おばけ工学(HGI)宣言
本記事は、2022年5月16日に研究室ブログに掲載したものの再掲である
HCI(ヒューマンコンピュータインタラクション)、HRI(ヒューマンロボットインタラクション)と比較して、HAI(ヒューマンエージェントインタラクション)では、インタラクションの相手が実体を持っていなくてもいいという特色がある。
それでは、相手が実体どころか実在性すらも想定できないような対象とのインタラクションを考えることはできないか?
――そのような発想で始まったのが「おばけ工学」であり、これまでの流れに沿って名前を付けるならHGI(ヒューマンゴーストインタラクション)と呼ぶべきだろう。
この分野の提唱者は信州大学の小林一樹先生であり、共鳴した豊橋技術科学大学の大島直樹先生、大阪大学の高橋英之先生、そして私の4人で、2020年から毎年国際ワークショップ[1]を開催している。
この分野での研究成果の一部は拙著「ロボット工学者が考える嫌なロボットの作り方」(青土社)で紹介したが、そこには収まりきらなかった議論や、脱稿後に新たに着想したアイデアなどについて、一度ここでまとめておきたい。
不勉強ながら、私は前著の脱稿後にようやくアダム・カバットの「江戸滑稽化物尽くし」[2]と、高岡弘幸の「幽霊 近世都市が生み出した化物」[3]を読んだ。そして、拙著で「異類」としてひとくくりにしたエージェントの中でも、「妖怪」と「幽霊」の概念の違いをようやくにして理解することができた。
高岡は前掲書で、現在の我々がイメージするような存在としての「幽霊」の概念は近世(江戸時代)になってようやく確立したこと、そしてそれが「都市」と密接に結びついた異類であったことを指摘している。高岡によると、全く同じような怪異が起きた場合でも、江戸などの都市においては「幽霊」の仕業とされ、一方の農村部では狐狸や妖怪の仕業とされたことを、資料的に考証している。それも、この棲み分けは相当に厳密なものであったらしい。
では、幽霊と狐狸・妖怪とは具体的にはどのような違いがあるのか。私が前掲書でも論じたように、狐狸・妖怪は、我々の世界の論理から完全に隔絶された存在であり、人を化かすことにも特に強い理由を持たない。いわば、我々の世界の因果関係の外部に存在するのが彼らである。一方、幽霊は都市から生まれただけに、都市の論理=恋愛関係や経済に直接接続する存在だった。
実際、有名な幽霊譚を思い浮かべてみても、そのほとんどは恋愛感情の縺れか金銭関係の恨みが関係している(四谷怪談などは前者で、皿屋敷は後者だろう)。彼ら幽霊は、あくまでも都市世界の論理の中で、その恨みを果たそうとして行動する。その背景には、「都市」という空間の発達による人間関係の複雑化、そして貨幣経済の発展があるのだろう。
このように、同じ異類でも、都市の「幽霊」と農村部の「狐狸・妖怪」はまるで異なる論理の元で動くエージェントだった。ここで工学的視点を持ち込んで、HGI的に考えてみよう。「幽霊」においては、幽霊が人間に恨みを抱いて復讐をしようとする動機は、多くの場合はっきりしている。すなわち、幽霊では問題と解答が一対一に対応しているのだ。郡司の「天然知能」を援用すれば、幽霊の論理は人工知能的である。そのため、生者が幽霊に対して取る対応も明確に決めることができる。すなわち、お祓いや祈祷をしたり、幽霊の恨みを晴らしてあげればよかったのだ。これは当時の人々のエンジニアリング、問題解決のための工学的メソッドであった。
一方、農村部に出現する狐狸・妖怪は、都市の人間関係――恋愛感情や経済感覚などとは全く無縁の存在である。それらは都市の幽霊に見られた、問題と解答の一対一の対応という図式を否定し、そこからはみ出た「何か」として我々の前に向かってくるエージェントだ。なので、狐狸・妖怪には人工知能的な対処法が適応できない。
カバットによると、江戸時代には「野暮と妖怪は箱根の先にしかいない」という言い方があったらしい[2]。当時の人々も、都市=幽霊、農村部=妖怪という棲み分けを意識していたのだろう。そして、都市で語られる妖怪は、もはや恐ろしいものではなく、滑稽な存在として描かれた。これは先の言葉で、「妖怪」と「野暮」が対応するものとされていることからもわかる。カバットの紹介するところでは、江戸で読まれた妖怪譚は、妖怪が箱根の先から江戸にまでやってくるが、江戸の粋な文化に対応できずにすごすごと退散するというストーリーのものが多かったらしい。
しかしこれは逆説的に、江戸の人々が妖怪を解釈するための論理を持っていなかったことを示してはいないだろうか。幽霊のように人工知能的な対処ができない妖怪に対しては、彼らはせいぜい「茶化す」ことで、妖怪は都市の論理=人工知能的な論理の中に組み込まれないということを示すことしかできなかったように思われる。
というわけで、HGIの新たな課題が見えてきた。一つは幽霊=人工知能に対応したシステムを現在に再現すること、もう一つは妖怪=天然知能に対応したシステムを記述することである。
ところで、このような課題に工学的に取り組むに当たって、現在の私にはいくつかの疑問がある。一つは、日本では、江戸でも地方都市でも、都市とその周辺部との間には、ヨーロッパや中国における城壁のような明確な境界は築かれなかった。にもかかわらず、なぜ日本において、都市=幽霊と農村部=妖怪という明確な峻別が生まれたのだろうか。
もう一つは、「野暮と妖怪は箱根の先にしかいない」という言葉に出てくる「箱根」である。ここでは明らかに、箱根は「境界」として認識されている。だが一方で、箱根と言えば多くの妖怪が住み着くとされる「場所」でもあった。果たして箱根とは境界の「線」なのか、それとも面積を持った「場」なのか。インタラクション研究とは、ある面では他者と自己との「境界」を設定するという工学であり、またある面では他者とのインタラクションの「場」を考える工学でもある。なのでHGI研究を進めるに当たって、この疑問は避けては通れないような気がするのである。
[1]2020年および2021年に、国際会議IEEE International Conference on Robot & Human Interactive Communicationの併催ワークショップとして開催
[2] アダム・カバット「江戸滑稽化物尽くし」 講談社学術文庫、2011
[3] 高岡弘幸「幽霊 近世都市が生み出した化物」吉川弘文館、2016
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