「そうですよね。アフロディーテ様らしくて良いと思います」
「なんか返しが雑じゃない?」
「あはは、気のせいですよ」
さて、愛と美の女神の適当さは今に始まったことではなく、適度に核心を突いてくるのもいつものこと。
彼女の言う試練が何なのかは、具体的にこれと断言するのは難しい。だが、このままではいけないということはベルは常々思っていた。この五年間で理解した、いやさせられたことは、「全て忘れて生きることは絶対にできない」である。
自分はオラリオに戻って向き合わなければならない。
英雄を目指すのか、違う在り方を目指すのか。
どちらにせよ、二人の息子として贖罪はしていかなければならない。それは
「アイツが来る……アイツが近づいてくるうぅぅ……」
「一体誰を恐れてるんですか……アフロディーテ様」
女神が真っ青な顔でガタガタ震え、少年がわりと本気で心配する。ユニコーンがオラリオの衛兵に突撃して軽く騒ぎが巻き起こる。迷宮都市オラリオ内部では愛と美の女神フレイヤが、女神ロキのおデコに『貧相』と落書きをしていた。
かくしてベル・クラネルは戻ってきた。
この選択を彼は後悔する日が来るかもしれない。呪う瞬間が訪れるのかもしれない。だが、既に賽は投げられ、終末の産声が上がることは規定事項。この世界には本当の意味で逃げ場などないことを、神々と精霊達は知っていた。
これは千切れかけた枝の先の物語。