5年ぶりのディズニーリゾートで味わった奇妙な非日常

昨年12月、妻と一緒に東京ディズニーリゾートに出かけた。

以前は年に2、3回のペースで訪れていたのだが、コロナ禍以降全く行っていなかったため、約5年ぶりだった。
色々システムが変わっているというのは、事前に調べてある程度理解していた。

ご存じの方にはわざわざ言うまでもないだろうが、ディズニーランド・シーは、エリアごとに世界観が決められている。
私は各エリアの雰囲気・景色をじっくり味わうのが好きだ。
一番好きなのは、シーの「アメリカンウォーターフロント」である。
ここは1920年代のニューヨークとケープコッドをイメージしてデザインされている(私はニューヨークエリアのほうが好きだ)。

そして、ディズニーランド・シーでは、アトラクションだけでなく、飲食店やショップにもバックストーリーが設定されている。
これは近年は年々簡素になっていく傾向にあるようだが、例えばアメリカンウォーターフロントのS.S.コロンビア号の中にあるS.S.コロンビア・ダイニングルームは、この船の出航を祝うパーティー会場ということになっている(もちろん時代設定は20世紀初頭)。
他のレストランも、時代設定や場所の設定などが決められている。
私は極力、自分が本当にその時代・場所にいるという心づもりで利用している。
それが愉しみ方というものだろう、と思っていた。

さて、今回5年ぶりに訪れた私と妻は、予約していたS.S.コロンビア・ダイニングルームで夕食を取った。
前述のように、この船は1920年代のニューヨークに寄港している、ということになっている。
私は結構この時代が好きなこともあり、毎回楽しみにここを利用している。

いつものように、少し待ってから、キャストに席に案内してもらう。
店内の装飾が気分をかきたてる。来てよかったと思う。
そして、席についた私と妻に、キャストはテーブルの上に置かれた小さな札を指し示しながら言った。

「メニューはこちらのQRコードからご覧ください」

私は唖然とした。
おいおい、ちょっと待って欲しい。
ここは1920年代のニューヨークに寄港している船の中なのだ。
QRコードは無いだろう。

私の困惑をよそに、妻はスマホでQRコードを読み取ってメニューのページを開いていた。

(妻は私と同じくディズニーリゾート好きでありながら、このあたりの情緒にはほとんど関心を持たない人である。
以前、ダッフィーとのグリーティングのために並んでいる時、待機エリアの壁にダッフィーが世界各地で撮った設定の写真が飾られているのを見た私が、
「1920年代だから、白黒の写真なんだね」
と言ったら、妻は怪訝な顔で
「それは最近撮ったものに決まってるでしょ」
と言った。
ここまで感性が違う人と、一緒に過ごすのは刺激的で楽しいことだ)

以前来た時は、紙のメニューがあったものだ。
調べて見ると、コロナ禍で、感染症拡大対策のために紙のメニューは廃止され、全てQRコードになったらしい。
まあ、それなら仕方あるまい。
そういう配慮のほうが情緒的な演出よりも優先されるのは当然のことだし、私も別にそこまで異を唱え、紙のメニューに戻してくれと抗議するつもりはない。

しかし、それはそれとして、「1920年代のニューヨーク」と「QRコード」を、私の中でどのように接続するか、これが私個人の中で大問題として立ち上がった。
これが、ディズニーアニメの中なら出てきても不思議はないようなガジェットであればまだいい。
しかし、QRコードというのは、あまりにも「現実」すぎる。
まあ、こういうひっかかりも、キャストさんにメニューの説明を受け(とても話上手なキャストさんが席に来て、メニューの紹介をしてくれた)、美味しい料理を食べているうちに思考の後景に遠のいていったのだが……

食事の後、1920年代式を模してデザインされたエレベーターに乗って、船の外に出る。
私は毎回、このS.S.コロンビア・ダイニングルームで食事をした後で船の外に出る瞬間、ある種の奇妙な感覚に襲われる。

「あ、そうか、自分は今ディズニーシーにいたんだ」

という感覚である。
船の中にいた時には、私はその事をどうやら忘れかけているらしいのだ。
この時の感覚は、身体がふわっと浮き上がるような、何とも言えないものである。

私にとっては、ディズニーシーは非日常であるし、S.S.コロンビア号も非日常である。
つまり、ここで私の身に起こっているのは非日常から非日常への移動なのだが、この二つの非日常は質的に異なるものである。
これが、私の感じる「身体がふわっと浮き上がるような」感覚の原因なのだろうと思う。
私の身体は日常から切り離された状態で、ある非日常から別の非日常へと横滑りするのだ。

そしてこの日、妻と並んで船を降りた私は、いつものこの「奇妙な感覚」が、今日はさらに多層的になっていることに気が付いた。
例えるなら、ディズニーシーの空気に両足首を掴まれて思いっきり引っ張られているような気分なのだ。

その原因は明らかだった。
私はS.S.コロンビア号の中で、「QRコード」によって、予期せずに「日常」と接続されたからである。
私にとって、あの船の中は「日常と接続されている非日常」だった。
船から降りることで、私はこの特殊な非日常から、完全に日常と切断されている非日常へと引き戻されたのである。

ふと、これに似た感覚を、前にも味わったことがあるような気がした。
思い出した。やはり、S.S.コロンビア号に乗ったときのことだ。
S.S.コロンビア・ダイニングルームでは、座る席によって、窓からディズニーリゾートの外の道路の標識が見えることがある。
私は以前、その席に座って、船の窓から、シーの外の標識を見たことがあった。
青い看板に、白い日本語で書かれた、あまりにも日常的な道路標識である。
その時、私は、自分が日常の中にいるのか、非日常の中にいるのか、とっさに分からなくなった。
あれと同じ感覚は、なかなか他で味わえるものではない。

ディズニーランド・シーのレストランに導入されていたQRコードは、私にとっては、非日常の中で否応なしに日中に接続され、それによって逆説的に、より強度のある非日常へといざなう装置として作用した。

日常の領域内で、同じような作用をするものを作ることは、果たして可能だろうか?

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5年ぶりのディズニーリゾートで味わった奇妙な非日常|松井哲也
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