猫と爬虫類:human-reptiles interactionの可能性
本記事は、2023年7月18日に研究室ブログに掲載したものの再掲である
私は50匹ほどの動物を飼っている。猫とウサギとモルモット以外は、爬虫類・両生類・節足動物だ。
(再掲時追記:その後、残念ながらウサギは死んでしまった)
爬虫類好きの人間は、かなりの確率で猫好きでもあると言われる。私は、飼育動物としての猫と爬虫類には重大な共通点があると考えている。
それは、「モデル化できない」ということだ。
モデル化できないとは、簡単に言い換えれば「予想できない」ということである。
「こちらがこのように行動すれば、こういう反応を返す」という法則付けがほとんど出来ないといってもいい。
犬やインコは、このようなモデル化がかなりやりやすい飼育動物だろう。
対して、猫と爬虫類は、モデル化が非常に困難である。
こちらの意志・行動と全く関係なく行動する、と言ってもいい。
犬やインコの時間と、飼い主である人間の時間は密接につながっている。
飼い主のアクションに対して、彼らは即座に反応を返し、それを受け手飼い主は次のアクションをし……といった、通時的・同期的なインタラクションがそこでは想定できる。
対して、猫と爬虫類と飼い主とのインタラクションは非同期的なものになる。
猫に声をかけても、すぐに反応があるとは限らない。しかし、忘れたころになって駆け寄ってきて膝の上に乗ってきたりする。
トカゲやヘビなどの爬虫類の場合はこの非同期性が更に顕著で、飼い主の存在は明らかに認識しているにも関わらず、彼らは飼い主のアクションとはまったく関係なく動く。
猫と爬虫類とインタラクションをすると、時間的な連続が断ち切られ、全く別の時間に迷い込んでしまうような気がする。
モデル化できず、予想ができない存在であるという意味で、猫と爬虫類は「他者」である。
それでも猫は完全に家畜化された動物であり、ある程度は彼らのほうから人間の間合いに合わせてきたという歴史があるのだろう。
爬虫類は、それよりもさらに強い意味で「他者」である。
他の動物と触れあっている時の方法論は、そこでは全く通用しない。
かといって、彼らにとって最適なインタラクションが何かということが、事前にわかるわけもない。
予断を持たずに、その場・その時で即応的にインタラクションをするしか無いのである。
個人的な印象論だが、爬虫類好きな人には、他者に寛容な人が多いような気がする。
他人とすぐに打ち解ける、という意味ではない。
自分とは考え方の異なる人間にあった場合に、「そういうもの」として受け入れ、それ以上余計な干渉をしようとしない、という意味である。
爬虫類嫌いの人の中には、よく、「爬虫類のような野生動物を愛玩目的で飼うべきではない」などと主張する人がいるが、これはおかしい。
触れあいを楽しむのがメインになる愛玩動物とは異なり、爬虫類は「飼育すること」自体が飼育の主目的になる。
その種にとって最適な環境を考えて再現し、少しでも健康で長生きができるように、持てる知識と技術を全て費やして、飼い主側が完全に動物に奉仕するのが爬虫類飼育である。
それは、全く内部状態のわからない「他者」と接し続けるということである。
上記のような主張をする人は、「最初から最適な飼育方法がわからない動物を飼うべきではない」と言いたいのだろうが、爬虫類飼育とは、わからない「最適な飼育方法」を探し続けることである。その探求は、決して終わることは無い。
爬虫類は、そもそも愛玩動物ではないのである。
HAI分野では、犬と人とのインタラクションを研究したhuman-dog interactionや、馬と人とのインタラクションを対称とするhuman-horse interactionと呼びうる研究は既に存在する。
しかし、爬虫類と人とのインタラクションを扱った、human-reptiles interactionに属する研究はまだ無いようである。
私はこの領域を研究したいと考えている。
他の動物とのインタラクションとは、全く異なった現象が、そこには見出せるはずである。
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